08:生物学上は女です
また熱中症になって倒れては困る、とアドルバードとカルヴァは中庭から
「ここならゆっくり話せるだろう」
「そうですね――でもいいんですか、執務は」
東屋に置かれている椅子に腰を下ろしながらアドルバードは問いかける。
国王には暇な時間などない。昨日と違って今日の散歩は予定されていたものではないから、時間に余裕はないはずだ。
「大切な客人の相手をするのも仕事のうちだと思うが?」
くすりと笑う姿は男の色気に溢れていて、そういう男が好みだという女性ならばころりと魅了されるだろう。
「いや別に平気ならいいんですけど」
(あんまり怠けていると信用なくすんじゃねぇかな……)
国王としてカルヴァがどれだけ切れ者なのかは知らないが、出会ってからこれまでの印象は「クズ」「ろくでなし」「女好き」「アホ」「馬鹿」だ。なぜこの大国の王として彼が玉座に座ることができているのか不思議で仕方ないくらいだ。
「それにしても――ううむ、恋愛事に関しての勘は鋭いほうなんだがね。悩みなら聞くぞ? 素直に吐き出したほうが楽になることもある」
「……まだその話ひっぱりますか」
恋愛話が好きだなんてどこのご令嬢だ、とアドルバードは呆れながら頬杖をつこうとして――やめた。しまった、ここはまだ人目がある。会話が聞こえることはないだろうが、迂闊に深窓の姫君らしからぬ行動はできない。遠目からでもかのリノルアース姫を見ようとする人間はいるだろう。
「勘ねぇ……とても真面目な恋愛をしているようには見えないんですけど」
アドルバードよりも女性の扱いに慣れているのは事実だろう。けれどこちらが胸に秘めているのは長年あたため続けた初恋で、それはそれは一途に思い続けているのだ。カルヴァはとても参考にならない。
「失礼な」
心外だ、と言いたげにカルヴァが眉を寄せた。
「だって後宮があるんでしょう? 知っていますよ妃が何人もいるって」
「子をなすことも王の義務だろう――それにあそこにいる妃はそういう相手ではない」
「へ?」
驚いて目を丸くするアドルバードに、カルヴァは笑った。先ほどよりも幾分か真面目な顔で口を開く。
「アルシザスではどれだけ優秀でも女性が政治に関わることはできない。せいぜい下っ端の秘書官どまりで、それも高位の身分の人間ではありえない話だ。貴族の姫は籠の鳥として生きる道しか用意されていない」
カルヴァは寛ぐように椅子にもたれ、微苦笑した。
「だが賢い人材をただ飾って腐らせるのは愚かだろう? あそこにいるのは私の手駒になることを選んだ娘たちだ。
(へぇ……)
アドルバードはカルヴァの評価を素直に改めた。ただの馬鹿ではないらしい。むしろ馬鹿を装った策士、というほうが正しいかもしれない。
「それに――なんだ、私もこれでも真面目に恋愛はしている」
「美少女って噂の姫君に食いついておきながらですか」
カルヴァのこれまでの行動を考えると、少々説得力に欠ける。半眼でアドルバードが言い返すと、カルヴァは開き直った。
「うつくしいものを一目見たいと思って何が悪い!」
「そういうところ、本命に誤解されやすいと思うので気をつけてくださいね」
アドルバードの言葉にカルヴァは「うぐ」と言葉を詰まらせて項垂れた。図星だったらしい。
「ふざけた恋愛のまねごとならいくらでもできるのに、本当にいとおしいと思う相手だとうまくいかないのはなぜだろうな……」
「つまりは本命相手にはそのすらすらと出てくる口説き文句が浮かばないってことですか」
アドルバードの指摘にカルヴァは小さく頷いた。いくら詩的に表現してみせても、つまりはそういうことである。惚れた女もうまく口説けないヘタレ野郎ということで――とそこまで考えるとまるで自分のことのようでアドルバードも胸が痛む。
「どうしたらいいんだろうな? どうすればいいと思う?」
「いや俺に聞かないでくださいよ……一般的な女性なら誠実な男のほうが好きなんじゃないですか?」
ぐぐっとカルヴァに食いつかれてアドルバードは冷たくあしらった。軽薄そうなカルヴァはお呼びではないということは確かだ。まして彼の評判は無類の女好きだとか、女性にとっては喜ばしくないものだ。
「誠実……確かに彼女はそういう男が好きそうだ……」
(それなら絶望的なんじゃないかな……)
と、思いはしても口には出さなかった。歯が浮くほどのセリフをぽんぽんと吐き出せる女好きのわりには、自分の本命相手には消極的らしい。
「……君はまだ十五歳だというのにいい男だな」
「こんな格好をしている俺をいい男と言ってくれるんですか。ありがとうと言うべきですかね」
水色のふんわりとしたドレスを見下ろしてアドルバードが苦笑する。いい男なんて、普段の姿でも言われたことのない評価だった。十五歳の少年としては低めの背、少女と見紛う可愛らしい顔立ち。どこをとっても『いい男』には程遠い。
「見た目の話ではなく――中身の、器の話だ」
「それは当然です」
アドルバードはきっぱりと言い切った。
「好きな人に相応しい人間であるように、努力は怠っていないつもりですから」
誇り高い彼女に相応しくあるように。彼女が仕えるに相応しい主であるように。二年前のあのときから、アドルバードは努力を続けている。
「いるのかね」
意外そうな顔でカルヴァが食いついてくるのでアドルバードは思わず座ったまま半歩分横にずれた。
「いないとは言っていませんよ」
「興味あるな。私に相談してみるといい。安心しなさい、人のものには手を出さない主義だ」
(いやそんなこと言われても信用できねぇし)
「――彼女は、俺にすべてを預けてくれたんです。それに応えることができなければ男が
「なんだ両思いなのか」
「違いますよ。彼女が俺に向けているのは恋とかそういう甘い感情じゃなくて――忠誠とか、信頼とか、そういうもので……」
「そんなこと言い切れるのかね?」
真剣な表情で問いかけられて、思わずアドルバードは言葉に詰まった。
確かめたことなんてあるわけもない。そんなことしたら自分の気持ちまで暴露することになるではないか。忠誠や信頼は疑うまでもなく――けれどそこに恋情が混じっているかと言われると自信がない。
「いやしかし……やはりどうも騎士殿のような気がするんだが」
(しまったしゃべりすぎた)
ぺらぺらと話すカルヴァにつられていろいろ話してしまった。カルヴァの勘は間違っていない。だってレイのことを話しているのだから当然だ。
「ん? いや待てよ。そういえば剣の誓いを立てたのは女騎士だったとか聞いたような気が――」
(ああああああやっぱりそこまで伝わっていたのかあああああ!)
「私は女ですが」
「うわあああっんが!?」
驚いて声を上げたところで口を塞がれた。目を動かすと後ろからレイが手でアドルバードの口を塞いでいる。リノルアースらしからぬ奇声をあげるなと言いたげに見下ろしてくる。こくこくとアドルバードが頷くとレイはそっと手を離した。
「――おんな」
ぽつりと呟かれたカルヴァの声に、アドルバードは青ざめる。あれ? もしかしてもしかしなくても、今さっきレイは女だと白状していなかっただろうか。空耳であってほしいと願うアドルバードの心中など推し量ることもなく、レイはしっかりと頷いた。
「ええ、生物学上は女です」
「んわあああああ……っんぐう!?」
レイの声を掻き消そうとまた声を上げるが、すぐにレイ本人によって塞がれた。
「アドル様……?」
「ふぁんでおまふぇふぁほほにひるんふぁよ!」
(――なんでおまえがここにいるんだよ!)
先ほどまでレイは東屋から少し離れた場所でアドルバードを待っていたはずだ。なんでこんな都合よく、最悪のタイミングでやってくるのか。
「侍女が飲み物を運ぼうとしていたので、私が代わったんです。アドル様が素の状態で話していたらまずいでしょう?」
(確かにすっかり素のまま話していたけど!)
鬱陶しい恋愛話に飽き飽きしていたところで、張り付いていたはずの笑顔も剥がれていた。今アドルバードの正体を知らない者に会話を聞かれていたらリノルアース姫の可憐な印象は消え去る――それどころかバレてしまう可能性もあっただろう。
「女。騎士殿は女か。それならばやはり――!」
「言うな馬鹿野郎おおおお!」
「アドル様」
己の勘の正しさに喜ぶカルヴァにアドルバードは泣きたくなりながら叫ぶが、リノルアース姫らしからぬ行動にレイが顔を顰める。
「大丈夫、大丈夫だから! ちゃんとするから! 頼むからおまえは向こうで待ってろすぐ行くから!」
「しかし――」
この場にレイがいる限りアドルバードが大人しくリノルアース姫の役に戻ることはできない。目の前の馬鹿王は今にも話したくてうずうずしている。
(他人の口から自分の気持ちを暴露されるって何それ拷問か!)
「頼むから! むしろ俺がボロ出しても平気なように他の奴が近づかないようにしてくれ!」
アドルバードの必死さに、レイも何かしら思うところはあったのだろうが「わかりました」としぶしぶ東屋を離れた。その姿が見えつつも、会話は聞こえないだろう距離まで離れてようやくほっと息をつく。
「あんた馬鹿か!? 本人の目の前で何言おうとしてんだ!?」
「ふふふ、やはりそうではないか君は騎士殿に惚れているんだろう?」
にやにやとしたカルヴァの胸倉を掴んでがくがくと揺さぶりたいところだが、誰かが見ているかもしれないこの場ではそれも出来ない。
「だからそう大きな声で話すなまだ近くにいるんだから!」
「安心したまえ、さっきも言った通り人のものには手を出さない主義だ。さぁ楽しくなってきたな! ちょうど飲み物もあるんだ、じっくり話そうではないか!」
レイが運んできた冷たい
「陛下! いいかげんに仕事に戻ってください!」
こいつ本当に仕事しなくていいのかな、と檸檬水を飲みながらアドルバードが思っていたところで、厳しい顔の秘書官がやって来てカルヴァは連れて行かれた。
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