09:君もなかなか辛辣だな
アルシザスでの滞在も早いもので五日目を迎えようとしている。三日後には夜会が開催され、その翌日には帰国する予定だ。日程も折り返し地点を過ぎたことでアドルバードには余裕も生まれていた。
(しっかし……なんでまた……)
アドルバードは用意された紅茶を飲みながら遠い目をしていた。干した果実を茶葉に混ぜたそれは、よく冷えていて美味しい。
「さて、人払いも済んだことだし、存分に語り合おうではないか!」
カルヴァが無駄にきらきらした顔で話しかけてくる。昨日もそうだった。アドルバードの恋心が知れてからというもの、このアホ国王は隙を見てはアドルバードと話す時間を作りおせっかいな助言をしてきたり、真面目な助言を求めてきたりしている。
「あんたと室内で二人きりって……妙な噂になったりすると困るんですけど」
さすがに身の危険はもう感じないが、一応アドルバードはリノルアース姫ということになっているのだ。今だって萌黄色のドレスを着て、鬘もまるで地毛のように綺麗に編み込まれている。
「安心しろ、室内には他にも人がいる――という設定になっている」
「設定かよ……万が一あんたと噂になったりしたら俺リノルに半殺しにされると思うんですよね」
レイ曰く、カルヴァはリノルアースの好みではないらしいので半殺しは確実だ。
「君の妹はなかなかバイオレンスだな」
「よかったですね、来たのが本物じゃなくて」
万が一本物が来ていたらカルヴァは今頃何発か引っ叩かれているし、ハイヒールで踏みつけられていたことだろう。
「私はやはり一般的に真面目な女性にはモテないんだろうか……? これでも言い寄ってくる女は多いんだが」
リノルアースは間違っても真面目な女性の枠にも当てはまらないし、普通の女性ともいえないが、カルヴァのような男性を好む女性に偏りがあるのはアドルバードにもわかる。
「それは国王に群がっているだけであんたにすり寄っているんじゃないと思いますけど」
この国で最も偉い男がカルヴァで、だからこそ言い寄ってくる女性は多いのだ。もしもカルヴァという男が身一つで財を持たない男なら、路傍の石ころ同様に見向きもされないだろう。
「……君もなかなか辛辣だな」
「女性にはやさしく、と厳しく叩き込まれていますけど野郎にやさしくする必要はないでしょ」
幸い室内なので人目を気にする必要もない。言いたい放題なのは楽でいい。
「君こそもう少しどうにかしたらどうかね。どう見ても両思いだろう。思いを告げればいい」
「どこをどう見たら両思いなんですか……レイはどう見ても俺のこと子ども扱いしかしてないですよ。こちとら生まれた時からの付き合いなんですからね」
「騎士殿は確かに考えていることがわかりにくいが……だが、好いてもいない相手にすべてを捧げるかね? 彼女は君に剣の誓いを立てているんだぞ?」
「だからこそでしょうが! 剣の誓いですよ? 主従ですよ? あのくそ真面目なレイが主従関係なのにそれを踏み越えてどうこうなんて考えるわけがないでしょう!」
主に、と望まれたことは嬉しい。彼女がすべてを捧げてもいいと――たとえあの時、縁談から逃れるための手段だったとしても――そう思われていることは、誇らしく思う。けれどそれはつまり、レイはアドルバードに恋をしていないということだ。
(もし俺のことを好きでいてくれたなら――それなら、あのとき剣ではなくただ手を差し出せばよかったんだ)
ただ一言、助けてほしいと。
そう望んでくれれば、まだアドルバードが幼く頼りなかったとしても、どんなに反対されても、彼女と婚約を取り付けた。
「主従という意味では相思相愛なんでしょう。でも、それは恋愛じゃない」
「私の目には、そうは見えないがね」
「あんたの目がどれほど信用できるっていうんですか。自分は相手の気持ちがさっぱりわからずにいるくせに」
ついつい八つ当たりしたくなって物言いがきつくなる。
「うぐぐ……私には、騎士殿は好きでもない相手との縁談を避けるためだけに剣を捧げるような――そんな女性には見えないがね。そういう人間ではないだろう? 彼女は」
「それは――」
そうかも、しれないけど。
けれどそんなものは、アドルバードの淡い幻想ではないか。もしかしたら、レイは自分のことを好いてくれているんじゃないか――なんて、そんな風に思いたいだけではないだろうか。
お互い信頼しているし、かけがえのない大事な存在だ。それは確かで、だからこそ細部が見えにくくなっている。レイはアドルバードのためなら命すら捨てるだろう。それはアドルバードの騎士だからだろうか。それとも――?
「普段と違う環境というのは、改めて関係を見直すのにもってこいだと思うが?」
「……あんたそれ、ただ自分が経過を観察したいだけだろ」
一見まともそうな意見だが、この男に限ってそんなまともなことが打算なく提案されるわけがない。アドルバードがじろりと睨みつけるとカルヴァはすぐにいたずらのバレた子どものように笑った。
「む、バレてしまったか」
(バレるに決まっているだろうが)
呆れたアドルバードがぬるくなり始めた紅茶を飲み干したところで、コンコン、と扉を叩く音がした。
「誰だ」
カルヴァが答えると、扉の向こうからよく知る声が聞こえた。
「レイ・バウアーです。リノルアース姫をお迎えにあがりました」
「ああ、もうそんな時間か」
カルヴァと話し始めてもう一時間以上が経っていた。これからカルヴァは執務に戻らねばならないし、アドルバードも組まれている予定がある。
扉が開いて、現れたレイの姿にアドルバードは思わずどきっとした。なんせこんな恋愛話はハウゼンランドではしたことがなかったのだ。リノルアースにはアドルバードの想いなど筒抜けだろうが、妹相手に恋愛相談する気はなれないし、他に相談相手もいない。
今はカルヴァがあれこれとうまく言いくるめて、護衛なのだから傍にいると言い張ったレイを部屋から追い出してしまったのだ。
「……今日のこのあとの予定ってなんだっけ」
差し出されたレイの手を取りながら立ち上がり、スケジュールを確認する。
「外交官と一緒にアルシザスの水路を視察に行く予定になっています」
「ああ、そうだった」
あまり出番のないリノルアース姫だが、アルシザスの水路には興味があったので無理に予定に組み込んだのだ。
「それではまた、リノルアース姫」
にっこりと品よく笑みを浮かべるカルヴァにアドルバードも息を合わせてドレスの裾をつまんで優雅に礼を返した。
「ええ、また」
「……随分仲良くなられたんですね、陛下と」
部屋に戻ってすぐ、レイがぽつりとそう零した。
「は?」
思わずアドルバードは口を開けて聞き返す。どこをどう見たら仲良く見えるんだ。正体も知られていることだし、カルヴァと二人のときは多少気は緩んでいるかもしれないが、その程度の話だ。
「私をのけ者にしてまで話したいことがおありのようですから」
棘のあるレイの言葉に、アドルバードは口籠った。恋愛相談したりされたりしています、とはさすがに言えない。
「いいですよ、別に。いつもこんな堅苦しい騎士に付きまとわれては息抜きもできないでしょうしね」
ハウゼンランドでは――普段では、ここまでべったりというわけではない。レイが騎士団の訓練に参加していることもあるし、アドルバードも王子としてやらねばならないことも多い。他国で、しかもリノルアースと偽っているからこそ、レイは慎重に慎重を重ねてアドルバードからできる限り離れないようにしている。
「そんなこと、思ったこともないけど……もしかして、レイ拗ねている?」
「拗ねていません」
きっぱりと言い返されるが、しかしその横顔は拗ねている、という表現がぴったりくる。
(確かにいつもと違う環境っていうのはいいかもしれない……!)
レイのこんな顔を見たのは、いったいいつぶりだろうか。いつも年長者として振る舞っている彼女にはかなり珍しいことである。
(レイが少しでも妬いてくれるなら――あの鬱陶しい野郎の相手も悪くないかも)
現金にも、そんなことを思っていた。
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