05:私だけの、騎士ですから
翌日は生憎の晴天だった。
「……大雨になればよかったのに」
恨みがましい目で青空を睨みながらアドルバードが呟いた。濃い青空は雲一つなく、雨の気配は微塵もない。おそらく今日雨が降ることはないだろう。
「雨だったら室内でお茶でも――なんてなっていたかもしれませんよ。押し倒される危険性はそちらのほうが高いと思いますが」
「おそろしいことをさらっと言うな……」
押し倒されるとか。
午前中だというのに、気温はもうアドルバードの不快指数を上回る温度を叩き出している。南国のアルシザス用にとわざわざ仕立てたドレスだが、それでも足にまとわりつくスカートが煩わしい。
「私が傍に控えていますから、万が一ということはないと思いますが……何かあればすぐ声をあげてください。間違っても本物のリノル様のように暴れたりしないでくださいね」
「大丈夫よ、ちゃんとわかっているわ」
ふぅ、と息を吐き出しながらアドルバードは可憐な姫君の仮面をかぶる。さすがに一国の王をぶん殴ったらとんでもない外交問題になるのは理解しているし、自制心は妹よりも強いという自負がある。
むしろ不安なのは――。
「……万が一、バレたら……」
これまではバレない程度に距離を置いて接することができたが、今回はそうもいかない。外交官が気をそらしてくれることもできないし、別の話題を提供してくれることもない。
(男だってバレたら、ハウゼンランドの王子は女装趣味だってあちこちに知れ渡るのか……なんだそれ地獄か)
そんなことになったら羞恥心で死ねる自信がある。生きていけない。恐ろしい未来を想像してアドルバードは青ざめながら肩を震わせた。
「それはありえませんから安心してください」
レイが頼もしいくらいにはっきりと言い切るが――それはそれで悲しいし虚しい。
「……まて。俺はそんなに疑う余地もないくらい女に見えるのか?」
「正直に申し上げるなら、今のあなたはどこからどう見ても立派な姫君です」
嘘をつかないレイの言葉は残酷なほどぐっさりとアドルバードの胸を刺す。見事な致命傷だった。思わずよろよろと壁にもたれてはぁー……と溜息を吐き出す。
「アドル様? 行きますよ?」
立ち止まった主を不思議そうに振り返りながらレイが急かしてくるが、アドルバードとしてはまだ動けるほど回復していない。
「……立ち直るまでちょっと待って」
他ならぬレイの言葉だからこそ、こんなにも痛い。
(世界のどこを探したって惚れた女にこんなこと言われんのは俺くらいだろうな……)
女顔なのは嫌というほどわかっている。女性としては背の高いレイは、アドルバードより頭一つ分は高い。年齢も彼女のほうが二つ上で、小さい頃から世話を焼かれていた立場だ。しかも今は彼女に守られる側の立場である。実際、アドルバードよりレイのほうが強い。
どうやってこの差を埋めればいいのか、アドルバードはずっとわからずにいる。
中庭に咲き誇る南国の色とりどりの花々は、アドルバードが溶けてしまいそうなほどの暑さにも負けずにうつくしさを競い合っている。残念ながら本物の姫君ではないアドルバードにとってはそんな綺麗な花たちもどうでもいいものだ。まぁ見たことない花があるなぁ、というくらいにしか思わない。
「お待ちしておりました、リノルアース姫」
レイのエスコートで向かった中庭には、既にアルシザス王カルヴァの姿があった。予定していた時間ぴったりになったのはアドルバードがぎりぎりまで渋っていたせいでもある。
「申し訳ありません、陛下。お待たせしてしまいましたか……?」
カルヴァの姿を見つけると、アドルバードは小走りで駆け寄った。申し訳なさそうに眉を下げるアドルバードに、カルヴァは「いや」と微笑み返した。
「うつくしい姫を待つ時間が苦になるはずもないな。お手をどうぞ、姫」
(――あ。しまったレイから離れちまった)
可愛らしい姫君を演じるあまりにカルヴァにエスコートをさせる機会を与えてしまった。レイから離れるつもりなど少しもなかったのに。
「……ありがとうございます」
ここでエスコートを断るのはおかしい。アドルバードは引きつりそうになる頬を笑みの形のまま崩さずにカルヴァの手を取った。ちらりとレイを見ると、彼女は「仕方ない」というような顔をしている。
興味の無い花を見ていたところで心が浮き立つことはない。むしろじりじりと照りつけてくる陽射しが痛いくらいだ。
「――花は嫌いかな?」
「え? いえ……」
しまった、ぼんやりしていた、とカルヴァの声でアドルバードは我に返った。心ここに在らず、なアドルバードにカルヴァはすぐに気づいたようだった。苦笑するカルヴァにアドルバードは言葉を濁した。
「浮かない顔をしている。……あの騎士殿が傍にいなければ不安かな?」
すぐ傍に、とは言わないがこちらから見える範囲でしっかりと付き添っているレイをちらりと見てカルヴァは告げた。アドルバードには完全に図星だった。
「そ、それは……私の――私だけの、騎士ですから」
答えになっているような、いないような――そんな返答だった。正直この女好きのクズ野郎とこの至近距離で話している、という状態はアドルバードに緊張を強いている。人を騙すことにも慣れていない善良なアドルバードにとっては、この女装自体が胃を痛めているのだが。けれども妹の貞操の危機と言われてしまうとさすがに無視できない。実際やばそうな男だし、とアドルバードの思考はぐちゃぐちゃだった。
「……私だけの?」
「ええ。私に剣の誓いを立ててくれました。正真正銘の、私の騎士です」
大抵の騎士は王国に、王家に仕えるものだ。だが北方の国々ではただ一人の主人に仕えるために剣の誓いを立てる騎士が稀にいる。それも今や廃れてしまった風習で、剣の誓いを立てる騎士はそういない。
――レイは。
彼女は、二年前にアドルバードに剣の誓いを立てた。己の命とその剣の腕を、アドルバードのためだけに使うと。アドルバードを守る剣になると。
「だから、誰よりも信頼しています。おかしいでしょうか」
もうほとんど素で答えていた。
今自分はリノルアースなのだという意識すら消えて、ただ素直にアドルバードは言葉を紡ぐ。
「……剣の誓い、ね……」
ぽつりと呟かれたカルヴァの言葉に、アドルバードは顔を上げた。南国にはあまり馴染みのないものだが、一国の国王ともなれば知らないということはないだろう。含みある声に、アドルバードは何か変なことでも言っただろうかと不安になる。
「あ、の……?」
どうかしましたか、と問いかけようとしたところで、ぐらりと視界が歪んだ。足に力が入らなくなって、アドルバードは浅く息を吐き出した。わずかに吐き出される息に熱がこもる。目を開けようとしても瞼が重くてぴくりとも動かない。
「姫っ?」
カルヴァがいち早くアドルバードの異変に気づいた。その声に、レイも慌てたように駆け寄ってくる。
「ア……リノルアース様!」
二人の声がアドルバードの耳にぼんやりと届いて、返事をしなければ――と考えたけれど唇は短い吐息を吐き出すばかりだ。
誰かの腕に抱きとめられ、そのぬくもりをかすかに感じてすぐ、アドルバードは意識を失った。
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