17:人間タラシだって自覚ないんですね
追っ手の男たちは木の幹に縛り付けて放置することになった。会話を聞かれても困るとまた少し移動して、すっかり睡眠時間はなくなっていた。再び火を熾し夜明けまでは、わずかでも身体を休める。
セルウスと、ルイと一緒にやってきた男はアドルバードたちから少し離れて情報を共有している。ルイがやってきて、かつもう一人の男が戻ってきたということはアドルバードの状況が向こうに伝わったと考えていいのだろうか。
「そういえばルイ、おまえ俺が逃げたって知ってから来たのか? 早くない?」
ルイから水を受け取りながらアドルバードは問いかけた。ルイは随分とアドルバードのために荷物を持ってきてくれたらしい。子どもを心配する親のようにあれこれと出して押しつけてきた。
「いえ? アドル様の捜索に加わるつもりで出て来たんですよ。こっちにくる途中で、王宮へ報告に向かった人と会っただけです」
そこでアドルバードが誘拐犯のもとから逃げたことを聞きさらに急いで駆けつけてきたのだという。
「……それじゃあまだ王宮には伝わってない?」
「そろそろ伝わる頃かと思います。馬で急げば一時間ちょっとの距離でしたから」
アドルバードが連れ去られてから、かれこれ半日が経とうとしていた。
(やっぱり王都からそれほど離れているわけではなかったのか)
それなら首謀者の男が言っていた「戻る」とは王都で間違いないのだろう。
「ああそうだ。アドル様。これ、リノル様から預かってきました」
そう言いながらルイが差し出したものを受け取ってアドルバードは首を傾げた。
「招待状? アドルバード王子の宛てに? なんで?」
封筒をひっくり返したりして見ても、本当にただの招待状である。これからの指示が書いてあるわけでもない。
「王宮としてはリノルアース姫は誘拐されていないんだから、このままじゃアドル様は堂々と王宮に入れないでしょう?」
「それで招待状を用意させたわけ? 相変わらずだなリノルは」
相手は身内でもなんでもない、一国の王だ。気軽にわがままが言えるような人ではない。しかしルイはさらに苦い顔をした。
「相変わらずどころじゃないですよ。国王陛下に協力してやるから、見返りに同盟を条件にしていたくらいですから。話し合いはアドル様に丸投げだと思うので頑張ってください。滞在期間延ばさないとダメかもしれませんね」
「ちょ、は!? ええ!? あいつ何やってんの!?」
(いや待って情報多すぎて頭ついていかないんだけど!)
とにかく脊髄反射で妹の所業をつっこんでしまったが、同盟でしかも何ひとつ知らされていないアドルバードが話し合えってどういうことだ。夜会が終わればすぐ帰る予定だったではないか。
「姉さんはアドル様の身に危険が及ぶと思えば陛下相手に剣を抜くし、俺の寿命が縮むかと思いました」
「はあああ!? あのレイが!?」
飛び上がるほどに驚くアドルバードを見てルイが少し冷ややかに告げた。
「姉さんをなんだと思っているんですか。剣の誓いをたてるほどの主人が危ない目に遭わされたら怒りますよ」
ルイとしては寿命が縮むどころか今日が命日になるかもしれないという覚悟までするほどの空気だったというのに、この鈍感な王子はレイがそこまでするとは思っていなかったらしい。これでは忠誠を尽くしている
「いや、そりゃ……そうかもしれないけど」
妙に照れくさくて、アドルバードは口籠る。
(だって、あのレイだぞ? いつも冷静で、生真面目で、道理に反したことなんてしない――まさかいくら俺のためとはいえ、国王に剣を向けるなんてそんな真似……)
「……あれ、もしかして俺ってけっこう愛されてる?」
真顔で呟いたアドルバードと今更かよと言いたげな冷めた目で見下ろしながらルイが口を開く。
「アドル様って自分が人間タラシだって自覚ないんですね」
心底呆れ果てたような声にアドルバードは本気で首を傾げていた。身に覚えがないのだ。アドルバードは青い瞳をまあるくして、ルイを見上げている。顔だけは美少年。しかもあの北の姫と評判のリノルアースと同じ顔である。その上お人よしで、情に厚く、身内にはとことん甘い――その身内と呼べる人間がじわじわ増えていくのは、この王子が無自覚に誑し込んでいるからだとルイは思っている。
「殿下」
話し合っていたセルウスがアドルバードに歩み寄り声をかけてきた。
「どうした? セルウス」
くるりと振り返ってアドルバードは当たり前のようにセルウスの名を呼んだ。
「ひとまずは王都に入って、王宮内とタイミングを合わせて戻ることになりそうです」
「あー……夜会も近いから?」
「アドルバード王子が来るというのであれば、体裁は整えないといけないでしょう」
一国の王子が馬車一台でやってくるわけがない。それはリノルアース姫としてやってきたアドルバードが一番よくわかっている。姫の世話をするための侍女や、道中と王宮内での護衛、そしてもちろん外交のための外交官や書記官、衣装や装飾品だけでもかなりの荷物になる。
「そりゃそうだよな。指示はそっちに従うよ」
アドルバードやルイだけでは地理にも明るくないし、王都のなかに入ってもうまく立ち回れない。
よろしく、とアドルバードが笑いかければセルウスもぎこちなく微笑み返していた。その光景にルイは「ほらみろ」と肩をすくめていたのだがアドルバードには見えていなかったらしい。
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王宮内のレイとリノルアースは早朝に突如カルヴァから呼び出された。
一刻も争うとのことだったので、リノルアースは慌てて身支度を整え文句を飲み込みながらにこやかにカルヴァの部屋にやってきた。
「――どうしてくれるのかね」
カルヴァの第一声に、リノルアースの短い堪忍袋は簡単に切れた。
「こんな朝早くに呼びつけておいて突然なんなんです? いくら天下のアルシザスの国王陛下とはいえ失礼ではなくて?」
もともと寝起きの悪いリノルアースの機嫌は最悪だった。手が出なかったのを褒めてほしいくらいだ。
カルヴァは頬杖をつきながら重い溜息を吐き出して、リノルアースとレイを見る。
「アドルバード王子が昨夜囚われた場所から逃げ出したらしい。勇ましいことに単身で」
「あらまぁ」
リノルアースは驚いた様子もなくにこやかに相槌を打った。朝食もまだだったのでカルヴァが三人分の朝食を用意するように言っていたのだろう、テーブルの上には焼きたてのパンやフルーツなどが並んでいた。給仕をしようとするレイと隣に座らせてリノルアースは満足げに微笑む。
「当然というものではありません? あれでも立派な男ですから。囚われのお姫様としておとなしくしているほうがどうかしてます」
まるで考えていたかのようにするすると語るリノルアースに、カルヴァは片方の眉をあげる。
「――わかっていて言わなかったな?」
「わざわざ教えて差し上げる義理がありまして?」
小首を傾げてリノルアースは肯定の代わりに皮肉を返す。
「それで、アドル様は今どちらに? まさか見失ったわけではないでしょう?」
レイが落ち着いた様子で問いかけてくるが、わずかに口早なのはアドルバードを案じているからだろう。
「もちろん。こちらの人間が護衛を続けているし、夜半に君のところの騎士とも合流したようだ」
「そうですか」
ぱっと聞く限りは平静さを保っているようだが、ほっと安堵したのを隣のリノルアースはしっかり気づいていた。
「誘拐犯は
くすりと嘲笑を浮かべてリノルアースは一口大に千切ったパンを口に運ぶ。頭を使うとお腹は空いてくるし、そうでなくても空腹だったので遠慮はしない。
「逃げたアドルバード王子を追って来た者がいたようだが、既に彼らが捕らえた。首謀者はまだリノルアース姫が偽者だったことを知らないまま、姫に逃げられたと思っている」
「首謀者はリノルアース姫はまだ王宮にいないと思っている。王宮に戻るタイミングを狙われて、また襲われるでしょうね」
カルヴァの言葉に付け足すようにレイは口を開いた。
逃げ出した姫がどこへ向かうか? そんなことは考えるまでもない。もちろん王宮へ向かう。リノルアース姫は夜会の主役なのだから。
「……だから君は招待状を用意させたのか?」
カルヴァはナイフを置いてリノルアースを見つめる。リノルアースは目を伏せたまま意味ありげに笑みを浮かべていた。
「さて、どうでしょう。この南国で我々ハウゼンランドの者は目立ちますから。正門はもちろん、小さな通用口だろうと見張られていたらリノルアース姫の帰還はすぐにバレてしまいます」
「……リノルアース姫の姿で戻るのは危険なのだから、アドルバード王子がやってきたことにすればいい。彼らにとっては姫は帰還していないままになる」
本物のリノルアースはただ部屋の中で引きこもっていればいい。
「彼らにとっているはずのないリノルアース姫の登場で首謀者を動揺させることはできる、ということになりますね」
「うまくいくかね?」
カルヴァの探るような問いかけに、リノルアースはにっこりと艶やかに微笑んだ。
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