fin

 寒風に吹かれたオオアマナの大輪が揺れなびいている。空はすっかり乾ききって寒空に移り変わり、洗濯物を干しにくい季節になっておりました。辺りには人気もなく歩いているのはわたしとノエルさんだけでした。

「ルル、髪少し伸びてきたね」

 ノエルさんがわたしの髪をやさしい手付きで撫でる。短くなっていた髪もようやく肩より下に伸びるほど長く戻っていました。

「えぇ、今までずっと伸ばしてきましたから、最初はちょっと落ち着かなかったですが、今はこの長さになれましたね」

「前みたいにもっと長く伸ばさないの?」

 髪を指に絡めて、少し考えてから答えを出す。

「んー……今のわたしにはこのくらいの長さがいいかもしれませんね。ノエルさんは前のほうがよかったですか?」

 そう尋ねると彼は頭を振って微笑んでくれる。

「前はアレでよかったけど、今のルルも素敵だよ」

 ニコリと笑う彼の笑顔にわたしの心はときめき。夢中で彼の腕に抱きついて、少しいやがる素振りは見せますが、前よりも随分寛容に受け入れてくれるようになりました。

 彼の腕にしがみついて歩いていると、彼は一つの石碑の前で立ち尽くしました。そしてわたしはその石碑の前に跪く。

「お久しぶりですね。メアリー」

 わたしが石碑に向かって話しかけたところで、乾風が頬を掠めるだけで、誰の声も返ってはきません。この墓石にはメアリー・沙羅・アルクイストの名前と没年月日が明記されており、下にはただメアリーだった骨が納骨されているだけで、ここにメアリーがいるわけではないのですから。

 人は古くから死者を祀るためにこうして石材などに死者の名前や経歴を書いて、その人が生きていた証拠を残すのです。それはまた家族や知人といった生き残った人が、死者を思い返すためにも必要とされているのです。

「メアリー、見てください。ノエルさんもすっかり大きくなって、来月からはわたしと一緒にカテドラルで働くことになったんですよ。でも相変わらずトマトは嫌いで、本ばっか読んでいてなんだかメアリーに似っちゃってきています。でもアナタみたいにガサツなトコは似なくて良かったですよ。それからーー」

 彼女に話したいことが幾つもありました。わたしが彼女と言葉を交わしたのはもうすっかり昔のこと。あの頃は今のようにわたしが感情が乏しかったばかりに、世間話をすることも一緒に笑って話すこともありませんでした。

 もし貴方が今も生きていたらいっぱいおしゃべりしたかった。三人で一緒に食卓を囲んだり、一緒に買い物に行ったり、時には喧嘩もしたりして。そんなあったかもしれない未来を想像すると少し心が苦しくなって、熱い想いがこみ上げてきて少し泣きそうになったけれど、瞼を拭って出来るだけの笑顔で彼女に語る。

「つい最近は喧嘩とかもしちゃったり、世間も色々と騒々しかったけれど、でも安心して眠っていてください。貴方が作った家族も、このコロニーもきっと大丈夫です。わたしが貴方の意志をついで、きっと人とマシンがわかりあって共に暮らしていける未来を作ってみますから」

 その宣言はもういない彼女に対してではなく、自戒としての意味が含まれていました。

 わたしは持ってきていた彼女が好きだったマリーゴルドの花束を墓碑の前に献花し、立ち上がる。

「もう。いいの?」と尋ねてきたノエルさんに頷き返し、メアリーの墓を後に踵を返して彼の手を取りわたし達は歩き出しました。

 

 ユーフォリア設立記念日のパーティから一ヶ月以上の時が経ち、少しずつですがこのコロニーに変化が現れていました。

 まず今までフィリアの独断だけで行っていたの政を、有識者を集い意見を求めるようになったこと。元・人類保護委員会ユーフォリア地区代表のマクシミリアン・エストライヒ氏をはじめ、わたしの勤め先でもある福音監査課の所長のアラン・ゲルマン氏等が、マザー・フィリアと共に政策を行う人機協同政策委員会ヒューマン・ウィズ・マシン・オーガニゼーションなる組織が立ち上げられました。その結果、フィリアの政策に対し人側が審査し、また相談に乗りサポートする体制がうまれ、以前よりも柔軟な対応が出来るようになったとフィリアはおっしゃておりました。

 今までのフィリアなら人に頼ろうなんて考えもしなかったでしょう。彼女はあの日以来、人に歩み寄ろうと態度を改めとようで、今では時折、素体で街に出向いたりしているようです。ただカテドラル内にも神出鬼没に現れるので、働いている役員は抜き打ちで監査されているようだと言って気が気ではないみたいです。

 とは言っても日頃から景観カメラで、普段の働きぶりは見られているのですがね。

 それから身の回りの話ですが、驚くべきことに同僚のシャルとウィリアムがお付き合いを始めたのこと。どうやらウィルの方が以前からしつこく迫っていたようで、シャルはそれに折りて了承したそうです。いやはや、何が起こるかわかりませんね。けれど存外、いい組み合わせなのかもしれません。シャルは少し億劫と申しますか、他人と距離を置いてしまう性格ですし、それから彼女もまた自身がヒュネクストであることから、人間との乖離感を抱いているようでしたから、そんな彼女には人間もヒュネクストも関係なしに接してくれるウィルの様な人が側にいてあげてくれれば、友人のわたしとしても安心です。

 ヒュネクストが誕生してから40年近く経ちましたが、未だわたし達に対する世間の偏見は残っており、そんな今だからこそシャルとウィルのようなお二人が結ばれたことが大変喜ばしいのです。

 変化した事もあれば、未だ変わらず膠着状態の問題も山積みで、人間とヒュネクストの間にある問題も、生統ユニメント国家ガバメントの関係といった、いわゆる不気味の谷の戦争はまだおそらくわたし達の心の間で密かにおこなわれているはずです。

 結局、ユーフォリア設立記念祭を開催したところで何かが劇的に変わったわけでもなく、デラシネアリズムによりカテドラル襲撃事件も今となってはすっかり過去の事になり、ユーフォリア・コロニーにはまたいつもと変わらぬ平穏で、それでもって少し歪なそんな日常が訪れていました。

 空は冬の訪れを感じさせる曇り空で、雪でも降りそうな空模様でした。

 冬のガーデニングは土いじりも水やりも冷たくて、少々苦手。朝の日課を早々と終わらせて身を震わせながら家の中に戻ると、次は朝食の用意を。調子外れの鼻歌を歌いながら手慣れた調子で盛り付けていく。朝はやっぱり手頃で食べやすい料理がいいのです。

 さてさてテーブルに朝食を用意していると、眠気眼のノエルさんがリビングに降りてこられました。

「おはよー……ルル」

 大きなあくびをしながら挨拶をするノエルさん。

「おはようございます、ノエルさん。ほらほら今日は大事な日なんですから、シャキッとしないと」

「んー……わかってるよ」

 と、相変わらずマイペースな生返事が返ってくる。

 喧嘩して和解したあの一件以来、彼は結局進学の道には進まず、就職を望んだのですが、その就職先というのがわたしも働く福音監査課だったのです。役員試験はかなりの難関と言われていたのですが彼はそれを難なく突破し、経てして今日からわたしと共に福音監査官として働くようになったのです。

 そんなしっかり者の彼ですが、わたしからしたらやはりまだまだ子供なのです。

「あーまたノエルさんトマトのこしてるー」

「……後で食べるつもりだったの」

 サラダボールの端にトマトを追いやっているのに、あからさまな言い訳をするノエルさん。

「まったく仕方ないですね。はい、あーん」

 わたしは彼が残しているトマトをフォークで刺し、テーブルから身を乗り出し腕を伸ばして彼の口元まで運ぶと、ノエルさんはのけぞって口を遠ざける。

「なに、してるの」

「なにって、食べさせてあげようとしてるんですよ。こうしたら食べられるでしょ?」

「いや、むしろ食べずらくなってるから。もうやめてよね、こういう子供扱いみたいなこと」

「では恋人、としてならいいのですか?」

 彼は息をつまらせたように黙りこみ、わたしは勝ち誇ったように笑う。不服そうな顔をしながらも彼はわたしが差し出したトマトを食べました。

「なに笑ってるのさ……」

「ふふーん、愛していますよ、ノエルさん」

 頬杖をつきながら彼がトマトを食べる様子を微笑んで見つめる。彼の引きつった顔はトマトの酸っぱさのせいなのか、それともわたしの突飛な言葉に意表を突かれたからなのか。

 結局、わたし達の関係は以前から家族であることには変わらないのですが、姉弟のような、それでいて恋人のような。キスをしたあの日の夜以来、最近では普通に手を繋いでだりしているのですが、それでも明白な好意を示してはくれません。わたしはこんなにも好意を寄せているというのに、彼からは一度も――

「――――あっ!」

「どうしたの!? 急に大きな声出して」

 目を見開いて驚くノエルさん。何のことかさっぱりわかっていない様子でした。こんな大事なことに気づかなかったわたしもわたしですが、ノエルさんもヒドイです。

「そういえばわたし、ノエルさんに一度も愛してると言われたことがないのです!」

 あの日の夜にずっとそばに居て欲しいとは告白されましたが、ログを遡っても一度も『愛している』という言葉を彼がわたしに言ってくれたことがありませんでした。

 わたしがこんなにも嘆いているというのに、彼は呆れたと言わんばかりの表情で浅いため息をつく。

「なんだ、そんなことか……」

「そんなことって何ですかー! わたしがこんなにも愛してるって言ってるのに、ノエルさんからは一度も言ってくれないなんてヒドイですぅ! 言ってください! 今すぐっ! 愛してるって!」

 大げさにテーブルを叩いて必死で訴えると、彼はわたしの目から顔を逸らす。そして顔を赤くさせて照れを隠しながら、微かに聞き取れるくらいの小さな声で呟く。

「いっ……今はそういう事言うシチュエーションじゃないから……」

 なんですか。こういう時だけ乙女みたいにロマンチストになって。ちょっと可愛いなと思ったりしましたが、そんなことでは誤魔化されませんっ!

「まぁ、確かに大事な言葉は時と場合を考えなければならないかもしれませんね」

 冷静になって考えれば彼の言葉も一理あるなと思わなくもないです。わたしも少し熱くなりすぎていたかもしれません。けれどこれだけは彼に伝えたかったのです。

「でも、たまには貴方の想いを態度で示してくださいね。じゃないと貴方の心がわからなくなってしまいますから。わたしだって、その……一応は女なのですから、男の人の方からそういう言葉を言って欲しいのです……。だから、ねぇ?」

 そう恥ずかしがりながらも、わたしの正直な心情を吐露すると、彼はコクリと頷き返してくれました。言ってくれなくとも少しくらいは彼の気持ちはわかってはいるつもりなのですが、それでもやはり彼の口から、彼の言葉で、彼の想いをわたしは知りたいのです。心は臆病で寂しがりやなのですから。

「さて、早く朝食を済ませてしまいましょう。初日から遅刻したらシャルに怒られてしまいますよ」

 なんて冗談を言って気を改め治して、いつも通りの二人に戻る。

 朝食を済まして、出かける用意をしてきたノエルさんはおろしたてのコートを羽織ってきましたが、まだ幼さが垢抜けないというか、服に着せられているといった感じで、なんだか微笑ましい格好でした。

「ほら、ちゃんとボタンは上まで止めないと風邪ひいちゃいますよ」

 彼のコートのボタンを閉め襟をただして、彼の顔を見上げるとあることに気がつく。

「また随分と大きくなりましたね」

 ほんの少し前までは同じ目線だったのに、いつの間にかわたしが見上げなければならない程背が伸びていました。こんな風に知らぬ間に大きくなって成長していくのだと思うと、嬉しくもありましたが、置いていかれてしまうのではないかと考えてしまい、ちょっと不安にも思う。そうぼんやり彼の顔を見つめていると、彼はわたしを見下げて言う。

「その……ありがとね。僕をちゃんと愛して育ててくれたこと。本当に感謝してる。だから、その……これからもそばに居てね」

 歯切れの悪い言葉でしたが、彼なりにわたしの先ほどの想いに答えてくれたのでしょう。けれど不意に言われたものなので、少し胸が痛くなってしまいました。

 わたしが彼の胸に顔を埋めると、彼はやさしい手付きでわたしの頭を撫でる。

「当たり前じゃないですか……。わたしはいつまでも貴方のおそばにいますよ。ずっと、これからも。それがわたしの生きる理由なのですから」

 ――メアリー、わたしはがんばりましたよ。頑張って彼をこんなにも立派に育てることが出来ましたよ。それと彼と出会わしてくれたことに本当に感謝を。貴方はもしかしたらわたし達がこうなることを知っていたのかもしれませんね。貴方がわたしに教えようとしてくれた“愛”は彼が教えてくれました。そしてわたしが生きていく理由も――。

 本当に心とは不思議なものです。好きなのに辛くなったり、わかろうとしようとしてもわかかり合えなかったり、嬉しいのに涙が出たり。けれど、だからこそそんな不安定な谷の間に愛を感じることが出来るのでしょう。

「すみません。お召し物を汚してしまって……」

 鼻をすすりながら彼の身体から離れる。

「ううん、気にしなくていいよ。さぁ、そろそろ行こう。遅れてしまうよ」

 彼は玄関の扉を開き、わたしの手をひいて朝日の光が照らす外へと連れ出した。

 握った彼の手は少し逞しく思えました。この手はわたしをどこまで連れて行ってくれるのだろう。そしてどんな景色を見せてくれるのだろう。きっと彼の側ならどんな世界も美しく見えるはず。わたしはこの手が解けないように強く握り返しました。

 人とマシンが創るこの先の未来を彼とともに見るために。

 この世界の愛をもっと知るために。




 全ての心あるモノに伝えたい。胸いっぱいのこの愛を。

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