ⅶ
家についたのは夕方頃。玄関を開け中に入ると、電気が付いていなくひっそりとしている。自分の家なのに関わらず忍び寄るようにリビングに行くと、真っ暗な部屋で一人、ソファーで胎児のように丸まって寝ている彼がいた。
わたしは彼が寝ている隣に座り、彼の頭を自分の膝に乗せ頭を撫でる。寝息を立て安らかに眠る彼の表情を見ていると、その時ようやく家に帰ってきたのだと実感出来ました。
しばらく彼の頭を撫でていると、徐ろに瞼が開いた。
「すみません、起こしてしまいましたね」
「ルル……帰ってきてたんだね」
彼は起き上がりわたしに微笑みを見せてくれました。
「もう大丈夫なの?」
「はいこの通り、元通りです」
「そう……よかった」
束の間の沈黙が空き二人は同時に口を開いた。
『あの――』
二人は見つめ合ってクスッと笑う。そしてノエルさんがわたしから話すのを譲ってくれました。
「わたし、ずっとノエルさんに言えなかったことがあるんです。言わなきゃ、言わなきゃってずっと思ってたんですけど、話すのが怖くて……」
「うん……」
言葉を選びながら辿々しく話すわたしに、彼は頷きながら焦らなくていいよと諭すように優しく手を重ねてくれるおかげで、胸につっかえていた恐怖心が和らいでいく。
「今までノエルさんにはわたしの過去について何も告げておりませんでしたが、実はわたしはヒュネクストとして創られた存在ではなく、兵器として創られた存在だったのです。名前くらいは耳にしたことがあると思いますが、わたしは
今まで彼に黙っていたことの罪悪感の重みに身体が耐えかねて頭が垂れる。まるで断頭台の上にたっているような緊張感が意識を押しつぶす。彼が今どんなことを思っているのか、どんな表情をしているのか、はたしてどんな言葉を告げられるのか。牧師に懺悔を受けるのを待つようにわたしは頭を下げながら彼の言葉を乞うた。
「いいよ。僕はルルの口から真実が聴けただけで嬉しいから」
顔を上げると彼は怒っているわけでも驚いてるわけでもなく、平然とほほ笑みを浮かべていました。そして彼は続けて言います。
「実はね、ルルが療養している間にルルの部屋を掃除していたら、テーブルにコレがあって――」
彼はソファーの横にある机の下から、先月わたしがエミール先生に頼んで作成してもらった過去のわたしの活動記録でした。どうやらすでに彼はわたしのことについて知っていたようでした。
「ごめんね、勝手に読んでしまって」
責められるわけでもなく、むしろ彼に謝らさせてしまいました。
「いえ、それははじめからノエルさんに読んでもらおうと用意したものなので。けど、その……告げる前に喧嘩みたいな感じになってしまって、それで言いそびれてしまったんです。ゴメンなさい……」
「そうだったんだね。せっかく言おうとしてくれたのに気付いてあげられなくてゴメン。ルルに酷いこと言ったのに、自分もルルのことちゃんと見てあげれてなかった。本当はただ不安だったんだ。僕にはルルしかいない。だからっていつまでもルルに依存してたらダメなんだって思って、それで自分で稼げるようになれば、すこしでも立場が対等になれるかな……って」
彼は自分を責め立てるように捲し立てる。けれど失礼ながらその理由が子供っぽくって微笑ましく思ってしまいました。
「そんな、立場なんて関係ないじゃないですか。自立しようとする心がけは尊重しますが、けれど急いで大人になろうとしなくていいんですよ。それにノエルさんに奉仕するのがわたしの生きがいなのですから、寧ろこれからも面倒を見させて欲しいのです。でも今までどおりの関係でいたいなんてわがままは言いません。だってわたし今までノエルさんに嘘をついてきたのですから……」
「あれは昔のことでしょ? そりゃ資料を見た時は驚いたけどさぁ……でも今のルルと昔のルルは違うよ。料理が好きで、いつも笑ってて、優しくて、それでいてたまにおせっかいで、でも僕にとっては特別なただの女の子なんだよ」
彼の言葉は優しくて嬉しかったのですが、けれどその優しさがわたしの罪悪感に拍車をかけた。
「違います……あの頃のわたしはプログラム通りに命令を実行するだけのロボットでしたし、選択することも出来ず感情もありませんでしたが、でも確かに意識と呼べるものはその時にはすでにもうありました。わたしという存在はその時から在ったのです。今でもまぶたを閉じればあの地獄を思い出します。そしてその地獄の真中にはいつもわたしがいました。わたしは多くの人を殺めたのです。その真実からは逃れようがありません。RUR-114 だった頃のわたしもまたわたしなのです。そんなわたしがのうのうと幸せに生きていていいのでしょうか。人を殺めるために作られたわたしが、人のように生きているなんておこがましい。わたしは……わたしは……!」
罪の意識にさいなまれ顔を隠すように両手で覆った。わたしの行いは許されることはありませんし、許しを乞う神すらいません。だからといって彼にその代役をしてもらおうなんて考えてはいません。寧ろ裁いて欲しいくらいでした。
彼はわたしの顔を覆った両手を取って剥がし、目を合わせて優しく微笑んでくれた。
「それでも僕は君を愛しているよ」
彼の言葉が、彼の笑顔が、彼の優しさが、彼の心がわたしの心の淀みを拭う。その一言だけでわたしは救われた。救われてしまったのです。自分の疚しさを悟った。ただ彼にさえ自分の存在を受け入れてもらえればそれだけでよかったのです。
顔を伏せ激しく首を左右にふる。
「違います……ちがうんです。わたしは人間でもなく、それどころか普通のヒュネクストでもありません。わたしは人を殺すために作られた兵器なんです。そんなわたしが愛されていいはずがありません」
声が震えていた。人間のように悲しんでみせる自分にさえも嫌気が差す。染み付いた仕草も言葉も、自分を司る全てが嘘のディテールにまみれていた。本当は愛されたいし、人のように幸せに生きていたい。そして許されるのなら彼のそばにずっと。
彼は抵抗するわたしの腕を納め、わたしの身体を優しく両腕で抱擁する。彼のぬくもりが心に浸透する。
「それでもルルはルルだよ。過去のことはわからないし、君が感じているその罪の重さを僕は背負えない。でも、それでも僕は君の全てを受け入れることは出来る。君が何者だろうがそんなこと関係ないよ。僕はルルが好きなんだ」
彼の胸の中でわたしは言葉にならない声でむせび泣く。苦しみや喜びの感情が情報の収束点で縺れ擦れ合い、摩擦で胸が焼かれそうになる。膨大なエラーが吐き出され、処理しきれなくなったエラーは心から溢れ、涙となって流れでた。
生きることへの躊躇いや、人間とヒュネクストとの違い、わたしを惑わしていた情報は涙とともに洗い流れていく。
空っぽだったわたしという存在に、彼が理由を与えてくれた。
ノエルさんはわたしの両肩に手を添えて顔を向き合わせ、瞳の奥を覗くような眼差しでわたしを見つめながら心を言葉にして語る。
「記憶もなく自分が誰かもわからない孤独な僕が僕でいられたのは、ルルがいてくれたからなんだ。僕はきっと君に依存している。でもこの気持ちを伝えたら君が離れてしまうかもと考えて怖かった……。でももう嘘はつきたくないんだ」
熱い吐息を飲み込む。そして彼の薄い唇が言葉を綴る。
「ずっと僕といてほしい。僕が僕でいられるように」
わたしも彼と同じ気持ちでした。彼がいてくれたからわたしはわたしでいられた。生きる幸せも喜びも教えてくれたのは彼でした。そしてそこにはいつも彼がいました。だから、これからもわたしは――
「はい……。あなたが望むならわたしはいつまでも側にいます」
熱い涙が頬をつたう。彼の火照った顔の暑さや心臓の鼓動を感じる。抱き合った身体から彼の愛おしいクオリアが流れ込んでくる。今この時、わたしは心の存在を確かに感じました。情報が渦巻くマトリックスの奥に見た光。クオリアの結晶体とでも言えようその光の温もりが、きっと愛の正体なんだとわたしは確信しました。
身体を離し、熱い眼差しで見つめ合う二人。自然と惹かれ合うように顔が近づき唇と唇が触れ合った。
彼の愛が伝わる。
息が苦しくなるまで口吻をし、唇を離し再び目が合うととても照れくさくなってノエルさんも誤魔化すように笑った。そしておでこをくっつけ、今この時この一瞬の感動を噛み締めるように確かめ合いました。
彼が笑えばわたしは笑う。わたしが泣けば彼も泣く。そうやって鏡のように互いの存在を確かめ合いながら今までも、これからもわたし達は生きてく。
それが嬉しくて、楽しみで、愛おしくて、わたしはまた泣く。
わたしに生を与えてくれたこと。そして、わたし達をひきあわせてくれたメアリーに感謝を捧げます。あなたの子供で本当に良かった。
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