昨晩、寝る前に自分ができることをやってみようと考えた結果、ヒュネクストの命題に原点回帰してみようと思いつきました。わたし達は人とマシンの社会に融和をもたらすために創られた存在。そして、そのためにわたし達は“人を知り、人を理解する”命が与えられており、それが今最も必要なことなのではないかとわたしは考えました。けれども、わたし個人の視点では偏りや限りがあります。ですからわたしとは正反対の位置から、このコロニーを見ている人物と話し啓蒙を得るため、今日はとある場所に足を運んでいました。

 町から少し外れた場所に、幾つもの巨大な白い正方形が規則正しく並べられておりました。建物には正面の玄関以外、窓もなく一面白いタイルに覆われておりその均一さに違和感を感じてしまう。ここは罪を犯したものや、倫理的に問題のある人間が集めれる収容所なのです。

 福音監査官の権限で施設の中に入らせてもらい、面会室に通され置かれていた椅子に座り面会相手を待つ。部屋の中は森林のホログラムが投影されており、木々の青い匂いや湿ったそよ風も再現されている。こういう場所なのでストレスを緩和させる工夫があちらこちらにされていました。

 少し待つと投影されたホログラムの木々の間に切れ目が生じ、そこから一人の女性が入ってきました。

「誰かと思いきや、あなただったの。久しぶりねロボットのお嬢さん」

「お久しぶりです、カミーユさん」

 カミーユ・バッティ氏は前にあった時と変わらず、冷たい薄い笑みをうかべており、受刑者の身にもかかわらず随分と落ち着いているようでした。囚人らしく、首には収容者を管理する首輪が付けられており、ゆったりとした淡い翡翠色の囚人服を纏っている。まさかこんな綺麗な人がテロの主導者なんて誰も思わないでしょう。

 彼女はわたしの対面に置かれた椅子に座る。

 目には見えないものの、わたしと彼女の間には強化ガラスで仕切られている。こうした配慮も収容者が外部と乖離感を感じさせないための仕掛けなのでしょう。

「それで今日はどういった御用で? 話題のテロリストの面を拝みに来たってわけでもないでしょ。ちょうど退屈していたのよ、何か面白い話をしてよね」

 エミールさんは足を組み、受刑者らしからぬ余裕を漂わす態度でわたしに微笑みを向ける。突然、尋ねてきて気を損ねてしまわせるのではと思っていたのですがそんなことはなく、寧ろ寛容的でほっとしました。

「今日、エミールさんにお会いしに来たのは他でもなく、あなたが見た生統について率直な意見を参考までにお聞きにきました」

「へぇー……そう。生統の使者であるアナタがテロリストのわたしにそんな事を聞きに来るなんて面白いわね。いいわ、なんでも聴いてちょうだい」

 エミールさんはなんだか乗り気みたいで、これなら話も進めやすいですしこちらにとってもありがたい。

「では早速お尋ねしますが、テロ行為を実行にまで至った経緯を教えていただけるでしょうか」

 我ながらこんな物騒な質問を落ち着いて尋ねている今の状況に違和感を覚えずにはいられませんでした。彼女がしようとした行為は決して許されざることなのですが、それなのに不思議と怒りのような感情はありませんでした。それは彼女の独特な雰囲気に惑わされているのでしょうか。

 彼女は悪びれる様子は一切なく、淡々と語り始めました。

「アナタもすでに知っているかもしれないけれど、私は連邦国から送られた工作員よ。そういう命令があってそれに従っただけ。けれど私自身、好奇心も興味はあったわ。マシンの傀儡とかした人間達が、操り糸から解かれたどうなるか、さぞ見ものだろうと思っていたのだけれども、結局は失敗。でもまぁ、人形たちが自分達に繋がられている糸に気付かせれる良いきっかけ作りにはなったわ」

 にこやかに話す彼女の言葉にわたしは全く共感できず、自分の考え方が間違っているのではないかと疑心してしまう程、彼女の感性は常人のそれとは到底かけ離れたものでした。

「今も生統を貶めるようなプロパカンダを起こしているのは貴方達のお仲間ですか? おかげさまでこちらはいい迷惑ですよ。そんなに世間をかき回して楽しいですか」

「そう怖い顔しないでよ。私は湖に石を投げて波紋を起こしただけにすぎないの。そう、この前の会議で代表がおっしゃっていた怪物リヴァイアサンの話。私はその怪物リヴァイアサンを呼び起こしただけ」

「貴方がその怪物リヴァイアサンを呼び起こさなければ、ユーフォリアの秩序は脅かされずにすんだのに。貴方の行いのせいでどれほど多くの人の心を不安に陥らせたのかわかってるのですか?」

 眉をひそめ少し声を大きくし怒りを表したつもりだったのですが、それも虚しく彼女の甲高い笑い声にかき消されてしまいました。

「トロン社会という名の箱庭に人間を詰め込んだだけのこの社会に、秩序なんてはじめから存在しないわよ。ここの住人は遊牧された家畜のように、自分達が何者なのか知ることもなくのんびりと暮らしている。そんなのは秩序だなんて言わないわ、ただ平和ボケして無秩序になってるだけ。わたしがいた国では圧政と貧困と言った恐怖こそが秩序を作っていた。だからわたしはこの地に秩序とは何たるかを教えてあげたのよ」

「そんなの誰も望んでいません。貴方がもたらしたのは災厄です」

 すると彼女は唐突に反論するわたしをすごい剣幕で睨みつけ舌を捲し立てました。

「悪いのはアナタ達よ。人を信頼しようともせず、あまりにも人を知らなすぎた。秩序というのはね本来、人々の中で普遍的に育まれるものなの。それをマシンが介入して独裁したせいで主体性をなくしてしまった。その結果が今の現状。すこし揺さぶられたくらいで人々の輪が破錠しかかっているのよ」

 彼女の気迫に押され黙りこんでしまった。

 彼女の言うとおり生統は人を必要とせず介入させないシステムでした。それは言ってしまえば人を信頼していないからです。わたし達は人間の存在を存外にし、蔑ろに扱っていたのかもしれません。それはまごうことなく侮辱であり、そんな扱いでは良好な関係を築くことは到底不可能です。

 そして彼女は付け足すように続けて言いました。

「それからこれだけは言っておくけれど、わたし達がしようとしたことはテロなんかじゃなく、マシンの管理下から人類を開放するための戦いよ」

 冗談を言っているのかと思いきや、その鋭く睨みつける碧い双眸は、真実を語る者の眼差しでした。彼女の感性とわたしの感性ではあまりにも違いすぎるので、彼女の言葉を理解することも容認することも出来ませんが、彼女にも正義があるということはわかりました。

「どうしてそこまでマシンを嫌うのですか。わたし達はわかりあうことは出来なかったのでしょうか……」

「何を馬鹿なことを言っているの。そんなの無理よ。互いに理解しようとしていないのに分かり合えるわけがないじゃない」

 ふと漏らした言葉に対し、彼女は真顔でそう答えました。現に今、こうして彼女とわかりあえる気がしないのですから、わたし自身も何を馬鹿なことを言っているんだと辟易とした気分に浸ってしまいました。

 結局、今日は無益な話をしてしまっただけで、得るものはありませんでした。しいて言うなら人とマシンには越えられない谷があるということを実感させられただけでした。

「今日はすいません。突然訪問して」

「いえ、こちらもせっかく来てくださったのに、役に立つような話ができなくて申し訳ないわ」

 こうして話していると極普通の人に思えてなんとももったいない気がします。

 彼女に情が湧いたとかそういうわけではないのですが一つ案を持ちかけてみました。

「――余計なお世話かもしれませんが母国に帰りたいとは考えておりませんか?」

 彼女は首をかしげ何を言っているんだと言いたいばかりの表情を浮かべている。

「貴方が希望するのであれば連邦国と交渉し身柄の引き渡しをすることが出来るかもしれません。もちろん刑期を終えてからの話ですが」

「どうしてそんな話しを?」

「特に深い理由はありません。ただなんとなく、帰る場所があるのなら返してあげたいなと思っただけで」

「そう、でもせっかくの話だけどお断りするわ。もとより私は使い捨てのような存在だし連邦国はその交渉に乗らないでしょう」

 彼女はそっけない態度で断る。その目はどこか虚ろで諦めを悟しているようでした。

「そんな、ご家族の方やご友人の方など会いたい人はいらっしゃらないのですか?」

 微笑しながら者悲しそうに彼女はつらつらと自分の素性について述べ始めました。

「いないわよ、そんなの。だって私、普通の人間じゃないから。人造人間ホムンクルスって知ってる? こう見えてまだ作られて八年しか経っていないのよ」

 笑ってそう言った彼女に反し、わたしは唖然として言葉に詰まらせる。一瞬、彼女の言葉が理解できませんでしたが、ふと一つの可能性が候補に上がる。

「それってつまり人工的に作られた人間ってことですか……? でもそれは倫理規定で禁止されているはずでは」

「そんなの私の国では関係ないわ。労働者不足を解消するために、ヒュネクストより安価なコストで増やせる私達が作られた。無論、公にならないように隠蔽工作はしているけれどね」

 噂程度ですが人造人間を作る実験がされているとは知っていたのですが、まさか彼女がそうだとは。

「私とアナタは同じような存在。なのに、ロボットであるアナタ達のほうが私よりも人間らしく生きているなんてズルい話ね」

「だったらそんな国を捨てて、この街で平穏に暮らせばよかったじゃないですか。そんなの旧世代のロボットみたいな扱われ方をされて、貴方はそれでいいのですか? 貴方だって心があるじゃないですか」

「心が……わたしに……? アナタの言う心って何?」

 彼女は先程のように突っかかるわけでもなく、純粋に意味を乞うように尋ねてきました。だからわたしは彼女の目を捉え即答する。

「それは自分の生き方を選択する大切な器官です」

 彼女はわたしから目を背け、薄らと笑って気弱な声で言葉を漏らす。

「そう……。じゃ自分の生き方を選択する権利がなかった私には心なんてないわね」

 わたしには切なそうに笑って見せる彼女に、手向ける言葉を持ちあわせておりませんでした。

 彼女は愚かにも作られた枠組み《フレーム》の中でしか生きることが出来なかったのでしょう。

 創造物は創造主に与えられた命題テーゼから背ことは出来ません。それはわたし達のような作り物も、人の子も同じなのだと思います。そして彼女もまた例外ではないのでしょう。

 マシンも人も概念というフレームの中でしか物事を考えることができず、それ故、反発や軋轢が発生してしまうのです。人とマシンの間に隔たる不気味の谷という問題を解決するには、わたし達が作ってしまったフレーム問題を解決せねばなりません。

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