ⅵ
翌日、わたしは仕事の事情で遠方に来ていました。
わたしが住んでいるセントラル・エリアの角砂糖を積み上げたような真っ白な街並みとは全く異なり、辺り一面は120ヘクタールもの緑が広がっています。ここら一体は農業地帯で、こうして自然の中で機械と人の手によって作物や家畜が管理されています。農業機械も発展しており一台の大型トラクターがスタンドアローンで10ヘクタールを管理することで作業効率も格段に進歩し、今ではユーフォリア・コロニーの食品自給率90%を超えています。とは言え最終的には人の環境や品質を見極める、熟練された鋭敏なクオリアが必要とされてます。事務職など管理職と言ったシステマティックな仕事は技術発展と共にダウンサイズされましたが、職人的なノウハウが必要とされる仕事では、やはり人のクオリアの方が適応しています。
フィリアの膨大なタスク処理能力により、構成民の身体中に注入されたIOCから職業適正を推奨してくれるおかげで、適材適所に配置され路頭に迷う人もいません。無論、労働の義務はあるもの、職業選択の自由も考慮されております。
トロン社会は農場から卓まで、そして揺り籠から墓地までを徹頭徹尾考慮された完璧なシステムです。
わたしは旧式の自律走行車に揺られながら、緑あふれる景色を見つめていました。車内にはわたし以外乗客はおらず、窓もなくて四方八方が吹き抜けになっており、清涼の風が土と緑の匂いを運んでくる。
そんな緑に囲まれた景色の中、山の麓に隕石だか未確認飛行物体でも落下したのではないかと思ってしまうような、一際目立つ巨大な球体の施設がありました。そこが今からわたしが向かおうとしている目的地でした。
車が停車し降りると、ポッド型のオートマトンが現れ、若い女性の声で話しかけてきた。
〈アルクイスト様ですね。お待ちしておりました。中で先生がお待ちです。どうぞこちらに〉
オートマトンは可愛らしく蛇行しながら施設まで誘導してくれました。
施設の近くまで行くとその大きさに圧巻される。まるで巨大な卵です。あながちその例えは間違っていないでしょう。なぜなら此処はヒュネクストの生産施設なのですから。
施設の扉の上に大きく蕾を模したロゴが画かれており、エンブリオ・ガーデンと企業名が記載されている。オートマトンは扉の前まで行くと、搭載されたレンズからレーザーを出し、扉のロックを解除して、施設の中に入ると長く暗い道が長々とつながっており、まっすぐ進んでいくと開けた場所に出た。施設の内側を覆うように翡翠色の培養液に満たされたカプセル型の装置が幾つも設置されており、施設の内部が仄かな翠緑に輝いてる。丁度その真中に一人の女性白衣を纏い、ポッケに手を突っ込んで立っていました。
「お久しぶりです。エミール先生」
わたしが声を掛けるとすぐに彼女はこちらに気付いて振り向いくれました。
「やぁ、久しぶりだなルル。お前の母さんの告別式以来だな」
白衣を身にまとい丸メガネをかけているのが特徴の彼女がここの責任者のエミール・フラン・ウォーカーです。メアリーとは親しい間柄だったらしく、その節はお世話になりました。彼女はメアリーと同い年で今や六十歳になるのですが、小麦色の顔には皺一つもなく、黒い長髪も艶があり、見た目は三十歳前半くらいに見えました。彼女は所謂、サイボーグというもので、脳と脊椎を
エミール先生はわたしの頭を撫でてきた。
「おやお前、少し背が伸びていないか?」
「はい、
「お前の身体を作るとき私も手伝わされたからな、手掛けた素体のことはよく覚えてるさ。しかしこれまた面白いことをしたものだな。永遠の若さを保てると言うのに、わざわざ老いを経験するとは。あの坊っちゃんとなにか関係でもあるのか? まぁいい、お前の身体だ。好きに使うがいいさ」
「先生は相変わらず自分の身体で実験しているのですか?」
「あぁ、いまは私の人格を言語プロトコルに起こしてデータ化を試みているのだが、現段階では私の人格モジュールをベースに新たな自我が発生してしまい、完全な復元には至っていない。だが例え人格も記憶も復元したところで、それは私ではない。もとより最終的な目的は、私という概念を保ったままデータ化し、永遠の存在にするためだ」
「どうしてそこまでして生きたいのですか?」
彼女はニヒルに笑い、ため息を付いた。
「愚問だな。永遠に生きたいと思うことは何もおかしいことではないさ。不老不死こそ古代からの人類の懇願なのだから。私は許せないんだ。いつまでも魂が肉体に縛られ、寿命が尽きれば私という存在は虚無に還り、そしてわたしを置き去りにして世界が進化していくことが。だが哀しいかな、皮肉にもこの生に対する執着心こそが、私を研究者に足らしめる仕掛けでもある」
彼女の生に対する執着心は畏怖の念を抱いてしまうほど、強いものでした。ですが脳という耐久性が脆弱な肉塊が朽ちれば、彼女は機能停止してしまのです。人の脳の寿命は現段階でも百八十年と言われていますが、寿命が尽きる前に障害が発生してしまう可能性も充分にあります。
彼女は白衣のポッケから電子タバコを取り出し吸いだした。昔はヘビースモーカーだったらしいのですが、身体を
「それで今日はこんな世間話をするために来たんじゃないんだろ」
わたしは慌ててバックから、紙媒体のコンピューターを取り出し、彼女に手渡しました。
「そうでした。これが来年度のヒュネクストの発注表になります」
「120体か。年々少なくなっていくな。まぁやたら無闇に作るものではないしな。人もヒュネクストも」
現在ユーフォリア・コロニーに住まうヒュネクストの数は100万人を超えており、必要性に応じて製造されておりました。あくまでわたし達は人類の補助の役割を担っているだけなので、無造作に作られているわけではありません。それにヒュネクストの寿命は200年とされているので、ヒュネクストの人口過多にならないように製造頻度も考慮されております。
ユーフォリアのヒュネクストは全て此処で作られており、私も含め、皆この揺り
わたしは揺り
顔の方は殆ど出来ているが身体はまだ作りかけで、バイオセラミックスで出来た半透明の臓器に、アパタイトで形成された骨がむき出しになっている。
ヒュネクストに使われている臓器や骨は勿論、人にも適用されています。ヒュネクスト開発は同時に医療発展に多大なる貢献を与えたと言われており、メアリーはヒュネクストを作ることは、人を知る事と同義だとも言っていました。人間もヒュネクストも物質的にはプラスチックと同じである。エミール先生は脳と脊椎以外はヒュネクストと同じ人工物で身体が形成されている。果たして彼女とヒュネクストはどう違うのでしょうか。もし仮に彼女の魂をデータ化に成功し、肉体から開放されたのならば、それでも彼女は概念的に人であるのでしょうか。人の定義は技術発展とともにあやふやなものになりました。
そこでわたしは疑問に思うのです。それでもヒュネクストは人ではないのかと。
揺り
――この子の目覚めが祝福であらんことを。
わたしは祈った。信仰なんてわたしには持っていませんでしたが、未来という空虚なものに願いたくなった。
「懐かしいか?」
エミール先生はわたしの肩に手を置く。
「えぇ、まぁ。ここで目覚めた時、どうして自分は人の姿をしているのか、また戦うために起動させられたのかなんて困惑していたら、すぐにメアリーが抱きしめてきてビックリしちゃっいましたね」
「あいつ、お前が目覚めるまで不安で忙しないったらありゃしない。何人もヒュネクストを創ってきたが、自分の娘にするのは初めてだったからな。妻の出産に立ち会う夫みたいに落ち着きがなかったな」
先生は思い出し笑いをしながらメアリーの昔語りをしてくれました。メアリーは自分のことを語らない人でしたし、わたしも彼女のことを深く知らなかったので、こうして彼女の事を知れるのは嬉しい事でした。メアリーの事を知りたいと思ったのは、彼女が亡くなってからでした。今もそれが心残りとなっています。
だからわたしはもっと先生に彼女のことを教えてもらおうとしました。
「メアリーはどうしてわたしなんかをヒュネクストにしようなんて思ったのでしょうか」
「ただそうしたいからだと言っていたよ。お前が最初に自我を有したマシンモデルだったからってのもあるだろうが、本当の真意はわからずじまいだ。でもあいつは死ぬ前にお前と家族になれてよかったと言っていたぞ。これで心置きなく幸せに死ねるってな。私に対する当てつけだよ」
彼女は苦笑した。メアリーは家族という言葉をわたしに使うことはほとんどありませんでしたが、ちゃんとわたしのことを家族だと思ってくれていたのですね。
彼女は徐ろに紙媒体のコンピューターを差し出してきた。
「お前に頼まれてたやつだ。これにはお前の経歴が全て書かれている。これをあの子に見せるのか?」
「はい。もう彼に隠し事はしたくありませんから」
此処に来る事前に、エミール先生にわたしの過去の記録をまとめておいて下さいと頼んでいました。わざわざここまで足を運んだのはそのためでした。わたしの活動履歴はすでに合衆国のインデックスには消されてなかったことにされていたので、此処に残されていたバックアップしかわたしの真実はありませんでした。これをノエルさんに渡し、わたしのすべてを知ってもらおうと考えていました。
「お前も親に似て自ら困難を選ぶのだな」
「えぇ、そうするべきだと考えたので」
二人は顔を見合わせ笑った。
「まぁいい。お前の人生だ、好きにしろ。なに、心配することはないさ。お前が考えていることは杞憂にしかすぎん。彼を信じろ」
彼女はわたしの頭を優しく手で撫でた。
「ありがとうございます。心配してくださって」
「本当ならお前らを支える役目はメアリーなんだがな。あいつもお前がいつかこんな風に悩んでしまうのではと考えていたんだが、肝心な時に側にいてやらんとは。まったくあいつは面倒事を残していなくなりやがって」
「まったくですよ。でもこれはわたしにとって必要な試練なんだと思います。彼に受け入れられてようやくわたしはわたしになれるのではないかとそう考えています。ヒュネクストでもなく人でもなくわたしという個の概念を形成するための」
「形式的ではなく形而上の自己形成のためか。そのためには鏡になり得る対象が必要となる。お前にとっては彼がそうなんだろう。そうやって思春期の少女のように悩むヒュネクストはお前くらいだ。やはり面白いやつだな。なんとなくどうしてメアリーがルルをヒュネクストにしたのかわかった気がするよ。あいつは見越していたのかもしれんな。お前は人とマシンの新たな架け橋になってくれるかもしれん」
「どういう意味です?」
随分と前にメアリーに似たようなことを言われた気がしますが、わたしにはさっぱりどういう意味かわかりませんでした。
ですがエミール先生は意味深に笑い頭を振りました。
「気にするな。ただのしがない研究者の妄言にしかすぎん。だがこれだけは言っておきたい。今のお前はメアリー・沙羅・アルクイストの娘のルル・アルクイストであって、ウォーマシンRUR114ではない。過去のお前が何をしたかは知らんが、それは命令されプログラム通りに行なったことで、お前が選択してやったことではない。選択なき意志に罪は問われん。余計な罰は背負うんじゃないぞ」
彼女は真剣な眼差しでわたしを見つめ、心配してくれました。
「はい。理解しています」
そういったもの本当はまだ自分の中でも気持ちを整理できていませんでした。確かに昔のわたしはオートマトンのように自由意志はなく、プログラムに書き込まれた人の意のままに行動をしていましたが、リンクシステムによってジェネシスから戦い続けることの悲しみや怒りといった情報が送り込まれ、それらのデーターは感情プロトコルとなりわたしのプロセッサーには刻み込まれ、いつしか彼女の意志はわたしの意志に同調していました。ですから彼女が感じた苦しみも悲しも、そして罰も、残されたわたしが歴史から忘れられてしまった彼女や同胞たちの為に背負い続けなければならないとそう考えていました。
それでもエミール先生の励ましの言葉は素直に嬉しく感じました。わたしの過去を知っても尚、優しくしてくれる人がわたしにはたくさんいます。それはとても幸せなこと。けれどもやはり一番大切な人にわたしの事を知って欲しかったのです。こんなわたしが幸せを望むのはおこがましいことなのかもしれません。ですがメアリーはわたしに罪を背負わせるためなんかに、ヒュネクストにしたわけではないということだけは確信を持って言えます。せっかく貰った生命なのですからわたしは後悔するためではなく、幸福になるために生きていたいのです。
わたしがヒュネクストとして生きる理由をまだわたしはわかりません。だからそれを知るためにわたしはこれからも歩んでいきたいのです。
彼の側で、彼と共に、そしてその答えを彼と見つけたい。
それがわたしの願いでした。
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