file:namber=04 title:Four-leaf clover not bloom unless hurt.

 エンブリオ・ガーデンの訪問を終え、わたしはカテドラルには寄らずそのまま家に帰宅しました。まだノエルさんは帰宅してなく家の中は物静かで、住み慣れた家なのになんだか心寂しく思えました。リビングに置かれた二人がけのソファーに座り部屋の隅々に目を配らせる。

 使い込まれたマホガニーのテーブルには傷の分だけたくさんの思い出が刻み込まれていました。三人で食卓を囲んだのはたった三年ほどで、ようやく家族らしく団欒出来るようになったのにメアリーは二人を残して突然この世を去りました。ホント最後まで人騒がせな人でした。

 ノエルさんの好きな本が入った本棚の上には、庭で育てたマリーゴールドの花を入れた花瓶に、アルクイスト家を背景に、わたしとノエルさんとメアリーが一緒に写っている写真を飾っていました。ノエルさんがこの家に来て一年が経つころに撮った写真で、そこに写るわたしはあまりにも仏頂面で思わず笑ってしまいました。ノエルさんもまだ新しい環境に慣れていない様子で、ぎこちない表情をしており、そんな二人の真ん中には優しそうな表情で笑っているメアリーが、わたし達の肩を抱き寄せていました。

 誰がどうみてもこれは家族の写真です。

 ずっとこうしてノエルさんを待っているのは少々落ち着かなく、彼が帰ってくるまでまだ時間がありましたので、夕食の準備をし始めました。

 少しこったものを作りたくなって、ロールキャベツを作ることにしました。バターをフライパンに挽き、そこにみじん切りした玉ねぎにニンジンと少し大きめのジャガイモを炒め、良い色合いになったら一旦ボールに移し、合挽き肉と先程炒めた物に塩コショウを振って混ぜ込みます。そしたら塩で漬け込んでいたキャベツに混ぜ込んだものを丁寧に包み込み、圧力鍋に細かく刻んだトマトと庭で育てたローズマリーを入れ一緒に煮込む。中までしっかりと火が通ったならお皿に盛りつけ、上からサワークリームを掛け、煮込んでいる間に作っておいたラスクを添えれば完成です。これがハンガリー風のロールキャベツ、トルトットカーポスタです。これがまたおいしくて、ザワークラウトの酸味と、サワークリームの甘みがとてもマッチするのです。

 ロールキャベツはわたしの得意料理で、初めてメアリーに美味しいと言っていただいた料理でもありました。今思えば人に提供するにはあまりにも不出来なものでしたが、彼女は味に対しそこまで敏感ではありませんでしたから気にも掛けなかったからなのかもしれません。ですが、もしかしたら慈悲でそう言ってくれたのかもしれません。なんにせよそれがメアリーに初めて褒められた行いだったので、それからでしょう。料理をつくるのが好きになったのわ。今ではノエルさんがいつも美味しいと言って食べてくれるので、作りがいがあります。

 丁度、夕食の準備が出来たタイミングにノエルさんが帰宅してきました。わたしは気を悟られないように、深く深呼吸をして気を落ち着かせていつものように振る舞いを見せました。

 いつもと変わらず食卓を囲み、何気ない話に花を咲かせる。ただ心に根付いた蟠りの種がそろそろ芽を出そうと、胸が締め付けられ痛みのクオリアが生じていた。

 どれほどの高性能の演算処理ができるコンピューターを用いても、この暮らしがいつまで続くかなんてわからないでしょう。わたし達のこれからは、わたし達自身の心の在りようによって変化するのですから。わたしの過去の記録を彼に告げればこの暮らしも壊れてしまうかもしれない。ならいっその事、このまま隠しているべきなのかもしれません。ただそれではわたしはこの罪悪感に一生縛られなければなりません。わたしにはそれが耐えれそうにありませんでした。だから彼に告げたいのです。彼の為ではなく自分がこの苦しみから開放されたいが為に。自分の卑しさに嫌気が差します。でも彼にわたしの全てを知ってほしいという気持ちも確かなものです。それも自己顕示の為なのかもしれませんが、でなければこのままだと彼との間に軋轢が生じてしまうと考えたからです。

 きっと今がその時なのでしょう。わたしは心に深く決意の杭を打ち込んだ。

「あの……ノエルさん。……あのですね」

 いざ言おうとすると、意識に隠れていた恐怖心がシナプスを乱れさせ、身体が強張ってしまい上手く言葉が出てこない。それでも思い切って言葉をひねり出した。

「その……! 学校を辞めたいって聴いたんですけど、なにかあったんですか?」

 歯切れ悪く出た言葉はわたしの気持ちと異なるものでした。

 確かにそのことも気になってはいましたが、まずは自分のこと云うつもりだったのに……。

 言った側からひどく後悔し顔をしかめる。

「……誰から聴いたの?」

 動揺を隠せずわたしは俯いてしまっていたので、彼の表情はわかりませんでしたが、彼の声音は低く背筋を伝うような冷たさを感じました。

「その……メリッサから聞きました。メリッサも心配していましたよ」

「あいつ余計なことを……って、メリッサにしか言っていないから当然か――まぁ黙ってるつもりはなかったんだよ。ただ心配させたくなかっただけ」

 彼の口調は苛立った様に聴こえました。

「言ってくれないほうが心配しますよ。どうして急にそんなことを、勉強も出来るのにやめるなんてもったいないですよ。なにか学校に行きたくない理由とかあるんですか? それともやりたいことがあるとか? お金の心配ならしないでくださいね。わたしだってそれなりのお給料を貰ってるんですから」

 言い出したら口は止まらず、質問攻めになってしまいました。彼は学校での生活について何も言ってくれないので、つい勢い任せで言葉が出てしまいました。

「ただ僕はルルに面倒を掛けたくないと思っただけだよ」

 まるで他人事のように素っ気なく返した彼の言葉に、少し胸を使えるような傷みを感じた。

「面倒くらいみさせてくださいよ。だってわたし達家族じゃないですか。メアリーにもノエルさんのこと任されたんですから、だからわたしにはあなたの事を見守る義務があるんです!」

 気づけば感情的になっていました。彼が何をムキになっているのか、彼のことがわからない不安が、わたしの混濁としていた心に拍車をかけて煽る。

「メアリーさんにそう言われたから? 家族って言ったて僕とルルに血の繋がりがないどころか、人とヒュネクストじゃないか。家族、家族って便利な言葉を使って誤魔化してるだけじゃないの? メアリーさんが急に亡くなってしまったから僕の面倒を見ないといけなくなってしまって、それでルルは僕のせいで自分の人生を犠牲にして、そんなことの為にルルは生まれてきたわけではないじゃないか。べつにもういいんだよ、無理しなくても」

 顔を赤らめさせ早口でまくし立てて、こんなにも激情する彼の姿をわたしは初めて見て唖然とした。彼が一体何を言っているのか、彼がどうしてこんなにも怒っているのかわたしには全く理解できず困惑しました。今まで靄がかかって見えなかった、わたしと彼の間にある谷が顕になったようで恐くなってすっかり怖気づいてしまう。

「どうしたんですか、そんなムキになって。いつものノエルさんらしくないですよ」

「僕らしいってなにさ? 実の親が誰なのかも、どこで生まれて、どこから来たのかわかんない。髪の色もこんなだし、ヒュネクストに育てられたからってだけで、周りからは疎まれるし。ルルの目には僕はいい子に見えるんだろうけど、そんなの迷惑掛けないようにって、心配かけたくないから誤魔化してるだけ。本当はもっと我儘なんだよ。だってルルは僕の事をちゃんと見てくれてないじゃないか!」

「そんなこと――」

 わたしは必死に否定しようとしましたが、彼の迫真の眼差しに竦んでしまい、口を噤んでしまう。

「僕だってわかってるよ……ルルが僕になにか隠し事をしてるってことぐらい」

 わたしは思わず彼から目を背けてしまい、となりの椅子においていたバックの中身を見つめる。本当はこの中に入っている資料を彼に見せ、自分の真実を告げようとしていたのに、どうしてこうなってしまったのか。とてもつもない後悔が訪れる。

「ほら、そうやっていつも目をそむける。ルルは自分では気付いていないのかもしれないけど、笑っていても時よりそんな悲しいそうな顔をするんだ。ずっと一緒に過ごしてきたからわかるよ……言いたいことがあるならちゃんと言ってよ!」

 彼は唇を震わせ、目は充血し涙ぐんでいた。彼は何か勘違いしているということだけはわかりました。わたしが彼から目をそらした理由は、彼に対し後ろめたい気持ちがあった、それ以外になんの理由もありません。

 ただ、この状況でわたしの真実を彼に伝えて良いのかどうしたものか、頭の中はひどく懊悩とし、適格な答えがわからなくなっていました。彼と私の間に食い違いがあるとしても、それはわたしが彼にずっと隠し事をしてきたから、彼はわたしに不信感を持ってしまったのであり、事の原因は全てわたしのせいです。

 彼の言うとおりわたしは自分のことばかり気に掛け、彼のことをちゃんと見てあげることができてなかったのでしょう。

 心が痛い。でもきっと彼の方が痛いはず。わたしが彼を傷つけてしまっていたんだ。

 解いたざされても尚、億劫になってしまい口を開き喉から言葉を絞り出そうとしても一言も声が出なく、リビングは静寂に満ち息が詰まりそうな空気の中、しびれを切らしたのか彼は小さくため息を付きました。

「もういいよ、言いたくないなら……ごちそうさま」

 彼はそう言って皿にまだ残った料理を食べ残し、自分の部屋に入って行きました。

 わたしは叱られた子供のように身を小さくし黙り込んでいた。両手で顔を覆い事の原因について考えても、頭の中は真っ白でまず何について考えていいのかもさえわからなくなってしまっていました。ALMAの高性能自律制御プログラムでさえ、感情の縺れにより思考に乱れが生じ、それでも尚、思考を続ければ無限後退は引き起こる。今の私の場合、ストレス係数の向上を感知し自己防衛の為の心理的盲点スコトーマが働き、無意識的に論点の終点から引き離そうとしていることが、心理検閲インデックスによってわかりました。

 ですが自分の心の動きがわかったところで、彼の心は何もわかりませんでした。他人の心理を読むには経験と知識を統合し、そこから予測を行うのですが、彼とは喧嘩といえるような言い合いなんて今まで一度もありませんでしたから、どうすれば関係を直せるのかもわたしには思いつくことも出来ませんでした。

 その日の晩は寝付くのに時間がかかりました。

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