file:namber=05 Little girl untie one's braid and became an adult.

 今日も今日とてユーフォリア・コロニーに朝が来る。人類が誕生する以前よりもずっと前から陽はこの地を照らしてきた。けれど今日はそんな決まりきったことにさえ感動をおぼえる。まるで長い冬が終わり春が訪れ、生まれ変わったかのようになんでもないことさえも新鮮に感じる。

 目覚めて直ぐに昨日のことを思いし、まだ心が落ち着かない様子でした。洗面場に行き顔を洗い鏡を見るとニヤついている自分に気付く。治そうと口角を指先で下げようとしても、笑顔が張り付いてしまっている自分の顔に気恥ずかしさを感じてしまう。

 陽気に鼻歌を交えながら包丁をリズムよく刻む。朝食の準備をしていると彼がリビングに降りてきました。

「おはよう、ルル」

「おはようございます、ノエルさん」

 自然と声が弾んだ。それは仕方ないこと。だってこんなにも清々しい気持ちで彼と挨拶ができたのは久しぶりだったのですから。昨日あれから一睡したものの、まだ心が落ち着かない様子でした。

 はしゃぐ気持ちを抑え食卓を囲み朝食をとる。

「なんか今日は朝からすごい量だね……」

「そうですか?」

 自家製トマトが入った山盛りのサラダに、やまづみの焼いたパン、それからハムやチーズの盛り合わせ。テーブルに置かれた料理を見ると確かにそんな気もします。けれどノエルさんは成長期なのでこれくらい問題無いでしょう。

 困った顔でトマトを口に運ぶノエルさん。なんだかこんなやり取りも久しく覚え、思わず笑みがこぼれてしまいます。

「どうしちゃったの、そんなニヤニヤして」

「なんでもないですよ」

 彼が食事する風景を見ているだけで幸せでした。なんでもない日常がまたアルクイスト家に戻ってきたことを実感する。そんな幸せを噛み締めながら彼をずーっと見ていると忠告されました。

「ルルも早く食べないと仕事に遅れちゃうよ」

「あぁ……そうでしたね。ノエルさんも今日から学校が再開するんでしたよね」

 彼との関係がよくなったことに浮かれてしまっていてすっかり忘れてしまっていましたが、世間はそれどころではありませんでした。カテドラル襲撃事件からまだ3日しか立っていませんでしたが、迅速な対応によりテロ関係者は全員拘束され、安全と判断されたので外出禁止命令が解除になり今日からまた日常が戻りました。けれど、やはり世間ではテロの余波は残っているらしく、福音監視官のわたしとしては気が気ではありませんでした。

 二人は食事を終えると、ノエルさんは学校に行く用意をすまし、わたしは彼を見送りに玄関まで付いて行く。

「外出命令は解除されましたが、まだなにがあるかわからないですから気をつけてくださいね」

 生統のシステムに不安があるわけではないのですが、やはり彼のことを思うと漫画い一のことも心配でなりませんでした。

「うん。ルルも治ったばっかりなんだから無理しないでね」

 そう言って彼は玄関を出ようとした瞬間、わたしは彼を呼び止めた。

「あっノエルさん忘れてることないですか?」

「えっ、何か忘れ物してたっけな」

 わたしの言葉に反応し彼は自分の衣類や鞄を探る。

「違いますよ」

 そう言ってわたしは彼の顔に顔を近づける。けれど彼はとぼけた表情で首を傾げる。

「もーノエルさん行ってきますのチューですよ」

 そう言って彼の顔にさらに催促するように顔を近づけると、額に手刀が飛んできました。

「もう馬鹿なこと言ってないの! じゃ行ってくるからね」

 彼の顔は真っ赤になり照れを隠すように玄関を飛び出ていってしまいました。さすがにまだそこまで気を許してもらえなく断られてしまいましたが、照れているノエルさんが可愛かったので眼福でした。

 わたしもそろそろ仕事に行かなくてはならなく身支度を始める。いつも通りに洋服に着替え、髪を束ねようとして手を伸ばして気付いた。そういえば戦巧機ヴァイツァーとの戦闘中に髪が燃え短くなってしまっていたようです。一応、わたしが療養している間に、エミール先生が髪を切りそろえてくださっていたようで見栄えはよくなっておりましたが、肩甲骨まであった髪がすっかり肩の辺りまで短くなっていたので寂しく感じました。

 わたしが髪を伸ばしていたのは、メアリーの姿を自身に写し鏡として似せるためだったり、わたしの思う母親像が三つ編みだったのでずっとそうしてきたのですが、この長さでは前のようには編めません。ただこのままの髪型では物足りなく感じましたので、片方だけ横髪を集め小さい三つ編みを作る。少し子供ってしまいましたが、今のわたしには似合っているのかもしれません。メアリーがいなくなってからわたしが彼女の代わりにノエルさんの母親役であろうと身なりだけでもと真似していたのですが、もうその役目も必要なくなりました。なので今は小さな保護者として彼を見守ろうと思います。

 鏡に映った新しくなったわたしを見つめる。この数日、様々なことを経て、わたしは少しだけ自分のことが理解出来るようになり好きになることが出来ました。それもノエルさんをはじめ、わたしの周りの支えてくれる人達のおかげです。

 世間が揺らぐ今の世の中、わたしは強く振る舞える気がしました。

 いつもより背を正し、胸を張ってわたしは家を出ました。


 街を歩いていると自粛ムードが漂っており、人気は少ない。あんなことがあればやはり怖くてあまり外へは出られないでしょう。

 いつも使っている路面電車に乗り込んでカテドラルまで行くと、あれほど荒れ果てていた駅のホームが何事もなかったように元通りになっていました。あの夜、戦巧機ヴァイツァーはコンテナに収容され、大規模停電によってセキュリティ網に穴が空いた隙に、この路線を使い運搬されていたみたいです。マシンに頼りきったトロン社会というのも些か問題があるのかもしれません。

 憂う気持ちに沈みながらも職場に足を踏み入れると、皆さんが出迎えてくれました。

「おはようルル。とんだ災難だったわね。話を聞いた時は肝を冷やしたけど、案外元気そうじゃない」

 真っ先に声をかけてきてくれたのはアンジェでした。あまり心配していなさそうな感じでしたが、いつものように接してくれたの嬉しかった。

 そんなアンジェとは違い深妙な顔つきでシャルが近づいてきてわたしに抱きついてきた。

「よかった、心配したのよルル。あの日、あなたを置いて先に帰ってしまってごめんなさい。寝ていたからそっとしてあげておこうと思ったのだけれども、まさかあんなことになるなんて思ってもなかったから」

「そんな。シャルが謝ることなんて何も無いですよ」

 わたしの身体を強く抱きしめながら、涙ぐんだ声で謝るシャル。随分と心配していてくれたようで心から嬉しかった。

 泣きわめくシャルを放って、間を割りウィルが口を挟んできた。

「けどそいつがカテドラルに残ってなきゃ、今頃大惨事だったぜ。よくもまぁそんな華奢なナリで兵器相手に戦えたもんだ。寧ろここはよくやったとほめてやるべきだろ」

 似非英国紳士は足を組みながら拍手してくれましたが、その上から目線の態度には癪に障りましたが、まぁ彼なりにねぎらってくれているのでしょう。

 復帰して久しぶりに来てみれば随分と騒々しい歓迎なこと。けれどこんなアットホームな職場がわたしは好きでした。

 わたしは皆の前で頭を下げおじきをする。

「みなさん、心配をお掛けしまして申し訳ありませんでした。ルル・アルクイスト、今日からまた皆さんと一緒に頑張ります」

 まばらな拍手が職場に響く。こんなにも自分のことを心配してくれる人がいるということは、それだけわたしはまわりの人に恵まれているのだと実感しました。

 皆で談笑しているとアラン所長は小さくコホンと咳払いをして、皆は会話を止めて所長の方へと目を配らせた。

「ルルくんには戻ってきて早々に申し訳ないが、状況は知っての通り芳しくない。構成民の幸福係数が軒並み下がっているのはもちろんのこと、ストレス係数が大幅に上がっている。そこで福音監査課はこれから起こるであろう秩序の乱れに歯止めを早急に実施する必要があるため、まず事が起こった原因から話そう」

 先程までの団欒としていた雰囲気はなくなり、緊張に張り詰めた空気に変わった。それも仕方ありません。ようやく人とマシンの共存できる平和な未来を作っていこうというこの大事な時に、テロ事件なんてあったのですから気分がいいはずはありません。

 皆さん席に座り、いつも通りシャルの進行の下、会議が始まりました。

「まず今回のテロ事件の概要を説明します。テログループはデラシネアリズムと呼ばれる反生統団体で、主に今まで各地のコロニーに対し妨害工作などを繰り返してきましたが、組織に実態がなくその素性は現在もつかめておりません。今回の主犯テロリストは二十八名、ただ一人を除き他の者達は全てコロニーに住まう構成民でした。その一人というのが主犯格の人物、カミーユ・バッティ。人類保護団体HRWの代表秘書でした。ルルはこの人、覚えているわよね」

 シャルがわたしに問いかけてきました。もちろん忘れてはいませんでした。先日、会議で遭ったあのマシン嫌いの女性。素性のよくわからない人でしたがまさかあの人がテロリストだったなんて。そう思う反面、あまり驚いていない自分がいました。

「彼女は連邦国の工作員で三年前に同胞を呼び集めていたようです。彼女が所属していた人類保護団体HRWはデラシネアリズムとの関係性はないと否定。しかしながら知らなかったとはいえ、テロリストを匿っていたことに対し責任をとるため代表のマキシミリアン・エストライヒ氏は辞任なされました」

 あのような人情深く義理堅いお方が、このようなかたちで幕引きをするとは実に惜しいことです。しかしながら責任者としてけじめをつけるのはいたしかねないことなのでしょう。

 人類の続いてきた文化なのかわかりませんが、悪行を行なった者と関わりがあった者にも責任を科せられることが暫しあります。伝染病を蔓延させないために、一人でも感染者が出れば村人全員を虐殺を行なっていた頃から、人の本質というのは変わっていないのではないかと思ってしまいます。

 しかし秩序を保つためには時として非情にならなければならないのかもしれません。

 シャルに引き続き、改まった口調でアラン所長が口を開きました。

「テロリストは捕まったがそれで事が収まったわけではない、寧ろここからが本題だ。知っているかもしれんがルルくんが休養中に、テロを事前に抑止できなかった生統の防衛が疎かだったという理由でデモ運動が起こった。普段から生統を良いとしない人々の不満の現れなのか、はたまた、何者かが搖動しているという可能性もあるかもしれんがな」

 マザー・フィリアがテンペストを起動したことにより構成民を不安に陥らせたのも原因もあるのでしょう。平穏と安泰をもたらすと謳ってきたにもかかわらず、このような大きなテロが起こってしまえば、生統に不信感を抱くものが出てきても致し方ないです。

 アラン所長は両手をすりあわせ言葉を慎重に選ぶように口を開きました。

「そしてこの一件により落ち着き始めていた人とマシンの関係に再び軋轢が生じてしまっただけではなく、追い打ちを掛けるように生統を否定するようなプロパカンダが所々で起こっている。この事態をマザー・フィリアは深刻に考えており、再びこのような事態が起こらないようにある案を立てた。それは構成民に埋め込められたIOCを使い、統制を取ろうと言う案だ」

 重苦しい沈黙に包まれる。

「そんな事ができるのか?」

 沈黙を破りウィルは眉をひそめて尋ねるとシャルが補足しました。

「主にIOCは体内で血液と共に循環し、宿主のバイタルチェックを担っているけれど、それとともに幸福係数やストレス係数を観測する役割を担っているわよね。ストレス係数が規定値以上になるとカウンセラーが派遣され、そうした監視体制のおかげで犯罪を抑止してきました。けれど今回のテロを実行した者達のストレス係数に異常が見られなかったのです。外部の者に装着が義務つけられている代用IOCならともかく、コロニー内部の構成民に注入されている寄生型IOCは欺くことは出来ません」

 アンジェは話の真相を理解できたようでした。

「つまり実行犯達はテロをすることに対し、何の悪意もなく犯罪を犯すことに抵抗もなかった異常者サイコパスばっかだったってわけね。そんな特殊な人間のみで構成したからこそ、トロン社会の監視網を欺くことができ、テロの実行まで至ったと。でもそんな人材だけを誰がどうやって集めたのよ」

「それがカミーユ・バッティと言う女性。きっと彼女にはそんな特異な者達を見分けられることが出来る能力でもあったのでしょう」

 彼女がいた人類保護団体HRWは反生統団体ですから同胞を集めるには都合のいい場所だったのでしょう。この一件のテロ騒動は彼女を中心に動いていたのでしょう。そこまで何が彼女を突き動かしていたのか、わたしにはわかりかねます。

 引き続きシャルが話しを続ける。

「話を戻しますがこの一件で現在のトロン社会の監視網が完璧ではないことが浮き彫りになってしまいました。そこでフィリアは構成民の思想が誤った方向へむかわないよう、IOCを使い思想統制する仕掛け、拡張意識計画オーグメント・コンダクト・プランを立案しました。原理としては脳の働きを解読し、危険な思考を宿す領域を遮断し、意図的に意識を正しい方向へ導くというものです。人体には影響なくストレス抑制の効果もありIOC所持者には何の負担もありません」

 淡々と説明するシャルの話に、ウィルが低い声音で食って掛かった。

「なぁ、それは洗脳とかそんな生易しい話じゃないよな。もっと恐ろしいことだ。そうだろ?」

「それは……」

 職場に不穏な空気が流れる。目をそらし口をつぐんだシャルに変わり、所長がウィルを諭すようになだめました。

「なにも今すぐということではないさ。あくまでもそれを実施する可能性が出てきたということだよ。わたし達人類が間違わなければいいだけだ」

「マシンの機嫌を伺いつつ生きろってことですか? そんなの俺はゴメンだ。俺は英国で育って一二の時に貧困から逃れるため家族とともに此処に来たが、ガキの俺でも生統ユニメントの異様さには気付いたさ。何不自由なく便利な世の中だが、それはマシンが築いたトロン社会の恩恵で生かされているだけだ。そんな生き方、犬や猫の家畜と何が違う。結局、マシンの人間に対する認識なんてもんはそんなものなんだよ。なにがマシンと人間が共存する社会だ。そんなもの信じるも何も、はじめからありゃしなかったんだな……」

 ウィルは怒っていました。彼はきっとフィリアの立案そのものではなく、マシンが人間に対する認識が冷酷で非情なものだと感じたから怒っているのだと思います。彼はマシンに対し嫌悪も抱かず、寧ろ積極的に寄り添ってくれる人間でしたが、さすがの彼も今回の件には断固反発的でした。上手くやっていけると信じていたのに、裏切られたような気持ちだったのではないのでしょうか。

 苛立つウィルにアンジェが咎める。

「ちょっと口が過ぎるわよ。なにも奴隷のように扱っているわけではないじゃない。より幸福に、より平和にを追求してきたのが今の体制なのよ」

「だったらなにをしてもいいっていうのか? お前は本当にフィリアのやり方に疑問を思わないのか?」

「あたしはヒュネクストよ。生統の使者であるわたし達にとってマザーこそが正しさ。子にとって母は絶対的な存在なのは当然でしょ? そういうふうに出来ているのよ」

 意味ありげに答えるアンジェにウィルは辟易したような深い溜息を吐きました。彼女の言うとおりマザーは絶対的な正しさであり疑うことはタブーとされています。秩序を司るわたし達が各々の異なる思想を持っていては秩序が乱れる可能性があります。フィリアは最大公約数的な秩序を保つため今回の案を出したのでしょうが、けれど人道的とは言いがたいですしウィルが怒るのも仕方ないとわたしは思いました。

 職場の空気はすっかり暗雲立ち込めるといった感じで、結局、秩序の崩壊を抑制するための案も出ないまま会議は終わってしまいました。世間だけではなく職場も秩序も危うい状態。こんな時に身内でもめている場合ではないのですが、わたしにはその場をなだめることは出来ませんでした。

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