ⅱ 

「さてと、今日も終わったし飲みに行くかー!」

 アンジェが定時になるや早々に椅子にもたれかかり両手を大きく伸ばす。

「わたしは遠慮しとくわ」

 いつものようにシャルが断りを入れて帰ろうとしたが、アンジェがに座った椅子を滑らせ移動しシャルを足止めする。

「なに? また病院に行かなきゃなんないの?」 

「シャルどこか具合悪いんですか? ってそんなはずないですもんね……なにか用事でも」

 わたしが彼女にそう訪ねると気に障ったのか少し苛立ったような声音で彼女が返す。

「べつになにもないわよ。……いいわ、今日は付き合ってあげる。たまには私も飲まないとやってられないわ」

 こめかみを押さえながらあまりノリ気には見えないものの彼女は了承した。

「そうですか、ではお二人共気をつけて」

 そう言って席を立ち帰ろうとするとアンジェが止めてきた。

「なーに帰ろうとしてんのよ。あんたも来なさいよ」

「そうよルル、家庭も大事なのはわかるけど職場の付き合いも大事よ」

「シャルまで……もうわかりました。ちょっとノエルさんに電話してきます」

 ため息をつきつつノエルさんに連絡をするために席を外し、ブレスレット型のネット端末を起動させ彼の連絡先を探し手を耳元にかざし通話をする。

「もしもし、ノエルさんすいませんが今日帰りが少し遅くなるかもしれません」

『うん、わかった。どうしたの、仕事忙しいの?』

「それが仕事は終わったのですがアンジェとシャルに誘われて今から飲みに行くとか。とは言ってもわたしは飲まないですが、最近シャルの様子が少し気になってたので、こういう機会でもないと聴けないかなっと思いまして」

『そうなんだ、それは心配だね。どうせルルのことだし僕のことを心配して付き合いとか断ってたんだろうけど、ちゃんと友達も心配してあげてね。それじゃ』

「はい、なるべく早く帰るようにします」


 空はすっかり暗くなっており街は帰宅する人に溢れかえっていました。アンジェの先導のもと人気のない細い路地裏に入くと一軒の建物があった。アンジェは慣れた足取りで地下へと続くた階段を降りて行く。足元だけ仄かにライトアップされており、バーに訪れたことがない不慣れなわたしは、少し足元が竦んでしまってシャルの袖を掴みながら降りていく。店内に入っても店内は暗く、かろうじて人の顔が認識出来る程度。それにお酒の匂いやタバコや香水の匂いが混ざり合って悪臭ではないものの、独特な匂いが店内に蔓延していました。

 アンジェはここの常連のようで店員さんと会話をしていたので、わたしとシャルは先にカウンターへと通された。椅子に座ると足が床につかないほど高く支えがなくて不安定で落ち着きがとれない。カウンターの天井には暖色に照らすライトが取り付けられており雰囲気を醸し出しており、棚には様々な種類のお酒がはいったボトルが並べられている。初めてきた場所に戸惑いと好奇心が触発され、落ち着きなく辺りをキョロキョロと見てしまっていました。

「わたしバーなんて初めて来ました。シャルもよく来るんですか」

「たまにアンジェに誘われてね。ルルもお酒飲む?」

 わたしとシャルの会話を聞いていたウェイターさんがわたしに身なりを確認するように見てきた。

「すみません、お嬢さん。ここは未成年でも入れますがお酒は提供できませんので」

 優しく言ってきた彼に対し、シャルがクスッと笑った。さっきの店員さんと話を終えたのかアンジェが席に座り、笑いながらウェイターさんに向かって訂正をした。

「マスター、この子こんなだけどヒュネクストだから大丈夫よ」

 それを聴いたウェイターさんがわたしに向かって誤り軽く頭を下げた。とうのわたしは幼く見られたことに対し紅潮させていた。

「べつにいいです……それにわたしお酒嫌いですし、オレンジジュースでいいです……」

「それじゃ私はカシスオレンジにしようかしら」

「あたしはいつものウィスキーで」

 わたしの注文に続くようにシャルとアンジェも注文をした。注文をしてから間もなくそれぞれの目の前に飲みのものが置かれ、とくべつになにか在ったわけでもないのにアンジェが乾杯をするように催促してきたので、グラスを手に取り互いのグラスに軽く当て合う。一口、オレンジジュースを飲んでみると普段飲んでいるものよりも美味しく感じられた。人の味覚なんて雰囲気がよければ頭が都合よく解釈して美味しいと感じてしまうものです。

 わたしの隣でカシスを味わうように飲んでいるシャルにわたしは気になっていたことを尋ねました。

「そういえばシャル。最近なにか悩んでいるように思うのですがどうかなされたのですか」

 しかし彼女はグラスに目を落とし言いたくなさ気で、彼女の代わりにアンジェが答えた。

「シャルのお義母さんが今、入院中なのよ。それで今ちょっとピリピリしてんの」

 わたし達ヒュネクストには親託制度というものがありヒュネクストは3年間、人の家庭で育てられるように義務つけられています。とはいっても教育期間が過ぎても保護者の名目でヒュネクストと義親の関係は続きます。ようは養子のようなものです。わたしにとってはメアリーが義母にあたりますが、彼女がいなくなった現在ではわたしがノエルさんの保護者になっています。

「それでだったんですね……お義母さんの様態は大丈夫なんですか?」

 シャルは机に腕を置き、こめかみに手を当て重々しく口を開いた。

「あまりいいとはいえないわね。……急性骨髄性白血病AMLよ」

 わたしは口をつぐんでしまいました。医療技術が発達した現在でも治せない病気というものはあるもので、特に癌は発症する器官によっては完全な移植も除去することが出来なかったりします。白血病は骨髄の中にある血液細胞が癌化する病気で、以前まで治療するにあたって抗癌剤投用が一般でしたが、それでは患者の負担が大きく高齢者には適さない治療法でしたが、ナノテクノロジーが発達した現在ではナノマシンが媒介とされている白灰血液を輸血し、不安定に生産されている血液を正常に保つ、なるべく患者に負担を掛けない寛解療法が主流になっています。

 ヒュネクストの血液は全て白灰血液で満たされているので病気になる心配もなく、そして病気になる人の気持ちも理解できませんでした。人のクオリアを理解するため人体を模して作られた統合組織義体プロテーシスとはいえ、さすがに病気になるようなメカニズムを再現する非生産的な作りにはされてはいません。わたしの身体の内臓も皮膚も脳も所詮は機能や形を模している人工的に作られたモノであり、実際、人の肉体とは根本的に違うものなのです。

 頭を抱えたシャルにアンジェが優しく彼女の肩に手を置いた。

「でも命の危険性はないんでしょ? そりゃまぁ生活には支障はあるだろうけど、アンタがついていてやればいいじゃない。もしかしてあんたまだ親と仲悪いの?」

「べつにそのことはどうだっていいじゃない……それにちゃんと看護はしてるわよ。わかってるけど……わかんないのよ……」

 カウンターの上に吊るされた暖かな灯が俯いたシャルの白い肌の顔にくっきりと明暗を作る。彼女の支離滅裂な発言にアンジェが優しく心配した。

「……何言ってるのよあんた。もう酔ってるの?」

「わかんないの……なんで人が死ぬのか……」

 シャルは深刻な声音でそう呟きました。アンジェはハッとして言葉を失った。

「なんでって……そりゃ人間だからでしょ。それにあたし達もALMAの寿命が尽きれば形式的には死という終りを迎えることになるわけだし。とは言ってもあたしやシャルは後200年生きるって言われているから、いまいち死ぬってことがわかんないって気持ちもわからなくはないけど。そういえばルルって珍しい旧式だし後100年も保つかわからないんだっけ?」

「アンジェ……沈黙は金よ」

 シャルは流し目でアンジェを咎めるように言った。同僚にはわたしの過去を話しているのでシャルが気にかけてくれたのでしょう。

「いいえべつに気にしないですよ。こんなことを言うと不謹慎かも知れませんが、わたしは人の身で死ねることを誇りに思えますよ。物質的な消失というものは須く全てのモノに訪れますが、個の概念の消失はこころを有するモノにしか訪れません。死ぬってことはつまりわたしという概念が在った証明にもなるのです。メアリーが死んでしまった時、わたしは酷く悲しみましたが、でもその時出来た心の傷が今でも彼女の事を思い出すきっかけとなり、今のわたしの存在が彼女がいたという証明にも繋がっています。死というものは決して虚無的なものではなく愛しいものだとそう考えています」

「さすがわたし達より長く生きてるだけあって年の功があるわね」

「人を年寄り扱いしないでください」

 アンジェは笑いながらからかってきたものの、シャルはカクテルを自棄飲みするように一気に飲み干しまだ頭を抱えていた。

「人って本当にわかんないことばかりね……心とか愛とか、生とか死とか、家族とか社会とか、平和とか戦争とか――仕事だってそうよ、自治交流だの言っても人も機械も関係ないとか平和の為にだとかきれいごと言って、結局みんな自分の善意を他人に押し付けてばっかで、そんなんだから何千年も争って未だにわかりあえていないのよ! ほんとっ矛盾してばっかでわからないわ……」

 シャルは情緒が乱れ始め机に軽く掌を叩きつけ苛立ちを見せて、さらにお酒を追加注文した。

「日頃のストレスが貯まってるのはわかるけど、ちょっとひどい飲み方してるわよ。前から思ってたけどアンタって人嫌いよね」

「べつに嫌いってわけじゃないわよ。ただわからないだけ、それが嫌なのよ……」

 生真面目で徹頭徹尾に筋が通っていないと納得出来ない彼女にとって、人とはあまりに不可解な存在なのでしょう。

「わからないからこそ、それを理解するためマシンでも人でもあるわたし達が存在してるんじゃないですか。大丈夫ですよ。いつかきっと人もマシンも関係なくわかりあえるようになりますよ。その為のヒュネクストじゃないですか」

 しかしシャルはわたしの言葉に頭を振って否定した。

「どうかしらね……。今は私達にも人権が適用されているけど、それは管理者であるマザーの加護の下与えられた云わば贔屓みたいなものであって、私たちのことを未だ召使ロボットだと思っている人間だっているわ。所詮私達は人間もどき《ヒューマノイド》なのよ。それにわたし達が人間だと分類されたとしてもそれは新しい人種が増えただけで、新たな差別が生まれたにしかすぎないのよ……」

 シャルは今まで溜めていた不満を一気に吐き出すように心情を吐露しました。彼女の発言は刺々しいものではあったが、確かなことでもあり、少なからず共感するとこはありました。

 アンジェは辟易したような深い溜息をつく。

「アンタねぇ、これから仲良くしていきましょって頑張るときなのに、そんな事言っててどうすんのよ」

「私だって……私だって好きでこんなこと言ってるわけじゃないわよ……」

 すっかり酔いが回ってしまったシャルはグスんと鼻をすすり、周囲の目も気にせずカウンターに顔を伏せた。いつもの彼女なら決してこんな格好を晒さないでしょうに。

「シャルってお酒飲むといつもこうなんですか?」

 わたしがそう尋ねるとアンジェはシャルの細い黄金色の髪を優しく撫でながら首を振って答えた。

「いや、いつも自重しているけど今日は酷いわね。まぁ仕事のことや家庭のことにストレス感じてたんでしょうね。ほら、シャルって意固地でしょ。だからなんでも一人で気負って誰にも自分の心を見せようとしないのよ。この子の母親も似た感じでね、お互い不器用で未だに仲違いしてるらしいのよ」

 彼女は色っぽく熱い唇にグラスを当てウィスキーを少し飲み、話の舵をわたしの方に向けてきました。

「それでルルの家は上手くいってるの? って訊くだけ無駄ね」

 アンジェがクスりと笑った。

「そうですよ。わたしとノエルさんはいつでも仲良しですから」

 オレンジジュースをストローで飲んでいるわたしに、アンジェがちょっかいを掛けるように肘でつついてきた。

「でもどうなのよ。あの坊っちゃんもお年ごろでしょ。恋とかそういうのに発展しないの?」

「それは……ないですよ」

「あんた散々恥じらいもなく好きだの愛してるだの言ってるじゃない。じゃあルルにとってあの子ってなんなの?」

「なにって……ノエルさんは大切な家族ですよ。家族って無条件に愛し合うものでしょ。ただそれだけです。それにわたしは恋ってものをあまり把握していません。アンジェはよく恋をしているみたいですけど、恋ってなんですか?」

 恋愛小説の類を幾つか読んでみたものの、具体的な恋に関するデータは得られませんでした。

「恋ってのはね、好きな人の特別な存在になりたいって気持ちよ。人だろうがヒュネクストだろうが心あるモノ、自分という存在を絶対的に受け入れてくれる存在を求めるものでしょ? それにあたしは親から捨てられたからね」

 彼女の突然の告白にわたしは驚愕した。

「ほら、昔は今みたいに職が少なくてお金に困っている人が多かったでしょ。それでまぁ……托親制度って親にお金が入るじゃない。あたしの親はお金欲しさにあたしを引き取ったのよ。外面はよくてまわりからの評価は良かったから審査には通ったけど、一緒に暮らして物心がはっきりと出来てきた頃には、あの男の取って付けたような善意に気付いたわ。契約期間が終わる頃にはもう、あたしのことなんかほったらかしだったわ。それこそさっきシャルが言っていたヒュネクストを物だと思うような人間だったわ。それでなのかね。誰かの特別になりたいって思うようになったのは」

 彼女は自信の生い立ちを低い声音で語り、物悲しそうにグラスを指先でなぞる。

「……そんな話わたし初めて聞きました。どうしてそんな大事なこと言ってくれなかったんですか……」

 彼女と一緒に仕事をしだして数年が立つにもかかわらず、生い立ちについて何も言ってくれなかったことに、信用されていなかったのではないかとショックを覚えてしまいました。

「ルルは人が好きみたいだし、あまりこういう人の悪口みたいな話聴きたくなかったでしょ?それにこういうしみったれた話も、そうやって哀れみの眼差しを向けられるのは好きじゃないのよ。けれど今の話は事実。あんたが思ってるほど人ってのはいい人ばかりじゃなく、欲深くて恐ろしい人もいるのよ。人を信じるって大変なことなのよ」

 感傷的に彼女は言った。確かに彼女の言うとおりわたしは人のことを肯定しようと解釈してしまうとこがあります。それは人が好きだからという理由ではなく、人を信じたいからなのだと考えました。

 彼女は悲しい話を誤魔化すようにおどけて笑って見せた。

「この前だってここで飲んでて男に声をかけられたんだけどさぁ、あたしがヒュネクストだって知るやいな離れていったのよ。ひどくない? マスターも見てたでしょ?」

 話を振られたバーテンダーさんは愛想よくうなずいた。

「えぇ、全くです。ここは人もヒュネクストも関係なく飲んで頂く場所ですので、そのような不躾なお客様は困りますね。私的な意見ですが、ヒュネクストの女性だろうと人間の女性だろうと優しく出来ない男は器が小さい人間です。今やヒュネクストの方と付き合ったりするのは何もおかしいことではないですし、結婚している方だっておられますからね」

「さすがマスター、いいこと言うわね。そうよ、そこに愛があればなにも問題ないのよ。マスターあたし好みの優男だけど、残念ながら奥さんいるのよねー、ざんねん。でも人のものってなんだか欲しくなっちゃうわよね」

 アンジェが嘘か本当かわからない冗談を言っていると、先程からカウンターに顔を埋めていたシャルがボソりと呟いた。

「あなたってほんと見境なく男漁りしてるわね。そんなんだからやすい女に見られるのよ」

「なによ、あんたなんか仏頂面で怖がられて声さえ掛けられないじゃない」

 そんな他愛もない言い合いをしている二人はわたしのよくしる二人の姿でした。今まで知らなかった彼女らの人生を知れて、今日ここに来てよかったと思いました。人にもヒュネクストにもそれぞれ人生があり、時には笑い合ったり、時には悲しんだり、時には喧嘩したり……そんなありふれたたくさんの営みがあるんだとそう思うだけで、ただ嬉しく愛おしく思いました。

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