所長は仕切りなおすように両手を軽く叩き合せた。

「えーとそれじゃみんな揃ったかね」

「はい所長」

 所長の尋ねにシャルルが即答する。本当はもう一人出張に出かけている男性の職員がいるのですが忘れ去られてしまったようで誰も指摘せずに所長は言葉を続けた。可哀想なウィリアム……

「ではミーティングを始めようか。シャルロッテくん進行役お願いするよ」

 福音監査課の職員約一名を除き揃った所でシャルの進行の下ミーティングは始まった。

 わたし達、福音監査官エヴァンジェルはセントラルエリアに住む約1億5千人の構成民の体内に埋め込まれているIOCから送られてくる幸福係数や福祉に関する情報を基準に、人とマシンの社会が調和を保てているかの監査及び、規律を乱しかねない問題の解消を行うトラブルシューターの役割を担っているのです。

 そんなわたし達を悩ます大きな問題がありました。

 シャルはテーブルに搭載されたホログラフに資料提示させ解説を行う。

「ここ最近、ユーフォリアの平均幸福係数は下がっており、先月の平均幸福係数は72.1 %、そして今月に入って0.3 %減の71.8 %でした。ちなみに前年比は76.8 %です。この通り、今のままでは低下する一方です」

 深刻そうな顔つきで語るシャル。あのアンジェも腕を組んで真剣に考えているようでした。見た目や言動とは裏腹に彼女も仕事に至ってはとても真面目なのでした。

「どうにかしなきゃならないのはわかるけど、どうすればいいのかさっぱりね。一体何が原因なのかしら……って! 人が真剣に考えているのになにしてるのよ、所長ッ!」

 アンジェは怪訝そうな表情で問いただす。アラン所長の方に目を配ると彼は話を聴いていた素振りもなく、先ほどまで読んでいた新聞紙の上に切った爪を纏めていた。

「ん? あぁ大丈夫大丈夫、ちゃんと聴いていたよ。まぁアレだよ。世間で言われている“不気味の谷の戦争”が原因じゃなかろうか」

 その言葉を聞いて一同は辟易とした表情を浮かべる。

「不気味の谷の戦争……ねぇ」

 アンジェは深く目をつむりため息混じりに呟く。

彼女らが口を揃えて言う“不気味の谷の戦争”。それがわたし達、人とマシンの間で起こっていた深刻な問題でした。人間が人に近いマシンに対して抱く不快感を“不気味の谷の問題”と言うのですが、その言葉を用いていることからも察せれるように、言ってしまえば人類とマシンの冷戦のようなものなのです。普段生活していることには何ら影響はないのですが、その影ではマシンの管理のもと暮らすことを良いとはせず、マシンであるヒュネクストにも反発心を抱えている方たちは多かれ少なかれ存在しており、人の心とマシンの管理の間で生まれた軋轢をいつしか誰が言ったかもわかりませんが“不気味の谷の戦争”とその名前が世間には広まっていました。

 シャルは率直な疑問をアラン所長に問いかける。

「どうして幸福係数の低下と不気味の谷の戦争が関係していると言えるのでしょうか。そこにどういった因果関係があるか私にはわかりかねます」

「そんなのは至極単純なことだよ。みんな、今の生活に慣れてしまい考え方が変わってきたんだろう。マザー・フィリアはこの地を管轄し始めてたった二十年で復興させた。それだけではなくトロン社会という素晴らしい暮らしを僕達人間に与えてくれたが、その恩恵のありがたさも二十年もの時が経てばそれが普通になり、そして不満不平を口にするようになる。幸福係数の低下も不気味の谷の戦争も招いたのは人間の性というやつだよ」

 所長は淡々と述べながら、研ぎ終えた爪に息を吹き付け手入れをしていました。

 そんな彼の態度とは対照的にアンジェは不服そうな様子でした。

「わたし達ヒュネクストからしたら、そんな人の性とやらは理解したくないわね。どうして人はそうも簡単に考えが変わってしまうのかしらね」

 そのアンジェの苦言に、所長は白髪交じりの無精髭を撫でながら、深く瞼を閉じました。

「人は無意識的ながら集団に思想を合わそうとするのだよ。それが俗にいう世間と言われるものの正体だ。人間社会は今までこの世間の移り変わりによって変化が問われてきた。人の意識の枠組みは実に不安定で、周りの意識に流されやすく、自身でも意識が変わったことに気づかない者が多い。だがそれは愚かだと言うことではない。これは群れで生きる生き物として獲得した規律を創るための本能なのだから。君達ヒュネクストには少し理解し難いだろうがね」

人間とヒュネクストの違いでまずあげられるのがこの本能と言われるモノ。わたし達の脳であるALMAは、人の脳の造りを完全にトレースしてはいますが、人の本能と呼ばれる先天的な生得的モジュールと少し性質が異なります。ヒュネクストも睡眠や食事を取るように造られておりますが、ALMAは意識の全てを任意的で感知することができ、またオミットすることができれば追加モジュールを加える事も可能です。それらはやはり人の本能と呼ばれるプログラムとは異なります。

 けれど考え方は人それぞれのようでシャルは否定的に述べる。

「つまり人は考えを世間に委ねられるように意識のフレーム構造が柔軟だと考えればいいのでしょうか。けれどそれはある意味、フレーム問題を抱えているのと変わりないのではないでしょうか?」

 半世紀程前まで人工知能の開発に於いてフーレム問題は最も難関な弊害とされていました。

 何かしらアクションを起こそうとするたびに、幾つもの“もしも”を考慮してしまい、結果なにも行動できなくなってしまうクリティカル・エラーを引き起こしてしまう重大な問題を、心理的盲点スコトーマを参考に可能性の透明化を施し、経験則からボトムアップを行い可能性の取捨選択を行うエージェントプログラムを組み込んだおかげでフレームは形成され、無限後退を回避することが出来ました。

 人間の赤ちゃんなんかは生まれた時にはフレームは存在しなく、成長するに連れフレームをが拡大していきますが、わたし達には予め最小限の必要とされる概念が形成されたフレームのプロトコルが言語野のソースコードによって記載されています。

 どうやらシャルは人のフレーム構造に脆弱性があるのではないかと考えているようで、アラン所長はその疑問に答える。

「さすがシャルロッテ君、ご明察だな。君の言う通り人間の意識のフレーム構造は他者が作った思想に適合できるように不確定な状態だ。それ故、多くの人間を律する為に信仰や法に政治が使われてきたがそれはあまりにも危険だった。結局、それが原因で勃発してしまった戦争は数多く、大崩壊もそのうちの一つだ。マシンはフレーム問題を解決できたというのに、人はまだフレーム問題に囚われたままとは皮肉なことだな」

 所長は虚しそうに乾いた笑いを上げる。そんな彼にシャルは彼女なりのフォローを入れる。

「大丈夫です。二度と大崩壊のような誤ちを繰り返させないようにマザーが人々を管理しているのですから」

 その言葉にアラン所長は何か言いたげな表情でただ笑って頷くだけでした。

 シャルは生真面目な性格のせいかマシンに対しては絶対的な信頼感があり、また人には信頼していないいと言うか、もとより興味がないような感じでした。

 話しを聞いていたアンジェが頬杖をつきながら気だるそうに呟きました。

「で、結局どうしたらいいの? 不気味の谷を無くそうだなんてさすがに無理があるでしょうけど、でもなにかしらの解決策はださないと」

 このまま人とマシンの間に谷がある状態はわたしとしては嫌でした。だからどうにかして少しでも互いがわかりあえるようになればいいなと思考を巡らす。

「皆が幸せで楽しくすごせたらいいのですが。例えば……そう、お祭りなんかどうでしょう」

 わたしは徐ろに思いつきで言ってみましたが、その発言にアンジェが聞き返す。

「やるにしてもフィリアが許諾してくれるかわからないし、なにより何を祝うの?」

「んー……あっ、そういえばもうすぐでわたしとノエルさんが出会って10年目なんですよ!」

 アンジェは辟易とした溜め息を付く。

「そんなのあんたの家で勝手にやってなさいよ」

「そんなのとは何ですか。わたし達にとっては記念すべき節目なんですからね。でも二人きりでやるよりも大勢でやったほうが楽しいですしその時はみんなさんも招待しますね」

 と言ったものの返ってきた言葉はどれもあぁだの考えとくだの曖昧な返事ばかりでした。ですがシャルがふといいアイデアをつぶやいてくれました。

「でもまぁそうやって何かの記念日に大勢の人と集まって盛り上がるのは良いことよね。例えば誕生日とか」

 わたしは両手のひらをパチンと合わせる。

「そうです、誕生日ですよ! どうして今まで思いつかなかったんでしょう」

 シャルが首を傾げわたしに尋ねる。

「誕生日って誰の?」

「誰ってフィリアのですよ。みんなで彼女の誕生日を祝いましょうよ。ちょうど二十周年ですし、何でもいいから祝祭をしましょうよ」

 けれどシャルは「んー……でも」と芳しくない表情をするので、説得を心試してみる。

「これは大事なことですよ。フィリアを祝うためのものだけではなく、人とわたし達の関係を少しでも深めることための大切な行事でもあるんです」

 わたしが気合を入れ提案するとそれにアンジェは賛同の声を上げてくれました。

「まぁいいんじゃない。楽しそうだし交流の場を築くって名分でやりましょうよ。それに美味しいお酒も飲めそうだし」

「あなたは祝祭関係なく飲んでるじゃない」

 シャルが頭を抱えるように呆れる。

 そんな中、アラン所長もわたしの提案に乗ってくれました。

「まぁいいじゃないかな。今後の流れが変わる可能性があるのならば、やってみる価値はあると僕は思うよ」

 気が乗らないシャルにアラン所長がなだめ掛け、仕方がなさそうに彼女はため息をついた。。

「もう所長まで……。わかりました。ではユーフォリア自治区設立記念日の祝典として企画を進めていきます。民間事業から各エリアの自治体との連携を取り規模の拡大を図らなければなりません。短い期限で大変だとは思いますが、やるからにはなんとしてでも成功させましょう」

 思いつきの提案でしたが、シャルも半ば賛成してくれたようでよかったです。しかし続けてわたしを名指しして言う。

「それからルル! あなたが言い出したんですから、後日ちゃんとした企画書を提出してくださいね」

「えぇ~」とぼやくとシャルに鋭い目つきで睨まれる。

「えぇ~、じゃないの!」

「はーい」としょげた声音で渋々了承する。

 そんなわたしと剣幕を立てるシャルを見て、他の役員たちは笑う。

 笑顔に溢れた部屋。わたしはこんな人とヒュネクストが一緒に働き、笑い合える職場が愛しく本当に大好きです。

 三十年前、大崩壊カタストロフィの終焉の幕引きとともに、打って変わるようにマシンが社会を管理する時代が訪れました。ですがわたし達の関係は未だ良好とは言えるものではなく、両者の間には不信感や猜疑心によって出来た谷が隔てられておりました。それが今回の祝祭で少しでも両者の関係に、兆しを差し込んでくれるものになって欲しいとわたしはそう小さく願いました。

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