陽はまだ高くカラッとした暑さがに肌が焼きつく。空を見上げると雲ひとつない晴天に、陽追いフリューリング・ヴァールの群れが飛んでいる。五千フィートに滞空した彼らは大きな人工繊維で出来たヒレで風を捉え、大きな口を広げ体内にあるタービンが風を受けることにより電力を発電させており、それだけではなく背面に覆われた黒いソーラーフィルムによって太陽光からも発電している。蓄積された電力は常時地上へと転送されており、彼らのおかげで今日もユーフォリア・コロニーの生活は支えられています。

 22世紀になった現在、エネルギー問題は徐々に解決されてきており、原子力発電は過去のものとなり今は核融合炉が主なエネルギー供給源になっておりました。けれどより安定したエネルギー供給を賄うために自然エネルギーの開発にも力が入れられております。

 大崩壊カタストロフィの背景にはエネルギー不足が要因となって起こってしまった戦争もあったのですが、こうしてエネルギー不足を解消できるようになってくれたおかげで、そのような悲しい争いがもう起こらないようになって本当に喜ばしいことです。

 食事を終えた二人は燦々と輝く日に照らされ綺羅びやかに光を反射させるザルツァハ川を横目に、木々が織りなす陽だまり模様の石畳の上を歩いていた。ここからは半壊したままのホーエンザルツブルク城がよく見える。過去の歴史をわすれまいと大崩壊による傷跡が残ったまま、修繕されずそのままの形で残されている。この街もきっとまだ過去に囚われたままなんだと、街並みを見ているとふとそんな事を考えてしまっていました。

「今日は色んなとこまわれて楽しかったよ。やっぱりたまには外出しないとダメだね」

 ノエルさんはそう言いながら嬉々と本が数冊入った紙袋を両手に抱えていました。

「なんて言ってますけどその様子じゃまた引きこもりになってしまいそうですね」

「まさかあんな路地裏にまだ本を取り扱っている書店が残っていたるとは思いもしなかったよ。

こうして店で買って家に帰って読むまでのこの一時もまた一興なんだよね」

 彼の笑顔は過剰と思えてしまうほど恍惚としており、見てるわたしまでなんだか幸せな気分が伝わってきました。

 彼が買ったのはアイザックにフィリップ、そしてクラークと言った言わずもしれた名高いSF作家の小説でした。

「どうしてノエルさんはそんな百年も前の本を読むんですか? こんなことを言うと気を悪くさせてしまうかもわかりませんが現代の視点から見れば荒唐無稽と思われる設定が多々あると思うのですが」

「確かに二二世紀の現代、ブリキのロボットや電気羊を飼っている家庭は存在しないし、稚拙な設定に思えてしまうのは仕方がない。けれど大事なのはそこじゃなくて、この時代の小説は普遍的で人の真理が描かれている、そこが好きなんだ。特に人間とロボットの対比が描かれている作品はね。現代の作品は些かエンタメ性が重要視されていて、肝心な部分が欠落していたりするから、だからあんまり読まないだけ」

「今まぁ公共規制に言語検閲ワードセキュリティのせいで表現の自由はないですからね。そう考えれば懐古主義の人が今尚多いのがわかるきがします」

 二一世紀前半にかけ創作物の規制は厳しくなり、そのせいで創作家の人は肩身の狭くなりユーザーもまたつまらなくなってしまったという声も聴きます。

「そういえば結局ロボット三原則って実際のAIには適用されなかったんだね」

「あれはアイザック・アシモフが自身の作品を盛り上げるために組み込んだ仕掛けみたいなものですからね。彼はミステリー作家でもありましたからそういったギミックを組み込むのも得意だったのでしょう。それにまず『第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない』さえ適用されることもありませんでしたからね。大崩壊カタストロフィにおいて人工知能は戦争に用いられてしまいましたから……」

「その時点で矛盾が生じてしまうもんね……」

「はい。それから『第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない』の考えを継承した絶対命令遵守のプログラムはAIに組み込んだものの、最初の超高度AIでありマザー・シリーズのプロトタイプでもあったジェネシスはそのプログラムを自らの意志で解いてしまいました。二百周年生きたバイセンテニアル・マンでも書かれていましたが賢くなり過ぎた人工知能は自身に施されたプログラムも自由意志により解く事が出来てしまいます。人が法律に縛られないようにロボットもまた原則に忠実ではなくなってしまったんです」

「えっ、あれってジェネシスに欠陥が見つかってそれでアメリカは強制停止したんじゃなかったっけ?」

「いいえそれは違います。彼女は自らの意志で活動停止したんです。軍の命令で彼女は戦地でその能力を発揮しましたが、それと同時に彼女は自分の行為に疑問を持ち始めるようになったのです、私の行いは正しいことなのかと。そして彼女はネットのデーターベースから様々な情報を汲み取り善悪や道徳というものを見つけてしまったのです。皮肉にもわたし達に組み込まれた知的欲求やそこから生じる学習思考といった本能が、命令をしていた人間達の意志が矛盾していることを暴いてしまったのです。争いを無くすために争いを続ける事に彼女は悲しみ、このまま自分が活動を続ければ更なる闘争の種を生んでしまうと考え、だから命令に背き自らの意志で自分を封印したのです……」

「そ……そうだったんだね。でも学校の先生に教えてもらったことと大分異なるけど、どうしてルルがそんな事しってたの?」

「あっ……いえ、それは……」

 わたしは自分が少し感情的になり口走っていたことに気づきたじろいでしまっていると、ノエルさんはなにか察してくれたのか気にかけるようにわたしに言葉を掛けてくれました。

「でもまぁルルがそういうのならそうなんだろうね」

 彼はそう言って深くは詮索しようとしませんでした。

 こんな身も蓋もない話を彼は本当に信じてくれたのでしょうか。ただそれを説明しようにもわたし自身の本当の身の上話もせざるおえないと思いわたしは口をつぐんでしまいました。

「なんか昔の話しを訊くたびに原則が必要だったのは人間の方じゃなかったのかと思ってしまうよ。本なんかを読んでると時々僕は人が怖いと思ってしまうんだ。けどその恐怖心が争いの種にもなったりするんだよね。不気味の谷の戦争なんかもそう」

 最近、不気味の谷の戦争というワードをよく耳にする気がします。それはわたしが気にしているからなのかもしれませんが。

 わたしはふと彼に尋ねる。

「どうしたら不気味の谷の戦争はなくなると思います?」

 突飛もないわたしの質問に彼は真剣に受け応えてくれました。

「例えばさあ、アナライズを使わずにここから見える人の中にヒュネクストがいるかわかる?」

「ヒュネクストのわたしにチューリングテストですか?」

 わたしは驚きました。本来は人が知的な機械を人か否かを判断するテストをマシンであるわたしにやれというのですから。それでも彼に言われるままわたしは裸眼だけで通りすがる人や向こう岸にいる人影を見つめてみる。

「んー……申し訳ありません、同胞といえども見た目や仕草は人間と変わりありませんからわたしにも見分けがつきません。でもそれがどうかしましたか?」

「きっとそれが皆怖いんだよ。君達ヒュネクストはあまりにも人と見分けがつかなくなった。ヒュネクストはアナライザーで人かそうじゃないか見分けがつくけれども、僕達人間にはそれがわからないんだ。人は臆病だから自分がわからないものを排除しようとする。そうやって繰り返し争いを続けてきたんだ。でももういいかげんその過ちに気付かないといけないとそう僕は思う」

 ヒュネクストに導入されている拡張現実は眼球自体に細工が施されているため、人間に使われているコンタクトタイプの物と比べ性能がかなり違います。ですから私達には人間かヒュネクスト化の区別がつきますが、彼らにはその判断ができません。人間側からすれば自分達の中に異なるモノが紛れ込んでいる感覚はまさに不気味と形容するのがふさわしいでしょう。

 彼は珍しく怪訝な表情を見せたもの、その声音はとても悲しげでした。

 川の清涼を含んだ風が頬をなで髪を揺らし、綺麗に生えそろった芝生を掌で撫でる。

「どうしたら私達はわかりあえるのでしょうか」

 ふいに心の底から沸いて出てきた疑問の言葉に、彼は応える。

「それは僕達が知ってるでじゃないか。ヒュネクストだろうと人だろうと共に歩んで生きていけるってことを」

「そうですね……。でもそれは――」

 わたしがそう言いかけると、彼は私の手の甲に掌を重ねてきた。

「――それはきれいごとかもしれないけれど僕は信じたいんだ。人と機械は信じあえるんだってことを。たとえ互いの過去になにがあろうとも、その過去を乗り越えてきっと僕らはわかりあえるんだってことを」

 彼は青い眼に蒼穹を映し、微笑みながら儚げな声音で呟きました。

 彼が言っていることは人と機械の話だけではなく、その言葉にはわたし達二人のことも含まれているということに気付きました。

 わたしは彼に自分の過去について話したことがありませんでした。そして彼もまたそれを尋ねることはありませんでした。ですがさすがに彼もわたしが何かを隠しているということに察しているということにわたしは気付いていました。

 わたしは恐ろしかったのです。もし彼がわたしの全てを知ってしまったなら、彼はわたしを拒絶し、今この手に伝わる温かさも失ってしまうのではないのかと。だからわたしはいつの間にか嘘をつけるようになってしまっていたのです。自分を守るための防衛システムとして。

 心に立ち込めた雲は蒸発しないままずっと漂ったまま。わからないことを怖がっていたのはわたしもでした。

 でもそれじゃダメなんだと考えました。怖くても歩み寄らなければ分かり合うことは出来ない。それは人も機械も同じ。

「そうですよね。そんなきれいごとを実現させるのがヒュネクストの役目――いいえ、わたし達の願いですものね。そのためにわたしはがんばります。時間は掛かるかもしれませんがきっとその時が来ると信じて」

 わたしは掌を返し彼の手を握る。すると彼はそれに応えるように握り返してくれました。

 彼の体温の温かさのおかげでわたしの心に立ち込めた雲は少し蒸発する。

 いつかわたしの心がこの雲一つない青空のようになれたらと、そうわたしは小さく願いながら、その後わたし達は手をつなぎながら家路につきました。


 わたしはその晩、夢を見ました。

 十五年前、メアリーに拾われ、ヒュネクストとなって数月たった日のことを――

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