――ルル……ルル、起きて――



 誰かが私の名前を読んでいる。あの時嗅いだ匂いに似ている。

 あの人はあまりわたしの名前を呼んでくれなかった。製造番号を捩っただけの名前だと彼女は言っていましたが、それでもわたしは嬉しかった。

 そして最後にはちゃんと名前を呼んでくれた。

 その名前を――


「ルル、起きて。もう朝だよ!」

「めありー……?」

 瞼を開けると彼が心配そうな顔つきでわたしの顔を覗いていました。

「泣いてるのルル?」

「えっ……?」

 目を擦ると仄かに濡れていました。

「大丈夫?」

 彼がわたしの前髪を掻き分け顔を近づけてきて、そこでようやく目が覚めた。

「あっ……いえっなにもありませんよ。というか、あれっなんでノエルさんが……」

「なんでっていつもより起きるのが遅かったから起こしに来たんだよ」

 わたしは視野に時刻を表示させるともう七時半を過ぎていました。

「あぁ! すみません! 今直ぐ食事の支度をしますので!」

 慌ててベットから飛び出ようとしたが、ノエルさんがエプロンを着ているのに気付きました。

「もう作ってあるよ。今日はスクランブルエッグを作ってみたんだ。上手く出来たと思うからはやく食べにきてね」

「は、はい……」

 彼は笑顔でそう言って階段を降りて行きました。

 ふとダイアログの履歴を確認してみると記録整理の為の検証スキャンが行われていたらしい。それが睡眠時に過去のヴィジョンを見させるようです。それはさながら人の睡眠時に見る夢というものと似ているらしい。

 履歴の詳細を調べると初めの頃の記録をスキャニングしていたようでした。2103年の3月28日、わたしがヒュネクストになってからまだ一月しか立ってない頃。

 今でも目を瞑るとメアリーがいたあの頃の景色を思い出すことが出きる。そしてわたしのプロセッサーに残ったジェネシスが見た世界が時々フィードバックする。燃え盛る街に灰燼と化した人の跡、山積みになった死体の山に集る蛆や蝿、鉄の体だったからなにも感じませんでしたが、もしもあの頃のわたしに感覚器官が備わっていたのならば、硝煙の臭いと死臭で耐えられなかったでしょう。そしてもしもあの時に心があったならわたしは……わたしは一体どうなっていたのでしょうか。

 わたしの頭の中の地獄が時よりわたしの心を苦しめる。息がつまるような錯覚に陥り胸元で衣服をたぐり寄せるようにきつく手を握り、喉に詰まった嫌悪感を吐き出すように息を吐く。

 わたしはまだ彼に自分がウォーマシンだったことを告げれづにいました。決して嘘をついていたわけではないのですが、いつか言おうと先延ばしをしていたらいつの間にか十年もの月日が迫りこようとしていました。もし彼に真実を告げ嫌われたら、拒絶されたら、そう思うだけで私の頭の中の回路が焼き切れそうになるほど熱暴走を起こしてしまいます。おかしな話です。ヒュネクストは人の為に存在しているのに、わたしという概念は彼なしでは考えられないものになってしまっていました。それを愛と形容するのはあまりにもおこがましく、彼に依存しているのではないかとそう思うとひどく自分に嫌悪感を抱いてしまった。

 階段を降り洗面場に行って顔を注ぎ、鏡に写る自分の顔を見ると、まるで笑うことが出来なかったあの頃のわたしの表情をしていました。

 ふと指先で口角を持ち上げ笑顔を作ってみせる。

 あれから10年の月日が流れました。

 メアリー、わたしはちゃんと笑えるようになったでしょうか。わたしはちゃんと人のよき隣人になれたでしょうか。わたしは本当に愛を知ることができたのでしょうか。わたしはわたしになれたでしょうか。わたしの真実を知ってもはたして彼はわたしを受け入れてくれるでしょうか。

 きっとあなたに訊いてもあなたは意地悪だから教えてくれないでしょう。

 彼ならその答えを教えてくれるでしょうか。

 亜麻色の髪をゆるく編む。今はなきあの人の面影を自分に映すように。

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