散乱していた青果物を袋に詰めなおし、まだ体調が心配だったので彼女を自宅まで送ることにしました。

 レジテンツ広場を抜けザルツァハ川の下流にそって歩く。

「ごめんなさいね。わざわざ家まで送ってもらって」

「いいえ、お気になさらず。人のお役に立つことが好きなので。ねぇーノエルさん」

「ん、うん。まぁとくに用事もないしね」

 そっけなく相槌を返すノエルさん。そんなわたし達を見てかエリカさんは口に手を当て笑う。

「あらあら、まぁまぁ、デートのお邪魔しちゃったかしら」

「いや、そういうわけでは――」

「やっぱりそう見えます? なんだか照れちゃいますね、ノエルさん」

 彼の腕に抱きつくと恥ずかしがって逃げようとするノエルさん。

「まぁ可愛らしいカップルなこと。うふふ」

 そうこう談笑していると一件のお屋敷が観えてきました。赤い屋根に白い壁、このあたりではもう見ることもなくなった古い建築物。どうやらあそこがエリカさんの家らしいです。

「ありがとね。荷物まで運んでいただいて。少しでもお礼がしたいから家に入ってお茶でも飲んでいって。おいしいお菓子も出すから」

 断るのも悪い気がして、ここはお言葉に甘えて家に招かれることにしました。

 そういえば彼女のIOCを検出した時に名前を見た時にエストライヒというお名前だった気がするのですがつい最近同じ名前を聴いたことがあるような――と、ログを探しながら彼女を先導にリビングに行くとそこには見知った顔がいらっしゃいました。

「あなたー帰ってきたわよ」

「……うむ」

 エリカさんの呼びかけで振り向いたその初老の男性はわたしの存在に気付き、深いシワを寄せ鋭い目つきでこちら睨んでこられたので、身体に緊張が走り萎縮する。

「おっ……お久しぶりです、マクシミリアンさん」

 リビングのソファーで時代錯誤の紙媒体のニュースレポートを読んでいた男性は、人類保護団体HRWユーフォリア地区担当の元代表マクシミリアン・エストライヒ氏でした。

「あら、夫と面識があったの。さっきね帰りにちょっと息苦しくなって倒れそうになったところを、御二人に助けてもらったのよ」

 悠々とした口調で事の一連を話すエリカさんに、マクシミリアンさんは低い声音で咎める。

「だから早く診察に行けといったのだ。人様に迷惑までかけおって」

 強い口調で叱る彼に対し、彼女は口を突っぱねる。

「ならアナタが買い物に行ってくださったらよかったのに。毎日そうやって家にいられても邪魔なだけですから」

 と言って不貞腐れたエリカさんはプンスカとキッチンの方へと消えていきました。残されたわたしとのエルさんは場の息苦しさを感じながら突っ立っていると、マクシミリアンさんに座るように促され、彼の向かい側に置かれたソファーに対面する様に座りました。

 相変わらず朴訥で威圧感がにじみ出ておりこの人を前にすると緊張してしまいます。

「家人が世話になったようだな」

「いえ、偶々居合わせただけで、そんな大したことはしていません」

「して、隣りの少年は?」

 目を向けられ緊張しているのかノエルさんは背筋を伸ばして答える。

「あっ……自己紹介遅れました。ノエル・アルクイストというものです。ルルとは姉弟というかなんというか……大事な家族です」

「……そうか。まぁ今の御時世、ヒュネクストが家族でもなんら不思議ではない。それよりアルクイストと言ったかね。以前あった時にも気になったが、まさか君達はメアリー・アルクイストとは類縁だったりするのかね」

「はい、そうですが母をご存知なのですか?」

 驚きを隠しつつ尋ねると、彼は怪訝な顔つきで語る。

「ヒュネクストの母と言われたあの女を知らんものはこの地にはおらんだろう。彼女とはユーフォリア設立以前に少し対立関係にあってな。しかし、まぁまさかその娘とも討論するとは思わなんだ」

 物思いにふけ渋い顔で顎鬚を撫でる。彼の顔色を見るにあまりメアリーに対しいい印象を持っていなさそうでした。

 確かメアリーはユーフォリア設立以前に生統推進派として活動してもいたそうです。その時にマクシミリアン氏ともお会いしていたのでしょう。

「母がお世話になったようで。なにかご迷惑をお掛けしなかったでしょうか」

「なに、他愛無い会話を少ししただけの仲だ。まぁしばし汚い言葉を浴びせられたがな」

 やっぱり怒らせるようなことを言っていたんですね。まぁ、あの人のことだからそんなことだろうとは思っていましたが。

「あの女はわたしに、生統は必ず人類に福音をもたらすと豪語しておったが、あれから二十年たった今、世間はこの有様。やはり高度な文明は人類にはまだ早すぎたのだ。とは言え恥ずかしながらこの一連の騒動は私にも責任があるので、彼女に物言できる立場ではないがな」

 やはりカミーユさんを雇っていたことに責任感をかんじているから、こうして今は自宅で自粛しているのでしょう。彼の心境を察する。

 この事を話そうか迷いましたが報告してみることにしました。

「その……実は先日カミーユさんに用があってお会いしたんです」

 わたしが彼女の名を口にした瞬間、彼の目つきが変わった。

「彼女は元気でした。それはもう何事もなかったかのように……平然と。それでですね、わたしが彼女に何故テロなんて起こしたのか、と尋ねると彼女は真剣な眼差しで“人類の開放の為に”とおっしゃっていました」

「アレはひどくマシンが嫌いだったからな、人がマシンに支配される現状を憂いでおった。だがあのような行為に走る愚か者だったとは、な。まぁ奴の本性を見抜けなかった私にも落ち度はある。しかし人類の開放のために、か。その言葉の意味を理解できなくはないな」

 呆れた物言いをするわりには苦笑いしており、どこか安堵しているような印象を受けました。

「人がマシンに管理されるようになってから、確かに人の暮らしは豊かになったが、それと引き換えに人の威厳は皆無になってしまった。それは実に嘆かわしいことだ」

「ですがそれは致しかねのないことです。人が再び大崩壊カタストロフィを起こさせないためにも徹底した管理を築くことは必要でしたから。たとえそれが人道的ではなくても、人の世を守るためにはそうするしかなかったのです」

 彼の言いたいこともわからなくはありませんでした。生統が設立する以前までは、実質人類がこの地球の絶対的な管理者でした。しかし大崩壊という人災によりそれまでに確立されていた常識も秩序も失われたことにより、マシンが人類の代役として世界の管理を任されるようになりました。そう、そもそもは人々が願ってマシンに己の生命を委ねたのです。だからマシンはその願いに従順に全うしているに過ぎません。だから喩えマシンを暇如く想われる人々がいようが、わたし達は与えられた命題を果たさなければならないのです。

「人の過ちは常、だが神は許せどマシンは許さんか。確かに私達、人は愚かで、君達マシンは正しい。だからと言って喩え絶対的な正しさだとしても、それを押し付けようとすれば反発は必ず起こるものだ。大崩壊も然り、多くの国が自国のエゴを他国に押し付けようとした結果、世界は混沌の渦に誘われた。平和を求める願いが時に争いの種にもなるのだよ」

 感傷にひたるように瞼を閉じて語る御老体。彼の言葉には重みがあった。わたしよりも遥かに長い年月を生きている彼だからこそ、この世界の悲しい理を嫌というほど理解しているのでしょう。顔に刻み込まれた深い皺と、軍人時代に作ったであろう痛痛しい傷跡が彼の言葉の重みを物語っている。

 沈黙の中、沈んだ声でノエルさんが零れ落とすように呟きました。

「みんなただ笑って暮らしていたいだけなのに、どうしてわかりあえないのだろう。願いは同じなのに争い合うなんて、そんなの悲しいすぎるよ……」

 顔を俯かせ悲痛な思いを語るノエルさん。若すぎる彼には重たすぎる話をしてしまいました。

 そんな彼を見かねてかマクシミリアンさんがノエルさんの目を見ながら語りかけました。

「君達が生まれる遥か前、私が生まれる前よりこの地では人々が争い合い、豊かさを求め奪い合い、また国家の思想に相応しくない存在を排除するため虐殺ホロコーストもという忌まわしい行為が行われた。だが、時には契りを結び、寄り添い合ってその度に幾度と無く歪な合併アンシュルスが行われてきた。いつの時代も人々の声が地図を変えてきた。それは今とて変わりない。小さな声は大きな声でかき消されるが、だからと言って閉口してしまってはならん。君が今を憂うなら、その心を大切にしたまえ。小さな声でもそれがいつか大きな事を動かすやもしれん」

 御老体は若人に訓示を与える。ノエルさんは黙ってその言葉に頷きました。

 ノエルさんが生まれる少し前まで、この辺り一帯は火の海になるほどの戦火に見舞われておりましたが、けれど人とマシンが手を取り合いこの数十年間で復興を成し遂げました。それは紛れも無く人々の願いの声があったから成し遂げられたものです。わたしはフィリアが言っていた人の恐ろしさよりも、そんな人の善意の可能性を信じたいと彼の言葉を聞いて改めて思わされました。

 天気の良い昼間から御老体と若人が大層な話をしていると、先程まで不貞腐れてキッチンに引っ込んでいったエリカさんがお茶菓子を持って出てきました。

「あら、なにをお話していたの? こんな老いぼれの話なんか聴いてても何も面白いことないでしょ。それよりお菓子どう? 丁度残っていたからよかったらどうぞ」

 暗雲が立ち込めたような空気を彼女の陽気な声が晴らしてくれました。

 テーブルには人数分の綺麗にチョコレートでコーティングされたザッハトルテとお茶が置かれる。

「あっ、コレとなり町にあるちょっとお高めのケーキ屋さんのやつですよね」

「よくわかったわね。ここのはどれも美味しくて、もう他の店で買わなくなっちゃって、少し遠いけどわざわざ買いに行っているのよ」

 エリカさんは旦那のマクシミリアさんの隣に座り、すっかり会話の主導権は彼女に移っていました。先程まで雄弁だったマクシミリアさんは再び朴訥に戻り、黙々とケーキを食べていました。

「最近はねぇ、どこのお店も祝典だからセールをしていてお得なのよ。それでね、ついつい買いすぎちゃってこの人に怒られたりしたんだけどね。ふふふっ」

 六十のお歳を越えている方とは思えないほど愛らしい態度で場が和む。

「もうそろそろ祝典の日ね。楽しみだわー。なにかごちそうでも作ろうかしらねぇ、貴方」

 と嬉々と話すエリカさんの言葉に旦那さんは素っ気なく「うむ」と返すだけでした。

「エリカさんは祝典を楽しみにしてらっしゃるんですね」

「えぇ、だって素晴らしいことじゃない。二十年前には街がここまで復興するだなんて思ってなかったもの。それをみんなと祝えるだなんてとてもうれしいことよ」

 ポンッと両手を合わし本当に嬉しそうにそうおっしゃるエリカさん。彼女の笑顔を見ていると企画して本当によかったと思えました。ですが、それでもわたしの心のなかには、まだ一抹の不安がありました。

「でもこんな世間が不安定なときに祝典なんてやっていていいのでしょうか。二十年経った今でもまだ人とマシンの関係はいいとは言い切れません。わたし達はこの先もうまくやっていけるのでしょうか……」

 人とマシン。異なりすぎる存在故に、両者の間には大きな谷があり、その谷を更に裂くように一連のテロ騒動が起こりました。そして谷淵に潜んだ互いに対する拒絶や恐怖をわたしは垣間見ました。人が生統に対する支配体制への不満、マザー・フィリアの人に対する不信感、そして生統ユニメント国家ガバメントとの未だ収まること対立関係。わたし達の未来は深刻な問題が積もりに積もっていました。

 けれどそんな不安など全く感じさせない様子でエリカさんは、わたしとノエルさんを見て笑って言ってのけました。

「なにいってるのよ。そんなのあなた達のような二人がいるんだから、大丈夫に決まってるじゃない」

 わたしとノエルさんは互いに顔を見合わせる。

 その笑顔と言葉になんら根拠も信憑性もないのに、不思議と心強く感じました。もとよりわたしだってそんな根拠の無い希望を以前まで胸に抱いていましたね。

 自然に口角が上がる。

「そうですよね……。きっとわたし達はわかりあえるって信じても良いんですよね。わたしとノエルさんがそう出来たように、みんなもきっといつか」

 自分の言葉に確信なんてありませんでした。けれどノエルさんがわたしの言葉に賛同してくれるように手を重ね、わたしの根拠の無い綺麗事に意味を与えてくれました。

 そして驚くことにマクシミリアンさんが肯定的な意見をつぶやく。

「そうだ。君達のような若者は迷わず歩んでいけばいい。道を作るのは我々大人がすべきことだ。今はまだ軋轢はあるが、ぶつかり合い続ければ次第に角が取れ、いずれ人とマシンの良き未来が訪れるだろう」

 唖然として口を手で隠す。

「意外です。マクシミリアンさんがそんな事を言うなんて……」

 うっかり心の声を口にしてしまうと、鋭い目でギロリと睨まれる。

「失敬な。私はもとより生統の支配体制が気に食わんだけで、マシンを嫌っているわけではない」

「そ……そうだったんですね。すみません。てっきり嫌いなんだと思っていました」

 そりゃそんな怖い目で見られたら嫌われてると思ってしまいますよ、とはさすがに言えませんでしたが、彼がマシン嫌いではなかったことには驚きです。

 彼は継ぎ足すように続いて話します。

「君達ヒュネクストは人を知るための仲介役として作られた存在だが、人にとって君達は自分達人間を知るための鏡だ。そして世間が混乱している今この時こそ、互いを知り自分達を見つめなおす好機だ。今、我々は分水嶺に立っている。融和への道にたどり着けるかは、今どうすべきかを一人一人が考えなければならない。私はそう考えている」

 そう力強い声音で彼は弁舌しました。彼の仰る通り世間が揺らいでいるのはカミーユさんが率いたデラシネアリズムというテロリストのせいなのですが、その程度で信頼関係が揺らいでしまうのは、わたし達の互いに対する認識のなさ故なのです。そう、わたし達はまだ共存の道にすら立っていないのです。

 困難に立ち会ったなら手をつなぎましょう。

 困ったときは助け合いましょう。

 わからなければわかるまで話し合いましょう。

 どうしようもなくこれっぽっちなことですが、今わたし達がしなければならないことは互いを信じ、赦し、愛しあうことなのです。

 わたしはマクシミリアンさんのちょっと怖い目を合わせて、なんの根拠もないのですが堂々と宣言します。

「大丈夫ですよ、きっと。わたし達は傷つけ合うために出会ったんじゃなく、共に生きるために出会ったんです。そりゃたまには喧嘩もすることもあれば、怖くなって遠ざかってしまうこともあるでしょう。けれどそれは相手を知りたいと思うから、心が惹かれるから反発もしてしまうのです。でも大丈夫です。この出会いに間違いはなかったとそうわたしは信じます」

 マクシミリアンさんはふーっと浅い溜息をつく。

「ヒュネクストと言えど、母親には似るものなのだな。なら今一度その言葉をわたしも信じてみようか」

 心做しか彼が微笑んだように見えました。

 マクシミリアンさんと初めて出会った時は、あまり良い印象をもてませんでしたが、こうしてじっくり話し合ってみると存外わかりあえるものなのです。たとえ異なる考えを持っていても、誰しも平和や幸福に暮らすのを願っているのですから、どこかで共有できる考えを持っており折り合いは付くものなのです。

「今日はお話出来て良かったです。なんだか今まで悩んでいたことも、お陰様で踏ん切りがつきました。これでいい祝典を過ごせそうです」

 そろそろお時間なのでソファーから立ち上がり御暇しようとすると、エリカさんが見送りの声をかける。

「そう、こんな老いぼれでも役に立ててよかったわ。この人も暇してたし、いい話し相手になってくれて今日はありがとね。それに助けても頂いて」

「いいえ、人助けはヒュネクストの本懐ですので。それじゃノエルさん、御暇しましょうか」

 そう告げてわたし達はエリカさんに手を振って見送っていただき、再び無愛想な感じで新聞を読み始めるマクシミリアンさんに一礼をしてから家を出ました。

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