file:namber=06 title:Our mind is on the map.

 西暦2118年10月3日。

 ユーフォリアは今日も今日とて蒼天。10月に入り最近はかなり肌寒くなって衣替えの季節。雲は上空高くすっかり秋の空になって、薄っすらと白い月が見える。

 二二世紀になってようやく百年以上の時を経て、人類は二度目の月面に着陸し、居住区の設置に成功しました。一方、火星へのテラ・フォーミングはまだまだといった具合でロボットによる火星調査が今も継続して行われております。

 技術の進化はまさに日進月歩。シンギュラリティの様な飛躍的な大発展は極稀ですが、それでも着々と人類の暮らしは格段に進歩しております。人類の歴史をなぞって見てみると、それはそれは思わず息を呑み、驚愕してしまうほどの発展速度で文明が進化しています。一体、人類はどこまで進化しようとしているのでしょうか。期待心もありますがどこか畏怖の念も覚えてしまいます。

 そんな思いにふけつつ空を仰ぎ見上げておりました。

 息を吸って、頬を撫でる涼風に吹かれ、秋の訪れを実感する。

 確かノエルさんと初めてお会いしたのもこんな寒空の日でした。

 あれからもう十年も経つのですね。長かったような短かったような。彼との暮らしを記録したログのデータ量もかなりのものです。

 あの時のわたしはまだヒュネクストになって一年も満たなく、メアリーに引き取られたノエルさんも当時は五歳で、両者ともにコミュニケーション能力が非情に乏しく、打ち解けれるようになったのはメアリーの死後、一年くらい過ぎた頃でした。はじめは互いを監察するように見るだけの関係で全く会話もなく、ただそれだけで一年の月日が流れてしまい、その後も会話といえる会話もなく、突然メアリーがいなくなってしまってからちゃんとした会話をするようになりました。彼と二人で暮らしはじめた頃は本当に何もかもわからないことが多く、時おり隣人のクリスタに面倒を見てもらっていました。そんなこんなで互いを知るまでに十年もかかってしまいました。

 とても長かった。けれど彼と過ごした日々は甘くもあり、時には苦く、そして甘酸っぱく愛しい日々でもありました。

 これからのことはわかりません。けれどきっとそれらもわたしにとって愛しい思い出になってくれるとそう確信しております。だってわたしのそばにはノエルさんが居てくれるから。

 などとのろけている場合ではありませんでした。

 今日は大事な日、早々と朝の日課を終えて、庭からリビングに戻ると、なにやらキッチンのほうが騒々しい。

「もーなんでアンタはそう動きがトロいのよ」

「うるさいわね! こういうのは慎重にしないと駄目なのよ。――あーもうアンジェが余計なこと言うから2g多く入っちゃったじゃないの!」

 キッチンを覗くと砂糖の分量を慎重に計るクリスタと、それを急かすアンジェが騒いでいました。服や顔に薄力粉を付けて苦戦を強いられている様子。二人は今、ケーキ作りをしている途中なのですか、どうやら苦戦しているようであまり進捗はよくなさそうです。

 そんな二人をキッチンの隅でクリスタが渋い顔をして見守っていたので、塩梅の程を尋ねてみる。

「クリスタ、どうです? 二人の様子は」

「見ての通りよ。ヒュネクストってもっとこうテキパキ出来るもんじゃないの? どうしてこんな要領が悪いのかしら」

 頭を振って呆れて溜息をつくクリスタ。

「仕方ないですよ。器用さには個人差がありますからね。それにクリスタも料理はその人の個性が出るって言ってたじゃないですか。――にしても二人ったらあんなに汚れちゃって――クスクス……」

 などと笑っていると頭に軽く手刀が降りる。

「貴方も人のこと笑えないでしょ。最初は殆ど調理もせずに生物ばっかで、ちゃんと作るようになったかと思いきや、次は栄養バランスを重視しすぎてサプリメントの詰め合わせみたいな物作ったりして、料理以前の問題よ」

「はははっ……そんなこともありましたね。お恥ずかしい……」

 恥ずかしい過去を思い出し思わず乾いた笑いが出てしまいました。

 普段料理をしない二人にクリスタに教授をお願いしていたのですが、すっかりお手上げ状態のよう。

「はいはい、あなた達もう一度最初から作り直しましょう。そんなんじゃ夜までに作り終わらないわよ」

 クリスタは手を叩き合わせ二人に指示すると二人そろって――

「ですがアンジェが――」

「だってシャルが――」

 と息を合わせたのように言い訳をし始める。

 クリスタを前にすると普段大人びて見える二人がなんだか幼い子のように思えました。一児の母ということもあってやはりクリスタには母性のようなものがあるのでしょう。

 そうして再びシャルとアンジェはクリスタの指導のもとケーキつくりを再開しました。

 一方、リビングのソファーに座っていたノエルさんとメリッサが、ギムナジウムの卒業試験に向けて勉強をしておりました。どうやら数学の勉強をしているようですが、メリッサは頭を抱えうーんと唸っている。

「こことここ、間違ってますよ」

 わたしはソファーの裏手側から二人が広げたタブレットを覗いて指摘しました。

「あっ本当だ……すごいね。一瞬でわかるなんて」

 と感心するメリッサに対しノエルさんは野暮なことを言う。

「そらだってヒュネクストなんだし、計算なんて一瞬でできるよ」

「あーそっか。でもなんかそれってズルいね」

 さらにメリッサまで辛辣な事を言い始めましたので、咄嗟に否定する。

「そっ……そんなことないですよ。いくらヒュネクストだってさすがにわからないこともありますよ。フェルマーの最終定理やマクスウェルの方程式とか」

 ヒュネクストといえど計算はそれこそよく出来た計算機程度の性能しか無く、証明や予想問題は苦手だったりします。まぁ数学といえど、もはや哲学どころか超越的な概念の問題すらあり、そう言った難問はマシンでも苦戦を強いられます。とは言えマシンが未解明だった数式を解いた事象はいくつかあったりするのも事実。

 けれど言い訳するもノエルさんに苦言を呈される。

「そういうのはわからなくていいんだよ……けどさぁ、数学はできても歴史とかはどうなの?」

「んーそうですね。ネットワークに接続すれば大抵のことはわかりますよ」

「それは別にヒュネクストじゃなくてもネットに繋げば誰でもわかるよね」

「うぅーそっ、それはご尤もです」

 至極真っ当な反論をされ、思わず狼狽する。

「ルルも一緒に勉強した方がいいんじゃないの?」

 といたずら笑ってにからかうノエルさん。そんな彼を見てか、メリッサはどこか不満気に口を突っぱねて言う。

「やっぱ、ヒュネクストってズルい」

 そんなやり取りをしつつ二人の勉強を見ていると、クリスタが歩み寄ってきました。

「ケーキつくりは順調ですか?」

「んーまぁそれなりには出来てきてるんじゃないかしら。それよりあなた大丈夫なの。もうそろそろ家出ないといけないんじゃなかったの」

「そうですね。それじゃ行ってきます。家の事をお願いsてもよろしいでしょうか」

「えぇ、気をつけていってらしゃい。帰ってくる頃には準備もできてるはずだから」

 家の事はクリスタに任せて、わたしは家をでることにしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る