ⅲ
ということでわたし達三人はカテドラルから出て、わたしの家へと向かい電車に乗り込みました。フィリアは外の世界に興味津々のようで席に向かい合うように膝を乗せ車窓から外の景色を眺めている。
「どうですか? 人の視点から見る街の景色は」
「はい、いつも景観カメラから街の様子を見ておりましたが、人の視点から見る景色はまた異なるのですね」
街の風景を珍しそうに眺める様は人の子供のそれでした。わたし達にとって新たな情報の獲得は至福。それはフィリアとて同じのようです。
「こうしてただ街並みを傍観しているだけで、新たな情報が更新されます。人の営み、人の表情、特に人の笑顔を見ていると、何と言えばいいでしょうか――そう、貴方の言葉で形容するなら“愛しい”でしょうか」
彼女は今、わたしの感性を模範して価値基準を評価しているため、彼女の瞳に映る景色はわたしと同じ風景に見えているはず。わたしがどうして彼女に素体を提供したのかというと、それは人がどのような暮らしをして、どういった時に幸福を感じるのか、それを知って欲しかったからです。きっと今までのフィリアなら通り過ぎる一人一人の機微などに目もくれなかったでしょうが、ALMAを持って人と同じ思考を持てるようになった今の彼女には、きっと人々の笑顔がいつもと違って見えているはずです。
彼女とともに通り過ぎゆく街並みを感傷深く眺める。
「こうして人々が笑って平穏に過ごしていられるのも、フィリアが頑張ってくれているお陰ですね。なので今日は休暇だと思って存分に楽しんでいただきたいのです」
「まだALMAの学習経験値が乏しく感受性が弱いですが、楽しめるように励みます」
堅い言い回しで返す彼女が、今日のパーティで少しでも人の楽しみというものを知ってくれればなと想いながら、電車に揺られながら街へと降りて行きました。
家の最寄り駅に到着し電車を降りてわたしの家へと向かって歩いている時も、フィリアは街の景色に興味津々のようでキョロキョロと見渡しながら、わたしの手に引かれながら歩く。
アルクイスト家の門前に到着するとエミール先生が懐かしむように口を開きました。
「この家に来るのは久しぶりだな」
「先生は家にいらっしゃったことがあるんですね」
「あぁよく来ていたよ。まだあいつも私も若かった頃だ。昔は私もカテドラルに勤務していたから、よく仕事終わりにこの家で愚痴ったり研究について語り合っていたものだ。あの頃がわたし達の青春だったな」
先生は思い出にひたるように微笑む。二人がカテドラルにいた頃、つまりユーフォリア・コロニー設立して間もない頃の話。当時はまだ戦後で世界が混沌としていた時代のはずですが、彼女たちには希望の未来が見えていたから、そしてそれを実現することが出来ると信じていたからこそ、彼女らにとってはそんな混沌とした時代でも人生を謳歌できたのでしょう。
「それじゃお二人共中にどうぞ」
そう言って玄関の扉を開き二人を招き入れると、クリスタが出迎えてくれました。
「おかえり、ルル。そちら様がお呼びしたかったって言うお客様?」
「えぇ、こちらはメアリーの旧友のエミール先生です。メアリーとともにヒュネクスト開発をしていたすごい人なんですよ」
「あら、そうなんですか。これはこれはメアリーさんの旧友とあれば、もう少し立派なおもてなしをしたかったわ。どうして言わなかったのよ」
わたしを咎めるクリスタに、先生がなだめるように諭す。
「いえ、お気使いなく。私なんてあいつの影に隠れてしまうほどのしがない者ですよ」
「ご謙遜を。確かにメアリーさんはヒュネクストの母やユーフォリアの英雄とは言われていますが、それも周りにエミールさんのような支えてくれる方がいらっしゃったからですよ」
「そう言っていただけると励みになります」
確かにメアリーは天才でしたが、だからと言って一人で何もかも出来たわけではありません。むしろ出来ることの方が少なかったと思います。あの人は何でもかんでも突っ走ってしまう性格だったので、側に冷静なエミール先生がいてくれて本当に良かったと思います。
やはりどんな偉大な人でも、独りでは生きていけないのです。それはヒュネクストでもマシンでも同じだと思います。マシンも人間がいなければその役目を全うできませんから。
「それでそちらの小さなお嬢さんは?」
クリスタはフィリアを見てわたしに尋ねてきたので、正直に言う。
「彼女はフィリアです」
「フィリア……そう、フィリアちゃんっていうのね。エミールさんの娘さんですか?」
そうクリスタに尋ねられた先生は困った顔でフィリアを見下げながら歯切れの悪い言葉で返す。
「まぁわたしもこいつの開発に携わったわけだから娘とも言えるかもしれんが、なんというかその表現は適してないというか……」
はっきりしない言葉にクリスタが首を傾げていると、わたし達の声に誘われてか玄関の奥からシャルとアンジェが顔を見せると、それに気付いたエミール先生が声をかける。
「おー二人共。久しぶりだな。――どうした、なんか顔汚れているぞ」
二人はケーキつくりをしていたせいか顔に粉やクリームが付いている。先生に指摘されたにも関わらず、それよりも二人は彼女がここにいることに驚いている様子でした。
「エミール先生? どうしてここに」
「まぁ、ちょっと成り行きでルルに招かれた」
アンジェに問われた先生はそう答える。先生のすごいところは自分が手掛けたヒュネクストは数万を超えるのにもかかわらず、全ての個体の名前を覚えており、さらにその後の動向も知っていることです。身体はサイボーグですが脳は人間の先生が、それほどの記憶力があることに驚きです。
一方シャルはフィリアに気になっているようで、フィリアの目線に合わせるようにしゃがみ、彼女の頭を撫でる。実はシャルはかなりの可愛いもの好きだったりするのです。
「あらー、なんて可愛らしい子。ルルにこんな小さなお知り合いがいたなんて。この子はどちらさまで?」
「あっ、シャル。その方は、フィリアです」
彼女にそう教えると、キョトンとした目を丸くする。
「フィリア……? えーっと、聞き覚えのある名前だけど同じ名前なんてよくあるわよね。あれ? でもこの子ヒュネクスト……?」
まさかそんな、と言わんばかりのシャルにフィリアが自ら話しかける。
「おはようございます、シャルロッテ。こうして見ると貴方はとても背が高いですね」
フィリアの声を聴いた瞬間、シャルは彼女の頭を撫でていた手を跳ね除けて後ろに仰け反る。
「ほ、本当にフィリアなんですか。どうしてフィリアがヒュネクストに。そ、それよりどうしてここにいるのよ!」
「だって今日は設立記念日だし、フィリアの誕生日なのですよ。主役をお呼びしなければならないじゃないですか。そのために素体は先生に用意してもらったんですよ」
「だからってそんな理由で連れ出して、フィリアはそれを許したんですか」
「はい。業務に支障が出るわけでもないですし、せっかくのご厚意を断るわけにもいきませんでしたから」
「んー、フィリアがそう言うなら……」
相変わらずシャルは生真面目なようで、現状を飲み込めていないようで同様しており、一方アンジェは笑っていました。
「アンタはホント面白いことしてくれるわね。マザーを連れ出してくるなんて誰も思いつかないし、それを実行出来ないわよ」
「わたしはただ今日をみんなと祝福したかっただけですよ。だからなにもたいそれたことはしていません」
「べつに褒めてなんかないわよ。呆れるほどのお人好しだと思っただけよ」
アンジェはそう言って意地悪そうに笑いました。
立ち話もほどほどにリビングへ入ると、ウィリアムとアラン所長が来訪してらっしゃいました。二人はソファーに座りくつろいでいる様子で、アンジェが持参してきたお酒をすでに開け、すでにほろ酔いしていました。
「ようルル。邪魔してるぜ」
「すまないね。こんな老いぼれまで呼んでいただいて」
「お二人共楽しんでいただくのは結構ですが、子供もいるのでお酒は程々にしといてくださいね」
思いますが念のため忠告するとわかったのかわかってないかわからない曖昧な返事を返してきた。多分、大丈夫じゃなさそうですね……
さてさて人も揃ったところでパーティの始まりです。
いつもノエルさんと二人っきりで食事をしているマホガニーの大きなテーブルには9つも椅子が用意されて、テーブルの上には様々な種類のソーセージとポテトがたんまり盛りつけられた皿や、長時間香辛料などと一緒に煮こまれた豚肉のアイスバイン、そしてアンジェとシャルが苦戦しながら作っていたベリー系の果実と生クリームい飾られたケーキが並べられている。わたしがフィリアを連れてくるために出かけていた間、クリスタを筆頭にアンジェとシャルがパーティ用の料理を用意してくださっていたのです。
本日の主役のフィリアをテーブルの真ん中の席に座らせ、わたしは彼女の席の隣りに座る。
皆が席に座りグラスを持ったところでシャルがわたしに話しかけてきました。
「それじゃ、ここは主催者のルルに祝杯の挨拶をしてもらいましょうか」
「えっ、こういうのはシャルの役目なんじゃ。まぁ仕方ないですね。こういうのは苦手ですが。えーっと、それでは……」
わたしは席を立ち、コホンと咳払いをして改まって言う。
「今日という日に至るまで様々なことがありました。その昔、世界は悲しみに満ち、多くの人が大切な人をなくし、みんな泣いていました。けれど人々はそれでも絶望せず、マザーという新たな世界の管理者を生み出し、
『かんぱーい』
グラスとグラスが重なりあった音がリビングに響く。
大人たちはワインやビールなど各々好きなお酒お注ぎ、子どもたちはジュースを飲んでいました。わたしも熱にお酒を飲めないことはないですが、好きじゃないのでやめておきました。でも、こういう時くらいは飲んでみたいなと少し思ってしまうのでした。
談笑は暫らく続き、笑い声はとどまることがありませんでした。アルクイスト家にこんなにも多くの来客を招いたのは初めてで、いつもノエルさんと二人っきりで囲う食卓とは違い、賑やかで、それでいてたくさんの幸せに包まれており、お腹も至福も満たされるのでした。わたしのALMAに新たな幸せの食卓の定義が更新されました。
皆がお皿から食べたい物を小皿に移して食べているにもかかわらず、フィリアだけは椅子にチョコンと座ってただ食べて談笑する皆のことを見ていました。
「どうしたのですかフィリア。食べないのです?」
「摂食の必要性がないため食べないだけです。それともこう言うシチュエーションの場合は、同調意識に従って周りの人と同じ様に食事をとったほうが良いのでしょうか?」
朴訥な言い回しで尋ねるフィリア。確かにそうといえばそうなのですが、もう少しいい方というのがありまして――とと言いたくなる気持ちもありますが、彼女はまだ素体を動かして間も無く、対人コミュニケーション知識が乏しいのは仕方のないことです。
「いえ、ただ食べてみて欲しいのです。せっかく素体があるのに食事をしないなんてもったいないですよ。これシャルとアンジェも手伝って作ったのですよ」
「そうなのですか。では食べてみましょうか」
フィリアは数ある料理の中から切り分けられたケーキを一つ自分の小皿に移す。するとケーキを作っていたシャルとアンジェが、ゴクリと喉につばを走らせ彼女がケーキを食べる様子をうかがう。フィリアはまじまじと見つめられているのにもかかわらず、それを気に掛けずに、ケーキをフォークで小さく切り分け徐ろに口に運ぶ。
「どうです? フィリア?」
恐る恐るフィリアに尋ねるシャル。フィリアは無表情のまま淡々と感想を述べる。
「そうですね。評価をするなら普通ーーいえ、基準値をやや下回るくらいの出来栄えですかね」
フィリアは容赦なく辛辣な評価を下し、さすがにシャルも肩を落とす。
「しかしこういうのを素朴な味と言えるかもしれません。世間では家庭的な味というのでしょうか」
フィリアは気を使ったのかどうかわかりませんが、引き続きケーキを食べながら感想を述べました。すると二人は胸を撫で下ろし、アンジェはまんざらでもなさそうに喜ぶ。
「ま、まぁお菓子作りなんてなれたら簡単なものよ。次の休みの日にでもまた作ってみようかしら」
などとすっかり調子にのるアンジェ。そこまで言うならわたしも食べてみましょうか。
もぐもぐ。んー。
「見た目はいいですけど、生地がちゃんと混ざってないですし若干焼き過ぎちゃってますね」
とコメントするとシャルが溜息をつく。
「ルルは本当にいつも一言多いいのよね。そういえばアナタ、ノエルくんと喧嘩してたみたいね。どうりであの頃、様子が変だったわけね。どうせルルが余計なことでも言ったんでしょ」
わたしは思わず咽る。
「どうしてそのことを知っているんですか!」
尋ねるとアンジェが補足してきた。
「ルルがでかけてる間に坊っちゃんに聞いたのよ。ようは痴話喧嘩でしょ。アンタもなんだかんだやることはやってるのね」
何を考えてるかわかりませんがアンジェがニヤついてこちらを見ている。
「もーノエルさん。なにを言ったんですか」
「べ、べつに変なことはなにも言ってないよ。アノ事とか……」
ノエルさんは動揺のあまり、余計なことを口走ってしまう。すると彼の隣の席にいたメリッサがジトーとした目つきで彼を見る。
「なによアノ事って。ふけつ……」
「なっ、なに言ってんだよメリッサ! 誤解だから! 勘違いしないで!」
必死に取り繕うノエルさんをアンジェは微笑ましく、と言うより毒蛇のような眼差しで「かわいいわね」とつぶやく。そしてすっかり出来上がったウィルがノエルさんに絡む。
「おう、坊主。男ってのはな、若い内にやることやっとくもんだぞ。ハハハッ」
完全に悪酔いしたウィルにわたしは釘を刺す。
「ウィルは子供の教育によくないので黙っててください」
「そうよ。ノエルくんはこんな大人になったらダメよ」
とシャルにも釘を刺されると、ウィルは「そりゃねぇよ」とわざとらしく嘆く。
こんななんでもないような団欒にリビングは笑いに包まれる。
幸福は笑顔の数だけより豊かになる。それはとても単純な計算ですが、その一つ一つの幸福にはそれぞれのプロセスがあり、嬉しいことや楽しいこと、そして時には悲しいことや辛いことを経て幸福は形成されているのです。それはさながらメビウスの輪。今、此処にある幸福も様々な歓喜や悲嘆が折り重なって出来た賜物なのです。
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