ⅶ
メリッサを見送り届けたわたしは彼女の家の隣にある我が家へと帰宅した。
帰りが遅かったので少し急いで晩御飯を作らなければなりませんが、こんな時も手を抜かずちゃんと愛をこめて作ります。まぁわたしがここまで頑なに手料理にこだわるのはメアリーのせいかもしれませんね。彼女は自分で料理を作れないくせに、作るわたしにはやたら厳しく我儘な注文ばかりしてきました。それに比べてノエルさんはどんな料理も美味しいと言って食べてくれますけれど、彼はあまり注文してくれないので少し物足りなさを感じてしまいます。なんて思ってしまうわたしはメアリーと変わらず我儘ですね。
さてさて時間もないわけですし今日はお手軽なポトフでも作りましょうか。この料理は簡単なのでメアリーにも作れましたし教えてもいただきましたね。
料理には人それぞれに記憶や思い出が紐付けられていますが、料理自体にも様々なメタヒストリーが含まれれています。例えば今皮を剥いているこのジャガイモをデータベースに検索を掛けるだけで、豊富な種類に多種多様な調理法、そして長きにわたる歴史の中には戦争までもが関連付けられており、拡張現実に収まりきれない程の莫大な情報が流れこんでくる。
そしてこのソーセージには人の叡智がつめ込まれています。挽いた獣肉を羊や豚の腸に詰め込むという残虐的とも思える発想には驚かされます。カテドラルの天井画を描いたヒュネクストなど発発想に長けた個体はいれど極少数で、マシンが進化した現代においても未だ発明は人の専売特許です。
これらの他にニンジンや玉ねぎにトマトを一つの鍋に入れ、調味料で味を整えれば完成です。手抜きではないですよ、素材の味を存分に引き出すにはこれが一番なのです。
出来た品をテーブルに並べる。
「すいませんノエルさん、帰るのが遅れてしまって」
「今日は仕事忙しかったの?」
「仕事はいつも通り忙しいかったですが定時にあがったのですが、帰りに偶然――と彼女はおっしゃってましたが――メリッサに出会って、一緒に寄り道しながら帰ってたら遅くなってしまいました」
「珍しいね、ルルとメリッサが一緒だなんて」
そういってスプーンでスープを掬い、口に運ぶノエルさん。このポトフにもトマトは入ってますが嫌がる様子もなく食べてくれます。どうやら生のトマトは苦手らしいのですね。
「なんかですね、ノエルさんのこと好きなの? って訊かれました」
それを訊いたノエルさんはスープが器官に入ったのか咽ながら手で口を覆う。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「メッリサのやつ、余計なこと言って。――それで……ルルはなんて答えたの」
ノエルさんは顔を俯むかせながらスプーンを持った手を止め、わたしにそう尋ねてきたので、メリッサに訊かれた時と同様に微笑みながら屈託のない声で答えました。
「当然、愛しています、って言いましたよ」
「そうだよね、ルルはそう答えるよね――うん、僕も愛してるよ、ルル」
彼は微笑み返してそう言ってくれましたが、その表情からは何処か仄暗さを感じました。まるで言葉と感情が一致していないかのように。
こんなにも長い時を共に過ごしているというのに、わたしは時々彼の心が見えなくなってしまうことがあります。もしもわたしが人間だったのであれば、彼が微かに放つ信号から心を理解できるのでしょうか。残念ながらそれを確かめる術はありません。
彼を愛しているのは確かなことですが、それ故彼の全てを知りたいと思う。けれどそれは許されないこと、なぜならわたしは彼にわたしの全てを話していないから。自分の事は知られたくないのに愛する人の事を知りたいというのは酷く疚しく……云うなれば下心というモノでしょうか。
その後二人はいつも通り他愛もない話で談笑した。ふたつの心の間にある隔たりを気付かないフリをして。
トマトをスプーンで潰すと赤い汁が黄金色のスープにとけだして、瞬く間に赤く染めて新しい味を生み出す。素材が混ざり合ったスープをスプーンで掬い、唇に運び喉元まで込み上がった真実と共に飲み込んだ。
今のわたし達は食卓と言う名の器に盛り付けられた食材。この料理を美味しく仕上げるにはふたつの食材のメタヒストリーを理解し、適切な調理をしなければなりません。ですがふたつの心は会話というスパイスとこの家に染み込んだ思い出に浸っただけでうまく溶け合ってません。
今はまだ塩っぱくて、それでいてほんのり苦いそんなスープ。
だからわたしは幸福のレシピを獲得するために人の心を、愛をもっと知りたいのです。
二人で笑いあいながら、混じりけのない美味しいスープを味わうために。
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