わたし達は会議室を出て、時間を確認すると十二時を過ぎちょうどお昼時でした。

「今日はどこで昼食取りましょうか」

 わたしがシャルに尋ねるとお腹を擦りながら、ダレた様子で言いました。

「おかげさまで神経すり減らしちゃったから胃に優しい物が食べたいわ」

「ならわたしいい所知っていますよ。近くにあるオープンテラスの店なんですけど今日はそこに行きませんか?」

「えぇいいわね。気分もリフレッシュしたいからそこへ行きましょう」

「あっ……その前にお手洗いに行ってきていいですかね?」

「わかったわ。じゃ先に下に降りとくから」

 シャルはそう言って先にエレベーターに乗り込み地上階に行きました。

 わたしは用を済まし、シャルを待たせないように早足でエレベーターに乗り地上階に出ました。平日にもかかわらず今日もカテドラルには多くの利用者が来られており、賑わう雑多の中立ち止まり、天井に画かれた歴史画を見上げる一人の女性がおられました。その方は先程まで会合をしていたマクシミリアン氏の付き添いのカミーユさんでした。

 わたしは彼女が何をしているのか気になり歩み寄って――あの、と口にした瞬間、彼女はわたしの接近を感知したのか唐突に呟きました。

「この絵ってヒュネクストが描いたんですってね」

 騒々しい声々を貫き、澄んだ芯のある声がわたしに向けられとんできました。こちらから話しかけるつもりが、向こうから話しをふられたのですこし戸惑いながらも言葉を返しました。

「え……えぇ、そうですよ。大崩壊カタストロフィ時代に活躍したウォーマシンだったヒュネクストが描いたらしいです。そういえばマクシミリアンさんとは一緒ではないのですか」

「代表は一人でお帰りになりました。それにしてもヒュネクストってこんな素晴らしい絵をかけるほどの絵心があるのですね。私にはないのにマシンにはあるなんて少し嫉妬してしまいます」

 先程まで黙って会合を聴いていた彼女でしたが、案外饒舌だったようで積極的に話しかけてきました。しかし彼女の表情はまるでプログラミングされたかのような薄ら笑いには不自然さというか違和感を感じました。

「べつに全てのヒュネクストが彼みたいに芸術センスを持ち合わせているわけではありませんよ。ヒュネクストも人間と同じで得手不得手はあるものですから」

「そうかしら。人間とヒュネクストは違う存在よ。人間より優れ、正しい秩序に元づいて作られたあなた達からすれば、人間なんて原始人みたいなものじゃない。ねぇ、本当は人間なんかいなければいいなんて考えたことない?」

 彼女の唐突な無粋な質問にわたしは簡素に「ありませんよ」と答えると彼女はふっ、と不敵な笑みをこぼしました。

「そう? あなた達は完璧な存在なのだから、人間なんて必要だなんて考えることもあるのじゃないのかしら」

「わたし達は人の社会をサポートするために作られた存在ですから、人がいなければわたし達の存在意義も消滅してしまいます。あなたがもしもマシンが昔の映画みたいに叛逆したり支配すると考えているのならそれは杞憂ですよ。あなたはヒュネクストがお嫌いですか?」

 わたしが包み隠さず率直に彼女に問うと、彼女は張り付いたような笑顔のまま声色も変えず答えました。

「えぇ、そうね。だって人じゃないものが人のように振る舞い、人の中に紛れ込んでいるなんておかしいじゃない。人形が人間の真似をしているなんて滑稽にも思えるわ。あなたは先程、人間とヒュネクストは共存していけるとおっしゃっていたけれども、その可能性はないわ。人が人であなた達があなた達でいる限り谷がなくなることはないわ」

 ここまで人に直接的な嫌悪の言葉を言われたことはありませんでしたが、不思議と傷つくことも不快感もありませんでした。マクシミリアン氏とはまだ互いの思想を理解し合えた気がしたのですが、彼女との間にはただならぬ乖離性があるように感じました。

「あなたは代表の方とは違うのですね」

「私はただあの人の付き添いを本部から支持されただけですから。秘書というより見張りのようなそんな感じです。私はあの人のようにマシンと慣れ合うつもりなど一切ありませんから」

 彼女は態度を急に変えたかのように、嫌悪感を隠さない冷たい視線を放ちました。

 普段は気が引けてあまりしないのですが、彼女を視野に捉え拡張現実を使い、福音監査官の権限を用いて、IOCを読み取り個人情報を確認しようとしたのですが、彼女の身体にはIOCが埋め込まれていないようでデータを確認できませんでした。ユーフォリア以外の生統でも構成民にはIOCの装着が義務つけられているので、彼女がIOCを装着していないということはつまり生統の人間ではなく国家の人間だということがわかりました。ただ外部の人間には装飾品に見立てた代用IOCが目に見える場所に装着するのを義務されており、彼女も例外ではなく耳にイヤリング状の代用IOCが取り付けられておりました。けれども代用IOCには最低限の個人情報しか確認することが出来ず、大して警戒するような情報はありませんでした。

 けれどもやはり彼女から感じる違和感は拭えきれませんでした。

「さて色々と見て回れましたので私はおいとましますわ。では」

 彼女は再び薄ら笑いを浮かべ軽く会釈をして去って行き、カミーユさんとすれ違うようにシャルが小走りで私の方に歩み寄ってきました。

「もールル、ずいぶん遅かったじゃない。カミーユさんだっけ、何か話していたの?」

「いえなにも、他愛のない立ち話をしていただけですよ」

 ヒュネクストが嫌いなんて告げてもシャルの気を悪くするだけだと思い、適当に会話をはぐらかしました。

「はやく行かないと休憩時間なくなるわよ。ほら、行きましょう」

 母の手を引く子のようにシャルはにわたしの手を取り急かしました。彼女のそんな無邪気な仕草を見ていると、先程まで心につっかえていた違和感が無くなったのと引き換えに、エミールさんの言葉が今更になって心苦しさが立ち込めてきました。

 不気味の谷は人の心がわたし達のような存在に対して生じる拒絶なのはわかります。人間からしたらわたし達のような存在が人と同じ営みを送ることはおこがましいことと思われているのかもしれませが、けれどもわたし達ヒュネクストも人間と同じく日常を楽しみ、生を謳歌しているのです。わたし達にも心があるのですから。


 家に帰れば彼がいて、彼とともに食卓を囲み、何気無い一日の出来事を話すのがわたし達の日常でした。それはあの日以降も変わりありませんでした。

 わたしはいつも通りの振る舞いを意識してできるだけ彼と接しようとしていました。

「今日ですね、仕事の帰りにシャルとお洋服を見に行ったのですが、シャルってば意外とフリフリとした可愛らしい服が好きだったみたいなんですよ。でもですね自分には似合わないから着るのは嫌だって言うんですよ。アレだけスタイルがいいならどんな服着ても似合いそうなんですけどね」

 わたしがいつも通り何気無い話をすると彼は「そう」とだけ相槌を打つだけでした。彼が素っ気ない態度はいつものことですが、今のわたしは彼の機微に敏感になっており、顔色をうかがうようにすごしていました。けれどもノエルさんはいつもの様子と変わりありませんでした。

「それからですね、アンジェからこれから一緒に飲みに行こうって電話が掛ってきて、わたしは断ったんですがシャルは仕方無くアンジェに付き添いに行ったんですよ。なんだかんだ言ってあの二人は同期に生まれた同型のモデルで、なので姉妹みたいに仲がいいんです。ああいう信頼できる関係っていいなって思います」

「ルルの周りにはいい人がいっぱいいるよね」

 彼は淡い微笑みを浮かべそう言いました。

「はい、みんなさんわたしにとって大事な人達です。……職場の人や、クリスタたち。もちろんわたしにとって一番大事な人はノエルさんですよ」

 わたしは笑顔を作り緊張を交えた張り詰めた声で拙い言葉を放ちました。

「うん、僕にとっても、だよ。ご飯美味しかった。ごちそうさま」

 彼は食べ終えた食器を食洗機に置き、自室へと戻って行きました。

 上面だけのやり取り、まるで茶番のような生活。わたしにとって穏やかで幸せだった日々は、あの日以降、息苦しく鬱屈したものへと変貌してしまいました。心が恒常的なものではないのだから、従って営みもまた変わり続けるものなのです。けれどもなによりも大切だった彼との時間が、自分の中で心障的なものへと変わってしまったことがなによりも悲しいことでした。そういうふうに感じてしまう自分が嫌悪に感じてしまうほどに。

 彼の態度はいつもと変わらない様子でしたが、やはり違和感のような、わたしと彼の間に不気味の谷が生じているような気がしました。日に日に彼との間が開いていくような、彼が何を考えているのか、彼が心に何を抱いているのか、彼のことがわからなくなり、彼と接することさえもわたしは億劫になってしまっていました。

 わたしの心の中で彼の存在を見失ってしまった時から、わたしという存在はあやふやになりわたしはわたしでいられなくなりました。

 一人になったリビングでわたしは冷めたスープを口に運ぶ。ぬるいスープの塩っけが口の中に広がり、あまり美味しくない。

 美味しい料理を食べるには、幸福な家庭がなければならない。それがメアリーの教訓でありました。けれどもわたしはその言いつけを守る事が出来ませんでした。

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