わたしがどんなに拒もうとも、人類が文明を築く前から等しく星は回り続け朝はやってくる。

 昨日の出来事が夢であってほしいなんて目覚めてすぐに考えてしまうほど憂鬱状態で、ずっとこのまま寝ていたいと駄々をこねる身体をベットからなんとか這い出させる。覚束ない足取りで洗面所に行き鏡を見ると、寝付きが悪かったせいかで髪はボサボサで、目は荒んだような目つきをしていました。

 深くため息を付き両手で頬を強く叩く。

 いつまでも凹んでいたって何も変わらないのだから、しっかり気を引き締めちゃんと彼と向き合わなければなりません。

 頬をつねって気合を入れ、いつも通り庭に出て菜園の手入れを済まし、朝食をテーブルに並べ椅子に座り彼が起きてくるのを待ちます。

 住み慣れた家なのに落ち着きが取れなく、どんな表情で接すれば良いのか、まずなんて言えば良いのか、わたしがしどろもどろしていると、彼がリビングに降りてきました。

「お……おはようございます」

「うん、おはよう」

 おどおどしい態度のわたしとは異なって、彼は平然としていました。けれどもその大人しさがよりいっそう違和感を高めていました。

 食事中は終始無言でわたしはその間なにを話そうか精一杯考えていました。

 ここは謝るべきなのでしょうか、謝るって言ってもわたしは何について謝れば良いのかわからず、昨日の話を掘り返そうものなら、また言い合いになるかもしれません。わたしの事について話そうとしてもやはり怖気づいてしまい、言えるタイミングではなさそうでした。

 そうこうわたしが悩んでいると彼はいつの間にか食事を終えて、学校に行く準備を済まし、「じゃ行ってくるから」と素っ気なく述べて家を出ました。

 なにをやってるんでしょうか。決心は呆気もなく崩れ、何も会話らしい言葉も交わせず、昨日より関係が悪化しているように思えました。

 こんなこと今まで一度もなかったのでどう対処すれば良いのかわかりませんでした。いっその事ヒュネクストの経験を収集しているインデックスから、今のわたしと似た立場の経験を引用し対処方法を模索したくもなりましたが、それはわたしの意に反することなのでやめておきました。

 これはわたしと彼の問題です。どんなに心が苦しくても、悲しくてもわたしはこのクオリアを受入なければなりません。でないとわたしはいつまでたっても子供のままだと考えました。クリスタが以前言っていたようにわたしは本当に自身で思っているよりも幼かったのです。

 沈黙に包まれたリビングで一人、しんみりとパンを千切って口に含む。意識が混雑しているせいか味を感じれませんでした。一人で食べる食事はこんなにも味気なく寂しいものだなんてわたしは知りませんでした。

 昨日の彼の泣きそうな表情と辛辣な言葉が、いつまでもわたしの頭の中で残響のように鳴り響いていました。

 すっかり気が滅入ってしまっているものの、仕事にはちゃんと行かなくてはなりません。仕事とプライベートはしっかりと区別しなければならないと、そう自分に言い聞かせて身支度を済まし、カテドラルへと向かいました。

 今日はとある団体と会合があるので、最上階にある会議室へと足を運びました。エレベーターから降りるなりシャルと出くわしました。

「おはようルル、この前は母の見舞いに来てくれたみたいでありがとね」

「いえ、余計な気を回してしまったでしょうか」

「そんなことないわ、私以外にお見舞いに来る人はあまりいなかったから、ルルが来てくれて喜んでいたわ。それに私のことをちゃんと見てあげてくださいって叱られたって言ってたわ」

「すみません、人の家庭の事情に首を突っ込んでしまって」

 小さく頭を下げるわたしに、シャルは首を振って否定します。

「おかげで助かったわ。よっぽどルルの言葉に堪えていたのか、気持ちを入れ替えて接し方を変えてくれるようになったわ。本当は自分で言わなきゃならないのに、いざあの人と話そうとすると意固地になってしまうのよね。やっぱり家庭の問題ならルルのほうがよく知ってるわね。でもルルとあの子は仲がいいから喧嘩すらしなさそうね」

 彼女は何も知らないので優しく笑ってそう言ってくれましたが、わたしは昨日のことを思い出して気を落としました。シャルは意気消沈とした私の顔色を伺い、心配そうな声音で「なにかあったの?」と尋ねてきましたが、これから会合が控えているので彼女に気を使わせまいとはぐらかしました。

「それより、今日の会談相手って人類保護団体HRWでしたよね。わたしは初めてお会いするので緊張します」

 Human Rights Watchは世界各地で活動する世界中の人々の人権を守るという名目で作られた非営利組織です。彼らは一部の人々から強い支持があり、多くのパトロンから活動資金を得て活動を行っています。主な活動は人権侵害を阻止するため政府に対して交渉。ユーフォリア・コロニー設立当初に彼らを筆頭に反生統運動が行われました。はっきり言ってしまうと彼らはマシンが主導で政を行う生統体制を目の敵にしているのでした。

 また活動拠点は生統だけではなく国家にもつながりを持っているため要監視対象でした。

 なのでわたしも彼らに対し良い印象を持っておらず、今から会う人に対しても警戒していました。

「まぁ気難しい人達よ。足元をすくわれないように気を引き締めましょう。なにせ今日は代表直々に来られているから」

 シャルはいつもにまして神妙な顔つきでそう言うので、わたしもつられて余計に緊張してしまいました。けれでも合ったこともない見ず知らずの人を、勝手なレッテルを貼り付けって敬遠するのは良くありません。話し合えれば案外わかりあえる人かもしれません。

 わたしは息を飲み込み会議室のドアを開けました。

 会議室は30人以上の人が入れそうなほど広く、壁は環境投影によって360度、ザルツブルクの街並みやアルプス山脈がパノラマに映しだされています。最上階は地上から600メートルもあるので、高所恐怖症の人なら思わず立ちすくんでしまうでしょう。

 部屋の真ん中には巨大なホログラム投影システムを搭載された円卓があり、その向かい側には杖をついた初老の男性と付き人と思われる若い女性がおりました。

 シャルは礼儀正しく挨拶をします。

「お待たせしました。本日、会談のお相手をさしていただきますシャルル・マスケットと、こちらは同僚のルル・アルクイストです」

 彼女に紹介されたわたしは会釈すると、男性の方が軽視するような目つきでわたしを見てこう言いました。

福音監査課エヴァンジェルというものは子供にも務まる仕事なのか」

 初めて会ったにもかかわらず最初に出た言葉は蔑みの言葉でした。前言撤回、この人とはわかりあえそうにありません。

 わたしは笑顔を引きつりながもら彼の発言を否定しました。

「身なりは子供ですが、ヒュネクストなので仕事には差し支えないですし、誠心誠意努めさせていただいております」

 すると老人は鼻で笑って呆れた態度で言い返してきました。

「そのくらいわかってるさ。ヒュネクストは冗談も通じないのか」

 見た目も発言も面の皮が厚いこと。ほんの少し言葉を交わしただけで、この方が重度のヒュネクスト嫌いだということはわかりました。

「挨拶が遅れた。わたしは人類保護団体HRW所属ユーフォリア・コロニー支部の代表を務めているマキシミリアン・エストライヒだ」

 時代錯誤な懐疑主義者のような背広姿に身を包み、貫禄を見せる態度でご老人は挨拶しました。頬には縫い傷があり、眉間がたるんでるせいか強面な顔に見えます。

 マキシミリアン氏に続き、付き人の女性が礼儀正しく会釈しながら挨拶をします。

「私は秘書を務めさせて頂いてます、カミーユ・ヴァッティ・リヒテンシュタインと申します」

ピッタリとしたビジネススーツに見を包み、物静かというか浮世離れな雰囲気を醸し出しており、わたしがこんなことを云うのは不適切かもしれませんが、マシンのように冷たい表情をしていました。肌は雪のように白く、長髪は白銀で浅い夜を写したような碧眼。なんだかノエルさんの特徴と一致する箇所が多くありました。

 直視し続けていたのをカミーユ氏に気付かれ、目をこちらに向けられたので思わず目線を反らしてしまいました。彼女の視線は蔑みとはまた違う冷たい目をしていました。

 両者が挨拶をすましたところで、席に着き今日の会合は始まりました。

「それでは本日の議題についてお話したいと思います。事前に要望書を拝見させていただきましたが……一部の領土の自治権を譲渡希望とはどういうことでしょうか」

 シャルは訝しげな口調でマキシミリアン氏に問尋ねると彼は淡々と答え出しました。

「書いてあるとおりだ。私達に国を返して欲しい。ただそれだけだ。君達とて知らぬわけではないだろ。マザーが管理するトロン社会というものに居心地を悪くしている者たちが居るということくらいわ。我々は彼らに居場所を提供してやりたいだけだ。これは軋轢を緩和させるため処置でもある。そちらにとっても悪い話ではないと思うが」

 彼の口振りは軽いものでしたが、内容は随分と大事でした。領地を切り離し再び国家を作るなんてことはフィリアからすればあってはならないことでしょう。いくら居心地が悪いからといえそんな要求は飲み込めるわけはなく、ただの我儘に聴こえました。

 シャルはやれやれといった感じでため息をつきながらも、マニュアルに沿ったかのような丁重な口調で断りを入れます。

「その要望には承知致しかねます。ユーフォリアに住まう構成民はマザーによって管理される義務があります。もとより大規模な領土合併は国境間の争いを無くす意図もあるわけですから、国家ガバメントの設立を生統ユニメントが良しとするわけありません。わかりかねます。トロン社会は人類史上最も完成されたシステムです。なのにどうしてあなた達はマザーの加護を拒み、今もまだ国という定義に拘るのですか?」

 マキシミリアン氏は両手を組み、威圧的な物腰で語り始めました。

「祖国というものを知らない君達にわかるだろうか。大崩壊カタストロフィにより国は崩壊し、社会を復興させるために半ば強制的に歪な合併アンシュルスは余儀なく行われ、そして生統は生まれた。だがそこは我々の居場所ではなかったのだ。IOCという首輪に縛られ、ガイアの書たる絶対厳守の法を架せられ、トロン社会というマシンに作られた幸福によって生かされている。まるで愛玩動物のようじゃないか。そんなものは人の生き方ではない。確かにトロン社会はよくできたシステムだ。マシンが政治を行うわけなのだから賄賂もヒューマンエラーも当然起こりえないし、IOCの普及により事件もなくなり、おまけにメディカルケアまでしてくれる。徹底された管理システムにより導き出された最大公約数の幸福によって人々は調和に包まれた。限りなくユートピアに近い世界と言っていいだろう。だがその慈愛は拒まなければならないものだった。人は人によって作られた秩序に生きてこそ人間性というものが育まれるものなのだよ。過保護すぎるというのも些か問題がある」

 国家なんて体制はとても信頼出来るものではないとわたしは考えておりました。一部の有権者のエゴにより多くの市民の生活が左右されるなんて考えただけでも恐ろしいものです。現に生統誕生以前の歴史を直視すれば、その国家という体制が如何に脆く不安定なものかということは理解することができます。もしももっと早くに生統というシステムがあれば大崩壊カタストロフィは起こらなかったかもしれません。

 ですからわたしは彼に対し反論しました。

「人間性はトロン社会でも育むことは可能だと考えています。人間性というものは人と人との営みによって育まれるものです。それはヒュネクストも例外ではありません。それに生統という優れた体制があるのに、国家などという不安定な枠組みが必要とされる理由はありません」

 わたしがそう言うと彼は厚い眉間のシワを寄せ、鈍く鋭い眼差しをこちらに向けました。

「アルクイスト君と言ったかね。君は人というものをまるで理解していないようだ。まず初めに人間性は君が考えているような綺麗なものではない。本来、人の心というモノは恣意的であり、同時に斉一性をはらんでいる。それらは法や信仰によって秩序が形成されていたが、生統ユニメントのやり方はIOCたる監視者ビホルダーを体内に寄生させ、心を自粛させ制限を設けているだけにすぎん。IOCが宿主のストレス係数の向上を感知すれば直ぐ様カウンセラーが派遣され手厚く介護され、より監視も厳重にされるだろう。その為、メンタルヘルスや犯罪の可能性を早期発見し抑制することが出来るが、それは論理に反し普遍的ではない。IOCやガイアの書などで形式フレームを構成したトロン社会なんてものは無秩序アノミー社会となんらかわらん。機械化された秩序では人の心まで管理することは出来のだよ」

 彼の発言はリベラル思想に傾いていると感じましたが、肯定するところもあり、トロン社会が人の主体性を損ねているという問題性はたしかにありました。

 生統ユニメントの体制に対し僅かな疑問が生じてしまい困惑していると、隣のシャルがわたしに変わって彼に言葉を返しました。

「IOCの道徳的問題は導入以前に散々話し合った結果、決議され構成民に義務付けられました。それを今更掘り下げられても困ります。そもそもIOCがどうして必要とされたのか、そして国家というものが何故不要になったかをお忘れではないでしょう。私は彼女とは異なり人は愚かな生き物だと認識しております。だからこそ正直に言いますが大崩壊カタストロフィは紛れも無く人の心が招いた災厄です。自分達が創りだした戦争を突きつけられた国家はその能力のなさを露見させ世界を更なる混沌に導きました。だからこそもう人々が過ちを繰り返さないようにマシンが人を管理する生統が生まれたのです。あなたがIOCを首輪と比喩するのは正しいでしょう。監視社会や全体主義とおっしゃられても結構です。それでもあなた達人類を管理し導くのが私達の義務なのですから」

 シャルは歯に衣を着せぬ物言いをしましたが、彼は特に不服な様子も見せず、寧ろ微笑んでいるように見て取れました。

「君みたいな正直者は嫌いではないよ。君の言うとおり我々は愚かだ。だがね、君達はIOCで人を押さえつけたつもりなのだろうが、人の心はマシンの想像を絶するものだよ。完璧な体制と謳われた生統ユニメントだが人々の精神を繋ぐことは出来ていない。おかしな話だ。世界統一を掲げたにも関わらず国家の時代より人の心がバラバラになっている。何故だかわかるかね? それは君達、人間もどき《ヒューマノイド》が民衆の中に紛れ込んでいるからだ」

 負けん気が強いシャルも顔色は変えないもの、冷血な眼差しで睨み返し低い声音で言いました。。

「わたし達が人の秩序を乱しているとでも言いたいのですか?」

「まぁそう言えばそうだが誤解しないでほしい。君達に問題があるわけではなく、寧ろ問題があるのは人間の方だ。我々は君達のように全ての個体がガイアの書に忠実で正しい存在ではなく、人間は差別や怨嗟といった猥雑なエゴにまみれた業の獣だ。両極的な存在が交わろうとすれば必然的に谷は生まれる。さらに今の現状を見ればわかるが、ヒエラルキーは人間よりもヒュネクストの方が上だ。となれば疎ましく思う者が多くともなんら不思議ではない。我々と君達は出会ってはならなかったのだよ」

「そんなことありません」

 わたしは咄嗟に言葉を口にしました。メアリーやノエルさん、それから隣人のクリスタやメリッサを初めわたしには大事な人が多くいます。そこに人間やヒュネクストといった差異など何の問題もありません。ですから声を大にして言いました。

「わたしには大切な人がいます。今のわたしがこうして生きられるのも多くの人の支えが在ってのことです。出会わなければよかったなんてそんなこと思ったこと一度もありません」

 けれども彼は辟易とした渋い顔をして頭を振りました。

「君はやはりわかっていないな。君達は人間かヒュネクストの見分けがつくが、人は目視では区別がつかんのだよ。そうなれば自ずと耳を傾けないかぎり、誹謗の声は聞こえてこないだろう。君は君が見ている世界しか知ろうとしていないから、だから純粋でいられる。君が思っているほどこの世界は優しいものではないさ」

 わたしは何も言い返すことが出来ませんでした。彼の言うとおりわたしは自分にとって都合のいいことしか知ろうとせず、不都合になり得る要因を避ける傾向があるように思えました。だからわたしはノエルさんの異変にもきづけなかったのでしょう。

 わたしはすっかり意気消沈としてしまい、代わりにシャルが話しを進めてくれました。

「話を戻しますが、結果的に私達が結束の隔たりとなっているとしているとして、ならば国家は人々の精神を束ねられると言いたいのですか?」

生統ユニメントより国家の方が人を束ねるには適している体制とは言える。国家というのは人種や文化、主義思想と言ったアイデンティティによって人々を繋ぎ止め、一つの共同体コモンウェルスとして体をなしていたが、生統ユニメントは差別や軋轢が生まれると考えそれらを全て否定し、人々の共通認識を繋いでいた鎖を断ち切った。そのせいで国を亡くしたデラシネが多く生まれてしまった。だが人々は斉一性の原理に基づき無意識に繋がりを再生させようとしている。君達はまだ気づいていないのだろう。この地の水面下に潜む人の心が生み出した怪物リヴァイアサンの恐ろしさを」

 マクシミリアン氏はトマス・ホップスの市民論リヴァイアサンを用いて語りました。過去の国家の体制は市民の自然権を重視した民主主義が主流でした。自然権というのは神に与えられた権利、または人が生まれ持つ普遍的な人が人らしく生きる権利など、とても曖昧な権利でした。ホップスはこの自然権が妨害された際に万人の万人による闘争が発生すると考え、自然法を持った国家という枠組みが必要だと唱えました。

 リヴァイアサンとはすなわち君主を脳とし、市民を肉体とした単一的な生き物だと比喩したものだと考えられます。それはさながら平和と防衛の神でもありましたが、統制が一度乱れてしまえばねじれ暴れ狂う蛮神でもありました。

 彼の言う怪物リヴァイアサンとはおそらく頭をなくし、統率がとれなくなってしまった亡国の人々のことを言っているのでしょう。そうした人々を労るシステムは生統にはありませんでした。

「結局、国家はその怪物とやらを制御できずに大崩壊カタストロフィを生み出してしまったではないのですか。もとより人が人を統べる国家というシステムは不完全なものだったのです。人々はマザーの加護の下、平穏に暮らせば良いのです。もしもマザーに叛逆の意志を持つ者が入るならば、IOCが所有者の危険を感知しすぐさまガイアの書によって対処されるでしょう。あなた達には人を管理することが出来なかったことでしょうが、私達にはそれが出来ます」

 シャルは生統に対し厳格な使者で、従順な原理主義者でもありました。そんな彼女に対しマクシミリアン氏は呆れたと言わんばかりの冷淡な物言いで返します。

「もとより人の心を統率しようなど欺瞞だとは思わんかね。争いは人の業だ。人々の憎悪が飽和状態になれば争いが起こるのは当然のこと。そして人の歴史を語るにおいて戦争は必要不可欠なものだ。かねてから我々は戦いの中で知恵を高め、文化を築きあげ、繁栄し続けてきた。それを後から出てきた君達が我が物顔で否定するなど笑止する」

 その言葉を聞いたシャルは目を細め、見たこともない剣幕で口をまくし立てました。

「ご自身がなにをおっしゃっているのかわかっているのですか? 戦争を許容するような発言は許されないことです」

 けれども彼は卑しげな微笑を見せ、わたし達を批評し始めました。

大崩壊カタストロフィという災厄から生まれてきた君達が、戦争を否定するとは随分と都合がいいではないか。君達とて戦争の理の一部だろうに。自分達の出生の真実を忘れたとは言わせんよ。ヒュネクストの脳たるALMAは、元をたどればウォーマシンのスタンドアローン運用の為に作られたものだ。そして実戦において最初の超高度量子コンピューター・ジェネシスと共にその性能を昇華させた。今や当たり前になっているナノマシン技術も、元々は兵士の心的外傷後ストレス障害PTSDが発症させないように、良心を司る言語野にマスキングを行うために開発されたもの。それがIOCの起源だ。マザーもヒュネクストもIOCも、そして君が信仰している生統も、全ては大崩壊カタストロフィがもたらした恩恵ではないか」

 彼の言うことは全て真実でした。ですから何も否定することは出来なく、シャルもぐうの音が出ない様子で唇を薄く噛んでいました。

「ですが大崩壊カタストロフィなんてなくとも、シンギュラリティが起こっていた未来が在ったかもしれないじゃないですか」

 わたしの口から出た言葉は、希望的観測じみた妄言でしたが、ご老人も細やかながら同意してくれました。

「私もその未来が在ったかもしれないと考えたいが、結果的に辿り着いたのは今の現実だ。我々はそれを受け入れなければならない。人類は君達が現れるかねてより争いを続けてきた。戦争とは人々の心が育んだ災いというのに、多くの民衆はその事に気付こうともしなければ、関心すら持たない。我々はまだ自分達が何者なのか知らぬ幼子なのだよ。故に人類の問題は自分達で解決しなければならない。再び過ちを繰り返さないように」

 生統ユニメントとは考え方が異なりますが、彼もまた人類を救うために懸命に考えているのだと感じました。きっと彼はわたし達よりももっと人のことを知っており、人のことを考えているのでしょう。彼の顔に深く刻まれた皺が、彼の年の功を物語っていました。

 ご老人からすれば、まだ生を授かり一五年しか立たないわたしなど小娘同然なのでしょうが、それでも人を思う気持ちは彼と同じだと思いました。

 わたしは両手を机に起き、少し身体を前のめりに出し彼に心音を訴えました。

「ならわたし達と共にまた新しく秩序を作り上げていけばいいじゃないですか。人をサポートするのがわたし達の義務。そのためのヒュネクストなのですから」

 けれどもご老人は顎に蓄えた白い髭を触りながら、感傷的な声音で言いました。

「それはできんよ。人とマシンの間にはまだ“谷”がある。その隔たりを解消しないかぎり、真に人類とマシンが共存できる未来など訪れないだろう。我々はまだ出会ったばかりで互いのことをよく知らん。君達にも理念があるのはわかるが、もう少し私達の事も理解してほしい。わたしはそれを君達に伝えたかった」

 ユーフォリア・コロニーが設立して二十年足らず、わたし達はまだ互いの事をよく理解できていません。だから未だ水面下では人々からの反発や齟齬が存在しているのでしょう。今まで生統が築いてきた秩序はハリボテの平和で、これからも生統の一存で人々を管理しようとするのならば、いつか不満が飽和しまた争いが起きる可能性があることは大いに考えられることです。不気味の谷の戦争が終わらない限り私達に本当の平和は訪れることはないでしょう。

 マクシミリアン氏はマシンが創る未来を見定めに今日私達と会談しに来たのかもしれません。

 彼は徐ろに立ち上がり、隣にいた秘書のカミーユ氏から杖を受け取り、窓の方に近づきユーフォリアの街並みを眺めながら呟きました。

「この地がまだドイツとオーストリアという国に分け隔てられていた時代。街は赤いレンガと木々の緑に包まて、それはとても美しい光景だったよ。だがここから見える白銀の街並みもまた趣がある。この地に眠る構築と崩壊と再生の歴史。果たしてそこに君達が加わったことにより世界は平穏になるか、混沌となるか。君のような面白いモノに会えて、少しは未来が見えた気がするよ。今日はそれが確かめたかっただけだ。余計な時間を取らせたな。ただの老人の冷やかしだったと思ってくれ」

 そう言い残しマクシミリアン氏と、その付添の秘書は扉を開け部屋を出て行き、ドアが閉まるのを確認しシャルがため息を吐き呟きました。

「はぁー……なんだったのかしらあの人。ひどく調子を崩されたわ」

 シャルは目頭を掴み、精神的に参っているように見えました。

「シャルはああいう方は苦手そうですもんね。でもまぁ、悪い人ではないと感じましたよ」

「そうかもしれないけど、もっとこう……愛想のいい態度で対談出来ないのかしら」

 呆れた口振りの彼女に思わずわたしはクスッと笑ってしまいました。

「シャルがそれを言いますか。案外、あの人と反りがあってるかもしれませよ」

「冗談はやめて。出来ることならもうあまり会いたくないわ」

 嘘か誠かわからないですが彼女は微笑しながらそう言いました。

 マクシミリアン氏は決してヒュネクストやマシンが嫌いではないと感じました。彼は人が人でいるためにはマシンの恩恵に頼らず、自分達の力で秩序を作るべきだと考えを持っていました。彼の考え方には一考の価値があり、生統のこれからにおいて必要な知識ではないかと思いました。トロン社会により経済は安定し、IOCにより犯罪率も極限までに軽減され、形式的には秩序は保たれていますが、しかしながらそれは人々の行動を制限しただけにしか過ぎず、人々の精神は圧迫され、その結果が幸福係数の低下に繋がっていると考えられます。わたし達には人の世の平和と幸福を司る義務がありますが、現在の生統のやり方では人が人でいられるシステムではないのです。

 やはりわたし達はまだ人の心を理解できていないのだと痛感させられました。

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