ⅱ
外へ出るとここ最近静かだった町並みは賑やかになっており、至る所に、ユーフォリア・コロニー設立20周年の文字が大々的にアピールされています。いつもに比べ人通りも多く、街は手を繋いで歩くカップルや、子連れの家族が見受けられる。
それもそのはず、今日はついにユーフォリア・コロニー設立記念日。
待ちに待ったといえばそうですし、いろんな不安を抱えてようやく今日という日を迎えました。
半世紀という長きにわたって続いた世界大戦と経済戦争、いわゆる
そんな両者の間に深い谷が出来てしまったまま二十年もの月日が流れました。
わたしは今日、そんな悲しい争いを終わらすためにマザー・フィリアの元へ出向きました。
終わらせようなんてさすがに大言壮語が過ぎますが、けれどこの行為がいつか谷を失くすきっかけになると自分の心に従ってみることにしました。
わたしはいつも使っている路面電車に乗り込み、カテドラルへと向かす。車内はいつもにまして人で溢れかえっており、その顔はどれも幸せそうな笑顔をしていました。
正直に言ってしまえば、この笑顔には設立記念日は関係なく、ただ好きな人と一緒にいられるからこんなにも幸せそうなのでしょう。けれどそれでいいのです。この設立記念日は過去を慈しむのではなく、家族や友人といった親しい人達と共に過ごし“今”を祝う日であって欲しいのです。
いつもの白色の街並みとは打って変わり、華やかに彩られた町並みを横目に、幸せを詰め込んだ電車は坂を登りきりカテドラルに到着した。しかし、こんなにも乗客がいるのに乗車したのはわたしだけでした。残念がらテロ騒動以降、まだカテドラルは警戒態勢が引かれており、訪問は規制され関係者しか入れない状況なのです。
わたしは独り、カテドラルのエントランスに入っていく。今日は休日とあって私以外の人の気配は感知せず、だったぴろいエントランスにわたしの靴音だけがコツコツと反響する。
エレベーターに乗り込み最深部へのボタンを押した。わたしを乗せたエレベーターは静かに降下していき最深部に到達して扉が開く。
眼前に憚る大きな扉の向こうにある彼女の筐体を意識してわたしは挨拶をする。
「おはようございます。フィリア」
〈おはようございます、ルル。今日はどうされたのでしょうか? せっかくの祝典の日だというのにこんなところに訪れて〉
「今日だからこそ貴方に会いに来たのです、フィリア。だって今日は貴方の誕生日の日でもあるのですから」
そうなのです。本日、10月3日はユーフォリア・コロニー設立記念日であると同時に、彼女の記念すべき二十回目の誕生日でもあるのです。だからわたしは今日、彼女を祝うべく会いに来たのです。
〈確かに今日10月3日はわたし、マザーフィリアがユーフォリア・コロニーを管轄することになってから丁度、20年が経ちました。ですが誕生日というのは本来、人や動物が誕生した記念日であり、一端のマシンであるわたしにはそのような祝い事は適応されません。とは言え貴方が今日、そのためにわたしに会いに来てくれたことに関してお礼を申し上げます〉
彼女は抑揚のない声音で適切な応答をしてきた。そして続いて彼女は礼を言う。
〈それと祝祭の発案者は貴方だと聴きました。ここ最近、テロ騒動で落ち込んでしまっていた幸福係数も、今日の集計では基準値以上の数値がでております。結果論ですが貴方が祝祭の企画を出してくれたおかげで、騒動により乱れてしまった数値に復興の兆しが観えてきました〉
「いえ、わたしはただ人とマシンの関係が今よりもっと良くなってくれることを願って企画しただけですよ」
〈その貴方の優しさが今のユーフォリアには必要なのです。未だ人とマシンの関係は良好とは言いがたく、そのためにはあなた達ヒュネクストが人との対話に励んでもらわなくてはなりません。わたしには人と言葉を交わしたり、交友することはできないですから〉
彼女の役割はあくまでもトロン社会の運用及び、インフラ整備や経済管理であり、人とのコミュニティを気付くのはヒュネクストの役割です。ですがわたしは彼女にも、もっと人の営みを知ってほしいと考えていました。IOCから送られてくる幸福係数やストレス係数といった数値を計測しているだけでは人を知ることなんて出来ません。それに彼女は人を怖いともおっしゃっておりました。確かに人類の歴史を見れば目をつむりたくなるほどの愚行の数々を目にしますし、先日の件と言い斉一的な思想で形成された集団が突如暴徒と化す事例も過去から多く見られます。しかしそれらは一部の恣意的な
だから今日、わたしは彼女を外に連れ出すために来ました。
わたしは扉に手をかざしながら彼女に訴える。
「すみません、フィリア。この扉を開けていただけないでしょうか」
〈何故でしょうか。いかなる理由があれ、喩え
「大丈夫ですって、なにも危害を与えないですから!」
〈ですが万が一という可能性もありまして――〉
「そうやっていつまでも引きこもってるから世間しらずなのですよフィリアは! こうなったら意地でも開けてやります」
この朴念仁の箱入り娘を説得術はないと判断し、錠前解除認証デバイスに手をかざし強制介入を試みる。けれど幾つも仕掛けられた強固なファイヤーウォールに阻まれ、わたしの乏しい演算処理能力では解除することは出来ない。そうこう苦戦しているとわたしの背後から声が飛んできた。
「なにやら手間取ってるようだな。どれ私が代わりに開けてやろ」
そう言って丸メガネと白衣が特徴的な彼女はわたしと場所を変わり、デバイスに手をかざすとあっさりと錠前を解除してしまいました。
強固な大扉は音を立て両側に開く。
〈エミール、どうしてあなたがここにいるのでしょうか。今日は定期メンテナンスの日ではないですよ〉
「あぁ、それはコイツに呼ばれたからだ。まったく母親に似て人使いの荒いやつだ」
そう言ってエミール先生はわたしの頭をこねくり回す。
この世で唯一この扉を外から開けれるのはメアリー亡き今、エミール先生だけです。彼女は定期的にフィリアのメンテナンスを担っており扉を開ける権限を有しているのです。
〈エミール、いくらマザーシステムの管理権限を有している貴方といえど、場合によってはその権利を剥奪せねばなりません〉
忠告を促すフィリアの声に聞き耳すら持たず、そそくさと我が物顔でエミール先生は扉の奥へと進んでいく。右手には人一人入りそうな大きなアタッシュケースを持っていますが、その重さを感じさせない平然とした顔で持っている。彼女はサイボーグなので身体の作りはほぼヒュネクストと同じですし、そのくらいの筋力はあるのでしょう。
エミール先生の後ろに続いて暗い細道を抜けると、巨大なホールに出る。その丁度中心部には円柱形の筐体が設置されていました。これが超高度量子コンピューター、ユーフォリア・コロニー管轄担当、マザー・フィリア。その本体です。
その筐体に搭載されたスピーカーからフィリアの声が聞こえる。
〈先程から再三忠告をしておりますが、これ以上勝手な行動をされるのならば、お二人にはそれ相応の対処をすることになります〉
さすがにやりすぎてしまったようで、フィリアの機械的な声に怒りが含まれている気がしました。エミール先生も彼女の感情を感じ取ったのかなだめるように言う。
「まぁそう怒るな。今日此処に来たのは他でもない、お前にちょっとしたプレゼントを持ってきただけだ」
そう言って彼女は手に持っていた大きなアタッシュケースを置き、徐ろに開いたその中には胎児のように丸まった少女が入っていました。厳密に言うのなら少女の姿を模した
〈コレは一体――?〉
「だからプレゼントといっただろ。これはこいつに頼まれて持ってきたものだ。なにやらお前を外の世界に連れだしてやりたいらしくてな。まぁちょうどいい機会だ。お前も実際に人の暮らしというものを学んでこい」
先生は少女の素体のうなじ部分にケーブル端子を差し込み、それをフィリアの筐体につなぎました。
「今からお前と素体をリンクさせる。お前のスペックなら業務に支障をきたさずに、素体の一体や二体を遠隔操作することは造作も無いだろ。だが念のためだ、ルル、お前の記憶データをこの素体に送ってくれないか」
「どうしてです?」
「いくらマザーシステムとはいえ人の倫理観やクオリアを学習するにはそれなりの時間がいる。だがお前の記憶データをマニュアルとして応用すれば、直ぐに人として必要最低限の情報を学習することが出来るだろ」
「なるほど。そういうことでしたら」
ヒュネクストは起動してから後天的にクオリアや倫理観を遺伝的アルゴリズムを用いて学習するのですが、これは個体による差異を生み出すためのものです。けれど今からフィリアを外に連れ出すのにそんなに時間を掛けても入られません。ですからわたしの記憶データをこの少女の素体にバックアップを取ることで、わたしが学習した倫理観やクオリアをそのままフィリアに使ってもらえるわけです。
わたしは了承して少女の手を握る。目をつむり記憶データを掌から送信していると、今までわたしが体験した記憶がフラッシュバックするように脳裏に浮かぶ。こんなこともあったのと懐かしんでいると自然と口角が上がる。
しばらくしてデータ送信が終わり、筐体と素体のリンク接続も完了しました。
「それじゃフィリア。身体を動かしてみろ」
エミール先生の指示を受け、アタッシュケースに入った少女の目が徐ろに開いた。棺に入った眠り姫は覚束ない手つきでなんとか身体を起こし、サファイアの様な大きな目をパチクリ見渡し、手を動かしたりして可動範囲を確認する。
「おはようございます、フィリア。おめざめの気分はどうですか」
わたしがそう尋ねると彼女は幼気な声音で呟きました。
「これが身体というものなのですね。予想以上に情報処理の負荷がかかります。ですがそうですね、嫌な感じではないですね」
少し戸惑いながらも彼女はそう答えた。クオリアの判断基準も正常に機能しているようで一安心。彼女は見る見るうちに身体の操作になれたようで、あっさりと立ち上がることもできました。わたしが初めて起動した時は、立って歩くまでもう少し時間がかかったのですが、さすがマザーシステムといったとこでしょうか。
彼女の素体は小柄な少女の姿で、髪は白く背丈よりも長く碧いリボンで飾られており、白いワンピースを纏いその姿はさながら人形のように愛らしいものでした。
準備も整ったことなので彼女を誘う。
「それではまいりましょうか、フィリア」
「どこへ、ですか?」
「わたしの家にです。今日は同僚の皆さんやお隣さんをお呼びしてパーティをするのです。フィリアが来たらきっとみんな驚きますよ」
シャルなんかはきっとフィリアを連れ出したなんて知ったら、たぶん卒倒するだろうなと想像しただけでついつい笑ってしまう。実は今日来る人達には友人を連れてくると言っただけで、それがフィリアだとは言っておりませんし、誰もまさかフィリアが来るとは想像だにしていないでしょう。
わたしはフィリアに手を差し伸べると、彼女は手を握り返しアタッシュケースから足を踏み出す。
「先生もこの後のご予定がなければ、わたしの家に来ませんか?」
「あぁそうだな。それでは私もお呼ばれされることにしようか」
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