急いで街を駆け抜けて大通りに出て、徐行しているカテドラル行きの路面電車に飛び乗った。

 安堵し一息ついて席へと座る。電車の中は暖かな色に彩られており穏やかな音楽に包まれながら、少ない乗客を乗せ揺れもなくカテドラルに続く坂道を登っていく。外に目を移すと大道りには乗用車が多く行き交っており、道の両端には飲食店や雑貨店をはじめ様々な商業店が立ち並んでいる。昔のSF小説に描かれているような空飛ぶ車や、雲を突き抜けるほど高い高層ビル郡、ましてや異星人の侵略なんてものはなく、22世紀の街並みは実に生活感溢れる情緒ある風景でした。ただ一つ、昔の人が違和感を覚えるとするならば、どの建物も角砂糖のように白い外壁に覆われていることでしょう。

 此処、ユーフォリア・コロニーのがまだヨーロッパ連合と呼ばれる幾つかの“国家ガバメント”にわかれていた頃、このエリアの街は壊廃していました。――戦争によって、恐慌によって、いわゆる“大崩壊カタストロフィ”によって――その悲しい過去を覆い隠すかのようにこの街の建物は真っ白に染められ建て直されました。それ以前にあった歴史や文化さえも隠してしまうほど真っ白に。

 今から19年前、人々は社会や政治をマシンに委ね、新たな体制“生統ユニメント”によりこの地は再生しました。

 生統ユニメント――それは国家ガバメントとはまた異なる、マシンのマシンによる人のための新たな体制。大崩壊カタストロフィという人類史上で最も悲惨な人災により秩序を失った世界情勢を、今のように立て直せたのも偏に生統ユニメントという体制があったからです。

 ユーフォリア・コロニーの領地はヨーロッパ大陸の役80% を占めており、人種や文化を考慮しいくつかのエリア分けをしています。わたしが住む此処セントラル・エリアは元々、オーストラリアとチェコとドイツの南側が在った場所でした。

 ザルツブルクの街を行き交う人々の顔は、過去の悲嘆を彷彿させない笑顔に満ち溢れていました。

 そんな人々の営みを電車の窓から眺めていると次第にカテドラルが見えてきました。あれがユーフォリア・コロニーに住まう構成民の生活基盤を担っている建物であります。主に行政機関としての役割があり、役場としても構成民に多く利用されています。カテドラルはセントラルエリアを一望できる高所に建てられており、首を反らして見上げる程のゴシック建築の大型建造物です。その建物は今日も人々の暮らしを照らすように、太陽の光を浴び白銀の輝きを放っています。

 電車は坂道を登りきりカテドラルの中に入っていき停車する。駅構内は広々としており、真っ白な床も天井も鏡のように綺麗に磨かれている。

 電車から降りて駅構内を抜けカテドラル内部の大広間に出る。そこは先ほどの駅構内よりも更に広く、人も多く賑わっている。そして上を見上げると丸天井には大崩壊カタストロフィの悲惨な光景を描いた歴史画が見られる。それに注視すると大崩落カタストロフィに関する事が記載されたアーカイブビジョンが拡張現実に反映されるがそれを手で払いのける。わたしのALMAにはこれらの記録は『記憶』として焼き付けられているため、あまり思い出したくないものでもありました。

 この歴史画を描いたのはわたしと同一型番のマシンが描いたものだそうです。彼はマシンで一番初めに芸術を理解したマシンと称されており、戦場にて血と油を用いて絵を描いたという逸話まで持っている。その為、彼の絵にはかなりの価値がありそれを一目見ようとこのカテドラルに観光しに来る人もいる。

わたしは人の隙間を縫うように大広間を抜け、関係者専用のエレベーターに乗り込んで上層部へと向かう。わたししか乗員がいないエレベーターの中でわたしはひとりでに挨拶をする。

「おはようございますフィリア」

 するとエレベーター内部に付けられたスピーカーから抑揚のない女性の声で返事が返ってきました。

〈おはようございますルル。珍しくあなたにしては遅い出勤ですね〉

「すみません。来る前に少し友人と話していたもので」

〈そうですか、人との関係を築けているようでなによりです〉

 彼女が“マザー・フィリア”カテドラルの最深部に設備されているユーフォリア・コロニーの管轄を担当している統制管理相互運用性コンピューター、通称マザーであります。彼女はユーフォリア・コロニーに住む約5億人もの生活基盤を支えており、インフラ設備は勿論、経済や流通、行政及び政治といった人々の営みに関するありとあらゆるシステムをフィリアが連携させ、安定した、安心で、安全な“トロン社会”を維持しているのです。

 トロン社会は、メアリーが生まれ育った故郷でもある暁國ぎょこく(元・日本国)で誕生したものでした。

 世界恐慌の影響により大崩壊カタストロフィ以前から経済不況に陥っていた日本国の財政は崩壊し、国としての機能を完全に失ってしまいます。一方で当時、世界で一番の軍事大国だった合衆国は恐慌の波を避けつつ高度な技術発展を遂げて、量子コンピューターを用いた超高度学習知能コンピューター『ジェネシス』を完成させます。ジェネシスは軍事運用に利用され実戦で高度な戦術を披露し、多々なる戦闘を経て学習、性能ともに秀でた進化をしました。今ではジェネシスの誕生が事実上のシンギュラリティだったと言われています。

 その後、合衆国は傾いた日本国の経済を立て直す為に、ジェネシスの改良型『ガイア』を実装します。ガイアは期待以上の働きを見せ生活基盤を元に戻しただけではなく、さらなる高度経済成長へと導き、全ての生活基盤をマシンに委ねたトロン社会を完成させました。

 そして日本国は国家体制を捨て、マシンに人々の生活を委ねた体制に移り変えました。それが世界で初めての生統ユニメントの誕生でした。

 以後、経済不況に陥って復興出来なくなった国々にガイアを元にして作られたマザーシリーズが配備されることになり、フィリアはそのマザーシリーズの一機で、EUの復興に貢献しました。

 今日までに至る平和と幸福は彼女なしでは実現出来なかった賜物といえるでしょう。

 彼女と軽い話をしていると下層に着きエレベーターの扉が開いた。

「では行ってきます。フィリア」

〈今日も人とわたし達の未来の為、お仕事よろしくお願いします〉

 別れの挨拶を済ましわたしはエレベータを出た。

 上層部は幾つかの部署があり複数のブロックに分かれている。わたしは長い廊下を真っすぐ進んで一番奥の部屋にたどり着く。両引きドアの横に掲げられたプレートには『福音監査課』と書かれている。

 両引きドアのセンサーが反応し、自動的に開いてわたしは部屋の中に入った。そこは然程広くもなく、幾数のディスクが均一に配置されているだけの質素な空間でした。わたしは部屋に入るなり自分のデスクに付く。デスク上にはホログラムPCを中心に、クリスタからもらったアネモネの花を植えた小鉢と、ノエルさんとメアリーとわたしが揃った家族写真が飾られている。簡素に片付いているわたしのデスクと反して、隣のデスクはひどく散乱していた。

 わたしは隣のデスクの持ち主に挨拶をする。

「おはようございます、アンジェ。今日も今日とて相変わらずですね」

 すると同僚のアンジェリカ・バーミントは椅子に深くもたれ掛かりながら気だるそうに挨拶を返してきた。

「あぁ、おはようルル。あんたにしてはえらく遅い出勤ね」

 カラメル色の肌に長く伸びた黒髪、背丈は高く、且つグラマラスな体型を挑発的な服装で身をこなしている。職員としては相応しくない身なりですがそれは彼女なりのこだわりらしいのです。

「少し来る前に友人と話していたもので。それよりアンジェがこの時間に出勤しているのは珍しいですね。いつもならギリギリに来てるのに」

「今日は面倒な会議があるから昨日はお酒控えておいたのよ」

「相変わらずの不摂生な生活をおくっているのですね……」

「仕方ないでしょ付き合いってもんがあるんだから。アンタもたまには付き合いなさいよー。あの坊やももういい年なんだし、子守はやめて息抜きがてら飲みに行きましょうよ」

 アンジェがわたしの肩に腕を回しながら駄々をこねる子供のように詰め寄ってくる。

「いやですよ。わたしはあんな演算機能に支障をきたす飲み物嫌いですし、それよりノエルさんと一緒にいるほうがわたしにとって有益な時間が過ごせますので」

「ほんと溺愛してるわね。どうよ、いい男に育った?」

 近づいてくるニヤけ顔を両手で押しのける。彼女は男癖の悪いことで有名なので正直なところノエルさんに近づけさせたくありません。

「なんですかそのいやらしい目は、ノエルさんをあなたの毒牙に掛けさせませんよ。まぁそれはそうと勿論ノエルさんは立派な殿方に育ちましたよ。段々垢抜けてきたというか大人に近づいてきたって感じで、それに背丈もですねそろそろわたしの身長を抜きそうなほど大きくなったんですよ。以前はわたしのほうが背が高かったのにいつの間にか目線が同じに。いやー人間の成長というのは眼を見張るもので実に神秘的なものですね。それにですね最近は――」

 わたしが嬉々とアンジェにノエルさんの成長記録を話していると、もう一人の同僚シャルロッテ・マスケットがわたしとアンジェのデスクに紅茶の入ったティーカップを置く。

「どうしたの朝から楽しそうにおしゃべりして。まぁアンジェはそうでもなさそうだけど」

「どうです、シャルもノエルさんの成長記録聞きますか? なんでしたらアーカイヴに更新しときましょうか?」

シャルはアンジェの顔色を一度伺い、何かを察したかのように笑みをわたしに向ける。

「また惚気話をしてたのね。ええ是非お願い、暇な時に見ておくわ」

 シャルはアンジェと反してとても真面目で、見た目も気品に満ちておりブロンドの髪を後ろに垂らし、すらりとした身体をスーツに見をこなしており如何にも仕事が出来そうな雰囲気を醸し出している。実際に手際よく仕事をこなすし企業や団体との交渉も難なくこなす。わたしの憧れの存在です。

 アンジェもシャルもわたしと同じヒュネクストで、二人共誕生して10年しか立っていない最新型です。わたしはヒュネクストになって15年になるので彼女達よりも先輩だ。と言いたいところですが人の世のように年功序列などはありませんし、むしろマシンとしてはオールドタイプになってしまうので劣等感を覚えてしまいます。とは言えそんな些細な事で上下関係が現れたりすることなく彼女達はわたしにとても親しく接してくれています。

 そんな談笑をしていると時刻が10時をまわった。

「さてさてみんな揃った所でミーティングを始めましょうか。所長もいつまで新聞読んでるんですか。ルルも来ましたよ」

 シャルルは部屋の窓際のディスクで今時珍しく紙媒体のニュースレポートを読んでいる初老の男性に呼びかける。

「ん? あぁおはようルルくん。もうそんな時間か」

 老人は徐ろに老眼鏡を外しわたしに挨拶をしてきた。『アラン・ゲルマン』彼は福音監査課の所長であり今年で60歳を迎える人間の男性であります。髪は真っ白で顔にはいくつも皺が深く刻まれており、顎の周りには髭が生い茂っている。そして目蓋は垂れていてその奥には優しげな翡翠の瞳が見え隠れしている。性格も至って温和で如何にも人畜無害な人物です。そんな人柄が功を奏してか適性により福音監査課の所長に選ばれたらしいです。所長といえど立場的には統率役と言うよりかはアドバイザーに近い存在ですが。

「おはようございます、所長。今日もお元気そうで何よりです。ですが老体にあまり無理させないでくださいね」

「君は相変わらず心配症だな。まぁヒュネクストに比べれば僕のような老骨は柔な存在に見て取れるかもしれんが、君が思うほど脆弱ではないよ。こう見えても昔は軍人だったからね」

 彼はわたしを安堵させるように微笑えんでそう言ったものの、彼は独り身な上に過去の戦争に於いて負傷を負ってしまい後遺症を持っているため心配せざるを得ません。それにメアリーが亡くなってから知った話なのですが、所長とメアリーは知り合いだったらしいので尚の事気にかけてしまいます。これが所謂『情』と言うものなのでしょうか。クリスタはそれを『余計なお世話』だとも言っていましたが。

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