ⅳ
今朝は用事があったので早めに家を出て、隣のエーデル家に立ち寄りました。インターホンを押してドアを開けて出てきたのはクリスタではなく、娘のメリッサの方でした。
「おはようございます、メリッサ。お母さんはどうしてます」
「おかあさんなら仕事中。とりあえず入ったら」
メリッサに招かれわたしはエーデル家にお邪魔しました。リビングに行くとクリスタがだらしない格好でソファーに寝そべり、仰向けなって腕で顔を覆いながら唸っていた。
「おかあさん、ルルがきたよ」
クリスタは腕を僅かにずらし、わたしの方を見て気だるそうに言いました。
「なによ、こんな朝早くから」
「早いってもう9時ですよ。どうしたんですか、もしかしてまた仕事で寝てないんですか」
「まぁね、ちょっとが行き詰まっちゃって」
彼女は一児の娘の親でもあり小説家のお仕事をしていました。父親がいない分、彼女はメリッサを愛してあげようと、気負いしてしまって頑張っているように思えました。でも娘のメリッサはそれに察しているようで、我儘や反抗もしないいい子に育ちました。ただしっかりしすぎてあまり母親に甘えられていないのではないかと余計な心配をしてしまいました。
「あまり無理しないでくださいね。そこそこ名も売れているんですからそんなに頑張らなくても」
彼女が書く作品は所謂恋愛小説と言われるもので、それなりに人気があるそうです。けれども彼女は不服な言いぶりで言葉を返してきました。
「今の時代、ほとんどの小説が著作権切れで無料でネットにばらまかれてるのに、いちいち買う人なんて限られてるわ。正直売上はいいとは言えないけど、それでも依頼で書いているからそれなりのお金は貰えているけれども。どうせ私には才能がないのよ。もとより内職程度でやり始めた仕事だし。だいたいルルだって私の作品読んだ時『論理的ではない部分や矛盾点が多々あり、登場人物の感情が理解できません』って言ってたじゃない」
クリスタは自身を取り囲むように空中に表示された拡張現実の資料を邪魔そうに腕で払った。おそらくクリスタは昔のわたしの抑揚のない口調を真似たのでしょう。なんだか彼女がひねくれた子供のように見えてきました。落ち込んだ彼女の機嫌を取ろうとフォローを入れてみました。
「昔は確かにあまり理解できませんでしたけど、今は面白いと思いますよ。なんというか……そう、登場人物がみんな個性豊かで世界観にも引き込まれます。ところで今はどんな作品書いているんですか?」
「最近はヒュネクストと人間のラブストーリーが需要あるとかで、私もそういうの書いてみようかと思ったんだけど全然思いつかないのよ。そうよ、ルルならなにかヒュネクスト特有の恋話とかあるでしょ?」
最近、なんだか恋という言葉を耳にするような気がします。けれどわたしには心当たりがありませんでした。
「えっ……わたしは、べつにないですよ。あっ、でもわたしの同僚の話なんですけど人の男性に話しかけられたのに彼女がヒュネクストだって知ると態度を変えて去っていたとか」
「あーなるほど、そういうのもあるわね。外見や仕草で違いがわからないし、ただヒュネクストってだけで毛嫌いしたりする人もいるものね。いいわねソレ。例えばマシン嫌いの主人公が刑事でとある女性と出会うが、相手が人間じゃないと知るや殺したりして、主人公が人間とは何かとか自身の行いに疑問を抱いたりする話――ってなんかそれどっかで見たような……」
クリスタは狼狽しながら赤髪をクシャクシャに掻きむしる。彼女が既視感を感じている作品はおそらく猥雑としたサイバーパンクですし、もとよりラブストーリーでもありません。人は古くから人間と同じものを作りたがったり、かと思えばその対象に畏怖の念を抱いたりする。所謂フランケンシュタイン・コンプレックスってやつらしいです。それはヒュネクストが誕生した昨今でも議論される悩みの種でもありました。
話を聞いていたメリッサがあっけらかんと呟きました。
「べつに人とヒュネクストが恋したっていいじゃない。何もおかしくないしわざわざ物語する必要もないと思う。それを他人が感動しただの気持ち悪いだのいうのはナンセンス。はい、頭痛薬とお水」
クリスタはメリッサから薬を受け取って口に含み、メッリサはクリスタを支えるようにお水を飲ました。いつもとは立場が逆転し娘が母親を介護する。
「うん、ありがと。確かにそうね。でもそんなことを言ったら全ての物語を否定することになるわ。人と人の隙間があるだけそこに愛がある。たとえそれがヒュネクストでも変わりはない。人はその隙間に心が惹かれるのよ。そうね、それが大事なのよね」
クリスタは優しげなほほ笑みでそういった。彼女の言う通り人と人の隙間があり、そこには様々な愛の形があるのでしょ。それは確かに今この時にもわたしの目の前にも存在していました。
「はい、もうわかったから今日は休んで。ほら、ベットまで運んであげるから」
「大丈夫よ、一人でいけるわ」
クリスタは覚束ない足取りで立ち上ると、バランスを崩して倒れそうになるが、メリッサが彼女の体を支えた。メリッサは母を叱りながらも彼女を寝室にまで運んであげました。戻ってきたメリッサがわたしに尋ねてきた。
「そういえばルル、なにか用があって来たんじゃないの」
「あぁ、そうでした。今から同僚の親御さん病院行くんですけど、少し庭で育てているお花をいただけたらなと思いまして」
「そうなんだ、わかった。とりあえず匂いがきつくないのを適当に見繕ってくるね」
彼女はベランダに出て花壇に植えられている、豊富な種類の花から幾つか吟味し摘みながら、わたしに尋ねごとをしてきました。
「ねぇルル、この前ノエルがさ、学校辞めようかなって言ってたんだけどなにか知ってる」
「えっ! どうしてそんなことを……」
わたしはクリスタが寝ているにもかかわらず、あまりにも驚いて大きな声を出してしまいました。彼は今年の十月でギムナジウムの中間教育を終わろうとしていました。本来ならばそのまま後半教育が始まるのですが、家庭の問題など一身上の都合がある場合、一五歳から就職する事が可能なのですが、教育機関は全て無償なのでよほどの事情がない限り、そのまま進学するのが基本です。わたしにはそれなりの給金が支給されているのでお金の面で何も苦労しておりませんし、彼がなぜそんなことを言い出すのかわたしには見当がつきませんでした。
「なにも訊いてないの?」
「……ノエルさんはわたしには何も言ってくれてないです。どうしてそんなことを言ったのですか?」
不安げに彼女にそう訪ねると、メリッサは貫くような眼差しでわたしを直視しながら、はっきりとした声で言いました。
「それは本人に訊かなきゃいけないでしょ?」
メリッサは摘みとったアガパンサスやサルビアなど淡い薄紫の花で統一し、束にして包装紙にくるみながら徐ろに呟きました。
「花の気持ちは知ることが出来ない。でももしも知ることが出来ても、知りたくもないことを知ってしまうかもしれない。人は気持ちを他人に伝えられるのに、悟られないように話さなかったり誤魔化したりする。でもそれじゃダメだと思う。わたし達は言葉を通じて気持ちを相手に伝えることができるんだから、知りたくないことも知られたくないことも伝えたい気持ちは言わなきゃわからないよ」
彼女は花束をわたしの胸に強く押し付けるよう渡してきた。彼女の言葉はわたしの心に重く響きました。彼に抱いた不信感は、おそらくわたしが招いたものだとそう考えました。きっと彼に隠し事をしてきたツケが回ってきたんだと思います。彼に問いただす前に、まずは自分の事を打ち明けようとそう決意しました。
「そうですよね、ちゃんと彼にわたしの気持ちを伝えたいと思います。メリッサにはいつも心配させてご迷惑かけてます」
「べつに気にしてないよ。ノエルとは腐れ縁でずっと学校も一緒だから付き合いがあるだけで、ノエルだってわたしが隣人じゃなかったら話すこともなかったと思う。あいつは人に興味ないし知ろうともしないから。でもルルは違う。ちゃんとノエルのこと見てあげれるのはルルしかいないと思うから、だからちゃんと向き合ってあげて」
わたしはノエルさんが学校でどう過ごしているのか知ることが出来ないので、同級生のメリッサの方が外での彼のことを知っているでしょう。彼が小さい時からよく彼女が面倒見ていてくれていたので、わたしは彼女を信頼していました。彼女は気にしていないと言ったもの、本当はわたし達のことを気にかけてくれているのでしょう。
「やっぱりメリッサは優しいですね」
わたしがそう言うと彼女は少し照れ隠しのように、わたしの身体を押して玄関まで送り出した。
「ほら、今から行くとこあるんでしょ。私もお母さんがあんなだから掃除もしないといけないし。ノエルのこと頼んだわよ」
「はい。クリスタにはあまり頑張り過ぎないように言っといてください」
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