第11話【結果】

 中間テストが終わった。俺は相変わらず佐々木の名前が思い出せていない。だがそんな中別の事件が起こっていた。

 さっきから触れるのもはばかられる刺々しいオーラが後ろから波のように後から後から寄せてきている。

 その理由は簡単だ。ハルヒがテストで躓いた。あり得ないことだ。


 俺『ハルヒよ、遊ぶのもいいんだが、夏休みの宿題は終わってるのか?』

 ハルヒ『なにあんた。あれくらいの宿題なんて、三日もあればぜんぶできるじゃん。あたしは七月に片づけちゃったわよ。いつもそうしてるの。あんな面倒なものは先にちゃっちゃっと終わらせて、後顧の憂いなく遊び倒すのが夏休みの正しい楽しみ方』

 だいたいこんな感じだったか。あの高飛車ぶりがここまで凋落とはいやはや。



 放課後、SOS団本部、文芸部室。

「驚きました」古泉が率直な感想を述べた。

「当たり前でしょ。いい点の時だけ人に見せびらかして悪かったら隠すなんて人間としてあまりに器が小さいわ」

 そうハルヒは言い放ち、したがって俺の全答案もSOS団員に筒抜けである。

 どういうわけかハルヒは今回絶不調だったが、古泉にしろ長門にしろまったく点数的には秀才である。ついでに言うと国木田だって鶴屋さんをライバル視するくらいだからそれはもうそれなり以上に勉強はこなしているし、国木田の目標にされる鶴屋さんもただ者ではない。もっと言うとあの佐々木は県内有数の進学校の生徒である。

 『友が皆 我よりえらく 見ゆる日よ——』と詠んだのは石川啄木だったろうか。俺の周りで俺に学力で劣っていると確信できるのは谷口くらいだ。谷口は『勉強だけが才能の活躍手段じゃねえからな』などと嘯いていたが、よくもそんな台詞を言えるものだと感心する。感心といえば俺だ。こんな周囲の中にあって俺はイジケるでもなく腐るでもなく平常心を維持し続けているとは、なかなかやるじゃないか、俺。

 というのも、調子が悪いハルヒにも俺は負けていた。


 そして肝心の朝比奈さん。SOS団全員が中間テストの全答案の情報公開を団長命令で義務づけられたため、期せず朝比奈さんの学業成績について俺は知るところとなった。

 結論、悪くないじゃないか。極めて高くないが高めはキープしているという目立たない良い点数なのだった。計算され尽くした調整と言えなくもない。未来人ならばその未来人的予測で予め問題用紙の中身が解っていても不思議じゃないが、そこはそう思いたくはない俺がいる。


 そんな中、古泉が俺とハルヒの答案を両手に持ちなにやら思案の最中。しげしげと俺の答案を見るんじゃない! この九組め。

 だが古泉の顔はやけに小難しい。

「これを基に調査票を書くとなると困ったもんよね」とハルヒが投げやりに言った。コイツでもテストの点数が悪いとこういう感情に囚われるということなのか。

「いい? だけど調査票を書いたら全員情報公開だから。公開を拒む者は罰金だからね。キョンっ。解ってる⁉」

「なんで俺だ」

「そうね。そう言えばそうだわ。みくるちゃんだったっけ。みくるちゃん、あなた選ぶ進路が無いくらいの成績じゃないのに進路を言えないのはおかしいわ。それともなに? 隠さなきゃいけない理由でもあるのかしら?」ハルヒはそう言うと朝比奈さんにじりっと詰め寄った。自分の成績が振るわなくてもこの件について忘れていないとは。

「ひいいっ」と朝比奈さんは可愛らしい叫び声を上げたが今日のSOS団は変なのだ。朝比奈さんが専属メイド服を着てはおらず制服のままなのだ。

 このままでは朝比奈さんの素性がハルヒにばれかねず、かなりマズイ状況なのだが長門はいつものように平然と分厚い本を繰っているし、古泉に到っては他人の答案の点数をメモっているではないか。


 ええいっ、俺がやるしかない。

「おい、ハルヒ」

「なによ?」

「終わっちまったものは仕方がない」

「なに? また開き直ってんの?」

「そうさ。開き直りさ。確かに俺は点数的には不調で、ハルヒ、お前もまた同様だ」

「あたしに説教するなんてずいぶん偉くなったじゃない。人間落ち目になってくると次々と舐める人間も増えていくのよね。全国模試でも申し込んで挽回するしかないのかしら」

「つっかかるな。これを基に調査票を書かざるを得ないのはそれとして、今度の日曜日はもうテスト直前じゃないぜ。梅雨のことを考えたら次を逃したら晴れの日はもうしばらく無いんじゃないか。梅雨明けは晴れてもクソ暑くなるだけだし」

「なにが言いたいわけ?」

「そろそろSOS団恒例の不思議探しをしてみても良い頃だと思うんだ」

 ハルヒは厳しい目で俺を睨むように見つめていたが、

「あんたにしてはいい考えじゃない。じゃ次の日曜、いいえ土曜に決行するから。試験で中断してた〝SOS団市内ぶらぶら歩きの巻〟、気合いを入れて行きまっしょう!」そう団員に発破をかけた。


 これで朝比奈さんは取り敢えずハルヒのターゲットから逃れられたらしくほっとしたような顔をしていた。ハルヒは早くも何かを思いついたらしく演説をぶち始めた。

「今度の土曜は今までとは違う場所の探索が必要だわ。SOS団にマンネリは相応しくないの。じゃああたしは地図を見るから。そうね、有希、あなたも図書室に着いてきて。地図を読むのも得意そうじゃない? 地図を見て何かを感じるって事も十二分にあり得るわ」と、宣言すると同時に部室の備品のようになっている長門を強制的に椅子から引きはがし出て行ってしまった。


 ハルヒが長門を伴い姿を消した途端に「はぁ〜」と朝比奈さんの溜息。

「キョンくん、ありがとうございましたぁ」とお礼を言われる。

「いえ、それはお礼を言われる程のもんじゃないですけど、朝比奈さん、本当に志望大学が無いんですか? さっき見せてもらった朝比奈さんの点数ですけど、勉強ができなくて入学できるところがないとはとても言えませんよ。あるでしょう。あの点数なら。正直俺よりスコアはいいですよ。それともより高い志望を持っていてあの成績では足りないとかですか? あるいはこの時代で進学する意味が無いから志望大学が無いんですか?」

 俺にしては思いの丈を一気に語ったような気がする。


 朝比奈さんは「うう」とか言いながらなにごとか一生懸命に考えている様子。俺はこの時古泉が無言でそんな朝比奈さんをじっと眺めていることに気がついた。ええい腹の立つ。

「朝比奈さん、例によって禁則事項ってのに触れるんなら俺はこれ以上訊きません」

「ごめんなさい。わたしが本当はどこの大学を志望することになっているかなんて禁則事項であるわけないんだけど、今はだめなんです。禁則事項になってしまっています。そのうち解除されると思うんですけど」


 突如古泉が口を挟んだ。

「朝比奈さん、ひょっとしてこれからあなたの進学するであろう学校と涼宮さんが進学するであろう学校は同じではありませんか? 故にあなたが志望校を明かすことが禁則に触れるという」

「ごめんなさい。それも含めて禁則事項です。わたし涼宮さんにずっとずっと同じことを訊かれていて完全に怪しまれてしまってます。だけどわたしだけの判断じゃどうにもならないんです」

「適当にデタラメな志望校を言ってしまえばいいじゃないですか」俺は助け船を出した。

「それもだめなんです。それはそれで未来に影響を与え、きっと何かを変えてしまうんです。だからわたしは口をつぐんでいるしかなくて」

「おそらく朝比奈さんの未来では——」と再び古泉が口を開く。「——涼宮さんはこの高二、一学期の中頃の時点では志望校を決めていないのでしょう」

「ハルヒが他人の志望校を聞いて影響を受けるとはとても思えないぜ」

「さて、どうでしょうか?」

 古泉が偽悪的表情をした。正直また癖が出たのかと、もはやそういう感想しか持ち得ない。


「涼宮さんが今回テストで獲った点数とあなたが獲った点数を比べてみました」

「つまらんことをする。あんなに調子の悪いハルヒにも勝てなかったんだからな」

「どの教科も五点差です」

 なんだって?

「そうなのか?」

「ええ、量ったようにどの教科をとってもあなたの獲った点数より五点多いんです。涼宮さんは。こんな器用なことは普通できませんよ」

「どういう解釈をするってんだ?」

「まず涼宮さんはあなたに負けたくないと思っています」

「負けるわけがないだろう」

「しかし負けたくないと思う一方あなたの近くにもいたい、とね。その結果がこの中間テストの点差なのだと僕は思いますが」

「ハルヒもずいぶんせせこましく能力を使うようになったもんだ。もっと宇宙的変動かなにかを起こすんじゃなかったのか?」

 もっとも本人には一切その自覚が無いのだろうが。佐々木のことといい、な。


「しかしいつまでこんな状態が続くんでしょうか? 今のところ閉鎖空間も発生しておらず神人も暴れ回ってはいませんがね」

「我慢でもしているのか?」

「その可能性が高いと思っています。ただこのままだと涼宮さんはこの先あなたと同程度の成績を取り続けあなたと同じ先へ進学するということになりかねない。逆の意味で実力不相応の進学先を選んでしまった場合、鬱屈したストレスはいかほどになるでしょうか?」

「言っておくが俺には無理だからな。本来のハルヒ並みに勉強をこなすなど」

「しかしあなたは一年三学期期末では涼宮さんと二人三脚、ずいぶんと努力しそれなりの成果を得たはずで、いい傾向だと思っていたんですよ。あなたも涼宮さんも進学コースでしょう。できれば同じ大学にそのまま上滑りしてくれると、こちらとしても助かるんですが。大学入試までご尽力のほどをよろしくお願いします」

「進学絡みで『機関』の世話になるなんてまっぴらだ」

「僕はその点意外に楽観しているのですが、実は世話になどならなくてもいいのかもしれません。涼宮さんに願い信じ込ませることができればなににでもなれます」


 古泉によれば、ハルヒの願いはたいていにおいて叶ってしまうのだという話であり古泉の言い草は今に至るも一切ぶれてない。俺と長門と古泉がまとめてハルヒと同じ大学になってしまう可能性だってある。学部学科すら。北高特別クラスにおいては理系志望のはずの古泉だが、古泉個人の都合もお構いなし、文系にだってしてしまうのがハルヒ的変態パワーだ。朝比奈さんの目からビームを出すことに比べると、んなもんまだ常識的だろう。

 問題はハルヒがそんな自分の力を知らないってことで、だからこそハルヒ自身、大学ではSOS団員全員バラバラになってしまうこともあり得る、と思い込んだが故にそっちの方が実現してしまうという事も起こり得る。

 これまたハルヒだけが未だに知らないが、長門の情報操作や古泉の組織を使えばたいていのことはできてしまう。そういう意味では確かに二重三重に楽観できる。


 だがな——

 腹を割って正直に言おう。そんな楽観はいらんのだ。この先どこまで一緒にいるかは解らない。ただ俺は二年になってもハルヒの前の席にいたかったのであり現にそうなっている。もしバラけたりしたら、俺はクリスマス直前に起こったハルヒ消失事件の縮尺版のような気分を味わいそうな気配だった。俺が見てないところで何しでかすか気が気ではないしさ。だが、一方でそれならそれでかまわないと考えているのも事実で、大学まで無理に同じにする必要も無いだろう。こういうのを二律背反と言うんだろうな。これまた古泉が語るように、ハルヒのトンデモ能力がどんどん落ち着いていったら、それはそれでいいことなのだ。


 ただ——、やっぱりというか、同じところでないと少しは寂しく感じるかもしれないが。

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