第22話【異人】

 俺が佐々木の名前を忘れ、中学の卒アルが行方不明になり、しかもそれは俺だけに起こったわけではなく中学からの同級生国木田にも起こっていた。

 これが始まりの『小の事件』。

 次に起こった事はハルヒを殺して世界をどうにかしようとしたあの藤原がこの世界にまだいたこと。これが『中の事件』。

 そしてまた新たなる事件が起こっていた。おそらくそれは『中の事件』から派生した『中の二事件』とでも言うべき事件だったがハルヒ的には当然『大事件』なのであった。



 月曜日、ただ今放課後、文芸部室、SOS団本部。

「どういうことよ。みくるちゃんが休んでるって。SOS団専属メイドが仕事をさぼるなんてあり得ないわ。部活動の無断欠勤は死刑よ!」ハルヒが音量など考慮もせず荒れに荒れ続けていた。古泉も長門もどう扱ってよいのかと遠巻きに眺めているだけ。

 『大事件』とは朝比奈さんが学校に来ていない、という事件である。朝比奈さんはきっと藤原絡みで調査尋問でも受けているに違いない。


「待てハルヒ、落ち着け。誰だって一日くらい体調不良で休むことくらいあるだろう。この間の長門みたくさ」

「なに言ってんのよ。あたし、鶴屋さんに訊いたのよ。そしたら無断欠席だって。なんだか進路のことで悩んでいたみたいだって言われちゃって、言外に責められてるみたいだったわよ」

 朝比奈さんの志望大学調査でハルヒに同道しなくて良かったと心底思う。


 その時だった。妙な声が部室全体に響き渡った。それは先ほどから俺の耳に届いていた声と寸分違わない同質の声。

 

「こんにちはーっ、生徒会情報室長の涼宮です」


 ハルヒが俺の視界に入っているのに後ろからハルヒの声が聞こえてきた。嘘だろ! 振り向けばそこには北高ジャージの下にTシャツ、髪はご丁寧にポニーテールに結ってあるこの出で立ち——


 まさか、光陽園のハルヒ⁉


 俺、長門、古泉、本物のハルヒ、全員があっけにとられていた。

 とっさにマズイっという感覚が電流の如く身体を走り抜ける。こいつは長門が宇宙人であることも、古泉が超能力者であることも、この場にはいないが朝比奈さんが未来人であることも知っている!

 だが一番心配しなければならないのは他ならぬ俺自身であることに気づくのが一瞬遅れた。

「ジョン、なんで消えたの?」ポニーテールのハルヒが既にそう口にしていた。

 それは一瞬で具現化した悪夢だった。

 頭の中にあの時のことが蘇ってくる。


 中学生のハルヒ『あんた名前は?』

 俺『ジョン・スミス』

 あの七夕の夜の東中グランドでのやり取りが。 


 ——俺には何の能もないが、ハルヒをたきつけることくらいはできるんだ。

 俺はハルヒにジョン・スミスの名を封印している。そいつはいざという時のための切り札なのさ。切り札を俺は持っている。その時が来たら——ただ一言、「俺はジョン・スミスだ」と言ってやるだけでいいんだ—— 

 ああ、そうとも。俺にはヘチマ並の力しかないとも。しかしハルヒには唐変木な力がある。長門が消えちまったら一切合切をあいつに明かしてすべてを信じさせてやる。それから長門探しの旅に出るのだ。長門の親玉が何をして長門をどこに隠そうが消し去ろうが、ハルヒなら何とかする。俺がさせる。ついでに古泉と朝比奈さんも巻き込んでやろうじゃないか。宇宙のどこにいるのかも解らん情報意識体なんぞ知ったことか。んなもんどうでもいい——


 そんなことをなんとはなしに考えていた。


 俺が俺の正体をハルヒに明かした正にその時、SOS団が遂に大覚醒モードに突入。いよいよ全宇宙に、そしてあらゆる時空に対し挑戦状を叩き付けるような破天荒な大冒険活劇が始まるんじゃないかと漠然と思っていたりした。

 ま、実際にはその時なんか来て欲しくないなんて思っていたりするけども、その時は唐突に来てしまった。俺がジョン・スミスであることが明かされる時が。

 だが今やこの切り札は却ってこの俺自身を切り刻んでしまいそうな疫病神と化していた。まるでジョーカーだぜ。自分はポーカーをやっていたつもりがいつの間にかババ抜きをさせられていたみたいな、いつの間にかやってるゲームが別のものに変えられてしまったような……


「ジョンって誰よ⁉」

 それもまたハルヒの声。正真正銘SOS団団長の声。

「これよ。ジョン・スミス」

 ポニーテールなハルヒが一言で言い切った。同じ声が俺を挟んで飛び交っている。しかも決定的にマズイことに俺の襟首がポニテハルヒに掴まれている。

「それはキョンよ!」SOS団団長の方が俺のあだ名を口にした。

「あぁ、そうとも言ったわね。でもキョンなんかよりジョンの方がいいって、あたしがアドバイスしてやったのよ。だからジョンよ」

「あんた誰? あたしと顔も声も同じで、さっき〝涼宮〟とか言わなかったっけ?」

「そう、涼宮ハルヒ。光陽園学院二年」

「デタラメ言うな! そんな名前の学校は無いわよ。女子校よそこは。光陽園女子。私立光陽園女子大学付属高等学校っていう名前の学校のはずよ!」

「あぁ、そこね。ちょっと違ってるからね。あたし基本異世界出身ってことになるんだろうし、そっちではそこにいる古泉くんと同級生だし」

「え?」と、らしからぬ声を出し古泉は顔を引きつらせていた。そうだ、長門だ。長門はどうしてる?

 何が起ころうと本を繰る手を休めない長門が顔を上げ光陽園のハルヒの方に視線を固定していた。長門にしてはあり得ないという表情をしていた。口が僅かに開いていたのだ。間違いない、驚愕、という感情だこれは。そういう表情だ。なにしろ消したはずの世界線の人間が目の前にいるんだからな。


 俺『異世界人はどうした。まだ来てないのか』

 古泉『結果論的に、今のこの世にはいないのでしょう。いたなら、何らかの偶然なり必然なりによってこの部屋に呼ばれているでしょうから』

 ハルヒ『この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい』

 最後まで姿を現さなかった真打ちが今ごろ来やがった。異世界人が来やがった。よりによってこの部室に。ハルヒのところに。しかもやって来た異世界人は涼宮ハルヒだった。


「ジョン、あの後どれだけ気まずい思いをしたか解ってる? あんたがいきなり消えた後、訳の解らない面々だけでこの部屋に取り残されたのよ。そこにいる長門さん……だっけ、眼鏡無いけど、はオロオロし始めるし、あの中学生みたいな高校生、確か一級上だったはずよね、は泣き出しちゃうし、古泉くんなんて『逃げましょう涼宮さん』なんて言い出しちゃって通報されるかと思ったわよ。なんとかあのふたりを言いくるめて通報だけは阻止したけどね。ホント、知らない人間と狭い部屋で一緒だなんて気が詰まるんだから。それもこれもあんたがいきなり姿を消すからよ。謝りなさい!」

 一気呵成に怒濤のような苦情を俺に流し込んできたポニーテールのハルヒ。

 だがもう一方のハルヒも大人しくはしていない。

「あんたなに土足でこの神聖なSOS団部室に踏み込んでんのよっ。誰の許可をとってるの?」

「一応上履き履いてるんだけど」

 ポニテハルヒは自分が履いてる見慣れない上履きを指差した。そこにはわざわざ『涼宮』とマジックで書かれていた。

「上履きとか関係ない。あんたが許可無くこの場所に踏み入ってるのが気にくわないのよっ!」

「せっかくあたしが来てあげているのにどういうこと?」

「招待してないっ」

「じゃあ最後に一言言ってあげるわ。あたしには奇妙な潜在的パワーがあるの。世界を変えることができるかもしれない正体不明の力。あたしは凄い能力の持ち主なのよ」


 どさっ、と音がした。振り向けば長門が本を床に落っことしていた。あの長門がだ。古泉はもはや固まったまま。

 俺だ。俺のせいだ。俺の仕業も同じだ。ぼかしたとは言え、俺がこの光陽園のハルヒに言っちまったんだ。真実を。そしてこのハルヒはこう言った。

 『そのあたしは本当にバカね。あたしは信じるわよ』

 なんてことをやらかしたんだ、俺はっ‼


「あんた、それが高校生の言うことなの? いい歳して」

 我がSOS団団長様の言うこととは思えないようなことばが口から飛び出した。

「言うわよ。だって『ジョン・スミス』を知ってるし」

 止めてくれ。

 ポニテのハルヒはとどめを刺しに来た。

「ただの人に興味はありません!」

 それをハルヒに向かって言っていた。

「ふざけるなーっ! 帰れーっ!」

 ハルヒは途方もない大声を出しポニテのハルヒを部室外に押し出した。件のハルヒは案外大人しく押されるままになっていた。廊下に追い出されると悔しがる素振りも見せず、「じゃ」と一言言って軽く右手を振り立ち去ろうと——

「追うんです!」とその瞬間声を発したのは古泉だった。猛然と立ち上がり、

「突き止めるんです! どこから来たのかを」と叫んだ。

 反射的に俺も身体が動いた。現在この場にいるSOS団員全員が一斉に廊下に飛び出した。

 そこに見たものは——


 ポニテのハルヒの隣りに立っていたのは光陽園の漆黒のブレザーに身を包んだ周防九曜。ここは北高だってのに堂々と他校の制服で入って来やがる。

「あんたたちね——」と怒髪天を衝く勢いでSOS団長のハルヒが誰よりも前にぐいっと出ようとしたとき、

「下がって」

 長門が左手を真横に真っ直ぐに伸ばしハルヒの突出を止めていた。


「とても危険」

「有希……」

「危険って誰が危険なのかな? え、とっ長門さんだっけ?」ポニテのハルヒの挑発めいた物言いにも長門は応対せず構えも崩さず黙ったまま。

「ここにいる〝くーちゃん〟はね、あたしの仲間なのよ」再び口を開いたポニテのハルヒは九曜の両肩に手を掛け抱きかかえるようにくっついていた。九曜の顔はほぼ正面を向いたまま、眼球の動きだけで自身を抱きかかえているハルヒの方を見ようとしていた。

 信じがたいことに九曜の頬がうっすらと染まっている。

「くーちゃんって、そこの九曜か?」俺は訊いた。

「そうよ、ジョン。九曜ちゃんだからくーちゃんなわけ」

「バカ、そいつは——」

 ハルヒを殺そうとしたやつだ——、そう言おうとした瞬間、九曜が俺の目を貫くような視線で直視してきた。頭の中にことばが響いたような気がした。

 〝黙っていろ。でないとこちらもそちらについて黙ったままでは済ませない〟と。

 だがポニテのハルヒは予想の上を行っていた。

「くーちゃんはね、そんじょそこらの美少女キャラじゃないのよ。宇宙人属性を持っているんだから!」

 いきなり正体ばらすのかよ!


 我がSOS団団長のハルヒは実は何も知らなかったりするが、その対極、このポニテのハルヒはなんでも知りすぎている。

「じゃあ行こうか」ポニテのハルヒが九曜の手を引っ張って階下へと姿を消そうとしていた。

 誰も追おうとする者はいない。誰もが周防九曜の危険性を熟知しているからだ。唯一それを知らないこちらのハルヒは長門が動かないよう制止したままにしていた。

 ハルヒが激昂して追い出したせいでもう一人のハルヒと九曜が何の目的でここにやって来たのか全く見えてこない。

 しかしあのハルヒもハルヒである以上はその行動が迷惑極まりないものになったとしても不思議はない——

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