第21話【会議】

 日曜日。ここはいつもの喫茶店。指定してるわけじゃないがいつもの指定席。ほんの昨日、俺はここで藤原と遭遇していた。

 ハルヒに気づかれることのないよう残りの団員で集まるときはやけに気を使う。こういうのがバレたら非常にまずいことになる。


「珍しいですね。この三名の取り合わせがです」、そう古泉が口にした。

 そう、ハルヒを除く全員に招集を掛けたにも関わらずここにいるのは俺と長門と古泉の三名のみ。朝比奈さんは来なかった。


「長門、すまんがこの四人掛けの席だけを異空間にできるか? ハルヒに見つかるわけにはいかんし、話も長くなりそうなんだ」

 長門は無言で一ミリほど肯くと、何事かを高速で喋り始める。むろん誰にも聞こえない。その一刹那に周囲の景色は俺がこれまで何度か目にしている幾何学模様と化した。


 と言うのもほんのついさっき、肝胆が凍るほどの恐怖の電話が掛かってきた。それはよりにもよってハルヒからだった。何の用事で掛けてきたのかさっぱり解らないひとしきりの雑談の後、おもむろにこう言った。

〝ところであんた。何か隠し事してない? いま誰かに会ってる……とか、何かあたしの知らないところで変な企みを企ててたりとか……〟

 むろん考える前に反射的に否定していたのは言うまでもない。しかしなんと勘のいい奴なんだろう。こっちは学校のある平日ではなくわざわざ日曜日を選んだというのに。こんな場をハルヒに見つかるわけにはいかない。それ故に長門に密室化をリクエストしたのである。そしてここは俺と長門と古泉が腰掛けた四席分の席とひとつのテーブルがあるのみの空間となった。


「これもまた閉鎖空間の一種でしょうね」古泉が軽口を叩いた。

 だが俺はいつもの調子では喋らん。必要なこと以外はな。

「朝比奈さんが来ていないわけだが、何か聞いてはいないか?」

 長門は俺をじっと見てはいるが何も返事は無い。古泉は眉根を僅かに寄せた。朝比奈さんの進学先を執拗に嗅ぎ回ったことについて今さら問い詰めても仕方ない。それが『機関』という組織なら。肝心なのは『機関』とSOS団を天秤にかける時さ。ともかく今は話を進める。


「それと関係があるのかもしれんのだが、実は事件が始まってるらしいんだ。佐々木の名前が思い出せんとか卒アルが行方不明とかそういう軽い感じじゃなくてな、単刀直入に言うと藤原が出てきた」

「先を」古泉が続きを促した。

「先ってお前、佐々木と九曜が行動を共にしているとか言ったのは『機関』だろ。藤原の件も知ってたんじゃないのか? それとも『もう現れることはない』なんて言ってしまって外したからダンマリを決め込んでいたのか?」

「単純に藤原氏が行方不明になっていたからそう言ったまでです」

「俺はお前たちから情報の交換を持ちかけられ、それを承諾したから今ここにそのための場を用意してるとは思わないか?」

「その点につきましては感謝します。しかし、どうして長門さんがいるんです? たまたまこの席にはいませんが朝比奈さんにも声を掛けたわけですよね」

「取り敢えずその件については後でまとめて聞く。今は藤原だ。どう考えても組織の後ろ盾も無くなった一匹狼で無一文そうでもある。早い話しこの世界でどうやって生活しているのか解らん。あいつの背後にあいつを支援している誰かがいる。その正体を突き止める必要がある。そのためにはSOS団の結束が必要なんだ。今日集まってもらったのはそのためなんだ」

「この期に及んでまだ結束を求めるんですか? 現在のあなたがある種の開き直りの境地に達したように、僕もまた涼宮さんやあなたがた団員の皆さんに初対面時には考えられないほどの好意を抱いています。副団長でもありますし……いえ、そんな肩書きを理由にすることもないですね。あの雪山の館で僕が言ったことを覚えていますか?」

 覚えているさ。『機関』と長門を秤にかけるような事態があったら、一度だけでも俺たちの方を選ぶと言ったあの時の言葉をな。

「当たり前だ。お前が忘れても俺が忘れん。あの約束を反故にするようなことがあれば、俺はハルヒと力を合わせてお前にとびっきりの特製バツゲームを与えてやる」

「安心しましたよ。僕が記憶喪失になってもだいじょうぶそうですね。あなたたちが思い出させてくれそうだ」

 『一度だけでも』というところがイマイチ信用のならんところだが、ともかくそう言ったのは事実だ。この事実をもって古泉のことだって少しは信用してやれる。

「長門さんがあっさりと窮地に立つなどよほどのことで、そう何度もあるとは思いたくありませんが、僕にできることならしますよ」

 “その決意を長門以外の仲間にも向けてもらいたいもんだな”と言おうとして慌てて言葉を飲み込んだ。別のことばで言い換えた。

「朝比奈さんもSOS団の団員だ。そっちの方も頼みたいんだ」

「解ってます。朝比奈さんも守ってあげたくなる人に変わりはありませんから。そこの部分は不変です」

「『機関』との折り合いは付けられそうなのか?」

「現在の朝比奈さんは『機関』の攻撃対象ではありません。そこは明言します。故に結論はこうです。僕と『機関』が折り合いをつける必要は元々ありません」

 どう受け取ったらいいだろう? それを察したのか古泉がさらに続けた。

「朝比奈さんは僕にも『機関』にとっても守護の対象です。ですが気をつけてください。あなたのあの朝比奈さんとは違う、別の出で立ちをした朝比奈さんはそうではないかもしれませんよ」

 古泉は笑顔を消し真顔になっていた。軽口は鳴りを潜め、この会談の場がいつものSOS団の雰囲気ではないことを既に自覚している顔だ。

「たぶんそうかもしれない。きっと朝比奈さんが来られないのは藤原絡みなんだろうと思う。ヤツの存在は規定事項じゃない」


「長門、」俺は長門に話を振った。

「——そういうわけで俺は多少の無茶を言うが、所属組織の意向ってやつはあると思う。だが敢えて言わせてもらう。所属組織とSOS団を秤にかけるような事態になったら、SOS団を選択してくれ」

 長門は黒飴に金箔を散らしたような、思わず吸い込まれそうな瞳でじっと俺を見ていた。


「無茶を言いますね」古泉が口を挟んだ。

「無茶じゃないさ。なにをどうすればいいのか解らないから見ているだけなんだろう? だったらSOS団の活動を優先できるはずだぜ。これが今日俺がここにSOS団員を集めた理由だ」

「正直なところを言わせてもらえば、現実問題、僕も少数派になりつつあるんですよ。どの意見に帰属するのかと問われたら、僕はまず第一にSOS団を思い浮かべてしまいます。僕の所属団体はいまや『機関』よりもあそこであると感情が訴えかけているのですよ。だから、こうも思います。もし『機関』から与えられた使命がSOS団の利益を損なうような場合、果たして僕は葛藤などするのだろうかと、ね」


 長門が喋りだした。

「古泉一樹。その時あなたは『機関』を選ぶべきではない」

 長門——、

「——あなたの力はわたし達とともにあって初めて有効性を持つことになるのである」


「なるほど、では長門さん、あなたはどうです?」古泉が訊いた。

「その時は遠からず来るだろう。しかし今ではないことも確かだ。我々は情報の不足をなによりも瑕疵とする習慣がある。可能性の段階では、明確な行動はとることができないのだ」

「もちろん〝可能性の段階〟からこっちについてあっちと手を切れとは言わないさ。だけど〝可能性の段階〟をオーバーしたらどうするかってことさ。長門、承諾と受け取ってしまっていいのか?」尋問気味になってるのが嫌だが俺は訊いた。


「そう」

 長門が、言ってくれた。


「長門さんの覚悟は伝わりました。しかし朝比奈さんがこの場にいません」古泉が新たな設問を口にした。言わんとしてることは解る。厳しい問いだ。

 だが俺は朝比奈さんじゃない。勝手に承諾の返事を俺がするわけにはいかん。だから代わりにこう言った。

「藤原が出てきたとなれば朝比奈さんが困った立場に立たされるくらいは想像できる。何しろ藤原がこの時空に存在してることが規定事項じゃないんだ。未来人からしたら大事件なんだ」

「その朝比奈さんは、いつもの朝比奈さんということでいいんですよね?」古泉がわざわざ念を押してきた。

「当然だ」俺は言い切る。


「——さて、そこで藤原だ。アイツは普段どこにいる? アイツはこの喫茶店の中から蒸発するように消えてしまった。もちろん消えるとこなど見てないが」


「藤原を自称する個体はこの世界には存在しない」

 衝撃的なことばをサラリと吐いたのは長門だった。

「いや、存在したんだ。例えば今俺たちがいるような空間を造りだして潜んでるとか」

「考察済み。この空間は長期間は維持できない。可能性は既に否定されている」

「待ってくれ長門、俺は会って一時間もヤツとお喋りをしちまったんだ。まさか幽霊ってわけでもないだろ」

「むろんです。そういうことになるとあの閉鎖空間で彼が神人、つまり涼宮さんの分身とも言える存在に殺されたことになる。あるいは僕が殺したことになる。誓ってそのような事態は無かったと断言できます」

 古泉が真顔で反論した。

「殺人事件の当事者にされたんじゃ敵わんということか」

「古泉一樹が言いたいのはそうではない。藤原を自称する個体は確実に存在しているのにこの世界から消えている。そういうこと」

「ええ、長門さんの言うとおりなんです。我々『機関』の情報収集能力を少しは評価してもらいたいですね。あの閉鎖空間崩壊後、この世界に藤原氏は発見できませんでした。故に元の未来へと帰って行ってしまったのだとしか解釈できないんです」


「長門、古泉、ちょっと確認しておきたいんだが」

 長門は顔だけをこちらに向け、古泉は「なんでしょう?」と言う。

「そもそも俺がしている『藤原がまだいた』、という話を信じているか?」

 長門は二ミリほど肯き、古泉は「わざわざ言った本人が不快になる嘘も無いでしょう」と言った。俺はそれを確認し、

「この今の世界のどこかに藤原の隠れる場所があるはずなんだ。そうだな、例えば九曜の自宅なんてどうだ? どうせ一人暮らしだろうし人一人匿うことは可能じゃないか」

「それならわたしが気づく」長門が反応を示した。

 そりゃそうか。

「ただ、周防九曜は不可解」

 長門に言われてしまうとは。

「どう不可解なんだ?」

「ときどきいなくなる」

「どこかに出かけてるのか?」

「これは一般的に言う外出ではない。この世界から存在が丸ごと消え失せる。一定時間が過ぎると再び現出する。その間の挙動は不明。追尾は不能」

「長門、お前でも解らないのか?」

「そう」

 天蓋領域とやらは情報統合思念体をもってしても行動が読めないということなのか。

「藤原氏の捜索は難しそうですね」そう古泉が口にした。

「しかしだな」

「いえ、必ず向こうから、向こうから動きがあります。大人しく隠れていれば誰にも気づかれないのにわざわざ動いたというのは、この続きがあるんです」

「だとするとだな、この先は本格的にもっとヤバくなるかもしれないんだ」

 俺は藤原のあの脚を思い出しながら言った。

「とっくにヤバいと思いますよ。涼宮さんなんて殺されかけたんですから」

 そうだよな。それを忘れちゃいかん。それをやろうとしてたのも藤原だったってこともな。古泉がさらに先を続ける。

「——再びその御仁が登場したとあっては改めて結束を確認したくなるのも解ります。今この時点においても我らSOS団の団結は未だかつてないレベルのまま維持されてます。外宇宙生命体だの地球土着の未来人だの、涼宮さんシンパの限定超能力者だの、そんな垣根は無きに等しいんです。僕たちは完全にひとつの目的に向かって思惑を一致させている。中心人物はもちろん、涼宮ハルヒさんと、そして——あなたなんですよ。あなたの背後には涼宮さんが、涼宮さんの背後にはあなたがいる。あなたがた二人にできないことなどこの宇宙に存在しませんよ」

 今度は長門の方に目をやると三ミリほど肯いた。

「現在のわたしは、過去未来を問わずいかなる時空連続体に存在する自分の異時間同位体と同期することが不可能のまま維持されている——」


「禁止コードを申請したから——」


「それはわたしの自律活動に齟齬をきたす可能性があると判断したから。同期機能を失うことで自律機動をより自由化する権利を得た。わたしは現時点におけるわたしの意志のみによって行動している——」


「故に未来に束縛されることはない。改めて宣誓する。未来における自分の責任は現在の自分が負うべきと判断した——」


「あなたもそう——」


「それが、あなたの未来」


 長門、普段から口数が少ないのに長々と喋らせて済まないな。朝比奈さんがこの場にいないのが気がかりだが団員三名、改めて結束を確認できた。

 俺は長門や古泉の所属している組織を実のところよく知らん。よく知らんがSOS団員としての立場を優先してくれると言ってくれたんだ。


「改めて今後の行動についてだが」と俺が口にすると、

「あなたにお任せしますよ。何が起ころうと僕はあなたと涼宮さんについていくことしかできません。それが僕の仕事であり任務でもあるのでね」そう古泉が言っていた。長門も二ミリほど肯いていた。

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