第6話【車中】

 やはり事件は起こっていたんだ。そしてやはり長門はもう知っている。原因はハルヒ。


 俺が帰宅するのと同時に黒塗りのタクシーが滑り込むように走ってきて俺の家の前にピタリと停車した。

「やあどうも」そう言ったのは古泉だ。

「ずいぶんと早いじゃないか」

「それはきっと長門さんとの話しが割合に早く済んでしまったからではないでしょうか? 僕はタイミングを合わせて来ているだけですから」

「何かが起こっていることに感づいているんだな?」

「ええ、でもその話しは車の中で、ということにしませんか?」

「ちょっと待て」

 俺は自宅の扉を開け通学用鞄を置いた。ドアの開く音で玄関までやって来た妹にちょっと遅くなると告げた。約一年前、俺はやはり同じようなことを言ってたっけ。


 車に乗り込むと、やはりか。

「新川さん」

「はい、左様でございます。本日は安全運転に徹しますのでご安心を」と聞かれもしないことに答えてくれた。

「では適当に流してください」古泉が言った。黒塗りのタクシーはゆっくりと動き始める。古泉はなにか知っているのか?


「あなたはSOS団の進路はどこになると思いますか?」

 訊かれたのは佐々木の佐の字も無い意外な問い。思わず古泉の顔をのぞき込むとその顔は似合わないほどの真顔だった。

「どういうことだ?」

「SOS団の将来です。有り体に言いましょう。この団体は高校の部活動で、高校卒業と同時にその活動が終わるんでしょうか?」

「部活なら当然終わるだろう。高校を卒業してからも甲子園大会出場を目指すバカもいない」

「それは〝普通の部活〟の場合です。我々の場合普通の部活動ではありませんし、厳密に言って学校公認でもなんでもありません」

「この際だから言っておく——早くハルヒをどうにかしてやってくれ。でないとこの女団長はいつまで経っても謎のまま、中性子星みたいな引力で俺を重力圏に搦め取ったままだろうからな。今はまだいいさ、でもな。十年後くらいを考えてみろよ。その時になってもハルヒがこのハルヒのままだったらどうするんだ? かなりイタイことになるぜ。部室を不法占拠したり、街中を鵜の目鷹の目練り歩いたり、無意味に騒いだり怒ったり情緒不安定になったりが許されるのはギリギリ十代までだ。いい歳こいてまでやるもんじゃない。そんなのただの社会不適合者だ。そうなっても古泉、お前や朝比奈さんや長門はハルヒに付き合ってなにかしてやるつもりなのか?」

「ええ、そのつもりですが」


 なんて言ってやりゃあいい?


「俺なら先に謝っておこう。すまん、そんなつもりは毛頭ない。なぜなら時間が許さないからさ。人生のリセットボタンは簡単に落ちてたりはしないし、セーブポイントがどこかの路地裏にマーキングされているわけもないんだぜ。ハルヒが時間を歪めてたり情報を爆発させていたり世界を壊したり創ったりしているのかどうかなんて関係ない。俺は俺で、ハルヒはハルヒだ。いつまでも付き合ってはいられない」

「なるほど、確かにそれが常識というものですが、ですがあなたはSOS団を選んだんじゃないですか?」

「たとえそうしていたくても帰宅時間は確実に来るんだ。それが何年、何十年先のことであろうと、確実にな」

「何十年?」

「それは言葉のアヤだ。揚げ足取るな!」

「そこについては取るつもりはありませんが〝そうしていたくても〟と聞いて僕はある種の安堵を得ています。そうしていたいのなら、僕らがそうできるようお手伝いすることも可能ですが」

「ちょっと待て、今の話しは見えなかったぞ」

「僕らは高校卒業まで正味二年を切っていますが、涼宮さんはSOS団の期限をそこで切ってはいませんよ」

「なにを根拠に言っている? ハルヒ専属の精神分析の専門家だから解るなんて俺には通じないぜ」

「あなたも知っている客観的事実情報から導いただけです。去年の七夕、涼宮さんがなにを言っていたか覚えていますか?」

「確か——短冊に『世界があたしを中心に回るようにせよ』、『地球の自転を逆回転にして欲しい』とかふざけたことを書いていた」

「よく覚えていましたね。さすがです。ですが僕が言おうとしていたのはそこじゃありません」

「どこだ?」

「涼宮さんは『光年』の話をしていました」

「こうねん?」

「ええ、地球からベガ、地球からアルタイルまでの距離が二十五光年と十六光年だと言っていましたね。だから二十五年後及び十六年後に叶えて欲しい夢を短冊に書くようにと」

「それがSOS団が高校卒業後も終わらない根拠か?」

「まだあります。今度はダメ押しです。文芸部の機関誌です。あれに『世界を大いに盛り上げるためのその一・明日に向かう方程式覚え書き』という涼宮さんが寄稿した論文が載っているわけですが——」


 古泉に言われて思いだした。確かにそんな名前だった。あの論文モドキが俺にはなんだかさっぱり解らなかったが朝比奈さんが驚愕していたことだけは忘れられない。朝比奈さんに言わせれば『時間平面理論の基礎』なのだ、という。


「執筆の動機を覚えていませんか?」

 ハタと思い当たった。

「SOS団を恒久的に存続させるために考えてみた、と言っていたはずです。そしてSOS団には遂に新入団員は入らなかった。SOS団とは中の人を入れ換えて続いていく組織ではありません」


 反論の余地が無くなってしまった。


「するとこの後はこう考えざるを得ない。時間の経過と共にSOS団の活躍の舞台は北高から別の場所に移る、とね」

「まさか、〝大学でも〟とか言い出さないよな?」

「言い出そうとしていましたよ。涼宮さんと同じ大学に行きたい、とは思いませんか?」

「まったくバカバカしい。特に同じ大学に行きたいとは思わんけどさ。高校での腐れ縁を最高学府にまで引っ張るのは、どうも新しい出会いを阻害する要因としか考えられない。新たなる環境ではやはり新たな人間関係があってしかるべきだろ。それが後の人生にとって良いこととなるかどうかは解らないが、俺はそう思う。いつまでも同じ集団でいるメリットはあんまりなさそうでもあるしな」

「それはSOS団を捨てるという意味に聞こえるのですが。しかし肝心の涼宮さんはどう思っているのでしょう。僕たちを率いる団長にして、神の如きの存在の涼宮ハルヒは」

 またしても〝涼宮ハルヒ〟神様論か。


「まあハルヒの行く先がお前の進路でもあるんだろう。俺はといえばそんな先のことは文字通り先送りするがままに任せたいね。一年後くらいの俺なら自分の限界を解っているだろうさ。まともに受験したなら俺がお前と最高学府を同じくする確率など蟻の一穴より小さく低いものになるだろう。ハルヒのことは——さあ、俺の知ったことではない。どこにでも自分の能力を活かせるところに行ってくれ」

「今期の生徒会長がしていた話を覚えていませんか?」

 あの不良会長か。

「『俺が生徒会長をやっているのは旨味があるからだ』と。『まずは内申点。古泉が俺の説得に使った理由でそれが最大の魅力だ。大学受験を有利にしてやるとお前は言った』と、そういう話です。もちろん僕は、当然そのように取りはからいますよ」

 〝もちろん〟と〝当然〟を重ねなくていい。くどい。

「念のために付け加えておきますと北高学内にしか影響力を及ぼせないなどということはありません。こう見えても僕は顔が広いのですよ。色々とね。ですから伝を辿っていけば大邸の人に突き当たるわけです。僕の知り合いの知り合いまでの間にいない人種は、まだ地上に存在しない職種の人くらいです」

 誰と知り合いだって?

「それは不正と言うんじゃないのか?」

 有り体に言って裏口入学だ。

「あくまで〝有利になる〟と言っただけで、絶対に志望大学の受験に成功する、とは言っていませんが」

 もはや偽悪でなくなっているような気がする。


「お前こそ『機関』の裁量でどこでも好きな大学に入れるだろうに、わざわざ特進コースなどという面倒なクラスに入ってるじゃないか。だから二年になって色々やらんといかんことも多くなっているだろう? 九組の担任は教育というより生徒の学力向上に熱意を傾けるタイプという噂が俺の耳にも入っている。ちゃんとした進学を考えているから九組なんだろ。でないと、そんな息の詰まりそうなクラスに転入するはずもないだろうからな。だいいちお前らに便宜を図られるなんてことをされてみろ。俺は一生お前らに頭が上がらなくなる」

 俺がそう言ったせいなのか、ようやくいつもの古泉の顔が戻ってきた。

「草野球大会で僕が言ったことを覚えていますか? 涼宮さんが望んだから、あなたが四番打者になったという話くらいは覚えていると思いますが」

「……」

「あなたは既に知っているはずです。僕は前に話しましたよ。高校入学以前の涼宮さんがどうだったかをね。僕たちが観察を始めた三年前から北高に来るまで、彼女が毎日のように楽しげに笑う姿なんて想像もしませんでしたよ。すべてはあなたと出会ってから、もっと正確に言うと、あなたとともに閉鎖空間から帰ってきてから、です。涼宮さんの精神は中学時代とは比較にならないレベルで安定しています」

 その安定を壊す気かと問い詰められているようだぜ。

「涼宮さんは明らかに変化しつつあります。それも良い方向にね。我々はこの状態を保ちたいと考えていますが、あなたはそうではありませんか? 彼女にとって今やSOS団はなくてはならない集まりなのですよ。ここにはあなたがいて、朝比奈さんがいる。長門さんも必要ですし、はばかりながら僕もそうでしょう。僕たちはほとんど一心同体のようなものですよ」

「それはお前サイドの理屈だろう」

「そうです。でも、決して悪いことではないでしょう? あなたは数時間単位で『神人』を暴れさせている涼宮さんを見たいのですか? 僕が言うのも何ですが、決して良い趣味とは言えませんね」

「俺にそんな趣味はないし、これからも持つつもりはない」

「それを聞いて安心ですよ。変化といえば、涼宮さんだけでなく僕たちだって変化しています。あなたも僕も、朝比奈さんもね。たぶん長門さんも。涼宮さんのそばにいれば、誰だって多少なりとも考え方が変わりますよ」

 それが本心ならこれまでの話はカムフラージュ以外の何ものでもない。


「——こんな話じゃないだろ? お前がしたいのは。とっとと本題に入ろうぜ」

「別に全く無関係な話をしたとは思っていません。あなたはSOS団を選んだはずです。そしてSOS団を選ぶということは涼宮さんを選んだ。そういうことになります」

「そのつもりだ」

「では訊きますが約一ヶ月前の事件のことを覚えていますか? 僕がαルート、βルートと仮に名付けた、涼宮さんによって造られた世界の分岐ルートのことを」

「覚えているが」

「ではβルート、つまり渡橋ヤスミさんが存在しない方のルートですが、あなたが何をしていたのか教えて欲しいのですが」

「……意味がよく解らないが」

 もう古泉の微笑みが消えていた。

「あなたは佐々木さんと頻繁に合い、頻繁に会話をしていませんでしたか?」

 古泉が知ってる? なぜ?

「あなたの口から事件の発生を話してくれると期待して待ってましたが、いくら待ってもそのつもりは無いようですから、ぶしつけながら僕の方から持ち出させていただきました。佐々木さんのことを、ね」

 俺は返事に詰まる。だがなんで詰まらねばならん。やましいところは無い。


「で、なぜ知っている?」

 俺の方からのカウンターだ。古泉からはまた『機関』の諜報力を誇示する一種の自慢とも脅迫ともとれる話が始まるかと思ったが、返ってきた返事は拍子が抜けたものだった。

「長門さんに教えてもらいました」

「なんだって?」

「別に我々は敵対しているわけではありませんから、そうそう驚くことでもないでしょう」

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