第13話【鶴屋】

「ねえ、キョン」

 珍しく背中をシャーペンで突かれないところから会話が始まった。

 月曜日。昼休み。

「あんたさ、調査票書いた?」

「書いてない」

「書きなさいよ」

「お前はどうなんだ?」

「書いてないわよ」

「だったら書け」

「なんて書けばいいのよ」

 俺は土曜に言ってたとおり、SOS団に相応しいと考えたその名前を書けと、そうアドバイスしてやった。

「書けるわけないでしょ。みっともない」

「なんでだよ」

「あの成績でそんな名前書いてたのが知れたらとんだ笑い物だわ」

 案外まともなことを気にしている。土曜日のあのテンションはどこ行った? 周期的にやってくるハルヒ・ダウナーVer.だ。

「あれはあくまで進路希望調査票だ。希望してればいいじゃないか。堂々と希望するための裏付けを得るために全国模試受けるんだろ?」

「受けるわよ。それよりあんた、あんたの希望は? あんたが言ったのよ。希望なんだから希望を書けばいいじゃない。希望を」

 キボウ・キボウ言うな。

「じゃあさ、KS学院大とでも書けば。運良く受かってもあんた、行った後確実に苦労するけど」

「あぁ、それもいいかもな」

 半ばやけっぱちで言った。

「KS学院大かぁ、あたしもそこにしようかなぁ……」

 そのことばのせいか、またしてもあの中途半端な記憶がフラッシュバックしてきた。


 芝生、時計台、現代風の校舎、あか抜けた若い男女。そして視界に現れたハルヒのようでハルヒじゃないハルヒ。

 『どうしたの? キョン』

 『そんな昔の制服なんて着ちゃって、いったいどういうつもり——』

 その後はなんだったか。

 誰かが声を掛けていたような気がする。ハルヒはその誰かの顔を見て、俺の顔を見て、なんであんたがそこにもとか——そんな感じだったような気がする。

 状況から考えて俺とハルヒは同じところへ進学したという気がする。あれが夢か幻覚でないのなら。

 国公立大学でなかったとしたら親には申し訳ない。


 そこへ国木田がやって来た。

「キョン、今ちょっといいかな? 実は進路について知りたいことがあるんだけどね」

「俺の進路など知る必要もないだろ。下らんことさ」

「う〜ん、ちょっとだけ違うんだな」

「お前が俺に進路の相談か? んなもんする必要もないだろ」

「なんていうのか、ちょっとね、聞きにくい話になるんだけど」

 なんかよく解らんが、

「解った」と言って立ち上がろうとしたとき、

「ここで話しなさいよ」と後ろから声がした。

「いや、でもな——」と俺が言い掛けたとき、

「じゃあ涼宮さんにも聞いて欲しい」

 なにをだ。

「実は鶴屋さんの進路についてなんだけど」そう国木田は口にした。

「なんであんたが鶴屋さんの進路を気にしてんの?」ハルヒが国木田に当然すぎる疑問をぶつけた。

 言っていいのか? 国木田よ。アレは俺にしかしない話じゃなかったのか? それをよりよってハルヒにも聞かせるのか?

「実は鶴屋さんは僕の目標なんだ。でも目標とするには今どの辺にいるのか解らないと。相手は停滞することなく先へ先へと進んでいるんだからね」

 さすがに『鶴屋さんがいたから北高に来た』とは言わんかったな。

「だそうだ」俺はハルヒに向かって言った。国木田のことだ、これは計算だな。今さっきハルヒと具体的大学名を出して進路の話をしていたからな。絶好のタイミングを掴んでハルヒの興味を引くように話を持っていったってやつさ。鶴屋さんの進路なんてハルヒでもなければ聞けないという判断は百パー正しいぜ、国木田。

「そうだ、鶴屋さんならみくるちゃんの希望進路について知ってるんじゃないかしら。そうよ。きっとそう。なら善は急げよ、キョン。行くから」

 そう言うやいなやハルヒは俺の襟首を引っ張り出した。コイツ、まだ諦めてなかったのかよ。国木田、お前の行動はハルヒにろくでもない閃きを与えてしまったぞ。おい、待て。苦しいんだよ。


 こと鶴屋さんは頼りになる上級生という認識だが、俺にとっては別の顔もある。俺と朝比奈さんの間にいる鶴屋さんだ。

 怖い上級生。そういう印象がある。みくる親衛隊、と言ったら言い過ぎだろうか。

 長門が改変しハルヒが北高から消失したあの十二月十八日。鶴屋さんに俺の片手がぐいとひねり上げられ間接が嫌な音を立てた。あの痛みと音は忘れられない。

 そんな世界はもう無くなった。今のこの世界じゃないさ、とは思えない。

 鶴屋さんとはしょっちゅう顔を合わせているわけじゃない。だからその数少ない会話は強度の記憶として刻まれやすいのかもしれない。


 『ま、みくるだけはちゃんとフォローしてやってよね! でも、おいたをしちゃダメにょろよ。そんだけは禁止さ! おいたならハルにゃんにやっちゃえばいいっさ! 勘だけど、うん、許してくれると思うよ!』

 『やぁやぁっ。ずいぶんゆっくりだったね! ほんとにキョンくんっ、なんかしたんじゃないだろねえっ』


 あの時のニコニコ顔は逆に怪しかった。この人、隙間から中を覗いていたんじゃないだろうなと疑ったくらいだ。よかったよ。おいたをしなくて。この気のいい女子先輩にボコられるのは本意じゃないからさ。本当に朝比奈さん絡みとなるとやりかねない……


 一方でなぜか鶴屋さんはハルヒに甘いのだ。

 去年の文化祭に出品する映画の撮影の時、朝比奈さんを池に突き落としたりしても怒らないし、ハルヒの言いだしたとおりに朝比奈さんのジュースにテキーラ混ぜたりしてた。

 それどころか古泉とのキスシーンを撮影しようとしてたときも一切何も言わないし。あれ、止めさせたのは俺だぜ。

 ともかくだ、こと朝比奈さん絡みだと鶴屋さん担当は俺よりハルヒが適任だな。そうだ、そうしよう。


「ハルヒ、朝比奈さんの進路についてしつこく訊きまくって泣かしただろ」

「勝手にみくるちゃんが泣き出したのよ」

「故に俺は鶴屋さんのところには行かん」

「はあ?」

「どうも俺が『朝比奈さんの嫌がることをしようとしてる』と鶴屋さんに思われたら最悪の結果になる」

「最悪ってなによ?」

 いや、改まって説明を求められてもな……

「朝比奈さんの進路について何も解らないってことだ」

 ハルヒは何事か考えるような顔つきになり、

「そうね。それももっともね」そう言って走り出そうとした。

「すまん。国木田の分も忘れずに訊いてきてくれ」そう言うとハルヒは、

「国木田、あんた訊きたいなら直接鶴屋さんに訊きなさい。あたしは鶴屋さんのとこまでしか付き合わないから」とことばを投げ付けた。

「それで充分だよ」即座に国木田はそう反応すると、ハルヒの後を追おうとした。行きしなにこんなことばを残して。

「キョン、この埋め合わせは必ずするから」と。



 ものの十分ほどでもうハルヒが戻ってきた。早いな。

 戻って来るなりハルヒは言った。

「KS学院大だって」

「KS学院大?」ハルヒが言ったのと同じ台詞をそっくりそのまま言ってしまった。

「はっきりと志望校だって言ったわけじゃないけど鶴屋さんが言うんだから間違いないわよ。みくるちゃんとの会話の端々から直感的に感じるんだって。そうね、直感は大事よ。鶴屋さんは『みくるはなんだかそこに相当関心があるみたい』って言ってた。だからこの間あんなに焦った顔をしてたのね」

 やはりハルヒも気づいていたか。そしてあの鶴屋さんの見立てだ。俺もハルヒと同意見さ。それは外してないに違いない。

「なんであたしに隠したのかしら。行きたいなら行きたいってはっきり言えばいいのに」

「ところでハルヒ、国木田は?」

「あぁ、国木田ね。鶴屋さんと大いに歓談しちゃってるわよ。なんかあたしに感謝してたみたいだけどなんでかしら」

 相変わらず人から感謝されることに慣れていないようだ。

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