第37話【手打】

 九曜が言ったとおり、一時間五十五分が過ぎた後、俺たちは元いた世界に戻ることが出来た。九曜がいなかったら俺たちはどうなっていたかを思うとぞっとすると同時に不思議な感慨を抱かざるを得ない。



 何度目かの大冒険を終えた夜、スマホが鳴り出した。掛けてきたのは古泉。既に夕食は済んでしまっており時計を見上げれば午後七時三十五分を少し過ぎている。

『いま、時間がありますか? その後の顛末などお伝えしようと思いまして』

「じゃあ言ってくれ」

『そういうわけにはいきません。情報漏洩には気を使うものでしてね。車をそちらに出しますよ。いつものようにぐるりとその辺を一周ということで』

「新川さんも大変だな」

『そうです。本日の運転は新川です。では五分後に伺います』

 五分後かよ!


 まあいい、ちょうど古泉に訊かねばならないことを思いついたところさ。


 キッチリ午後七時四十分過ぎに黒塗りのタクシーが俺の家の前に止まった。俺は、と言えばコンビニでちょっと買い物、ということにしてあるのであからさまに家の前に車を着けられると困るのだが。

「どうぞ」古泉が車の中からドアを開けた。俺は乗り込む。すぐに車はスタートした。

「訊きたいことがある」まず俺が口を開いた。

「珍しいですね。僕のためにご足労頂いているというのに」

「お前は閉鎖空間と『神人』の専門家だからな」

 古泉は黙ったまま。俺に話の先を促しているようだ。

「あの『神人』ってのは俺たちの味方か敵か? 俺たちは今日、あれに帰り道を潰されそうになった。しかしその前は俺とハルヒを落下状態から救ってくれたりもした。その前は敵か味方か解らん行動をとっていたが」

「それは涼宮さんの精神状態、無意識のなせる業ですから『神人』が常に僕らにとって都合の良い行動をとると考えるのは危ないんじゃないでしょうか。むしろどう動くのか解らないのが『神人』です。たぶん、今後も遭遇する機会があるでしょうからこの事は常に頭の隅に置いておく必要がありますね」

 それはあまりにも当たり前すぎる模範解答だった。


「結局ハルヒはなにをしたかったんだ?」

「と、言いますと?」

「正体不明の朝比奈さんが部室に現れハルヒと接触した途端に俺たちは閉鎖空間に飛ばされた。ここまでならハルヒが俺たちを救ってくれたみたいだが、その後はどうだ? 巨人が溶け出しながら現れ、俺たちを北高に近づけさせないようにしていた。まるで危害を加えるかのようだった。結局これにどういう意味があったんだ?」

「さあ、僕は答えられる立場にはありませんが、無意識というやつなんでしょう。なんでもかんでも無理に意味を見出そうとするのも時に良くはないのかもしれません。今こうして僕らがここにいる。これで万事メデタシじゃないですか」

「らしくないな」

「じゃあ僕からもひとつ、意味を考えて欲しい事があるのですが」

「なんだ?」

「僕は北高前の坂道を涼宮さんが自転車で駆け下ろうとしていたあそこがターニングポイントだったと思うのです。坂道を自転車で下ればあっという間ですからね。もしあの時涼宮さんが北高からどんどん離れていってしまったら、今ごろ僕らはどこにいるのか解りませんよ」

「同感だ」

「嬉しいですね、それは。それで、なぜ涼宮さんが自転車で坂道を駆け下らなかったのか解りますか?」

「そりゃ巨人が溶けてできた粘液が流れてきたせいじゃないか」

「いいえ、違います。橘京子さんが助けを求めたからです」

「そりゃ助けくらいは求めるだろう」

「当たり前のように言ってくれますが、それがきっかけで涼宮さんは自転車を捨て橘京子さんのところに駆けつけた」

「だから橘京子に救われた、と言うのか?」

「ええそうですよ」

「偶然一番最後尾にいただけじゃないか」

「そうでしょうか? 涼宮さんを除く残り九人の中で大声で『助けて』と叫べるキャラクターは限られますよ。橘京子さんが最後尾だったからこそ、です。彼女こそ殊勲の第一では?」

「う〜ん」

「というわけなのですよ。意味は見出そうとすれば見出せるし、見出そうとしなければ見出せないんです。ちなみに僕は橘京子さんは今回、比類無き働きをしたと思っていますよ」

 やれやれだ。

「もうお前の方の要件を始めてくれていい」



「我々『機関』は未来人勢力と一時的な和睦を実現しました。大人の朝比奈さんを始めとする未来人勢力が我々に攻撃を仕掛けてくるということは少なくとも一年と半年、ひょっとしてあとプラス数ヶ月くらいは保つかもしれませんが、ありません」

「なんで期間限定になってるんだ?」

「彼らのいう『規定事項』が、涼宮さんの進学先を〝KS学院大〟としているからです。我々は表向き彼らの『規定事項』を尊重する姿勢を貫くことになりました。これでもここまでまとめ上げるまでが大変だったのですよ。『機関』の立場を厳しく詮索されましてね」

「待て待て、お前は今、『表向き』と言わなかったか?」

「よくぞ聞き漏らさないでくれました。この手の話を電話でできない理由です」

「すると本心は違うんだな?」

「当たり前でしょう。世間一般の常識では高い偏差値をたたき出せる人間はそれ相応の進学先に進学するのが常識です。さしてKS学院大が悪いとは言いませんが、涼宮さんの普段の学力レベルに見合っているでしょうか?」

「ということは、まだ帝国時代からの——」

「ハッキリ言っていいんじゃないでしょうか。K大と。K大は日本初のノーベル賞学者を輩出した学校でもありますしね」

「ハルヒはそんな殊勝な考えで好ましく思っちゃいないぞ。入り口にガラクタを積み上げられる大学だとしか思っていないんじゃないか」

「動機はガラクタでもなんでもいいじゃないですか。露骨に大学名とか偏差値とか言い出すことに俗臭を感じるというのなら理系・文系という言い方ならどうですか? K大は理系分野で伝統的に見るべきものがあると考えますが」

「ばかに熱心じゃないか」

「あなたも朝比奈さんが言ったことを聞いたでしょう? 長門さんの文芸誌に涼宮さんが寄稿した『世界を大いに盛り上げるためのその一・明日に向かう方程式覚え書き』を」

 ああ、覚えてる。前にも古泉が言っていたからな。図形だか記号だかが満載された論文じみたもので、ハルヒの説明によるとSOS団を恒久的に存続させるために何やら考えてみた、というようなものらしいのだが、俺にはさっぱり理解不能な文章だった。混沌とした秩序、と形容したくなるような意味不明さで、まるでハルヒの頭の中身がそのまま漏れて出てきたみたいな印象を持ったのだが——

 しかし、その論文モドキを読んだ朝比奈さんは腰を抜かして驚いていた。

 『そんな……。これがそうだったなんて……』と。

 朝比奈さんに言わせればこうだ。

 『詳しくは禁則事項なので言えませんが……これ、時間平面理論の基礎中の基礎なんです。あたしたちの時代の……ええと、あたしみたいな人なら誰でも最初に習います。発案者がどの時代のどの人だったのか、ずっと謎だったんですが……。それが、まさか涼宮さんだったなんて……』


「覚えているさ」

「なら涼宮さんは理系の名門に進学すべきだと思いませんか?」

 古泉が進路指導の教師のような口調で俺に説教を始めてきた。俺はハルヒの保護者じゃない。

「いわゆる未来人の『既定事項』はおかしいんじゃないかと思います。時間跳躍の基礎理論の発案者がXというはずはないでしょう。世紀の大発見をした人物が正体不明なんてあり得ると思いますか? その人物が歴史にも名を残さず謎のままだなんて理不尽だとは思いませんか? 涼宮さんこそ、その理論の第一発見者として歴史に名を残すべきじゃないでしょうか?」

「ばかに熱心じゃないか」俺はもう一度同じ言葉を口にする。

「熱心にもなりますよ。我々がなんでもかんでも『既定事項』のひと言で納得させられ続けるのならますます未来人の思うがままですよ。過去人として、未来人の思惑には負けたくありません。超能力も『機関』も関係ありません。現代を生きるものとしての個人的なプライドというやつです。見下されるのは結構です。相手は我々より組織も力も強大だ。でもね、僕は見下されるまま諦観するのは個人的に気に入りません。敵が強ければ強いほど、どんな手を使ってでもギャフンと言わせる逆転の展開は古今東西、王道と呼べるのではありませんか?」

「未来人にそこまで不信感を持っていてよく一時的にせよ『妥結』が成ったもんだ」

「ええ、未来人達が一番詮索されたくない部分を『探る』と鎌をかけました」

「いつの間にそんな弱点みたいなものを掴んでいたんだ?」

「九曜さんのおかげです」

「九曜?」

「というか偽SOS団の面々のおかげと言った方がいいのかもしれません。朝比奈さんを神隠ししてくれたでしょう。あれで未来人達は判断を誤った可能性がある」

 ぱちんと古泉は前髪を弾いた。

「ハルヒが疑ったあの朝比奈さんのことだな?」

「ご明察です。僕らSOS団一同が涼宮さんの閉鎖空間へ連れ込まれるその直前、部室にはいるはずのない人間がいました。それがあの朝比奈さんです。時間にして十分もないでしょう。ほんの僅かの間でした。しかし確実に朝比奈さんはあの時二人いたんです。それについて揺さぶりをかけました」

「正体が解ったりしたとかはあるのか?」

「残念ながら解りません。あの朝比奈さんも『禁則事項』のようです。確実な事を言うならば僕らが部室で遭遇した朝比奈さんは涼宮さんには選ばれなかったということです。この事実が何を意味するか」

 俺は俺が思いついてしまった妄想はしまっておくことにする。ダンマリでいく。


「さて、実はここからがですね、あなたにとっての本番です。本物の朝比奈さんの今後についてなのですが——」

 俺は身を乗り出していた。

「——我々『機関』は「SOS団をこのまま大過なく存続させるために朝比奈さんの代役を立てるな」と未来人達に要求しました。代役云々は完全なハッタリです。その上で取り引きを持ち掛けたんです。合意するなら『機関』はこの件について敢えて触らず、という事にしたのですよ。結果はこの条件で取り引き成立です。これで以前と同じ朝比奈さんが以前と同じように涼宮さん監視の任に就き続けることになります。未来人達からすればこれこそが重要なのですからね。もっとも涼宮さんは無意識に別の朝比奈さんを拒絶しました。そういう意味でも朝比奈さんに代役を仕立てるのは不可能だと思います。二重のセーフティロックがあるが故に彼女のポカ、つまり現時点で規定事項に基づく涼宮さんの進学先を『KS学院大』だと示唆してしまったことは無かったことになるでしょう」

「珍しいな、朝比奈さんのためにそこまでしてくれるなんてな」

「ええ、協定を結びましたからね」

 すっかりその存在を忘れていたものを思い出した。

「じゃああの〝協定〟はそのために……」

「ええ、僕個人が朝比奈さんを救おうとしても個人的事情では組織を動かせませんので、そういう意味で役に立ってくれました」

「やるじゃねえか」

「僕たちの力もSOS団のために使えるときは使うべきですよ。個人でできることは限られますからね。実はこれ、苦言という意味もあるんです。四月、あなたは偽SOS団の連中と単独行動で交渉していましたが、そういうことは危ないですよ、という意味もあるんです」

 やれやれ、ひと言多いぜ。朝比奈さんの今後について『機関』が尽力してくれたことに感動を覚えていたのだが。


「それからですね、どうしてもあなたに聞いて欲しいことがありまして。『機関』から全く離れた全く個人的なことなんですが、どうでしょう?」

「いつもは俺が聞きたくなくても勝手に喋り始めるくせに珍しいじゃないか」

「よろしいでしょうか?」

 まあ、興味はそそられるな。

「始めてくれていい」

「では聞いてください。今回僕は初めて涼宮さんに選ばれたんです」

「意味が……解らんが」

「普段の僕ですと、勝手に閉鎖空間に侵入し、時に拒絶されたりもしましたが、僕は突然涼宮さんの閉鎖空間に転移できたんです。涼宮さんに選ばれたんです」

「そういう意味づけに、意味があるのか?」

「ありますよ、僕的には」

「しかしな、藤原とか九曜とかそんなのまでくっついてきて〝合わせて九人も〟じゃないか」

「ええ、構いません。その九人がいいんですよ。僕は『9』という数字が好きなんです。それにですね、僕は遂に涼宮さんが見ている前で能力を全開にできたんです! 超能力マンガの主人公になっているような気分がしました。あれは九人くらいメンバーがいて互いに協力して戦ってませんか?」

 やれやれ。

 確かに古泉は大活躍だったな。俺など九曜のプログラムを起動させるかさせないか二択をやったくらいだが。

「まさかこんなことが起こるとは夢にも思いませんでした」

 しかしぜんぜんらしくない古泉だ。なんというのか自然に笑ってしまうような、そんな顔に見えた。

「それにですね。あなたも超能力戦隊の仲間だということになったみたいですし」

「なにが超能力戦隊だ」

「しかしあなたは、涼宮さんの前では超能力者ということになってはいませんか?」

「なんで知ってるんだよ⁉」

「簡単です。涼宮さんが言っていました。脱出プログラム起動直前に『早く五分後の未来を透視しなさいよ!』と」


 ——言われていた俺も気づいていなかった。


「僕らの立場を引き受けさせて本当に申し訳ありません。ただ、助言をしますと、このまま超能力者のふりをし続けるのは困難です。近い将来困ったことも起こるでしょう。そのためにですね——」と古泉は俺に親身なアドバイスをくれた。

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