第31話【合流】
「出るわよ」ハルヒがそう口にして出入り口へと歩き始めた。
「待ってください涼宮さん」
古泉が止めた。
「ここを動かない方がいいんじゃないでしょうか?」
それは合理的な思考と言えた。向こうから人が来ることになっている。朝比奈さんが同道しているのだから場所が解らないということもないし、これはハルヒには言えないが、橘京子や九曜や藤原だってこの場所を知っているんだ。
「雪山ならそうでしょうね」
ハルヒが明瞭に拒絶の意志を述べた。
「ここも同じだと思うんです」
なおも古泉が食い下がる。
「それでもSOS団員なの?」
正にそれはドギツイ一撃。古泉は観念したように、
「解りました」とひと言口にした。
ハルヒはもう文芸部室入り口を開け放ち廊下へと踏み出していた。直後に続いたのは長門。そう言や長門が『SOS団員だから』なんて言ってたよな。SOS団員をやるというのは覚悟が要るもののようになっている。
「待ってくれ」そう言って俺も追いかける。ほぼ同時に古泉も動いていた。
ハルヒは全く躊躇う素振りも見せずぐんぐん突進するように階段を下り降りていく。俺は長門の背中を視界に捉えながら、
「どこへ行くんだ⁉」と大声でハルヒに訊いていた。
「行けば解るわよ」とだけ戻ってきた。
ハルヒは上履きのまま下駄箱前を通過し地面の上をそれでも速度を緩めず跳ねるように歩いていく。後へ続く俺たち三人も上履きのまま外へ。
もうここまで来れば目的地など訊かずとも解る。ハルヒはグランドへ踏み込み、もはや掛けだしていてトラックの真ん中へ——
そう、ここは俺とハルヒがキスをした場所なのだ。もちろん夢の中、ということになっているのだが——
ハルヒはようやく立ち止まると、くるりと校舎の方を向いた。
「そう……こんな感じだった。こんな空の色で校舎の方を眺めていたの」と、ひとり言のように言った。「こんな感じの夢を前に見たことがある……」
「……そうか」
「〝そうか〟じゃないわよ。あんたはどうなの?」
言うべきか言わないでおくべきか。
「さあ……」
「まあそんなもんね。あたしの夢なんだし」
約一年前、俺たち二人はキスによってこの閉鎖空間からの帰還を果たしたのだが、同じ手が使えるものだろうか?
チラ、と古泉を見ると困惑した表情のままで微笑も無い。長門も一ミリも肯いていない。そりゃそうだ。俺がジョン・スミスであることをずっと隠し続けてきたことをハルヒが根に持ち続けていないという保証も無く、俺がセクハラでしかない行為に及べば次の瞬間何が起こるか解らない。なにしろこの世界はハルヒの思うとおりになる世界と言っていいのだから。
優に五分は過ぎたんじゃないかと思う。だがハルヒは足に根が生えたようにこの場を動こうとしない。俺が、
「朝比奈さんたちが来たら俺たちがどこにいるのか解らんだろう」と言ってもお構いなし。飽きもせず薄黒く塗りつぶされた校舎を眺めながら、
「みくるちゃんならスマホで連絡取れるでしょ? さっき話してたんだし」と言うのみ。
どれくらい時間が経っただろうか、俺のスマホが鳴り出した。掛けてきたのは朝比奈さんではなく、佐々木だった。映像が映るなり佐々木が喋りだした。
『いま北高正門前に着いた。これから中に入る。感慨無量だよキョン』
変なことを言う、率直にそう思った。
『ついては他校のことでもあるのでどこへ行けばいいか指示をくれないか?』そう訊いてきた。
テレビ電話というのは便利だ。いま佐々木がどんな表情で喋っているのか見て解る。よほど急いで来たのか呼吸が弾んでいる。しかし妙に明るい顔をしている。笑顔というわけじゃないのだがそんな気がする。
「いま俺たちはグランドの真ん中にいる。すぐに解ると思う」そう返事した。
『了解だ』そう言って佐々木の顔がスマホの画面から消えた。
了解……ね。
ほんのしばらくすると異様な集団が自転車でやって来た。
学校のグランドに自転車を乗り入れるなよ、と思ったが既に来てしまったのだ。
「さあさあみくるちゃん、もっとしっかり漕ぎなさい」と怒鳴っているのはハルヒの声。光陽園のハルヒが自転車の二人乗りで朝比奈さんに漕がせていた。しかもなにか棒のようなものをぐるぐると振り回している。まさかあれで朝比奈さんを……
おい、ハルヒ。だいたい自転車に二人乗りして——いるのは光陽園のハルヒだけじゃなく、後の二組も同じだった。
佐々木が漕いで橘京子が荷台に乗ってる組と、なんと九曜が漕いで荷台に藤原のもう一組。
光陽園のハルヒが勢いよく自転車から飛び降り、
「偽SOS団参上!」などと言っていた。とても有名進学校の生徒に見えない。
「ちょっとあんた達、うちのみくるちゃんをを勝手に使役した上に道交法に違反するなんて許せないわ! 自転車に二人乗りしていいと思ってんのっ‼」と我がSOS団団長のハルヒが言い返していた。
「だって人がいないのよ。もちろん警察の人もね」光陽園のハルヒがそれに言い返した。〝警察がいない〟とか言い放つんじゃないっ。
「みくるちゃんを返せーっ!」とこっちのハルヒが言い、自転車にまたがりながらぜえぜえ息を切らしていた朝比奈さんの腕を掴み本家SOS団側へと引きずった。
「ひえええ」と声を上げながら引きずられる朝比奈さん。倒れる自転車。光陽園のハルヒからある程度の距離をとった地点でハルヒが掴んだ手を離しくるりと朝比奈さんに向き直った。
「涼宮さん……」と朝比奈さんが潤んだ目で言っていた。そう、本来ならここは感動の再会シーンなのだが……
「ちょっとみくるちゃん、確かめさせてもらうわよ」と言い、「えっ、あっ、ちょっと、うひゃっ、ちょっと、助けて、許してくださ〜い」と直後に朝比奈さんの哀願の声。
なんのことはない。ハルヒがいつも朝比奈さん相手にやっているセクハラまがいのスキンシップ(?)だ。
「おいハルヒ」
「うるさいわね。今本物かどうか確かめているんだから」
「あ、朝比奈みくるです。本物で〜す」と本人が言っていた。
朝比奈さんが本格的にSOS団に戻ってきた。俺は空を見上げる。しかし空は灰色のまま。閉鎖空間が崩れるスペクタクルも全く始まらない。原因は朝比奈さんじゃない?
「もうそれくらいで解るだろう」俺は言った。
「そうね、本物ね。さっきのみくるちゃんはおかしかったのに、これどういうことかしら?」
「ちょっと、あんた!」
今度は光陽園のハルヒ。
「なによ?」
「さっきから見ていればなんなの⁉ なにが『うちのみくるちゃん』よ。あたしの方にいた時の方が彼女にとって幸福の時間だったわ」
「まさか奪おうなんて思ってないでしょうね?」
「FA宣言させてやるわよ」
売り言葉に買い言葉で朝比奈さんを巡るハルヒVS光陽園のハルヒの対決が始まってしまった。
異常事態の最中になにをやっているんだかな。
この状況を奇貨と感じたか佐々木が俺のところに歩いてきた。偶然古泉を視界の端に捉えたが俺の予想通りの顔をしていた。
「やあキョン」
佐々木……まったく動じた様子がない。繰り返すが俺たちは異常事態の中にいる。
「なんというかな、どうやってこの空間に入り込んだんだ?」
「どうやって? 巻き込まれただけさ。学校の校門を出たら空が一変した」
「学校って、どこの?」
「もちろん僕が籍を置いている学校だが」
あそこは電車に乗って行く。この閉鎖空間はどこまで広いんだ?
俺はここ県立北高を舞台とした閉鎖空間に二度閉じ込められたことがある。そのいずれも範囲は北高の敷地内。校門から外へ出ようとすると目に見えない柔らかい壁にはね返されてしまう。そうなっているはずじゃないのか。これは、今までと違う。
「電車も動いてなくて途方に暮れたが、涼宮さんと九曜さんがわざわざ自転車で迎えに来てくれてね、いざというときに頼りになるよ。そして朝比奈さん、藤原くんと合流し、たぶん京……いや橘さんもいるだろうと思ったら案の定だ。彼女を回収してようやくここまで辿り着いた。こっちは日常生活はみんなバラバラだからこういう時は集合をかけるのも大変だよ」
「それにしちゃやけに早いじゃないか」
「九曜さんのおかげと言っておこうかな。ママチャリで内燃機関付きの二輪車並みの速度を出せたのは痛快だった。車は一台も走ってないから快適なもんさ」
ふいに光陽園のハルヒが俺と佐々木との会話に乱入してきた。
「あたしたちはね、ここまで来る間に誰にも会わなかった。会えた人はあんた達だけ」
「こらあキョンっ、許可無く偽物の団員と会話するなっ」こっちのハルヒに怒鳴られた。
やっぱりまずいのか?
まあ佐々木ならあらゆる問題を無にして中学生時代の付き合いのように振る舞える演技力はある。
俺にはジョン・スミスという脛に傷を持つ身だ。ハルヒに言われるまま佐々木のところから三歩足を引く。
「申し訳ない」佐々木が如才なくこっちのハルヒに向かって言った。そう言われたハルヒは何かしらの抗議をしなくてはならないとでも思ったか、
「だいたいなんであなた達のところにうちのみくるちゃんが——」
「済まないが涼宮さん。今から起こることを見ていて欲しい」佐々木が実に意味深なことを口にした。
「ああ藤原、これ返すから」と光陽園のハルヒが朝比奈さんを叱咤激励するために振り回していた棒を空へ向けて掲げていた。
あぁ、あれは藤原の杖……
「超涼宮アターック!」その声と共に信じがたい光景が目に飛び込んできた。直後藤原が転倒し地面の上を勢いよくザーッと滑っていった。跳び蹴りだ。既視感がある。部室前でハルヒがコンピ研の部長氏に食らわしたあの蹴り。
足の不自由な身体障害者になんということ——、まで思ったとき光陽園のハルヒが、
「あんたも蹴ってみる?」とハルヒに声を掛けていた。
思いっきり蹴り飛ばされた藤原は恨み辛みのひと言も言わず上体を起こし口を拭っていた。九曜はともかく佐々木までなんら、〝驚いた〟という様子を見せない。橘京子だけがバツが悪そうに藤原から目を逸らしていた。
そうか、そういうことか——
藤原がやっとこという感じでよろめきながら立ち上がる。わざわざ立ってもう一度蹴倒してくれと言わんばかりに。
「その人、足が悪いんじゃないの? そんな人に跳び蹴りを食らわせるなんてあんたどういう人間なの⁉」
この際こちらのハルヒの説教にツッコミはすまい。
「一度だけ」光陽園のハルヒが言った。
「一度?」
「一度ならあんたも蹴っていいって言ってるの」
「蹴るわけないでしょ、あんたじゃあるまいし!」
「そう、権利は留保しておくわけね。なら良いんだけど」
「誰が留保なんてするわけ⁉」、直後ハルヒが藤原の方を向いていた。
「それよりあんた、名前は?」
「藤原……」
「藤原、くんね。見たところ虐められるような顔してないけど、ここまでされて大人しくしていると、この手のはどんどんつけ上がるわよ。気をつけておかないとね」厳しい表情でハルヒが言った、
藤原はハルヒから目を逸らしつむった。
光陽園のハルヒはハルヒのために藤原にささやかな報復をしてくれたんだ。ハルヒの目の前で。もっともハルヒからすればコイツに自分が殺されようとしていたことは知らないから光陽園のハルヒは理不尽な暴力女と思われてしまうのがオチなのに。
さすがはハルヒだ。そう思うしかない。
そして自分が殺そうとした奴に優しい言葉を掛けられるとは、藤原みたいなタイプにはすっごいダメージだろうな。ハルヒが何も知らないからこそ言えたんだろうと思うけど。
しかし空は灰色のまま。閉鎖空間が崩れるスペクタクルも全く始まらない。
「それよりさ——」我がSOS団団長のハルヒがつかつかと光陽園のハルヒに近づいていく。
「これ、あんたがやったの?」ハルヒが空を指差しながら訊く。
俺はこの時には気づいていた。二人のハルヒの感情が全く正反対であることに。
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