第19話【信念】

 『面白い話をしてやろう。僕に言わせればアイツは嘘つきだ。平然と嘘をつく。嘘つきというのはなかなかに強い』

 藤原は橘京子のことを確かにそう言った。

 藤原は元とはいえ未来人、橘京子は超能力者。

 これをSOS団に当てはめると朝比奈さんと古泉。

 朝比奈さんも古泉も俺に『彼(彼女)を信用するな』と俺に内密の話をしてきた。未来人と超能力者はどこも相性が悪いのか?


「橘京子も元々は仲間だろうが」俺は言ってやった。

「ふん、仲間か」

 向こうの結束力は元々無きに等しかったってことか。

「佐々木のことだ」唐突に藤原がその名を口にした。

 俺は椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。藤原の口から佐々木の名が出てきた。未だ俺は佐々木の下の名前を思い出せないし、中学の卒アルだって行方不明のままだ。


「涼宮ハルヒの代わりを佐々木がする、これが超能力者どもの言い分だったがこれが真っ赤な嘘だ」藤原は言った。

「ちょっと待て!」

「なんだ?」

「お前、言ってたよな?」

 藤原は俺の顔を胡乱げに見た。

 そうだ。こいつの口から確かに聞いた。


 『九曜の本体は涼宮ハルヒを解析したがっている。情報統合思念体の手の中にあるうちは無理だろう。だが打開策はある。肝心なのは正体不明の力にある。その力を第三者に移してしまえばいい』

 俺は確実に『そんなことができるのか』と訊いている。そうしたら藤原は『九曜がする』と言い切った。


 俺は一気呵成にそう言って藤原を糾弾した。

 だが藤原はまたしてもにやりと虚無的な笑みを浮かべる。

「あんたにとって僕や、橘京子や周防九曜はどういう人間だ? 信用できる人間なのか? 信用できない人間の言ったことを真に受ける者もいない。あれは状況を僕らに有利なように導くための虚偽だ。効果はてき面だったな」

 んだとっ!

「よく考えろ過去人。涼宮ハルヒの持つ力自体が未だに正体不明なのにそんなものを自在に別の誰かに動かせると思うか? あるいはこういう考えでもいい。情報統合思念体は宇宙開闢とほぼ同時に存在したという。つまりこの世界を丸ごと最初から知っているってことだ。そんな連中が涼宮ハルヒに異常に興味を持っているってことは涼宮ハルヒ以前に涼宮ハルヒはいないってことじゃないのか。なのに涼宮ハルヒの力が別の誰かに移せると言える根拠はなんだ?」

「しかし長門の一件は——」

「ふ、かつてその正体不明の力を利用した誰かがいるから『移せる』なんて思っているのか?」

「そうだ。去年の十二月十八日早朝、長門はハルヒから力を……あまり言いたくはないが奪って世界の改変を行ったんだ」

「それで能力を奪われた涼宮ハルヒはどうなった?」

「ただの人になったさ。光陽園にいる能力をなんら持たない普通の高校生になった」

「そいつはおかしいな」

「なぜ?」

「その涼宮ハルヒは改変後の涼宮ハルヒだ。改変するためには改変前に涼宮ハルヒから既に能力を奪ってなくてはおかしい。でなければ改変などできないからな」

 あれ? そう言えば……

「あんたの言い分によれば北高とかいうところに行っているあんたの馴染みの涼宮ハルヒは去年の十二月十八日の早朝、観察する価値もない普通の人間になった。偶然なのか計画的なのかは解釈次第だがその時点で情報統合思念体は涼宮ハルヒの正体不明の力を奪うノウハウを手に入れたと言える。なのになんでその正体不明の力を涼宮ハルヒのところに返してあげて未だに置いたままなんだ? 一回でも出来ればそこが突破口になる。ノウハウは既にあるんだからとっとと奪って手元に置いて研究でもなんでもすればいい。しかしそうしたことは行われず情報統合思念体は今も涼宮ハルヒの観察などを続けている。これだとまるであいつらは阿呆みたいだと思わないか?」

「情報統合思念体や天蓋領域は人類と比べたらダンチで高レベルな何か頭脳だか特殊技能だかを持っているに違いないんだ。お前如きが舐めていると痛い目をみるぜ」

「そこまで考えられるなら、なにを奪ったのかを考えたらどうだ?」

「世界を改変する力を奪ったんだろうが!」

「考えろと言ったのはその中身だ。涼宮ハルヒの持つ『正体不明の力』とは要するに『涼宮ハルヒの持つ特殊能力』だ。人間から能力は奪えない。だが奪う方法が無いわけじゃない。テクノロジー化すればいい。奪ったは奪ったでも奪ったのは能力じゃなくて技術だとは考えないのか?」

「技術だと?」

「そう。能力を解析し技術として結晶させたと理解してみればいい。能力のコピーは不可能だが技術ならコピーは可能さ。情報統合思念体とやらは涼宮ハルヒを四年前から観察していたんだったかな。今や相当データの蓄積もあるだろう」

「……」

「どうしたんだ? その顔は」

 くそっ。なんなんだこのもっともらしい理屈は。

「もっと安心でもしたらどうだ? 誰かが涼宮ハルヒの能力を奪おうとしても涼宮ハルヒの能力は奪えない。ただし涼宮ハルヒと同等の能力は技術によって獲得できる可能性は残るがな」


 長門が奪ったのは能力じゃない? 技術? いや、確かにそれでも一応筋は通ってしまう。


「涼宮ハルヒの能力が技術としてコピーされたら、それがどんなに危険なことかくらいあんたにも想像がつくだろう。涼宮ハルヒ本人はもちろんのことコピーにまで世界改変能力があるなんてな、もはやこの世に秩序なんてものは無くなるだろう。しかし秩序が無くなろうと対抗組織にそんな技術があるのはこちらの存亡に関わる、と考える連中はいる。そうした連中がなんとしてもその技術をものにしなければならないと考え出すのも必然だ。故に天蓋領域とやらも涼宮ハルヒを解析してその能力を技術化したいんだろう。最悪それが適わぬなら消すという手段は残されているがな」


「おまえまさかまたハルヒを——」

「安心しろ。今さら消すわけないだろう。それをやって僕にとって何の意味がある? 佐々木を偽の涼宮ハルヒとして持ち上げるのは詐術であり、こういうのをこの時代では〝セカイ系の都合〟というのか、それを言おうとしていただけだ」

「なんだよその〝セカイ系〟ってのは」

「どういうわけか涼宮ハルヒには世界を改変する力がある。そのため宇宙の遙か彼方からアプローチしてくる者も複数出てくるほどだ。さてその涼宮ハルヒの力を受け継げる者がこの同じ星のその中の同じ国のそのまた同じ市内にたまたまいました、なんてことがあると思うか? この市内で全宇宙、そして未来までの命運が完結してしまうなんてことがあると思うか? 極々狭い顔見知りの間で世界の命運が決まるってのを揶揄する言葉って話だ」

「するってえと、佐々木はただの高校生なんだな?」

「残念だろうがそういうことだ」

「これも虚偽情報じゃないだろうな?」

「今さら何もない僕に虚偽を言わねばならない理由はない」

 いや別に残念だとは思っていない。本当にそうならむしろホッとしている。


「ただし、だ。虚偽を真顔で信じている者がいた場合ややこしくなる。当人たちからすれば真実を尊ぶ信仰心厚い者だろうが部外者から見ればよりタチの悪い嘘つきとなる」

「なにを言っている?」

「僕はさっき『超能力者は嘘つきだ』と言ったろう? 橘京子のことだ。あいつらは本気で佐々木に涼宮ハルヒの能力を移せると信仰していたからな。どうも神懸かりさ」

 藤原はにやりと笑う。そう言えば古泉もハルヒを神様のように扱っていて、その上あの巨人も『神人』などと呼称している。超能力者ってのは敵対していても似て来るものなのか?


「ハルヒの能力を佐々木に移し、ハルヒをただの人にすることは本当にできないのか?」

「現に出来ていないだろう」

「お前が嘘をついてなくて、橘京子が嘘をついているという根拠があやふやだ。だいたいおまえは『巧妙な嘘つきは嘘の中に半分ほど本当を混ぜる』と言ったし、『最も信用してはならないのはお喋りの者』とも言った。さっきからずいぶんとぺらぺら喋るじゃねえか」

「なるほどな、これは一本とられた。確かに僕は嘘つきに見える。しかし僕が喋らないとあんたも喋らない。間を持たせるために仕方なく喋ってるんだ」

 うるせーな。ひと言多いんだよ。

「橘京子はなにか能力を移せる根拠のようなものを言ってたんじゃないのか?」

「まだ気になるのか? さあな、僕もあまり真面目に聞いてはいなかったが、なにやら閉鎖空間を利用した儀式……似非科学のような仕掛けで能力を移すことができるとかなんとか、あまりに説得力が希薄なため対外的には『九曜が移す』ことにしてしまったな。まあ現実に能力が未だに涼宮ハルヒにあるところから既に答えは明らかだろうがな」


 よく解らなくなってきた。今現在目の前にいる藤原が俺に嘘を混ぜ込んだ話をしていないとどうして言える?

「納得がいかないって顔だな。なら僕の名誉に賭けて言う。僕が真実を語り橘京子は虚偽を語っている。佐々木に涼宮ハルヒの能力を移すのは不可能だ。あんたもそっちを望んでいるんだろう?」

「望んではいるが。望む方が真実とは限らねえじゃねえか」

「まあそうだ。しかしそうでなければ僕の行動原理がおかしくなるとは思わないのか? 僕は涼宮ハルヒに個人的な恨みは無い。脅威なのはその能力だ。涼宮ハルヒを殺しても能力だけが他の誰かに移るなら殺す意味など無い。佐々木が涼宮ハルヒより安定しているだって? ふん、人間などどんなに表層の態度を飾り立てようと元々安定などしていない。安定してる、してないの二択じゃない。『たまたま今は安定している』と言えるに過ぎないものだ」

「佐々木は不安定だってのか?」

「あんたの感情移入する佐々木さんとやらも人間だってことさ。安定を何より優先させるならその適役は九曜こそ相応しいんじゃないか? だがそんなことは九曜はやろうとはしなかったな。これが事実だ。僕は元々言っていたはずだ。佐々木をして、我々の器にふさわしい候補とは言えない、とな」

「じゃあ橘京子に連れられて俺が見たあの閉鎖空間はなんだったんだ?」

「あれが超能力者の仕業だ。つまりは仕掛け。人を信じ込ませるためのトリックだ」

「橘京子が佐々木の閉鎖空間をデッチ上げたのか?」

「デッチ上げたとも言えるしデッチ上げていないとも言える」

「意味が解らん」

「人間には内心というものがある。思ったことを全て口にする人間はほとんどいない。その内心を閉鎖空間という形で具象化できるという超能力を連中は持っている」

「閉鎖空間は発生してしまうもんじゃないのか? 発生させることができるってのか?」

「その両方だ。発生させることも可能だ。発生させた閉鎖空間はその人物の内心でもある。精神状態を可視化できる能力、と言えば解りやすいか。佐々木の閉鎖空間は確かに存在した。しかし佐々木じゃなくても他の人間でも閉鎖空間は造ることができる。これが半分本当で半分嘘という理屈だ」

「じゃあハルヒの閉鎖空間も誰かが造った可能性があるのか?」

「さあな。誰かが造ったのかもしれないし自分で造ったのかもしれない。ただ言えることは普通の人間の閉鎖空間にはあんな巨人は棲んでいないってことだ」


 藤原が足を引き摺りつつ歩いて来たのは間違いなくあの巨人、即ち『神人』にやられたから。あの時の後遺症だ。


「佐々木の閉鎖空間にあの巨人を引っ越させることができるのか?」

「さあそんな方法は無いだろうな。もしそんなことができるのなら超能力者連中は涼宮ハルヒを遙かに凌駕する力を持っていると言える。だがそんなことは無いってわけだ。橘京子は佐々木が涼宮ハルヒの代わりができるとしきりと吹聴していたが見せた根拠は佐々木の閉鎖空間だけだった。だが僕やあんたの閉鎖空間だって『造ろう』と能力を持った者が意図すればできてしまう」

「ちょっと待て。佐々木の閉鎖空間はハルヒの閉鎖空間と混ざっていただろう。だったら巨人が引っ越せるということになる。これは佐々木にもなにか力があるってことじゃないのか?」

「無いな別に。僕が涼宮ハルヒを佐々木の閉鎖空間に招待してしまったがために閉鎖空間同士の融合が成ってしまったということじゃないか。閉鎖空間の専門家であるはずの橘京子が頭を抱えて混乱していたからイレギュラーな事態なんだろう」

 藤原が喋っていることはもっともらしいがなにかが引っ掛かる。


「お前はなぜ知っている⁉」

 そうだ、これなんだ!

「なにをだ?」藤原が訊いた。

「お前は元々未来人で閉鎖空間については門外漢のはずだ。なんでそんなヤツが喋る『閉鎖空間の理論』みたいなものが真実だと言える? どうやって調べたのか言えるのか⁉」

「教えてもらっただけだ」

「誰にだ」

「周防九曜」

「そいつが虚偽を言っているんじゃないだろうな⁉」

「閉鎖空間の仕組み如きで嘘をついて、意味があるとは思えないがな」

「説得力がいまひとつだぜ」

 藤原はふうっと溜息をつき俺を見た。

「あんたは少し刺激の強い話を聞いても落ち着いていられる耐性があると、自分で言い切れるか?」

 妙なことを訊く。だがここはこう言うべきだろう。

「ある」

 藤原は喫茶店の店内をぐるりと見廻した。

「顔を近づけろ」

 お前は古泉か!

 ともかく俺が顔を近づけると藤原は喋りだした。

「今からする話は本来こんな場所でするには相応しくない」

 俺は身体の筋肉の硬直を意識できた。

「僕が周防九曜の言うことを真実だと判断したのには理由がある。僕と周防九曜との関係は美しい言葉で言えば同志であり、剥き出しの言葉で言えば共謀者だからだ」

「なにを共謀した?」

「あんたも見たとおり、『涼宮ハルヒの暗殺』だ」



「どうした? 敵意剥き出しの顔だな。僕はこのまま話を続けて無事でいられるかな?」藤原の顔には相変わらず気に食わない笑みが浮かんでいる。

「あんたの気分が悪いなら、この話はここで終わる。あんた次第さ」

「続けろ」

「では続けよう。今から僕が話すのは、僕と周防九曜と橘京子の関係性だ。あの事件の中心は橘京子とその背後の組織だ。僕と周防九曜は橘京子に誘われ連中の計画に便乗したのさ」

「全ての責任を橘京子に押しつけるつもりか」

「話は最後まで聞け。あんたも知っているとおり橘京子とその背後の組織は妙なことを僕らに説いてきた。例の『涼宮ハルヒの能力は佐々木に移せる』というヤツだ。さっき言ったとおり聞いた瞬間眉唾だと思った。力を自在に右から左へと動かすにはその力の解析ができていなければ不可能だと、そう考えたからだ。だが僕は敢えてそれは言わず橘京子が喋り続けるのを大人しく聞いていることにした」

「なんでだよ」

「それもまた〝情報〟だからだ。僕には閉鎖空間の理論が今ひとつ不明だったからな。そして橘京子の妙な話しを聞いたのは僕だけじゃない。周防九曜も聞いている。僕は極めて率直な行動に出た。周防九曜に〝どう考えるか?〟と訊いてみた」

「なんて言った?」

「『無駄——なのに』とな。僕は何が無駄なのか訊いたがその返事を理解するのに非常な苦労を強いられた。僕がさっき話した閉鎖空間についての諸処の情報はその苦労のたまものだ。しかしこの時点では周防九曜の言っていることも真実であるとは言い切れなかった」

 藤原は一拍おいた。

「というのも第一に周防九曜の行動がおかしかった。周防九曜は橘京子のやろうとしていることが〝無駄〟であると言ってのけた。だがその無駄なことをやろうとしている橘京子の元を当の周防九曜が一向に立ち去らない。そこで僕は周防九曜に別の質問をした——」


 長々と話すのに疲れたのか藤原はアイスコーヒーを一口吸った。一時的に俺と藤原の顔の距離が離れる。アイスコーヒーを口に含み飲み下した藤原は俺との顔の距離をまた元に戻す。


「『涼宮ハルヒは危険か?』と訊いてみた」

「九曜はなんて答えた?」

「『とても——危険』、『興味——深い』と答えた。僕は『危険』という語彙をとっかかりに探りを入れた。そんな危険なものをどうしたいんだ? と」

「そしたら?」

「『欲しい』と言った」

 欲しい?

「僕は即座に言ってやった。手には入らないだろう、と。次の瞬間だ、僕が九曜とは組める、と確信したのは。周防九曜は『消えても——いいかも』と言った。〝欲しい手に入らなければ消せ〟これが周防九曜の背後にある者の価値観だ」

「あまりにもベタ過ぎないか?」

「ふ、なんとでも言え。なんでもかんでも『虚偽かもしれない』では一切身動きがとれなくなる。あんたが自分の目で見たこと以外は信用できないと言う人間ならこう言ってやる。周防九曜は僕の命令で涼宮ハルヒを宙に浮かせ落下させて殺そうとした。その現場を見ていてまだ〝ベタ〟だなんて言うのか?」

 うっ。

「……そこは確かにそうだ。だがおかしいじゃねえか。お前と九曜は歪んでるとは言え共通の目的を持っていた。けど本気でハルヒの能力を佐々木に移せると考えていた橘京子やまして佐々木を巻き込んだ理由が無いじゃねえか」

「まだ話が途中だ。確かに橘京子とは目的が違っていた。が、あいつがいなければ『涼宮ハルヒの暗殺』は実行できないんだ。もちろん佐々木の存在も必要だった」

 聞き捨てならない‼

「ハルヒを殺すのに佐々木が必要ってのはどういうことだ⁉」

「声が少し高い。ここの部分は順序立てて話す必要がある。少し落ち着いて聞いてろ。——涼宮ハルヒの周囲に集まって来る勢力には自然発生的に或る共通の価値観ができていた。それは涼宮ハルヒが死亡した時、確実に不測の事態が起こることが予想されるという価値観だ。『確実に不測の事態が起こる』ってのも妙な表現だがな」

「なんでそんなのが解るんだよ?」

「涼宮ハルヒの周囲に集まってくる連中は観察以外のなにをしているんだ? 観察しかできない時点で推して知るべしだろう。こう言ってはなんだが、涼宮ハルヒ本人の身柄を直接ターゲットにしたのは僕らが史上の最初だ。むろん多少穏便な手段を採ろうとしていたとは言え橘京子も例外ではないと言っておこうかな。だがこの時点で僕らと橘京子とは完全な同床異夢になっていたが」


 藤原はアイスコーヒーをストローで一回かき混ぜた。かなり氷が溶けてしまっている。


「考えるべきは、確実に起こるであろう不測の事態を最小限に抑えるにはどうすればいいか、だ。具体的には『どこで暗殺するか』だ」

「閉鎖空間……」

「あんたの察しが早くて助かる。そう、閉鎖空間だ。文字通り閉鎖された空間だ。この場所なら内部で何が起こっても閉鎖されているが故に外部への影響は最小限に抑えられる、そう考えた。むろんこんなものに根拠は無いが、やるんだったら少しでもリスクを減らそうとするのは当然のことだ。あんたは『なぜ佐々木なのか?』と訊いた。それは閉鎖空間の質の問題だ。より質の高い安定性の高い閉鎖空間で暗殺を決行した方がさらにリスクが低くなると判断した。橘京子が連れてきた佐々木の存在はそう言う意味で僕や周防九曜にとっても渡りに船で、反対する理由が無かった。閉鎖空間を造るために佐々木は必要で、その閉鎖空間に入り込むために橘京子も必要だった。僕らは橘京子が実現を信じる奇妙な計画に賛同しているふりをし続けた」

 なんてことだ……そんなもののために佐々木は……


「もう終わるか?」藤原がそう訊いてきた。俺の表情を読んだらしい。

「ここまで聞いてきて終われるか。俺は事件の顛末を知らねばならん」

「ふ、もう幾分も残ってないがな。あんたはひょっとしたら橘京子は僕と周防九曜に利用され尽くした可哀想な人間だと思っているかもしれない。そこの部分だけ話してこの話を終わろうと思っていた」

「一味だと思ってるさ」

「それはいい。実は僕らは内心橘京子を小馬鹿にしていたが、その背後の組織は別だ。佐々木の閉鎖空間に入るなり『涼宮ハルヒ暗殺計画』を始めてしまったらその背後の組織を刺激して後々面倒なことになる。そこでまず橘京子にやらせることにした。結果は案の定失敗だった。涼宮ハルヒの能力は佐々木などに移らなかった。橘京子に失敗を自覚させてから後、僕と周防九曜が『涼宮ハルヒ暗殺計画』を発動することにしていた。必要なのは手順で、一の矢が外れたから二の矢を放ったという形にする必要があった。あの折は僕が周防九曜を指揮していたが、その理由がこれだ。周防九曜は何をやらかすか解らないから僕の指揮で動くことを予め了承させていたってわけだ」


 理詰めで藤原と戦ったら分が悪い——『正体不明の力を右から左へと移せるのか?』という藤原の理屈は合理的だ。だがどうしても合点がいかない。


「俺は論理で戦ったらお前に負ける」

「なにを言っている?」

「だから論理は使わんと決めた」

「話にならない」

「お前はあの閉鎖空間で大人の朝比奈さんとやりあっていたじゃねえか。感情を剥き出しにして」

「なんだと?」藤原の顔から笑みが消え昔の藤原の顔に戻った。

「あの時は俺も気が動転気味でその上時間平面だとかTPDDだとかいう専門用語の応酬でお前と大人の朝比奈さんがなにを言い争っていたのか未だに解らん。だが一つだけ記憶に残っていることがある。お前が『佐々木の能力をハルヒに移せば未来が救える』とかなんとか言ってたってことだ。あの時の叫びの方が俺には真実を感じる。上手くは言えんがお前がここで延々喋ってきた合理的な理屈と比べてそれが負けてるとは思えん」

「やれやれ」

 藤原が俺のお株を奪っていた。

「僕はもう話すのを止めていいか? だんだんと気分が悪くなってきた」

「じゃあなぜ気分が悪いかを言え」

「ふん、あんたの考えることなど手に取るように解る。こう思っているだろう? 北高とやらに展開した佐々木の閉鎖空間の中で涼宮ハルヒの恐るべき力を見せられた僕は恐慌状態を来たし本心を露わにし叫びだし、挙げ句の果てに衝動的に涼宮ハルヒを殺害しようとした、とな」

「違うのか?」

「ふん。やはりそうか。ならこれ以上喋ったら僕はあんたに『違うんだ。実はあの時は——』とみっともない取り繕いをしていることになる。誰がそんなくだらないことをするか」

「勘違いするな藤原。お前のキャラ崩壊を嗤おうなんて気は無い。そんなつまらんこと誰がするか。お前はあの時大人の朝比奈さんだけじゃなく、最後の最後まで『ハルヒの能力を佐々木に移せる』と叫んでいたじゃねえか。あの切羽詰まった状況でさえ」

 藤原の目は鋭さを増している。誰がそんな視殺に負けるか。

「それを今さら『それは嘘でした』なんて信じられるか。確かに言い分としては『訳の分からん能力が自由自在に余所に移せるわけがない』の方が説得力があるさ。合理的だ。だけどな、極限状態で言ったことの重みってのがあるんだよ」

「いちいち区切るな。続けろ」

「もう次は結論さ。俺には『ハルヒの能力を佐々木に移せる』を真っ赤な嘘だとして否定できない」

「そうでなければいいと思っているのにか?」

「ああ、そうさ」

「聞いていればずっと佐々木、佐々木だな」

「悪いか」

 藤原はテーブル上のICレコーダーに視線を落とした。

「あんたは変わった人間だ」藤原が言った。


「さっきと同じように順序立てて話す。あんたはしばらく聞いていろ」そう断りを入れ藤原が喋りだした。

「涼宮ハルヒは僕が思う以上に恐ろしいヤツだった。自分の身に迫る危機を無意識に察知し世界を二つに分岐させていた。分岐にも驚いたがいったいどうやって危機を予測したのか、むしろそっちの方が脅威だ。未だになぜだか解らない。自分が何か決定的なしくじりをやらかしたとも思えない。僕は狼狽し精神が恐慌状態にあったことを否定しない。特に分岐世界の合一化は視覚的衝撃が絶大だった。何が起こったか解らなくて最初は周防九曜が僕を裏切ったのかと思ったくらいだ。そして二つに分岐した世界が合一したとき形勢が逆転した。来るはずのないあんたの援軍が来た。圧倒的にこちらに有利な盤面が僅か一手でひっくり返ったようなものだ」

 俺は肯く。

「さて、ここからは見苦しい言い訳にしか聞こえない話だ。要は僕は『囮』をやった。まあ『援護射撃』と言ってもいいし『陽動作戦』と恰好付けてもいいが『囮』の方が表現として的確だろう。僕があの時朝比奈みくるや他の連中に『涼宮ハルヒの能力を佐々木に移せる』と叫んでいた意味はこれだ」

「なんだかよく解らん」

「長々と一気に話すとそれだけ見苦しい言い訳にしか見えなくなる。あんたも相づちくらい打ったらどうだ?」

「じゃあ、どういうことだ?」

「単純な事だ。僕は敵の注意を引きつけた。『その隙にやれ』と咄嗟に言外のメッセージを込めたつもりだった」

「〝やれ〟ってなにをだよ?」

「涼宮ハルヒの暗殺さ。僕に特殊能力は無い。未来人の身体能力は一般人と同じだ。閉鎖空間への涼宮ハルヒの移送と殺害は能力的に周防九曜の分担になる。その周防九曜のために敵に隙を造ったつもりだった」

「なんでわざわざ『ハルヒの能力を佐々木に移せる』なんて言ったんだ? 別のもんでもよかっただろう? と俺が訊いたらどうなる?」

「あの場で語る題材としてあれこそが一番自然だと判断したのさ。表向きそれが目的になっていたんだからな。現にあの場にいた連中の注意を引きつけ足を止めることができたんだ。それに橘京子がいた。だから最後の最後まで騙された振りをする必要があった。それが後々のためにもなる」

 藤原は腕時計に目を落とした。口を歪める。

「僕が朝比奈みくるとやり合って何分時間を稼いだか考えてみればいい。あの時周防九曜がなにをしていたかを思い出せばいい。僕が延々みっともない演技をしている間、意味不明のことばを口走り、木像のように突っ立っていただけだった」


「仕方なく、僕は言うしかなかった。声に出して。『約定を果たせ』『涼宮ハルヒを、殺してこい』と。それを言って初めて周防九曜が動き出したんだ。だが当然その音声はあんた達の側にも拾われる。必然的に対抗手段の準備もされてしまう……」


 藤原は俺に一瞥をくれる。


「ある意味人間万歳だ。特定の状況下では宇宙人製の人形より人間の方が優秀だ。思考的反射神経というのか、そういうものが周防九曜には決定的に欠けていた……」


 途切れ途切れに藤原の独白めいた悔恨録が続く。


「……僕はバカだった。周防九曜を理解していなかった。周防九曜は僕の指揮下で動くことを了承していた。その僕が指揮しないんだから動くわけがない。共謀者の機転、臨機応変など期待してはいけなかったんだ」


「涼宮ハルヒの造り上げた分岐世界が合一した直後は混乱状態だった。あんた達でさえそんなことになっているとは思っていなかったはずだ。今思えばあの僅かの時間こそ最後の好機だったんだ。『約定を果たせ』、最初から周防九曜にはそう言ってやればよかったよ。ふふ。言葉を費やさないと解らないヤツは解らないんだ」



「終わりだ」ひと言藤原は言った。


「感想はどうだ? 『あの時は取り乱していたように見えたが実はそれは敵を欺くための演技だったのだ』という、陳腐極まりない、カギ括弧入りの真相暴露だ」

 やっぱりお前は解り易すぎるぜ。ずいぶん怖い顔してるじゃねえか。それが答えだ。お前の顔にも文字が書いてあるんだよ。

「どっちかっていうとそっちが真相なんだろう」

「どういう風の吹き回しだ?」

「お前は人のことを嘘つき呼ばわりしていたが、今の真相暴露は自分で自分のことを〝嘘つき〟だと言ってるってことだ。その自覚があるか?」

「なるほどな、確かにそうだ」藤原はあっさりと言った。


 余計な説明をしなくても勝手に理解してくれるのは話が早くていい。要するに俺はこういう事を言おうとした。『ハルヒの能力を佐々木に移せる』が嘘なら、藤原の奴は最後の最後まで嘘を言い続けた嘘つきになる。そういうことだ。


「お前は嘘つきなんだな?」俺は問うた。

「そうだな。嘘つきだ」藤原は認めた。


 藤原とやり合って勝ったとか負けたとかで張り合うつもりはない。実のところ『ハルヒの能力を佐々木に移せる』が本当かどうかも解らん。だが少なくとも藤原の奴がそれを信じちゃいないことだけは解った。もちろん論理から導き出しちゃいないがな。


「だが忘れるな。『巧妙な嘘つきは嘘の中に半分ほど本当を混ぜる』と僕は言ったはずだ」藤原は言った。

 大人の朝比奈さんとのやり取りのどこかに『本当』があったのだろうか? いや、そんなことより俺にはどうしても確認しておくべきことがあった。


「一つだけ訊きたい」

「なんだ?」

「ハルヒの能力を他に移せないなら、ハルヒの殺害を企てる者が次々出てくる理屈になる。ぶっちゃけて言うが、お前は同じことをしないとどうして言える?」

「あんたはなぜそっち側からの視点のみで見る? 僕の視点で見てみろ。涼宮ハルヒの暗殺は実行不能だ——」


「——やはり涼宮ハルヒに危害を加えようとすると不測の事態が起こった。事件が起こる前に世界が分岐されたのもそうだ。それでも僕らは閉鎖空間まで涼宮ハルヒを誘導した。が、そこまでだった。今度はあの巨人が出現してしまった。涼宮ハルヒの閉鎖空間ではなかったのにな。涼宮ハルヒが閉鎖空間という場所に身を置いている時、それが誰の閉鎖空間だろうとあの巨人が出現する。僕が経験したのは一回だけだが一回目だけが例外だったなどとは結論できない。それはあまりに学習能力が低すぎるだろう。閉鎖空間に巨人が出現する以上は閉鎖空間内での涼宮ハルヒ暗殺はもはや不可能だ。経験を元に結論するというのもあまり頭の良い話じゃないがな。そしてあの事件についてはもう話すこともない。まさかここであんたにこんなことを話すことになるとは思ってもみなかったが」


 俺はそれを二回経験した。だがここまで殺すだの暗殺するだのという話を聞かされるとはな……

 藤原の顔が離れた。


 藤原は腕時計に目を落とす。

「さて、僕はもう義務を果たし終えたと言っていいだろう。そこであんたに個人的に訊いてみたいことがある。興味本位だが」

 なんだ? やはりコイツは気に食わん野郎なのか。

「僕は涼宮ハルヒを殺そうとした。あんたからしたら許せないことなんだろう。だが僕も信念から実行したことだ」

「まるでテロリストだな」

「ふ、それは今の僕には誉め言葉だ。もはや信念などというものは失ってしまったからな。つまりはこういうことだ。僕が再び涼宮ハルヒの命を狙うことは動機の面からもあり得ない。もと来た未来に戻れない時空の漂流者なのだからな」

「訊きたいことってのはなんだ?」

「おっと、そうだった。だがあながち無関係とも言えない。僕は涼宮ハルヒを殺害しようとして失敗した。ただ失敗しただけじゃなく代償も支払わされた——」

 藤原はテーブルの下で自身の膝を軽く叩いたようだった。

「——誰も恨めん。僕がやろうとしたことが原因でこのザマなんだからな。あの妙な巨人は人畜無害なんかじゃない。その何よりの証拠が僕のこの脚だ」

「……」

「さて、あんたはどうする? あの巨人が再び現出した時、コントロールは可能か? それとも味方であることに期待を繋ぐだけか? SOS団などというサークル活動はテーマパークのアトラクションのような安全な冒険を保証しない。SOS団を続けるならいつ再びヤツと遭遇するか解らない。つまりいつ僕みたくなっても不思議はない。むしろ僕はまだ運が良い方だ。一応は歩けるんだからな」

「藤原……」

「あんたはなぜSOS団なんていう活動を続けてる? 理由はなんだ? 理由も解らず、余計な苦労をしょいこんで、それでも唯々諾々と人生を続けている。僕には理解できない。あんたは他に考えること、やるべきことはないのか?」

「余計なお世話だ」

「ふ、そんな売り言葉買い言葉の返答とはな。そこは〝信念〟と言うべきだったろう」

 藤原はにやりと笑っていた。


「一時間を少しオーバーしてしまったな」藤原は再び時刻を自分の腕時計で確認するとICレコーダーの電源を切った。

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