第18話【手紙】
週末が近づきつつあるある日の放課後、俺の下駄箱に手紙が入っていた。これまでのパターンからこれの差出人のシルエットが網膜に自動再生される。朝比奈さん大人バージョン。
と同時にこんな音声も自動再生される。
『彼女が僕たちに——SOS団に、福だけをもたらすという保証はありません』それは古泉の言。
俺は手紙を開いてみる。
[今度の土曜日午後三時、いつもの喫茶店で待っています。あなた一人で来てください]、と、そう書かれていた。差出人の名は案の定不記載。
大人バージョンの朝比奈さんがSOS団第二本部ともいうべきあの場所に俺を呼び出すってのか?
妙だな。
さて、どうする? 古泉や長門に知らせるべきか?
〝あなた一人〟ね。
決めた。事後報告でいいだろう。これまでもそうだったし、大人バージョンの朝比奈さんもSOS団団員に雁首揃えて迎えてもらっても困るだけだからな。
そして土曜日が来た。俺はこのシチュエーションにいささかの疑問を感じ一旦午後一時半頃に喫茶店に入店し見知った顔のいないことを確認し、わざわざ店を出た。馴染みの店じゃなきゃできない芸当だろうな。
さて、俺は今から一時間半もの間、喫茶店前で張り込むことにする。
俺の予感は当たった、と言うべきだろう。三時の十五分前。
驚愕すべき事態だった。見知った顔が歩いてやって来た。それはもちろんハルヒを始めとするSOS団団員などではなく、佐々木でもなく、国木田でもまして谷口でもなかった。俺は九曜が来てもここまでは驚かなかったろう。
藤原——‼
右手には丁字形の杖。一歩ずつその杖をつき片方の脚を引き摺りながら歩を進めて来る。そんな状態なのに意外に速く歩いているようにも感じた。
藤原は喫茶店の前で立ち止まり店名を見上げ睨むような顔をして、そして店の中に消えた。
どうなってやがる⁉
ハルヒを殺そうとした絶対に許すことのできない敵。もの凄く悪い予感がしながら逃げ出せない。
行ってやるし言ってやる。俺は店の戸を開け踏み込む。
いつものSOS団の指定席には、やはり紛れもなく藤原が座っていた。
〝よく俺の前に顔を見せられたな⁉〟、本来ならそう言うべきだった。
「お前その脚はどうした?」
そんなくだらんことを俺は言ってしまっていた。
「ふ、見ての通り。自業自得だ」
〝よくもハルヒを殺そうとしたな‼〟と言うべきだったろう。だが藤原の自業自得発言で萎えてしまった。
「お前をいつか必ずハルヒに謝らせるからな」
せいぜい言えたことがこれくらいだった。
「涼宮ハルヒか……」
なぜか藤原が考え込むような目になり、そして口を開いた。
「いつまで立ってるんだ?」
俺は藤原の真向かいに座る。野郎二人で喫茶店とはな。
ほどなくしてテーブルの上にはアイスコーヒーが二つ運ばれてきた。さすがにここには九曜はいないので喜緑さんが運んでくることはなかった。
ゴト。
藤原は突然テーブルの上になにかを置いた。ポケットから出すときにスイッチを押したのか録音中を示す赤ランプが早速点いている。
「ICレコーダー?」思わず声が出てしまった。
「この時代の音声記録装置。これは言わば僕が義務を果たした証拠となる」
「どういうことだ?」
「あんたはなんでもいいから僕と一時間会話をする」
「なんでしなきゃいけないんだ?」
「僕の庇護者の要求だからだ。もはや僕は庇護してもらわねば生きることもできない哀れな存在だからな」藤原は口だけでにや、と笑った。ひどく自虐的な笑みだ。
誰だそいつは? この世界で藤原が見知っていて且つ協力者になり得る者は限られる。というか三人しかいない。九曜、橘京子、そして佐々木……まさか、な。
藤原に言うことを聞かせられる能力を持つのは九曜以外あり得ない。だがネジが外れ思考が飛んでるような出来損ないの対ヒューマノイド・インターフェースが黒幕とは考えられない……誰なんだ、藤原の庇護者ってのは。天蓋領域とやらが直接庇護するとも思えんし。
「庇護者ってのは九曜か?」、鎌をかけてみる。
「さあな、もう組みたくもない」
藤原はあさっての方向を向いた。信用していいのか? 藤原は再び口を開く。
「僕に拒否などという選択肢は無い」
「俺にはその選択肢はあるのか?」
「あんたは今すぐ席を立つことはできないだろう。僕に訊きたいこともあるだろうからな」
興味からは自由になれないだろう? と言わんばかりだ。
「なぜお前がまだこの時代にいる?」
「誰かに何かを吹き込まれたか?」
「あぁ」
「どんな具合に?」
古泉は言っていた。
『彼は多分二度と出てこれないでしょうね』
『我々の現在、彼にとっての過去に来ることができないと言ったほうが正しいかな』
『彼のいた未来との時間線は途切れたようです』と。
いや、古泉によればこれを元々言ったのは朝比奈さん大人バージョンであるらしい。藤原は朝比奈さんの弟であるらしいということなので、そこはぼやかして、古泉の言った内容のみを藤原に伝えてやった。
藤原が唐突に声をたて笑い出した。なんだ、コイツは。
「何が可笑しい?」
「誰が言ったか知らないが、あんたは嘘つき名人と知り合いらしい」
「嘘だと?」
「ふん、僕がこの場にいるのが嘘だってなによりの証拠だ。巧妙な嘘つきは嘘の中に半分ほど本当を混ぜる」
「なにが本当なんだ?」
「この世界と僕のいた世界の時間線が途切れたというのが本当だ」
「途切れたのになぜおまえがここにいる?」
「簡単だ。〝時間〟はわざわざ僕がもと来た未来に帰るのを待って途切れてくれるのか? そうそう世界は都合良くこの僕に優しくはない。僕を置き去りにして時間線が途切れた。ために僕は僕の未来に帰れなくなった。つまりは時間の漂流者。そういうことだ」
確かに言われてみれば、そっちの方が自然だ。
「あんたにそれを吹き込んだ人間、あんたは今そいつのことをどう思ってるんだ?」
藤原がにやりと笑いながら言った。相変わらず気に食わんヤツだ。だが言われて詰まる。誰だ? 俺に嘘を吹き込んだのは。古泉か、朝比奈さん大人バージョンか。
会話が途切れた。
しびれを切らしたように藤原が口を開く。
「なんでもいいから喋ったらどうだ?」
こっちは気の合う友人と話してるわけじゃない。喋ることなどあるか。
「例えばこんなのはどうだ? あんたの仲間、ナントカ団の連中は本当に信用できるのか?」
んだとっ。
「信じすぎると危ないんじゃないか?」
てめえっ
「解りやすいな。顔に文字が書いてあるみたいだ」
「お前っ、いったい……」
「なんて、僕があんたのことを心配すると思うか? そう僕の雇い主が言っていただけだ。あんたは念のため保険を掛けておいた方がいいんじゃないか、ってな」
「その保険ってのはまさかお前たちなのか?」
「僕はどうだかな。だが少なくとも僕の雇い主はそのつもりらしいぜ」
これはどういうことだ? 九曜が俺を心配するはずがない。橘京子だってそうだ。残りはあと一人。この藤原の言うことが嘘じゃなければコイツの背後にいる〝庇護者〟は佐々木以外あり得ない。
「誰だ? お前の雇い主は」
「ふ、禁則事項だ——というのは冗談で、僕が世話になっている人間を裏切るわけにはいかない。つまり言えない」
「なんだそりゃ」
「今は言えない、というだけだ。そのうち本人が種明かしをするだろうさ」
仮に藤原の庇護者が佐々木だったとして、佐々木に人間ひとりの面倒など見られるわけがない。だって佐々木は高校生だ。コイツの衣食住をどうするかってことだよ。橘京子の組織か九曜の力が必要になってくるはずだ。だがそれじゃあ偽SOS団じゃないか。佐々木が今さら偽SOS団結成もない。俺は佐々木をよく知っていた。あいつはハルヒと同じくらい、他人の意見に左右されることのない人間だ。ハルヒは最初から聞く耳を持たず、佐々木はじっくり耳を傾けた上で、自分の意見を滔々と述べ出すのだ。彼女のアイデンティティはとてつもなく強固であって、仮にゼウスやクロノスが神託を携えて出張ってきたとしても変節することはないだろう。プロメテウスやカサンドラの言葉なら少しは耳を傾けるかもしれないがな。
そもそも目の前のコイツは真実を語っているのか? コイツの第一印象はどうだった?コイツは最初なんと言って来たか?
『捜し物はこれか?』そう、これが藤原の第一声だったと思う。見たこともない仕様の薄くて黒い記憶媒体のような小さな板を手にしていて、それは本来俺と朝比奈さんが見つけるはずのもので、一足先にコイツによって花壇から見つけ出されてしまったんだった。
本能的に立ち上がってしまうような声色。振り返るのに躊躇は皆無。考えるよりも先に身体が動いてた。
振り返れば五歩分ほど離れたところに、俺たちと同年代くらいの男が立っていた。
その顔に見覚えはなくその時が初顔合わせだった。しかし一発で俺はそいつを気にくわない野郎だと認定した。その顔に浮かんでいるのは、紛れもなくネガティブな感情だ。
だがその一方で俺はそいつに人間くさいものも感じていた。これほどダイレクトな悪意を放射する野郎には久しぶりに出会った。善人の振りなんか最初からせず、内心を隠した仮面もかぶらず、思考をそのまま言葉にしている印象である。いっそ話が早くていい、と。
妙な表現だが正直者なのだ。
正直者は、信用できてしまう——
再び会話が途切れてしまった。藤原が腕時計に目を落とす。またもや藤原が口を開く。
「なんとか言ったらどうだ? あんたが何も言わず会話が成り立たなければ僕は役目を果たしていないことにされる。無言のまま一時間が過ぎても喋ったとは見なされない」
知るか!
「ふん、じゃあこんなのはどうだ? 宇宙人・未来人・超能力者の中で一番嘘つきなのは誰でしょうか?」
「ふざけてるのか⁉」
「宇宙人・未来人・超能力者の中で誰を一番信じたらいいでしょうか?」
「全員信じてるさ」
「あんたも奇特な人間だ」
高台から見下ろしているような目つきをする。そして続いて口を開く。
「僕なりの答えを言うなら最も信用してはならないのはお喋りの者だ。喋らない人間には騙されることはないが、喋る人間には騙される。中でも訊かれたわけでもないのに喋りだす人間は特に信用できない」
「お前という人間の人間性が見えるな」
それは俺にしては精一杯の嫌味だったが、藤原にはなんら応えている様子もなく虚無的な笑いを浮かべているだけだった。
「まああんたが大事にしている人間関係を壊すような質問に気分を害していることだけは解った。じゃあこんな問いはどうだ?」
「どんなだ」
「宇宙人・未来人・超能力者の中で一番弱いのは誰でしょうか?」
それは実に奇妙な質問だった。俺は宇宙人・未来人・超能力者が戦って誰が一番強いかなどと小学生チックな発想はしたことがない。要するに長門、朝比奈さん、古泉の中で一番弱いのは誰かってことだよな。
出し抜けに別の記憶が蘇った。文化祭の数日前、映画のクライマックスに四苦八苦していた俺に、長門が言ったセリフだ。『未来の固定のためには正しい数値を入力する必要がある。朝比奈みくるの役割はその数値の調整』。
ここで最も気になるフレーズは、未来の固定のため、ってところだ。固定するも何も未来は一個だけだろう、という心境には、最早なれない。
たぶんだ。確信が無いのでまだ明確には言えない。だが俺の洞察力は次のように答えを打ち出して、ただしクエスチョンマーク付きで脳裏を駆けめぐっていた。
未来は固定されていないのか?
て、ことは、朝比奈さんのものとは別の未来がどこかにあるってことなのか? そう考えるとわずかに納得がいく。わずかだぜ。だが、未来が枝分かれしているというのなら、つまりだ。例えば車に轢かれそうになったあの眼鏡少年が生きている未来と死んでいる世界の二つがあってもおかしくない。でもって、俺はあの時、後者の可能性を消してしまった。ようするに俺は一つの未来を片腕一本でまるごと消滅させてしまったのだ。正解かどうかは知らん。そんな推測も成り立つというだけの、ここで『読者への挑戦状』を挿入したらドアホと言われるだけのモロモロの基盤だが、いったん思いついた妄想は簡単には去ってくれない。俺は呆然とし、さらに唖然ともした。他にどうしようがある? 他に答えようがあるか。
「未来人だ」俺はそう結論した。
「当たりだ。最も弱い者は未来人」
藤原と意見が一致しちまった。藤原自身も未来人のはずだが。が、これは長門だけじゃなく古泉も言っていたことだ。
俺と古泉のやり取り。
古泉、おまえはこの前、朝比奈さんなどどうにでもできると言ったな。ありゃ、どういうことだ? そう俺は訊いた。
『未来は変えることができるからです』
古泉はまたこうも言っていた。
『あなたは未来人が過去を自在に干渉できると考えて、過去に対する未来の優位性を確信しているのかもしれませんが、未来など実にあやふやなものなんですよ』
過去の歴史を学んだ上で時間遡行したら、都合良く改変することだってできるだろう。実際に俺はそうしたんだ。おかしくなった世界と長門を元に戻しに行ったんだから。
『それを過去からしてもよかったのです。もし未来をあらかじめ知ることができたなら、その時点で未来を変えることだってできるでしょう』
未来人など、どうでもできるのか? だが目の前のコイツは今でこそ時空の漂流者だが元未来人だ。未来人が未来人を堕としている。
そもそも藤原は藤原で矛盾したことを言っていた。かつて俺と佐々木に向かって、
『あまり自分を過大評価するな。こっちとは保有している知識も認識力にも差があるんだからな』などと、そんなことを言っていた。
それが最弱だって? しかし確かにそれと解釈できることばを吐いたのも聞いたことがある。
『せいぜいがんばって指示通りに動くがいいさ。そして未来の指示で動く過去人形を続けるんだな』
世の中は指示通りに動かない人間も多い。まして給料ももらってないのに未来人の指示通りに動いてくれる人間など俺くらいのものだ。もしもだぜ、誰一人指示に従わなかったら——という考えはそれほど突拍子もないもんじゃないだろう。誰も未来人の指示をきかなかったら未来人はあっという間に立ち往生だ。
現に朝比奈さんは言っていた。
『過去を変えるのは、その時代に生きている人じゃないとダメなんです。それ以外のことはルール違反だから……』と。
その時代に生きてる人が変えてくれる? そんなことをしてくれる過去の人がいる方が変だ。
ルール違反? 過去の人間を操り過去を変えるのはルールの範囲内ってのもおかしい。ルール云々じゃなく未来の人間が直接過去を変えると看過できない不具合が起こると解釈した方がよさそうだ。
するとやはり未来人というのは一番あやふやな連中なのか?
「一番弱いのは未来人、では次に弱いのは?」藤原が次を訊いてきた。
長門と古泉か。どっちだ?
「超能力者だろ」
「さぁ、どうかな。案外宇宙人かもしれない」
それはない。俺はあの雪山の館での事件を忘れちゃいない。だがどういう理屈で宇宙人が大して強くないのかも気にはなる。
「どういう理屈でそうなってる?」
「ふ、僕らの知る宇宙人の本体にはなんらの実体も無いからだ。実体が無いということは物理的攻撃が不可能という意味になる。その物理的攻撃を代行させるのが対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースというわけだ。あんたも攻撃されたことがあるんじゃないのか? どういうわけか少女人形しかお目にかかったことがないがな」
「てめエ」
長門を侮辱することは許さん。
「まだ話が途中だ」藤原は一言言うと話を続けた。
「だが対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースには致命的な欠陥があることが見えてきた」
「長門に欠陥なんかあるか!」
「ふ、要するにそれだ」
「なにがだ?」
「あんたはその少女人形に肩入れしている。なぜだ? 人間らしい感情の片鱗を僅かでも見たからじゃないのか?」
藤原の顔から笑みが消え、真剣な顔をしていた。
「九曜でさえもな」
「あの九曜もか?」
「まあここは話の本筋じゃない。要は人間から影響を受け続けている間に少女人形は多かれ少なかれ自らの意志と感情を備え始める。造った連中からしたらだんだんとコントロールが効かなくなってきたってところだ。だがそういう壊れかけた人形でも宇宙人どもは造り直すことができなくなっている。理由は簡単だ。結局同じ使い方しかしないからだ。同じ使い方ってのは人間の側に送り込んで使うってことだ。対有機生命体コンタクト用である以上はどんなに造り直しても人間からの影響を受け続ける。故に何度やっても同じ結果に到達するしかない。後は自分たちの造った人形の忠誠度に期待するしかないってことだ」
なんだ、このやけに説得力のある分析は。現に朝倉涼子は意志を持ち造物主からしたら制御不能になりかけている。
「こんな不完全な物に頼らざるを得ないって、宇宙人、弱くないか?」
まさか、宇宙人と戦争して勝とうなんて思ってないよな?
「——したがって宇宙人との争いに負けない方法も提案できる。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースをこちら側につけてしまえばいい。何体送り込んで来ようとこちら側につけられる可能性は常にある。なにしろコンタクト用なんだからな」
「まさか一番強いのが超能力者とか言わないよな?」
「消去法でいくとそうなるかな」
「お前、橘京子が一番強いって言うつもりか?」
「面白い話をしてやろう。僕に言わせればアイツは嘘つきだ。平然と嘘をつく。嘘つきというのはなかなかに強い」
なんだって⁉
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