第29話【解析】

「ICレコーダーは聞かせてもらった」佐々木は言った。

 別に驚きはしないさ。

「なんとなくそんな感じはしていた」

「キョン、僕はキミの今の考えを知りたくてね、それで藤原くんに頼んだんだ」

「すまん。一回だけ話の腰を折らせてもらっていいか?」

「なんだい?」

「藤原は『涼宮ハルヒの能力は佐々木に移せない』と言い切った。俺には藤原の言ってることがどこまで真実なのか解らない。前には逆のことを言ってたんだからな。佐々木、あれを聴いたなら教えてくれ。お前はハルヒの能力を受け取ることができると思っているのか?」


 計算したわけじゃない。佐々木の話はぽんぽん弾むように進んでいく。たまたまこれを訊ける機会が来たんだ。


 四月、『ハルヒの力を佐々木に移せる』と馴染みの喫茶店で熱っぽく語る橘京子の隣りに佐々木はいた。その話に延々つき合い座っていた佐々木。本当のところはどうなんだ? もしかしてほんの少しでも興味があったんじゃないかという懸念がある。


「そんなことはできないだろうと思っている」

 断言か。

「——念のために訊くが、四月の時点では少しでも〝思っていた〟ってことはあるのか?」

「涼宮さんの能力を僕に移すなんて無理だろうと思っていた。納得はできない。しかし認識はできるといったところだ」

「〝認識できる〟ってのはなんだ?」

「そういう考えがあるのを知っただけさ」

 しかしこれは驚くのには値しないのかもしれない。ちゃんと足を地球につけた常識人の佐々木。そう簡単に甘言によって籠絡される素直な地球人じゃないんだ。


「じゃあなぜ橘京子なんかにつき合い続けたんだ? 俺の知る佐——」

 咄嗟にそれを言い切るのはマズイと直感的に頭に閃いたが既に遅く、そのことばの続きを佐々木が繋いで、喋った。

「〝俺の知る佐々木は〟かい? キョン」

「いやそのだな……」

「あくまで、〝キミの知る佐々木〟なんだ、それは」

 え?

「人間とは初対面の印象が全てだとも言うね。どうやらキミにとっての僕の第一印象は上々のようで実に僥倖だ。それもこれもキョン、キミとは中学三年からの親友だからだ」

 なにを言いたいんだ? ともかく「ああ」と返事した。

「僕は二年に一度くらいしか怒ることはないが、そうなったらちょっと自分でも怖いくらいになるんだよ。さっきも言ったが、ちょうど最後に憤激を覚えたのが二年ほど前だった。これがどういうことか解るかい、キョン?」

「……」

「キミは僕が怒るところを見ていない」

 確かに見てはいない。

「僕はキミにはけっこうなヒントを与えている。僕という人間を解析するための手がかりは既にキミの記憶にあるんだよ。例えばだ、『家庭の事情で僕は小学校卒業と同時に名字が変わった』とかね」


「うわぁ、佐々木怖いわね〜」と光陽園のハルヒが口にしていた。


 俺が持っている佐々木の印象は現在から遡ること約二年まで。それ以前は——



 先入観。

 先入観を捨ててくれ、と佐々木は言っている。

 そのためのヒントを、既にさりげない形で俺はもらっていた。


 つまり——『佐々木だから〜することなんてない』と思うな、と俺は言われている。

 ちゃんと足を地球につけた常識人佐々木……それはここ二年の佐々木に過ぎず、この後も同じとは限らない、と本人に宣告されたのだ。


 そうかもしれない——本当に常識人だったら『あの人の持ってる素晴らしい力をあなたに移せるんです。あなたは選ばれた人です』などと言って寄ってくる人間を詐欺師と断定し拒絶するだろう。既にこの四月の時点で佐々木はどうにかなっていたのだ。二年周期の怒りが定期的なら既にその時は来ていたのだ。

 いや、佐々木がどうにかなっていたと言うのもおかしいのかもしれない。こっちも佐々木、あっちも佐々木なんだ。

 藤原は俺に言った。

 『ふん、人間などどんなに表層の態度を飾り立てようと元々安定などしていない』と。俺は藤原以下の洞察力か。





 なぜだか佐々木は実に上機嫌だった。光陽園のハルヒと一緒になって考えたという『仮説』を滔々と述べ続けている。


 コミュニケーションとは『対話』であるが会話の構成比率、つまり話している時間と聞いている時間の比率が五対五であるとは限らない。

 皮膚感覚になるが古泉と俺とは七対三ほどであり、長門と俺なら一対九か。

 しかし古泉と話す時の俺の『三』と、長門と話すときの俺の『九』を比べてどちらが多いかは解らない。絶対量の問題があるからな。案外長門と話すときの俺の『九』の方が少ないのかもしれない。


 さて、そこで佐々木だ。佐々木と俺との会話はだいたい八対二のような気がする。その上古泉同様絶対量も多い。

 俺はなぜか佐々木と気が合っていることになっているが、俺のしていることは佐々木の話を聞いているだけなのだ。そして時々返事をする。

 話の中身については正直微妙なものもある。俺の頭のレベルのせいもあるかもしれないので大きな事は言えない。なぜ俺がよく解らない話を延々聞いていたのかといえばたぶん喋っているのが佐々木だからである。

 側で頷きながら話を聞いているだけ。佐々木が俺を気に入ってくれてくれているのはこういうのが理由なんじゃないかと思う。

 そして佐々木は今も気持ちよさそうに喋り続けている。




 さて、ここまでの佐々木の話をかいつまんで解説しよう。

 テーマは『涼宮ハルヒの能力の解析』である。

 佐々木はまず『思考の基準点』を示した。宇宙人はなにをやろうとしているのか解らず。また超能力者も同様である。しかし未来人たちだけはやろうとしている事が解りやすい、と述べたのである。

 即ち、彼らの歴史である『規定事項』を巡り、護る護らないのバトルを繰り返している。現代人的にはこの目的が一番すとんと腑に落ちるのでこれを『思考の基準点』にしたとのことだった。

 次なる段階は未来人の言うところの『世界の分岐と収斂』についての考察であった。これを真と定義し、仮説を導き出すのだと言うのである。

 まず佐々木はこう問うた。

 「世界改変は涼宮さんにしかできないのか?」と。

 結論から言えば未来人にも世界改変は可能なのだ。未来人による世界改変とは過去に干渉した結果起きる『分岐』のことである。

 過去に干渉した結果、未来の世界がその干渉点以降分岐してしまうという理屈は俺であってもなんとなく解る。世界改変はハルヒの専売特許なのではなく、一部未来人にもできたのだ。ただしかなりスケールダウンはしているが。


 ここで重要なのは未来人版の世界改変は改変前の世界が消えないことだと佐々木は言う。

改変前の状態で進んでいく世界と改変後の状態で進んでいく世界はともに存在する。分かれるから『分岐』。これも俺でも解る。ただ改変するだけならなにもハルヒじゃなくても未来人だってできるということなのだ。


 問題はもう一つのキーワード、『収斂』である。

 大人バージョンの朝比奈さんは言った。『どうせ世界はひとつに収斂されるのに』というやつだ。

 これについて佐々木は『どういう理屈で収斂されるのか?』と疑問を提示した。

 『別々に分かれた世界を一つにくっつける力の正体はなんだろう?』と。

 俺は、と言えば「よく解らん」としか言えなかった。

 だんだんと辛くなってきたが佐々木が嬉しそうに語っているのでがんばって聞き続けている。


 しかし俺に合わせてくれたのでもあるまいが、佐々木の仮説は実にシンプルだった。その仮説とは、

「この世界に溜め込める物質の容量には上限があり、この世界にはいくつもの分岐世界を無限に許容し続けるスペースは無い」というものだった。

 つまりこういう説明だ。世界が『分岐』すれば質量も当然二倍になる。(これは光陽園のハルヒが即座に言ったとのこと)世界が分岐すればするほど倍倍倍と質量が増え続け、ある時点でこれ以上増やすことの出来ない飽和点が来てしまう。その時、超自然的な現象、『収斂』が起こるのではないかと佐々木は推論した。

 佐々木はこれを別のことばで表現した。

 それは、『上書き』。



「長々と前振りをして済まなかった。今さっき言ったのが僕らなりの結論、涼宮ハルヒさんの力の正体さ」

 は?

「僕は涼宮ハルヒさんが二種類の力を行使できると結論した。涼宮ハルヒさんには二つの能力がある。ひとつは『改変』、もう一つは『上書き』さ。そして涼宮ハルヒさんを涼宮ハルヒさんたらしめているのは上書き能力なんだ」

「つまり、上書き能力の方が凄いってことなのか?」

「涼宮さんは、どちらが上書きをする側か、どちらが上書きされる側かを選ぶことができる。それは消えゆく世界、生き残る世界の取捨選択を涼宮さんがするって意味さ。まあ無意識でやってしまうんだろうけど」

「もしそうなら、ハルヒが恨まれるだろ」

「だろうね。残るのは上書きする方の世界データであって上書かれた方の世界データは消滅してしまう。これはあくまで僕の推測だが、朝比奈さんが三年、いや、今は四年か、それ以前に戻れないというのは、彼女の世界はけっこう危ないんじゃないか?」

「じゃあそれをなんとかするためにハルヒのところに——」

「そう。エージェントを送り込んで来たんだ。涼宮ハルヒさんの力を使って上書きする方の立場に立つためにね。そしてここに必然的に未来人同士の争いが起こる。誰も上書かれたくはないからね」

「こう言っちゃ何だがそれは想像に過ぎないんじゃないか?」

「キョン、キミはいい奴だ。涼宮さんの持つ能力が彼女に不幸を招き寄せかねないと心底心配していなければそうは言わない。さらにダメ押しでその表情を見れば解る。だが僕の妄想じゃないんだ」

「ハルヒにそんな選択的世界上書き能力が備わっているっていう根拠があるのか?」

「上書かれるところを見た者がいるから」

 佐々木は長門の方に視線を向けた。

「長門さん、あなたは涼宮さんが一万数千回だったか、出来てしまった世界を片っ端から上書きしていった様子を観察しているはずだよね?」

 九曜経由なのか? 佐々木はこんなこと知らんはずだ。長門は俺の顔を見た。判断を求められている。

「構わん」

 その言葉を合図に長門は回答を口にした。

「一万五千四百九十七、それだけの世界が涼宮ハルヒの上書きによって消えている」

 それはあの去年の夏休みの二週間。

「長門さんにもう一つ訊きたいが、それらの世界は全て同じ世界なのかな?」

「厳密に言えば違う。一万五千四百九十七のシークエンスにおいて、涼宮ハルヒがとった行動はすべてが一致しているわけではない。一万五千四百九十七回中、盆踊りに行かなかったシークエンスが二回ある。盆踊りに行ったが金魚すくいをしなかったパターンは四百三十七回が該当する。アルバイトをおこなったのは九千二十五回であるが、アルバイトの内容は六つに分岐する。風船配り以外では、荷物運び、レジ打ち、ビラ配り、電話番、モデル撮影会があり、そのうち風船配りは六千十一回おこない、二種類以上が重複したパターンは三百六十回。順列組み合わせによる重複パターンは——」

「ありがとう。なるほどね。これでは涼宮ハルヒさんに夢を見る者が出てくるのも無理はない」

「なんでだ?」

「例えばだね、盆踊りに行って金魚すくいをしなかったパターンが一万五千四百九十七回中、四百三十七回あるということだが、この〝金魚すくいをしない〟という部分を別の何かに置き換えられるんじゃないか。テロ事件が起こらなかったパターンとでもしたらどうかな? 人はその四百三十七回に期待してしまうものじゃないかな。むろん悪い方の目もあるんだけどね。キョン、僕が何を言いたいか解るかい? 上書きとは都合の悪い世界を無いことにできるってことなんだ」

 佐々木は一旦話を区切る。

「最大に問題なのは涼宮ハルヒさんの好悪の感情で取捨選択が成される可能性があるってことだ」

「つまりハルヒは気に食わない世界を消して気に入った世界を残すような真似をするってのか?」

「そう、僕の見たところ、する。ただし無意識に」

「それじゃあ脅威を感じてハルヒの存在を消すことが正義だとか抜かす藤原みたいな奴がどんどん涌いて出てくることになる」

「そういうことになる。だが気に食わない世界を上書きによって選択的に消せる能力があるからといって涼宮さんは悪ではない。そういう能力自体悪ではない。キョン、どうかな?」

「いやそう言ってくれるなら安心はするが……」

「キョン、キミはどこまで行っても涼宮さん中心なんだな。まあいい。さっき僕はこの世界の容量には上限があるんじゃないだろうか、と言ったね」

「ああ」

「涼宮さんは世界を一万五千四百九十八個に分岐させなかった。つまり世界は一万五千四百九十八倍にはならなかった。もしこれだけの数のかけ算をしていたらこの世界はそれだけで容量オーバー、いくつの世界が上書きされて消えたか解らない」

 佐々木は話を区切り長門を見た。

「長門さん、確か四年近く前、この地球に情報フレアなるものを観測し瞬く間に惑星外空間に拡散したんだったね?」

「そう」

「佐々木、何を言っているのか自分で解っているのか?」俺は訊く。

「よくは解らないさ。九曜さんに聞いたまま言っただけだからね。ただ確認したかったのは涼宮さんの影響力が地球規模では収まりがつかず『惑星外空間』に影響を及ぼしたってことさ。これで確実に、世界が一万五千四百九十八倍になっていたらその分だけの世界がその時消えていたということになる。つまり涼宮さんは無自覚に全宇宙のことを考えてもいた」

「原因はハルヒの個人的充足感の有無だけどな」

「この際動機は問わないさ。節度の問題だからね。しかしこれで完全に世界は救われたわけじゃない。延命しただけだ。世界の容量の限界はすぐそこまで来ていてそのうちどこかの世界が確実に消える。自分たちの世界が消える世界にならないよう涼宮さんを巡って各世界は生き残りを賭けた戦争を始めるかもしれないし、涼宮さんの能力を完コピできれば戦争を経ずしても目的を達成できるかもしれない」


 佐々木が再び長門の目を見る。

「僕は不思議に思うんだが、去年の十二月十八日、長門さんは独断で世界を改変したことになっている。世界改変というのはそれほど罪が軽いんだろうか? それほどの事をやらかした長門さんが情報統合思念体によって消去されることもなく同じ場所に存在できていることにどう合理的な説明をつけたらいいだろうか?」

 佐々木は話を止める、長門の反応を見ているようだ。

 しかしちょっと待ってくれよ佐々木。これは今までの定説を覆している、


「僕は藤原くんの言う涼宮さんの能力を技術化して使おうとする勢力がいるという説に賛意を持っている。あれは情報統合思念体による世界改変と上書きの実証実験だったんじゃないだろうか? 上からの命令でやったのなら処罰される道理は無い。むしろ上からの命令に逆らったら処罰されるだろう」


 止めてくれ佐々木! もうそれ以上は。物語ってのがあるんだよ‼ それじゃあまるで長門が情報統合思念体の操り人形じゃねえか。長門は言ったんだよ。エラーデータとバグが原因だって。そういうのが蓄積した原因も俺には何となく解るんだ。それが実は実証実験でしただって? そんなものをやるために長門は十二月十八日に世界を改変したってのかよ! それじゃあ長門が嘘つきになっちまう。そうじゃないんだ。違うんだ。

 だが佐々木は喋るのを止めてくれない。


「敢えて言うけど実験は完全に失敗したんじゃないかな?」

 長門は沈黙したまま。


「佐々木、もういいじゃないかこんな推理ゲームは」ようやく、ようやく俺は声が出せた。

「ちょっと、ジョン! ゲームとは何よ!」光陽園のハルヒが文句を言ってきた。

 うるさい!

「キョン、キミはなぜ僕が実験は失敗だったと言い切ったか、その根拠を聞かないうちに話を終わらせてしまうのかい?」

 長門と佐々木、俺にとっては〝どっち?〟じゃない。共に得難い存在なんだ。もちろん〝得ている〟にゲスな意味なんて〝天に誓って〟無い! なんでふたりでこうなってんだ!

「じゃあ長門さんに聞こう。不愉快ならこの話は止める。元々これはSOS団ともう一つのSOS団との協力のための会談なのだからね。いがみ合うために来たわけじゃない」

「続けて」

 長門はひと言そう言った。なんでだ、長門。



「よりにもよって情報統合思念体のいない世界を構築してしまったからさ——」

 カチリ、と耳に聞こえない音がしたような気がした。 


「——これは瑕疵だね。なんでそんな世界をわざわざ創ってしまったのかは解らない。よく解らない技術は使わない方がいいという教訓かな。情報統合思念体をもってしても涼宮さんの能力を完全に解析するのは不可能だったというわけさ。世界が改変できればなんでもいいなんてことはないね。彼らがすぐに再修正に動いたのも当然だと思う。誰であろうと自分のいない世界など肯定したくはないさ。僕にはなぜそんなことになったか原因がよく解らないがエラーかバグといったところだろう」


 佐々木の饒舌さとは対極的に長門は極めて口数が少ない。常にミニマムのことしか口にしない。そこに俺の勘違いが入り込まない保証は無い。

 長門は特殊だ。いくら人間らしくなりつつあるとしても情報統合思念体とは情報結合されその身体を維持している。情報結合ってなんだ? 情報によって結合されてるってことで結合されてなかったら消えるってことだ。

 藤原は『嘘』の話を執拗に俺にした。藤原のせいで俺は『嘘』に敏感になってしまった。気に食わんが嘘はそこら辺に転がっている。いま俺が知っている情報の中に『嘘』が混じり込んでいない保証は無い。情報統合思念体は常に真実しか伝えないのか? 宇宙人をそれほど正直者だと言う根拠は、無い。


 長門は自身のエラーやバグが原因で自分の意志により去年の十二月十八日に世界を改変してしまったと思い込んでいる。俺と朝比奈さんが三年前の、いやもう約四年前か、七月七日に時間遡行したとき、そこにいた過去の長門は既に約三年後長門自身が世界を改変するだろうことを知っていた。

 だが、過去にいた長門がどうやって知ったんだ? ということになる。それはおそらく『同期』と呼ばれる時間を越えた情報共有。長門によれば朝比奈さんたちのTPDDよりも完璧な時間移動の手段だという。正確性が違うのだという。長門たちの時間移動は情報だけが時間の彼方から飛んでくるというものであるらしい。異なる時間に存在する各々の同位体間の情報交換。

 だがしかし、技術的に正確な情報共有ができるからといっても故意に嘘を紛れ込ませれば嘘が飛んでくる。飛んでくる情報が正確かどうか、どうやって判断するんだ?

 未来人たちのTPDDなら少なくとも自分の目で確証を得ることになる。情報に『嘘』が紛れ込む可能性を考えるとむしろ長門たちの時間移動の方に欠陥がある。『同期』に嘘を紛れ込ませることは技術的に可能じゃないだろうか。

 そして今の長門は情報結合されているとはいえ、自ら『同期』を拒絶している。これの意味するところは本当のところどうなんだ?

 

 何より根本の情報の出所は長門ではなく情報統合思念体なのだ。情報統合思念体にも人間並みに派閥があるという。嘘が長門の元に送られてくる素地は既に、ある。

 ハルヒの能力をコピーした技術の実証実験などとんでもないこと、と考える勢力もいるだろう。この際何派がそれをやりたがっているとかはどうでもいい。情報統合思念体の中で世界改変の実証実験をどうしてもやりたい勢力が正当な手続きを踏まず長門のエラーということにして実験を強行した可能性ってのはないか。腹が立ってくるが操り人形なんだ、元々の長門は。


 俺でもこう考えてしまうほど、『訳の解らない力が右から左へ動かせるわけがないという疑問から藤原が提唱したハルヒの能力の技術化説』、『長門がとんでもない不祥事をやらかしたのにそのままそこにいられる不思議から佐々木が提唱した十二月十八日実証実験説』には合理性はある。



「そう」長門は言った。短すぎて真意が解らない。だが長門は佐々木の仮説を否定はしなかった。



 頭が痛くなってきた。俺は佐々木じゃない。あまりとことんまで考え詰めないのだ。俺は単純で詰まるところ長門が情報統合思念体の意志の通りに動く操り人形だなんて認めたくないのだ。だから佐々木が十二月十八日実証実験説を口にし出したことに〝不快〟を感じた。

 あの十二月十八日が結局何だったのか、俺の力では真実は調べられん。だが今は藤原・佐々木説でもいいと思っている。本質は同じだからだ。


 長門は完全には操られなかったんだ。それは紛う事なき事実だ。自らが望む世界を創ったんだよ。情報統合思念体がいない世界をな。なにが結合だ。情報統合思念体もまさか自分たちが存在しない世界が造られるとは、姿は無いがさぞかし顔が蒼くなっただろうさ。これは長門の望みだ。こういう普通の世界を、長門は望んだのだ。

 ただ俺は——この世界を選択してやれなかった……



「だけどさー、それだとあたしって去年の十二月十七日にはいなかったことになるのよね。十五年以上生きてきた記憶があるのに」光陽園のハルヒが不服そうに言った。


 『もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないということを、どうやって否定するんですか? 三年前にこだわることもない。いまからたった五分前に全宇宙があるべき姿をあらかじめ用意されて世界が生まれ、そしてすべてがそこから始まったのではない、と否定できる論拠などこの世のどこにもありません』古泉がそんなことを言っていたと、不意に思い出した。


 長門はもはやなにも言わない。


「だいたいこんなところさ、涼宮さんの能力の解析は」

「いったいそれになんの意味があったんだ?」これは俺の本心だ。どうしてここまでするのか佐々木に訊いてみたかった。

「人はね、理解できないものに出会ったとき反応が二分する。排斥しようとするか、理解しようと努力するか。どちらが正しいともいえない。人間は個人個人でそれまで培った異なる価値観を持っているのだから、それをねじ曲げてまで理解する必要はないが、価値観を生涯不変のものにもできない。理解できないのは何故かを自分に尋ねて自分が納得できる回答さえ用意できればいいんだ」

 佐々木の顔には一切迷いが無いように見えた。


「さて、キョン、長々とご清聴ありがとう。さてこれから後はキミの番だ。僕に言いたいことがあったら遠慮無く言ってくれ」

 偽SOS団結成の決意は固いらしい。既に俺には釘が刺されている。

「いや、言うことはない」

「よし、じゃあ実務的なことを打ち合わせよう。キミたちSOS団の朝比奈さんのことだ。彼女の安全は僕らが責任をもって保証する。キミたちが朝比奈さんの安全が確保されたと判断したら連絡をして欲しい。速やかに朝比奈さんを引き渡そう」

 未来人一派との交渉は難航を極めそうだな。朝比奈さんが戻れば閉鎖空間の拡大も収まるに違いない。そう信じたい。

「結局涼宮ハルヒの閉鎖空間の方はどうやって解決すんのよ?」光陽園のハルヒが早く言えとばかりに解決法を要求した。

「涼宮さんの最も警戒すべき能力が世界の上書き能力なら最悪世界が上書かれても自身が消えないために出来ることを探せばいいのさ。自身が消えなければいつか戻すことも可能だろう」

 それ実行なんてできるんだろうか? なんともシンプル過ぎる結論だ。佐々木らしい地に足のついた現実主義なのかもしれないがカウンター狙いとはね。弱者が強者を倒す基本パターンだ。派手に世界を救えるとか最初から考えていないようだ。

「それは逆襲ね」

「うん、そうだね」

「最初主役は窮地に陥るんだけれどその先に大逆転があるってのは王道よね」光陽園のハルヒがニカっと笑い言った。心底楽しそうな顔で。

「長門さんはなにかあるかい?」佐々木が長門に振った。

「ない」

「じゃあこれにて散開だ」


 瞬く間に幾何学模様の空間が崩れ公園の風景が目の前に現れる。だが現れたのはそれだけじゃなかった。


「朝比奈(大)さん!」思わず声が出ちまった。

 しかし朝比奈さん(大)は無言のままなにも言わない。こちらをじっと睨んでいる。顔に当たる光の加減のせいか正視に耐えない恐ろしい顔になっている。

「なんですか?」

 怒気を隠そうともせず光陽園のハルヒが名乗りを上げた。

 朝比奈さん(大)は無言のまま反転し暗闇の中に消えていった。

「なんなのよ、あれ」と、光陽園のハルヒ。

「彼女は未来人だね」佐々木がようやく口を開いた。

「なぜ解ったんだ?」

「朝比奈さんにそっくりだからだよ」

 しかしなにかとんでもなく嫌な予感がする。藤原っぽい言い方を敢えてするが傀儡師と木偶人形の関係が破綻したと言っていい今、次に何が起こるのか全く余談を許さない。


 そしてたぶん、朝比奈さん(大)が今何もしないで帰ってくれたのは……俺は振り返る。

 そこに立っているのはもちろん長門。なぜだか朝比奈さんとはあまり相性がよくないらしく(大)でも(小)でも朝比奈さんは長門をどこか苦手にしている。

 長門はただ無言で立ちつくしているだけだったが——

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