第13話 自分で考えてみたらどうだ?


 ふー、ふーっと息を吹きかけながら、沙織は麺をすすった。

「どう? さおりん。学食のラーメンは?」

「えっと……普通、かな?」

 最近すっかり常連になって来たお昼休みの学食で、沙織は学食のラーメンを初めて食べてみた。その味は、可もなく不可もなく値段相応と言ったところだろうか。ちなみに、向かいに座る神子はA定食(アジフライ)を食べていた。特にラーメンにこだわりはないようだ。

「ふん。学食のラーメンなんて、伸びていて別に美味しい物じゃないわよ」

 神子・葵とともに、テーブルを囲んでいる椿姫がしたり顔で告げた。彼女は普段の神子がラーメンを食べていることを知らないようだ。

 葵は必要以上に会話に加わることなく黙々と食事を続けている。相変わらずのマイペースだが、付き合いは悪くない。

 一週間前には想像できないような、けれど今では当たり前になってきた学食での昼食を摂っている沙織の席の横に、とんと定食の乗ったトレイが置かれた。

「ここ、いいかしら~?」

「え、せ、先生?」

 沙織は驚いて声を上げた。

 椅子を引っ張ってきて席に着いたのは、沙織のクラスの担任の、岡千代美だった。ギリギリ二十代の独身の女教師で、おっとりとした話し方をしつつ、どこか抜けたところのある人物だ。あまり頼りがいはないが、一部の男子生徒からは保護欲をそそるといわれ、人気とか。

 沙織にとっては、距離感が無駄に近い熱血男子教師じゃなくって良かった、というくらいの印象だが。

「横山さん。草野球部に入部してくれたんだってね~。先生、嬉しいわ。受け持っている生徒の部活加入率も、賞与の査定対象になるのよ~」

「はぁ……」

 教師の査定の内情についてはどうでもいいけれど、喜んでくれるのなら悪い気持ちはなかった。けれど、それを言うためだけにわざわざこの席まで来たのだろうか。

 そんな沙織の疑問に答えるかのように、葵が説明した。

「先生は、うちの部活の顧問なのよ。沙織が来てからまだ一度も練習には顔を見せていないけれど」

「え、そうなのっ?」

 沙織は驚いて千代美の顔を見た。

 どう見ても、野球の監督っぽくはない。というより、どの部活の顧問でも似合わなそうだ。

「草野球部が新しい部活だったからねー、新しい先生が必要だったのだけど~、先生くらいしか何もやっていない人がいなかったのよ~」

 なるほど。沙織は妙に納得してしまった。

 委員会や部活動の顧問など、教師たちは授業以外に受け持つものは多いのだろう。で、何となくだめっぽそうな千代美が最後まで残ってしまったというところか。

「でもでも。だめだめっぷりな先生が、びしっと真面目なこと言っちゃうと、この人すごい! ってならないかしらー?」

「ま、まぁ……」

 沙織の疑惑の視線に対して、千代美がうふふと笑いながら言う。一応、千代美自身もダメ教師という自覚はあるようだ。

「それじゃ、行くわよー」

 千代美は少し考えて言った。

「ずばり! 横山さんの弱点はバッティングね!」

「おぉーっ」

 神子が顔を輝かせる。

「……ま、少し見てれば分かるわよ。あんなの」

 椿姫の言葉に沙織は苦笑いする。

 沙織もバッティング練習に参加するが、その実力は素人の球子と変わらない。ピッチングは楽しいのに、バッティングに関しては、どうやったらバットにボールが当たるのか、さっぱり分からないレベルだ。

「ふふふ。練習は丹上さんたちに任せているけれど、ちゃんと遠くから見ているのよ~。もちろんそれだけじゃないわよ~。ちゃーんと、練習試合の設定もしてきたんだから~。今度の日曜日よ~」

「え? 本当?」

 意外な言葉に、今度は神子以外からも声が上がった。

 何だかんだで、顧問として千代美も頑張って仕事をしているようだ。

「ねぇねぇ、練習試合の相手はどこっ?」

「対戦相手はね~、筒井中学校の野球部よ~」

「え、ってことは、中学生が相手ってこと?」

「中学といっても三年生なら、私たちと年が一つ違うだけの男子よ。練習試合の相手にしては、悪くないわね」

「そっか……」

 確かに葵の言う通りだった。

 沙織は小学六年のときから野球を辞めていたのだ。その間身体はほとんど成長していない。体格的に考えれば、小学生の女の子が中学三年の男子学生相手に投げるようなものなのだ。

「それはともかく――どうしてウチの中学なのよっ!」

 椿姫が声を上げた。

 その様子を見て、沙織は椿姫が筒井中の出身だということを思い出した。

「ごめんなさいね~。あちらの監督さんとは知り合いで、春日さんが入部する前から部員がそろったら……という話をしていたのよ~」

「……うっ。知らなかった……」

 椿姫ががっくりとうなだれた。

 あちらの監督さんというのは椿姫の恩師にあたるわけで。その人が駄目教師代表の千代美と知り合いだったということに、ショックを受けている様子だった。

「私はソフト部だったから他校の野球部のことまで知らないけれど、筒井中の野球部のレベルはどうなの?」

「地区大会の常連だよ。県大会にも何度か出場しているんだって」

「じゃあ、そこそこ強いチームなんだ……」

 マウンドに立ってしまえばとことん相手を見下ろすが、通常の状態では不安の方が大きい沙織であった。小学生のときは野球に関してなら、普段の時でも自信を持っていて、負けることなど考えもしなかったのに。やはり中学時代のブランクの影響だろうか。

「大丈夫! さおりんが打たれたって、ボクがちゃんと取り返すからっ」

「ええ。そもそも、打たれるようなリードをするつもりもないわ」

「うん。ありがとう」

「――で。試合をするのなら、オーダーも考えなくちゃね」

「うふふ~。練習や球ちゃんからもらったくららちゃんが撮ったビデオを見て、そっちの方も、ちゃーんと、考えてみたのよ~」

 そう言って、千代美は胸ポケットから折り畳まれたA4のコピー用紙を取り出して机の上に置いた。

「へぇ。どれどれ……」

 みんながその紙をのぞき込む。

 そこには千代美が鉛筆で書いたと思われるメンバー表が記されていた。


1、丹上葵   捕手

2、春日椿姫  二塁手

3、御代志神子 一塁手

4、西村銀河  三塁手

5、名賀とおる 遊撃手

6、七尾清隆  中堅手

7、久良あんず 右翼手

8、吉野球子  左翼手

9、横山沙織  投手


「どうかしら~? 夜も寝ずに頑張って考えてみたんだから。そのぶん、学校でお昼寝しちゃったけれど~」

 千代美がぺろりと舌を出す。

 沙織自身にとっては、九番投手は予想通りなので問題なかった。が、チーム全体として考えるとどうなのだろうか。

「ちょ、ちょっと! 神子が四番じゃないってどういうことよ?」

 早速椿姫が食いつく。

「うーん。でも、西村君が四番サードを公言しちゃったみたいだし~」

「だからって……」

「えっと……椿姫ちゃんは二番だから、神子ちゃんと隣同士だね……?」

「分かったわっ。三番打者最強説を採用したのね! わ、悪くない判断ねっ」

 沙織の指摘に、椿姫があっさり意見を翻した。

 椿姫の操縦方法を何となく理解してきた沙織であった。

「私が一番なのは? 足は速くはないのだけれど」

「バッティングが上手だし~、何となく四球も選べそうだからねぇ~」

「まぁ、それはいいわ。けれど、左打者が神子以外にいないからその点は打順の考えようがないとしても、バランスが微妙に偏っているわね。まず一番から五番までずらっと内野手が並んで、その後外野手が固まっている。それと、男子と女子も連続して並んでいるわ」

 葵が冷静に指摘する。

 言われてみてメンバー表を再確認すると、確かに葵の指摘通りだった。

「ま、上手い人で内野手を固めたから打順も上位にまとまってしまうのは仕方ないかもしれないわね。男子と女子も割合から言って、男女が連続してしまうのも分からなくはないわ。――神子と沙織の意見は?」

「ボクはこれでいいと思うよ。まずはやってみないと分からないし。こうやってメンバーを決めると、いよいよ試合が近づいてきたって感じで、ワクワクするよねっ」

「あたしは……九番だったら別にいいかな……って」

 ポジションの投手は確定だし、バッティングは苦手だから、この配置に文句はなかった。

「ありがとう~。それじゃ、今日の練習でみんなに発表するわねぇ」

「いいんじゃない? 相手がうちの中学ってのはアレだけど、一度練習試合をすれば、今の実力を知ることができるし」

 椿姫も何だかんだでやる気のようだ。やっぱり練習より試合の方が楽しみというのは誰でも同じである。

 が、

「あっ!」

 神子が急に大声を上げて立ち上がった。

「試合で思い出したけど、ボクたちは一番重要なことを忘れてたよっ!」

「えぇぇっ?」

 神子の勢いに押されてみんなも叫ぶ。

「――ユニフォームがない!」

「あ」

「みんな揃ってから、皆の意見を聞いて決めようって思っていたから。まだ何も用意してなかったよーっ」

 神子がテーブルの上に手を置きながら、絶望的な表情で天を見上げた。

「え……えーと、別にいいんじゃないかな、練習着でも……」

「えーっ。でもー」

「仕方ないじゃない。無い物は無いのだから。大会までに揃えれば格好がつくわ。それと……私は神子の最初の案の奴には反対だから」

「ぶーっ。いいもん。今度はさおりんに見てもらうから」

「あ、はは……」

 葵と神子のやり取りで、どんなデザインか何となく想像できてしまった沙織は、あいまいに笑った。


 とまぁ、そんなやり取りを経ながら、出見高等学校草野球部の記念すべき初めての対外試合の予定が決まったのであった。


  ☆☆☆



 沙織の幼い頃。

 父親の鷹司はとある草野球チームのコーチを務めているため、休日の日曜日はよくそちらに出掛けていた。

 だが、たまに練習がない日曜日があると、沙織は鷹司の二人っきりで、近くの河川敷でよくキャッチボールをしていた。やがて、沙織は投手の真似ごとのようにボールを投げるようになり、鷹司も捕手のように座ってボールを受けるようになった。

 ただのキャッチボールは、いつしか本格的なピッチングになり、沙織は父親の草野球チームの練習にも参加するようになっていった。

 しかし沙織が少年野球のチームに加入した頃から、鷹司とキャッチボールをする機会はだんだん減ってきて、沙織が野球を辞めたことにより、それは完全に途絶えた。

 それから四年ほどの月日が過ぎて。

 草野球部初の練習試合が行われる日曜日……の前日の土曜日。

 沙織と鷹司は、グローブとボールを持って、懐かしい河川敷に来ていた。



 五月晴れの空の下、河川敷のグラウンドにはたくさんの人が、おのおの楽しんでいた。

「それじゃ、やるか……」

「……う、うん」

 相変わらず会話に乏しい父娘だが、ぎこちない会話のやり取りとは対照的に、慣れた仕草でキャッチボールを始める。

 最初は周りの人の目が気になっていた沙織だったが、投げているうち、すぐに気にならなくなる。

 短い距離から、徐々に距離を取り出して、いよいよ本格投球である。

「それじゃ、行くよ……」

 18メートル(くらい)の距離で座って構えた父親に向け、沙織はそう宣言すると、ゆっくり振りかぶって、直球を投じた。

 小気味良い音が響く。

 父親が黙ってボールを返す。

 それを受け取って、沙織はもう一度力を入れて直球を投げる。

 父親の構えたところに、ボールが吸い込まれていく。

「……ど、どうかな……?」

 もともと饒舌な人ではないけれど、何も言われないと、不安になる。

「球は悪くないな。むしろ小学校の時より、力強くなっている」

「良かった」

 そう言ってくれると、中学時代も惰性で続けていたランニングや、高校に入ってからの草野球部の練習も無駄じゃなかったと分かって嬉しかった。

「……ただ、このままだと厳しいな」

「え? それって……」

 顔を曇らせて言う鷹司の言葉に、沙織は不安に駆られる。

「もしかすると、俺の教え方が悪かったのかもしれない……」

「お父さん。もう一球いい? 今度は全力で投げるから」

 沙織の言葉に、鷹司は驚いた様子を見せつつボールを返球する。

 一球肩慣らしで投げた後、沙織は父親が構えるミットを、きっと睨みつけた。そして、手加減無しの渾身の一球を投じた。

 足のつま先から左腕の指先まで、すべてが一体となったような感覚とともに、ボールが指先から離れる。

 ミットを叩く派手な音が河川敷に響き渡る。周りの人が何事かと、視線を向けるほどの音だ。

「……どう?」

「良い球だ」

 鷹司が珍しく相好を崩す。

「だが、やっぱり駄目だな」

「うーっ」

 沙織が不満げにうなると、鷹司が面白そうに笑みを浮かべた。

 沙織は無意識だろうが、野球を始めたての小さい頃も、鷹司にダメ出しされるたびに、むーっとむくれては、必死に食って掛かって来たのだ。

 母親が不在の中、思春期を迎えた娘とどう接していいのか戸惑っていた鷹司だったが、成長しても中身は子供の頃と全く変わっていないことが分って、どこかほっとしていた。

「良い球なのに駄目なんて、分からないよ」

「そうだな。まぁ言うだけなら簡単だが……せっかくの機会だ。自分で考えてみたらどうだ?」

「えーっ。なにそれっ?」

 沙織が口をとがらせる。問題があると言っておきながら、教えてくれずに勝手に考えろなんてひどい話である。

 そんな沙織に向け、鷹司はにやりとして続けた。

「何でもかんでも俺が教えたら面白くないだろう。そろそろ自分の力で見つけるのも練習の一つじゃないか?」

「う。それは……」

 沙織は口つぐんだ。

 思い起こしてみると、確かに沙織は、昔から鷹司の言う通りに練習してきた。

 そのおかげで今の自分があるのは間違いない。けれど、言われたことをやって来ただけ、と考えると、どこか物足りなさを覚えた。

「……うん。分かった。考えてみる」

 小学生の時のように、父親からただ言われたことをやるのではなく、自分で考えるようにと言われたことは、自分のことを認めてくれたみたいで、少し嬉しかった。


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