第12話 期待は裏切らないつもりだから
こうして草野球部の練習が始まった。神子たちにとってはいつもの練習だが、沙織にとっては初めての練習だ。
簡単なストレッチのあと、さっそくキャッチボールが行われる。メンバーが奇数なので誰かがあぶれる恐れのある最難関レベルの気が重い練習である。が、沙織はすんなりと、葵と交代しつつ、神子が相手と決まった。
隣で投げている椿姫の視線が痛い。その彼女の相手は銀河で、彼は隣で投げている神子にいろいろ話しかけている。こちらはそれなりに正規の野球部ではない草野球部の活動を素直に楽しんでいるようだ。
清隆はとおるが相手だ。相手が女子でないことに不満そうだが、女子のほうが多いこの部活において、なんだかんだで、とおるとは男同士上手くやっているようだ。
あんずは球子とペアである。沙織の場所から離れているので、二人がどんな会話を交わしているかは分からないけれど、野球好きなもの同士、こちらも問題なさそうで、なんとなく二人を気にかけてしまう沙織もほっとした。
キャッチボールのあとは、昨日と同じようにフリーバッティングの準備が行われる。守備よりまずはボールを打つことを重視している練習の流れだ。これを考えているのが葵なのか神子なのか分からないが。
順番を待つ人は、球拾いに入ったり、素振りをしたりしてフリーバッティングに備える。
バッティングピッチャーを務めるのは、沙織ではなく銀河である。
沙織は打撃練習に加わるのではなく、投手として、グラウンドの隅にあるブルペンに来ていた。
沙織はボールを左手で握りしめながらマウンドに上る。
そのボールを受けるのは、プロテクターを着けて、準備万全の葵である。
最初は立ったままキャッチボールの延長で肩をならしていく。
何球か続けたところで、葵が言う。
「沙織。そろそろいいかしら」
「うん」
沙織がうなずくと、葵は座ってミットを前に構えた。
沙織もボールを握る左手に力を込めて、集中力をさらに高める。
きっと睨みつけるように葵を見て沙織は気付く。
「葵ちゃん。……笑ってる?」
「ええ。正直言うと楽しみで仕方ないわ。初めて沙織のボールを受けたのは約三年間満足に練習もしなくて肩慣らしもしてない状態なうえに、制服のスカートに革靴姿だったのだもの。それであのストレートなのだから。軽く練習して、動きやすい服にスパイクを履いた貴女の球を早く受けたくて、うずうずしてるの」
「ありがと。さすがにそこまで言われると恐縮しちゃうよ」
沙織も少し頬をゆるめる。
いつもなら謙遜しすぎてプレッシャーで押しつぶされてしまうところだが、今の沙織はボールを左手で握った状態である。むしろ望むところだった。
緩めた頬をきっと引き締めて、宣言する。
「――でも。期待は裏切らないつもりだから」
右足を後ろに持っていき、ゆっくりと腕を振り上げる。
ワインドアップ。染み込んだ感覚に任せて身体を動かして、葵の構えるミットのど真ん中めがけて、思いっきり腕を振り抜いた。
パァァァァンッ。
軽い音が響きわたる。
沙織の直球をしっかり受け止めた葵は表情を変えない。それはまるで余韻に浸っているような感じだった。
沙織は返球されたボールを受け取ると、軽く息をはいて同じように直球を投げ込んだ。
二人は言葉をいっさい交わさず、無言で直球のみを投げ続けた。
何球投げ込んだだろうか。
「そろそろ。休憩しましょう」
葵が言う。
「うん」
沙織はうなずくと、最後の一球を投げ込んだ。
そのあと、葵が立ち上がり、徐々にスローダウンしたピッチングを続けて、投球練習を終えた。
投球練習を終えて一息ついていると、急に拍手で迎えられた。
「お姉さま、ナイスピッチングでした! 球ちゃん感動っす!」
「た、球ちゃん? って、お姉さま……って……」
「はい。球ちゃんは中学生でお姉さまは高校生だから、お姉さまっすよ」
「ははは。いいんじゃね。お姉さまでも」
銀河が笑う。
「あなたたち練習は?」
葵がプロテクターを取って近づいてくる。少し呆れた様子である。
「ああ。今はピッチング代わってもらって少し休憩中」
銀河の言う通り、バッティング練習のピッチャー役は椿姫が行っていた。捕手と一塁以外は守れると言っていただけあって、コントロールは悪くなかった。
「球ちゃんは、お姉様のピッチングが見たかったから――じゃなくて、マネージャーのお仕事でもあるからっすよ」
と言って、球子がドリンクを沙織に手渡した。
「あ、ありがとう」
いつの間に用意していたのか、今まで口にしたことのない味だったので、お手製のスポーツドリンクだろう。一口飲むだけで、心地よい疲れが取れていく。
「……そ、それで、その……どうだった?」
沙織はおずおずと葵に聞いた。
ボールを持っていないときは、これが平常運転である。
「そうね。久しぶりだわ。こんなに左手が痛いのは。球速だけなら、もっと早いボールも受けてきたつもりなのだけど」
葵が笑う。
「そうだな。よく分んねーけど、伸びあがるような感じだよなぁ」
「……それは指先が綺麗に垂直に振り下ろされている……から……」
「どわぁっ」
「あ、あんずちゃん、いつの間に……」
「……最初から」
「まったく、みんなちゃんと練習しなさい。沙織のピッチングが見たいという気持ちは分かるけれど。……で、指先がどうのって?」
「……あっち」
葵が尋ねると、あんずはブルペンの先を指さして小さくつぶやいた。
彼女が指さす先には、しっかりとしたカメラが置かれていた。
「ふっふっふ。球ちゃんがくららさんにお願いして設置してもらったっすよ。くららさんお手製の高精度スローモーションカメラっす」
胸を張る球子の横で、あんずがにんまりとしてうなずいた。あんずの苗字が久良だから「くらら」か。おそらく神子の命名だろうと沙織は思った。
それはともかく、秀才クラスに所属しているだけあって、あんずはこういうことにも得意のようだ。
「おー、すげぇな。本格的じゃんか」
みんなでそのカメラを覗き込む。あんずが操作すると、ついさっきまでの沙織のピッチング姿が映し出された。その投球フォームを見てみなが感心するが、自分の投球フォームをちゃんと見たことのなかった沙織にとっては、恥ずかしすぎてまともに見ることができなかった。
続いてスロー再生され、投げ出されたボールがゆっくり映る。
「……見てのとおり綺麗な縦回転になっている。だから伸びる。いいものを見させてもらったわ……うふふ……」
ぽつりと言っているだけのように感じるが、あんずにしては饒舌な方なのか。変な笑いまでしているし。やはり野球が好きなのだろう。
そして同じ野球好きを公言する球子が続ける。
「言うのは簡単っすけど、綺麗な縦回転のボールを安定して投げるのは難しいっすよ。腕・肩・肘・手首、それに投球フォームがしっかりしていないと駄目っす。火の玉ストレートで有名な藤川投手も、ボールが縦に回転していると言われてるっす」
「ふーん。なるほどなー」
銀河が感心したような様子でうなずく。
ちなみに、自分でプレイする以外、野球にあまり興味の無かった沙織は「火の玉ストレート」と言われても、何が何だか分からず、ボールを持ったら火傷しそうだなと思った。
「あまりそういうの意識してなかったかな」
沙織は戸惑いながら答えた。フォームを褒められても、幼い頃から教わったとおり投げているだけだった。
「天性の肩の関節や体の柔らかさのおかげかもね。それと、いい指導者にも恵まれたのではないかしら?」
葵に言われ、沙織は一瞬考えてしまう。
「……指導者? えっと……お父さんになるのかな……」
「そう。立派な方ね」
「う、うん……どうなんだろ」
沙織からすれば、無口でぶっきらぼうな人物という印象だ。
だが父親の鷹司から教わった通りに投げているのが今の自分だとすると、やっぱり有能なのだろうか。
久しぶりに父親とキャッチボールがしたくなってきた。
☆ ☆ ☆
「うーん……疲れた……ぁ」
練習を終え制服に着替えた沙織は、部室から出るなり大きく手を伸ばした。
薄暗くなった外に吹く風が心地よい。
「言葉の割には、それほど疲れていないようだけど?」
「うん。まぁ……久しぶりだったから」
同じく部室から出てきた椿姫の言葉に、沙織は苦笑いしながら答えた。
練習自体はそれほどきついものではなかったが、ノックやベースランなどの全体練習は実際に久しぶりで、最近使わなかった筋肉を使った感じだった。それに加え、普段ならもう家に帰っている時間まで学校にいること。さらにはチームメイトと一緒に練習するという行為も、普段一人でいることがデフォな沙織にとっては、嫌ではないけれど慣れないことで、精神的な疲労でもあった。
「そういえばあんたって、中学の時はどこで野球してたの?」
「えっと、中学では別のことをしていたというか……」
小六での出来事は神子や葵のおかげである程度吹っ切れたけれど、それでも完全に消えたわけではない。それに大した悩みでなかったと思うようになると、それはそれで野球を避けていた中学時代を無駄に過ごしてしまったみたいで、別の意味でのトラウマになりそうだった。
というわけで、沙織は適当に誤魔化して話題を変えた。
「そ、それにしても学校にシャワールームまであって、驚いちゃった」
「うん。そうだよね。ボクも中学までは普通の公立学校に通っていたから、ビックリだったよ」
神子が笑う。
部室棟に隣接する第二体育館にはシャワールームが設置されてあり、運動部の面々が利用している。今まで帰宅部で他人との関わりのなかった沙織にとっては、学食同様に、学校にこんなものがあったんだという状態だった。
校内で真っ裸になるというのに最初は抵抗があったけれど、そこは一般的な女子として、練習で土まみれになった身体の汚れを洗えることの方が有難かった。
泥で汚れた練習着もまとめておけば、部活ごとに業者の人が自動的にクリーニングして戻してくれるし、至れり尽くせりだった。
球子は、沙織の練習着を洗えなくて残念がっていたけれど、これはマネージャーの仕事が奪われたのを残念がっているだけで、深い意味はないと信じたい。
「今日行った練習が、だいたいの流れだから」
葵が新加入した沙織と椿姫に向けて言った。
打撃練習と投球練習が終わった後は、ノックが行われた。
沙織も投手の守備位置で葵のノックを受けた。ちなみに、沙織のフィールディングは可もなく不可もなくで、普段の投球に比べると、決して上手な方ではない。
一方、守備が得意と自分で言うだけあって、椿姫の動きはしっかりしていて、イレギュラーしたボールも上手くさばいていた。
球子をはじめとする外野陣の守備はかなり危ういところもあったが、それでも部が出来てから何日も練習しているからか、最低限の動きはできていた。
ノックが終わるとベースランが行われ、最後にグラウンドの整備をして一連の練習は終了となった。
「けれど、上手い人も慣れてない人もいるから、まだまだ試行錯誤中なの。だから、沙織も気が付いたことがあったら、教えてほしいわ」
練習メニューを決めている葵もまだ手探りの状態のようだ。
「う、うん」
葵の言葉に、沙織はあいまいにうなずいた。
ぼっちだった沙織にとっては、自分に関係するピッチングの練習ならいろいろ知っているけれど、野手も含めた全体的な練習についてはさっぱりだったりする。
「それじゃ、また明日ねー」
「うん。また明日」
校門のところで、沙織はみんなと別れた。
出見高等学校の最寄り駅は二つあるが、沙織は離れた方の駅から通っている。そちらの駅を利用しているのは、草野球部のメンバーの中では沙織一人だった。ちなみに、電車を利用しているのは沙織の他には、銀河とあんずだけで、神子や葵たちはみな地元なので自転車通学である。
「ふぅ」
薄暗くなった夜道を一人歩く。少し離れた前後には、同じ学校の生徒たちが歩いているが、一緒に話しをするわけでもなく、ただ黙々と駅まで歩く。
ぼっちに慣れていた沙織にとっては、いつもと変わらない、わいわい騒ぐよりずっと落ち着いて気の休まる時間である。
けれど……
ほっとしている一方で、神子やみんなの声が周りにないことを、どこか寂しく感じていて、沙織はそんな自分に驚いていた。
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