第11話 これで九人そろうわね

「新入部員の、春日椿姫よ。よろしく」

 着替えを終えた面々を前に、椿姫が堂々とあいさつをした。その度胸を少しでもいただきたいものだと沙織は思った。マウンド以外で。

「それじゃ、ランニングから始めるわよ」

 各自簡単な自己紹介を終えたあと、さっそく椿姫が仕切り出した。

 のんびりしたとおる、一歩引いた感じの清隆、コミュ障の沙織とあんずの中では、椿姫くらいしか仕切る人間がおらず、むしろ適任だった。

「この学校の外周はだいたい2キロメートルくらい? じゃあとりあえず2週いくわよ」

「えー。そんなに走るの~」

 とおるが声を上げるが、椿姫はきっぱり無視した。

 というわけで、言い出した椿姫が先頭を立って走り出し、沙織がその後に続いた。

 沙織にとって、こうやってチームメイトと一緒に走るのは、小学生以来のことであった。もっとも、ランニング自体は習慣で中学に入ってもずっと続けていたので、付いていくのに問題はなかった。

 平然と付いてくる沙織を見て、ただのアップなのに、先頭の椿姫がスピードを上げる。

 沙織はそれに難なく付いていく。それを見て椿姫がさらにスピードを上げ、沙織がそれについて行く。

 結局、通常のランニングより速いペースで、沙織たちは外周二周を終えた。



「あんた、中々やるじゃん」

 スタート地点に戻ってクールダウンしていると、椿姫から沙織に話しかけてきた。

 目立つのが苦手な沙織は、中学の時の持久走のタイムも平均よりちょい遅いくらいに設定して走っていたが、本気で走れば、陸上部の面々には劣るとはいえ、それなりのタイムを叩きだすことはできる。

「はぁ、はぁ。春日さんも」

 強がって疲れを隠そうとしているだけかもしれないけれど、椿姫は息切れした様子もなくグラウンドにしっかり立っていた。さすがに野球経験者だからか走り慣れているようだ。

「はぁはぁ。大したものです。私も驚きました」

 清隆が言う。こちらは野球未経験者でも、男子で運動神経も悪くないため、女子二人のランニングについてきていた。

「はぁはぁ……美少女の桃尻を眺めながら走るのもなかなか乙な経験でした」

「その『はぁはぁ』の意味は、ランニングからの息切れですよねっ?」

 ちょっと怖くなった沙織は、思わずお尻を抑えてしまった。

 なお、あんずは半周、とおるは周回遅れしていた。



「おーいっ」

 沙織たちがグラウンドでストレッチをしていると、委員会を終えた神子たちが姿を見せた。神子と葵の後ろには、中学のジャージ姿の球子の姿もあった。

「もう練習始めてたんだ」

 神子が周りを見回しながら嬉しそうに呟く。

「……えっと。勝手に始めちゃったけど……よかったのかな」

「うんうん。大歓迎だよ」

「ええ。その方が私も楽で助かるわ。練習メニューを考えるのも一苦労なのよ」

 葵が言う。どうやら練習メニューは彼女が中心となって決めているようだ。確かに神子は柄じゃないし。

「おー。待たせたな」

 そんなことを話していると、練習着に着替えた銀河がやって来た。

「あ、てっきりまた練習を忘れたのかと……」

「おいおい。俺も委員会に出てから来て、先に部室で着替えてたんだよ。さすがの俺でも、愛しのマイスイートハニー神子ちゃんと一緒に練習できる機会を、すっぽかす訳ないだろ。はっはっは」

「愛しの……って、誰よ。この男は?」

 目を逆三角にという表現がぴったりのような形相をして、椿姫が詰め寄る。それを見て、神子は初めて練習していたメンバーの中に椿姫が加わっていたことに気付いたようだ。

 神子がきょとんとした声を上げる。

「あれ? 何でつーちゃんがいるの?」

「何となく感じてたけど、気づくの、遅っ!」

「知り合いなの?」

 葵が神子に尋ねた。

 神子と葵が同じ中学に通っていたことはお昼休みに聞いたけれど、椿姫とは面識がないようだ。別の学校出身なのだろうか、と沙織は首をひねった。

「うん。隣の筒井中学の野球部の子だよ。隣の学校だったから、よく同じ野球部同士で一緒に練習したり、試合をしたりしたんだ。お互い、学校の野球部には女子部員が一人しかいなかったから、目立ったんだよ」

「へぇ」

「それより、せっかく部活を作ったのに私に声をかけないってどういうこと?」

「えー。だって、つーちゃんがうちの高校に来ているの知らなかったし」

「なっ――」

「それに、つーちゃんってボクといるときはいつも「つーん」ってしているから、あまりボクのこと好きじゃないのかなーって」

「そっ、それは――っ」

 まぁ、漫画やアニメと違って、普通のツンデレだとそういう反応になるよなーと沙織はしみじみと思った。

「と、とにかく。別にただ高校でも野球がしたかったからだけで、あんたのためってわけじゃないけど、ライバルのよしみとして協力してあげるわよ!」

「本当? ありがとう! やったっ。つーちゃんなら大歓迎だよ」

 神子が椿姫の手を取って、ぶんぶんと振った。

 手を振られた椿姫は、頬を軽く染めながら、「ふっ」といった表情を銀河に向けた。

「……くっ。これは思わぬところからのライバル登場ってやつかっ?」

「そーだね……」

 神子を巡って、西村と椿姫の三角関係が勃発しそうな状況だったが、いずれにしろ まったく関係ない主人公の沙織であった。

「えーと。春日さんだっけ? あなたが入部すれば、これで九人そろうわね。仮入部中の誰かが辞めたりしなければ」

 と葵がちらりと視線を沙織に向ける。

 もちろんとらえた獲物である沙織を逃がさないためだ。

「うんっ。これで大会のエントリーに間に合ったねっ」

 そんな葵の牽制を知ってか知らずか、神子が満面の笑みを浮かべる。

「大会?」

 野球部と言っても甲子園とは無縁だと思っていたけれど、そういうものがあるとは知らなかった沙織が聞き返す。もしかすると、意外と大きい大会なのだろうか。

「うん。みなと町の商店街主催の草野球大会だよ!」

「……しょ、商店街主催?」

 ごくりと息をのんで聞いていた沙織は、がくっとしてしまった。確かに草野球部の対戦相手としてはふさわしいかもしれないけど。

「さおりん。商店街の野球チームって侮っちゃ駄目だよ。みんな真剣で本格的なんだから。ちなみに、優勝チームにはナイン全員に、温泉旅行ペアチケットプレゼントだって」

 優勝景品がいかにも商店街っぽい。

「確かに神子の言うことも一理あるかも。引退した社会人野球の人や、元高校球児だっているかもしれないんだもん」

 椿姫がうなずく。

「そっか……」

 沙織の父親は、休日にそういうチームのコーチや監督みたいなものもしている。地元の少年野球チームに加わる前は、沙織も何度か父親に付き合って、遊び半分で練習に参加していたことがある。そのためレベルが決して低くないことは知っている。彼らの練習や実力を肌に感じていたからこそ、その後加入した少年野球チームとのレベルの違いに戸惑い、うまく彼らと打ち解けられなかった経緯があるくらいだ。もちろん、一番の原因は沙織の内気な性格だが。

「この草野球部は理事長に頼み込んで、やや強引に創部した過程があります。そのため、部としての双丘な実績も求められているのです」

 創立時のメンバーでもある清隆がエロなしにまじめに説明した。なんか一部の発音が違った気もしたが。

「まぁ、いきなり優勝しなくちゃダメってわけじゃないけど、できれば一勝くらい、もしくはそれなりにいい勝負をしたいところだよねぇ」

 同じく創立メンバーのとおるの言葉に、沙織は周りを見回した。

 それなりにレベルが高いであろう大人たちが加わるチーム相手に、自分を含めた高一の女子や、素人同然のメンバーがいるチームで勝てるだろうか。

「その大会はいつ行われるの?」

「詳しい日程はまだ決まってないけど一か月後の六月だよ」

「ええ。その前に一度くらいは、練習試合を組みたいわね」

「練習試合かぁ……」

 葵の言葉に、沙織は小さくつぶやく。

 それは沙織にとって、約四年ぶりの試合だ。もちろん不安はあるけれど、楽しみもあった。

「それじゃボクたちも着替えてくるから、そしたら練習を始めようか」

「ちょっと待ってよ。私、今加わったばかりだから、もう一度簡単な自己紹介をしてほしいんだけど」

 椿姫が言う。ランニングしたメンバーとは簡単な話をしたけれど、後から来た球子たちとは初対面だ。

「うーん。そうだね。全員そろったんだから、もう一度自己紹介しようか。それじゃ、ポジション順に逆から」

 神子の言葉に、沙織はびくっとして、それからほっとした。ポジション順だと、投手の沙織が一番になってしまうからだ。

 ……と考えて、逆から行ったら、沙織がトリを務めることになることに気付いて、逆に気が重くなった。



「……一年六組、久良あんず……です。よろしく……」

 沙織と無口同盟のあんずが最低限の挨拶をこなす。ある意味、それがあんずというキャラクターの紹介にもなっており、この程度でいいのなら自分にもできそうだと、沙織はひそかに安堵した。


「一年二組、谷尾清隆です。ポジションはセンター。女子の皆さん、よろしくお願いします」

 髪をかき上げきらりと白い歯が光る。美男子だけに困ったものである。

 とりあえず、下ネタがなくてほっとした沙織であった。


「みなと南中学校の、吉野球子っす。大吉の吉に、野球っ子、と書くっす。グラウンドや野球道具の整備は、球ちゃんにお任せっすよ」

 おかっぱ頭を元気よくぶんっと下げて、球子が挨拶する。

 マネージャー志望ということもあって、裏方の仕事も好きのようだ。


「えーと。一年一組の、名賀とおるです。守備位置はショート。そんなに上手くないけれど、楽しんで活動したいと思います」

 頭を下げると同時に、ぽよんとしたお腹が動く。

 猛練習してあのお腹が固くならなければいいなと、沙織は切に思った。


「一年四組の、西村銀河。ポジションは一応サードだ。ま、四番サードという響きは嫌いじゃないから、別にいいけどよ。よろしくな」

 銀河がちゃっかり四番宣言をする。


「……となると、私が二塁手ということになるのね。改めて、一年五組の、春日椿姫よ。神子とは隣の中学だったわ。守備には自信があるわ。よろしく」

 椿姫は、自信満々に胸を張って言い切った。椿姫の髪の長さはメンバーの女子の中では一番短いショートヘアだ。動きやすさを考えると、それだけ野球に打ち込んでいるという証拠だろうか。もっとも神子はロングヘアだが、それは単にそういうことを気にしない性格だからだろう。

 椿姫の実力はまだわからないが、小さな女子の椿姫にとっては、サードやショートより、一塁に近いセカンドの方が、送球の面も考慮すると守りやすいかもしれない。


「一年二組の御代志神子。ポジションは一塁手で、一応部長だよ。みんな、入部してくれてありがとう。楽しんで野球しようね」

 神子が本当に嬉しそうな笑顔で言った。

 その笑顔が見られただけでも、この部活に入って良かったと沙織は思ってしまった。ただし、銀河と椿姫との四角関係は全力で遠慮したい。


「一年四組の丹上葵よ。ポジションは捕手。よろしく」

 葵は相変わらず、そっけなく言った。

 彼女は何も言わなかったけれど、以前の神子から受けた説明で、副部長であると言われていた。神子の性格を考えると、葵が実質部長みたいな役割になるだろう。


 そしていよいよ、沙織の出番である。

 皆の注目を浴びながら、沙織は緊張しつつ頭を下げた。


「……えっと、その。一年四組の横山沙織です。ポジションはピッチャー。よ、よろしくお願いします!」


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