第14話 けどこれで確実に一点が入るんだったら、無駄じゃないんじゃない?

 まだ梅雨の季節には早いけれど、梅雨時のようなどんよりとした雲が空を覆っている。だが幸いなことに、雨が降り出しそうな様子もなく、天気予報の降水確率も低かった。


 いよいよ迎えた、記念すべき初の対外試合が行われる日曜日。

 沙織たちは最寄り駅から歩いて、対戦相手の中学校まで来ていた。ちなみに、出見高では部活動の移動は制服でと決まっているので、みないつものように制服を着て、着替え等が入った大きな荷物を持っている。もっとも制服の下に着られるものはもう身につけているけれど。

「おー。筒井中学校だ。懐かしー」

「あれ? 神子ちゃんは、この学校の出身じゃないよね」

「うん。でもつーちゃんと合同練習や試合するとき、何度か来てたもん」

「あ、そうか」

 少し緊張している沙織とは対照的に、神子はいつもの神子だった。

「確かに懐かしいけど、こういう形ではあまり来たくなかったわ」

 椿姫が複雑な表情を見せながら言う。

 彼女は、この学校の野球部唯一の女子部員だった。沙織は小学生の時でも女という理由で苦労したのだ。中学生だったらもっと大変だったはず。きっと部活動内の立場も微妙だったのだろう、と沙織は勝手に推測している。

「これはこれは。お待ちしておりました」

 校門を抜けたところで沙織たちを出迎えたのは、やや頭の薄い中年男性だった。

「大橋先生、お久しぶりです」

「おー。春日か。すっかり女子高生していたから分からなかったわ。高校に入ってもこうやって野球を続けてくれていて、先生は嬉しいぞ」

「はいっ。ありがとうございます」

 椿姫がぺこりと頭を下げる。

 どうやら顧問の先生との関係は悪くないようだった。おそらく、その理解もあったから続けられていたのだろう。

「今日は練習試合を受けてくださいまして、ありがとうございます~」

「いえいえ。最近は練習試合を組むのも難しいですから、こちらこそ助かりましたよ」

 その言葉がどこまで本気か分からないが、千代美が強引に無理矢理試合が設定したわけではなさそうなので、沙織は少し気が楽になった。もっともあの千代美にそれが出来るとも思えなかったけれど。

「それでは。さっそく着替えてもらって。準備が終わりましたら、グラウンドで軽く練習していただいた後、試合開始ということでいいですか? こっちはもう準備ができていますので」

「はい。分りました~」

 千代美の言葉に合わせるように、沙織たちもうなずいた。


  ☆☆☆


 沙織をはじめとする女子部員の着替えのため、体育倉庫があてがわれた。部室では広さが足りないからだろう。体育倉庫は薄暗くてじめじめしているが、みなが揃って着替えられるだけの広さは十分にあった。ちなみに男子は普通にベンチ脇(外)である。

 白いいつもの練習着に着替えを終えてグラウンドに出ると、沙織たち女子の姿は、さっそく対戦相手の男子中学生の興味津々な目にさらされた。

「おお。本当に女子ばっかりじゃん」

「やべぇ。おい誰か、連絡先を聞いて来いよ」

 沙織は少し意表をつかれた。

 女なんかに……と敵意みたいなものがあった小学校のリトルリーグとは反応が違っていたからだ。敵意どころか、むしろ歓迎モードである。

「ふん。私がいたときはこんなじゃなかったのに」

 椿姫が不満げにむくれる。

 まぁ今回は椿姫一人ではなく、神子と葵というタイプの違う美少女が二人並んでいるし、ちっちゃくて可愛い球子(といっても彼らとは同学年か年上のはずだが)も加わって、華やかと言うか印象が違うのだろう。

 あんずも高身長でなにげにスタイルいいし。

「……ふっ。ステルスモードの私は、誰にも認識できない……」

 と本人はこう言っているが。

 歓迎気味とはいえ、こういう注目に慣れていない沙織にとっては、これはこれで堪えるので、あんずの能力を分けてほしいものだ。もっとも、沙織自身も普段は似たよなもので、影は薄いが。

「まぁ良いじゃない。歓迎されているんだし」

「……動物園のパンダ的な意味でしょうけどね」

 椿姫がぶすっとして呟く。

 そんな彼女に、着替えが終わって女子たちに合流した清隆が声を掛けた。

「――でしたら、見せつけてやればいいではありませんか。女子部員とキャッキャウフフしているところを! ふふふ。中学生男子たちの醜い嫉妬を――」」

「やかましいっ!」

「あぁっ、椿姫ちゃん。さすがにスパイクで蹴ったら危ないってっ」

 気持ちは分かるけれど、沙織が止めに入る。

「うんうん。それに清隆の場合、かえってサービスになっちゃうんだよ」

「――うっ」

 神子の言葉に、椿姫がびくっと身を引いた。

 とはいえ。遠くからでは椿姫たちのやり取りが詳しく分からない中学生たちからすれば、女子たちとじゃれあっているようにしか見えず。結果的には清隆の言っている通りになっていたりする。



 グラウンドの整備は、対戦相手の筒井中学の生徒たちがしてくれていたので、沙織たちはさっそくストレッチや軽めのキャッチボール、素振り等をして身体を温める。

「それじゃ、メンバー表交換してくるねっ」

 主将である神子がそう言って、出見高草野球部のメンバー表を手にする。内容は先日千代美が考えたものと全く同じである。

「あと、先攻後攻を決めるけど、どっちがいいかな?」

 神子の問いに葵が即答する。

「先攻ね。相手は女だからと思って油断しているから、出鼻をくじけるわ。けれど後攻だとそうはいかないわ」

 なぜ後攻だとそうはいかないのだろうと、沙織は疑問に思って葵を見る。

 そんな沙織に葵ではなく、球子が説明した。

「決まってるっす。沙織お姉さまが先にピッチングを見せたら、油断なんか、吹っ飛んじゃうっすよ」

「あ、そうか」

 思わず口に出てしまい、自意識過剰だったかなと沙織はちらりと葵を見たが、葵はむしろその通りだという表情でうなずいた。

「うん。分かった。先攻だねっ」

 神子はそう言って、主審と相手チームの主将が待つホームベースへと向かった。

 

 結果的には、神子は先攻後攻を決めるじゃんけんで負けた。

 けれど筒井中側が後攻を取ったため、出見高草野球部の先攻で試合が始まることになった。


  ☆☆☆


「プレイボール!」

 主審の声がグラウンドに響きわたった。

 一回の表。出見高草野球部の攻撃である。

 打席に立つのは、一番の丹上葵だ。右打席に入りながら、葵は相手投手の宮平を観察する。


『投手の宮平は右投げ。ややスリークォーター気味に投げるタイプよ。変化球は スライダーのみだけど、横に曲がるだけじゃなくて、縦に落ちる変化もするから注意して』


 試合前、交換したメンバー表を見て、彼らの一年先輩である椿姫からある程度のアドバイスをもらっている。


(さてと……まずは一球、様子見かしら)

 葵は打ち気の構えを見せるものも、初球を平然と見送る。

 やや外寄りのストレート。ミットに収まり、ストライクがコールされる。

 葵は軽く口角を上げた。

 予想通りの配球である。相手が女子だから、いきなり本気は出さない。様子見というか手加減したストレート。それも、間違って体に当てないよう、外寄りのボール。

 おそらく、二球目も同じのはず。

 葵のバッティング技術は、神子には遠く及ばない。

 それでも体感速度の速いソフトボールの球を打ってきたし、小学生の頃は、沙織と同じように、男子に交じって野球チームに入っていてクリーンアップを担ってきた。そこいらの女子より、打撃には自信はある。

 宮平がスリークォーターのフォームから2球目を投じる。予想通りのコース。葵はそれに逆らわないよう、自然にバットを振りぬいた。

 芯で捉えた心地よい衝撃が手首に走る。

 快音とともに、ボールは一二塁間を抜けていった。野手は一歩も動けなかった。

 驚きの様子を見せる筒井中ナインを尻目に、葵は何事もなかったかのように一塁ベースを駆け抜けた。



 無死一塁。

 二番打者の椿姫が右打席に入る。

「……先輩。どうも」

 捕手の岡本が軽く頭を下げた。

 椿姫はちらりと彼に目をやっただけで、すぐに視線を投手の宮平に移す。岡本も宮平も去年までは、物珍しそうに椿姫を見ているだけで、あまり関わり合いはなかった。たぶん、OGだからとか女子だからとかで、遠慮してくるようなことはないだろう。

 中学三年の葵。

 葵はレギュラーをとれず控えとして最後の夏を終えた。守備では誰にも劣っているつもりはなかったが、打撃では力に勝る男子に劣った。

 それでも少しでも出場機会を得るためにいろんなポジションを練習したし、力で及ばないのなら、別の方向性を伸ばすよう努力した。

 右打席に立った椿姫は、バットを寝かせ右手を軽くヘッドに添えた。送りバントの構えだ。

 初球。葵の時とは対照的に、内角高めの厳しいボールが投げ込まれた。

 けれど椿姫をそれを難なく三塁線に転がした。足があまり速くない葵でも楽に二塁に進めることができるよう、きっちりと勢いを殺した送りバントだった。


「先輩。さすがっすね。あっさりバントを決めるなんて」

 三塁手の送球からだいぶ遅れて、一塁ベースを駆け抜けた椿姫に向けて、一塁を守る大田原が、感心した様子で声を掛けた。女だから、と馬鹿にする後輩も少なからずいた中で、大田原は椿姫を認めていた後輩だ。

「けど、様子も見ず初球でっさり決めちゃうなんて、もったいないんじゃないっすか?」

 大田原は二年の時から中軸を打っていた強打者だけあって、ひとつのアウトを与えてしまう送りバントには否定的なタイプだった。粘って四球を選ぶ手もあるわけだし。

「そうね」

 大田原の性格を知っている椿姫は平然と受け流した。

 そして、打席に入った神子を見て、どこか自慢げに続けた。

「けどこれで確実に一点が入るんだったら、無駄じゃないんじゃない?」




 宮平は警戒していた。

 女ばかりと侮っていたが、たった三球で、ランナーを二塁まで進められてしまった。だが警戒しているのは得点圏までランナーを進められたからだけではない。

 打席に入った少女についてである。

 長いブロンドの髪の毛、男子並の背丈に、ユニフォームの上からもはっきり分かる、ぼんきゅっぼん。きりっと見つめつつどこか楽しそうな瞳。誰がどこから見ても美少女だ。

 だが去年まで何度がここの中学にも練習に来ていたから、彼女のバッティングの実力は分かっている。仮に彼女のことを知らなくても、構えや雰囲気から漂う威圧感に、油断できるような相手ではないことは、明らかだった。

 捕手の岡本もそれを感じ取ったのか、初球は外に外すストレートを要求された。

 そこそこきわどいコースに投げたつもりだったが、神子はぴくりとも反応しない。見送られてボールがカウントされる。

 二球目は、この日初めて変化球を投じた。一番自信のある縦に落ちるスライダーを、外角低めの難しいコースに投げ込んだ。

 神子がバットを振るう。快音が響いた。

 完璧に投げ込んだはずのスライダーが、完璧にとらえられた。

 高々と舞い上がった白球が、左中間のまん真ん中に落ちる。

 それを見て、二塁ランナーの葵が悠々ホームに帰ってくる。打った神子も軽々と三塁に達した。もう少し打球の角度が低く飛んでいれば、左中間を抜けたボールはさらに遠くへと転がっていって、ランニングホームランだったかもしれない。

 

 向こうのベンチが沸く中、宮平の周りにもチームメイトが集まった。彼らは口々に「あれは仕方ない」と言った。宮平もその通りだと思っている。だが、気持ちの切り替えがまだ出来ていなかった。


 続く打者は四番の西村銀河である。

 ようやく普通の男子生徒が打席に入った。野球部員らしくなく軽薄そうな感じだが、構えと雰囲気から、野球の経験があるのは間違いなさそうだ。

 初球。どこか集中できないまま宮平が投じた外に逃げるスライダーを、綺麗にすくい上げられてしまった。ボールは軽々と外野まで飛んでいく。

 打球の行方を追っていたセンターが向き直って落下点に入った。だが犠牲フライには十分な飛距離だった。

 三塁の神子が余裕を持ってスタートをして、楽々とホームベースを踏んだ。

 こうしてまだ十球も投じていないうちに、気づいたら二点を失っていた。

 続く名賀とおるは、スライダーをひっかけてさせて内野ゴロに打ち取り、スリーアウトでチェンジとなった。

 相手の攻撃がやけに長く感じた一方で、宮平はまだあまり投げた感じもしなかった。

 けれど、スコアボードには「2」の数字が記されていた。



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