第15話 凄い、凄~い!


 初回で二点取ったベンチはお祭り騒ぎだった。

「凄い、凄~い!」

 特に千代美は大喜びで拍手している手が早くも赤く腫れていた。即席のチームがまさか幸先良く二点も先制できるとは思っていなかったのだ。

 実際、沙織も他のメンバーも半信半疑だった。けれど二点を取ったのは間違いなく、事実である。

「さすが神子ちんだよなー。あれを打つなんて。あ、俺の犠牲フライも誉めてくれていいんだよ?」

「宮平が動揺してたのに。強引に打たないでもう少しゆっくり見ていれば、ヒットで繋げられたんじゃない? 一点取れたけど、結果的にあれで流れが切れたから」

「さすが、つーちゃん。その厳しい毒舌をぜひ私にも欲しいものです」

「誰が、つーちゃんだ! そのあだ名で呼んでいいのは神子だけなんだからっ」

 結果的に、椿姫がご褒美をあげている。

「これで後は点を取られなければ~、私たちの勝ちよ~!」

 千代美がはしゃぐ。もちろんそれが簡単ではないのは、メンバーの誰もが分かっている。けれど先に点を取ったということは、千代美の言うとおりでもあるのだ。

「もちろんっ。さおりんなら大丈夫だよ!」

 神子が太鼓判を押した。

「う、うん……」

 沙織はあいまいにうなずいた。

 先に点を取られるつもりはなかったが、逆にこういう展開になって少なからずプレッシャーがあった。しかしその一方で、こうやって試合に加わっているうちに、投げていなくても、徐々に試合の感覚が蘇ってくるのも感じていた。


  ☆☆☆


 一回の裏。筒井中学の攻撃


 小さな沙織がマウンドに立つと、筒井中のベンチからざわめきが起こった。提出したメンバー表と背番号から沙織が投手だというのは分っていたはずだが、それでも沙織がマウンドに立つ姿は、彼らから見たら異様に映っているのだろう。確かに見栄えだけなら、神子や銀河の方が投手らしくて適任だ。


(不思議な感じ……)

 投球練習をあえて軽めに終えた沙織は、ふぅっと息を吐きながら、物思いに耽る。

 小学生時代、試合のマウンドは今までの鬱憤をぶつける場所だった。

 けれど今は……

(……少し緊張している、かな)

 草野球部の記念すべき初試合。みんなが今日の試合のために、どれだけ頑張って練習してきたか知っている。自分の為だけじゃない、みんなの試合だ。

 思えば小学校のときだって、チームメイトはしっかり練習していた。今となんら変わりがない。

 もし心に余裕があって、当時の自分がそれに気づけていたら……


(もしかすると……違った道を歩んでいたかな……?)

 そんなことが脳裏によぎりつつも、沙織はフォームに気をつけながら、ゆっくりと振りかぶって、第一球を投じた。


 パーンっと、快音が響く。

 葵はミットから伝わる心地の良い衝撃の余韻に浸っていた。

「ストラーイクっ!」

 球審の声が高らかに響き渡った。

 沙織にボールを返球しながら、葵はちらりと、右打席に立つ、一番打者の沖に目をやった。

 初球は棒立ちで見送られた。とりあえず様子見といったところか。監督の指示か、本人の考えか。だがその彼もまさかこんなに綺麗で伸びのあるストレートが来るとは思っていなかったようで、明らかに驚き戸惑っている様子だった。おそらく沙織の容貌を見て、ホームベースにぎりぎり届くような山なりのボールが来るとでも思っていたのだろう。

 沖が戸惑っている中、沙織は速いテンポで二球目を投じる。

 ストレートが、やや外よりのぎりぎりストライクゾーンに決まった。

 これでツーストライクである。

 沖がぎゅっとバットを握ってマウンドに立つ相手投手を睨みつけた。

 一球目だけでも十分だろうが、コースに決まった二球目を見て、偶然やたまたまで投げられたボールではないことを悟ったようだ。

 それに加え、中学三年の沖から見ても年下にしか見えない女子が、マウンドから三球三振を取るつもりの目つきで、沖をまっすぐ見据えているのだ。

 おそらく沖は、「――なめるな」とでも思っているのだろう。

 それを横目で見つつ、葵はサインを出す。

 そして三球目。

 沖はまたしても棒立ちになってしまった。

 二球続けたストレートにタイミングを合わせているところに、ふわりと舞い上がるカーブ。

 視界から消えたボールは、ホームベースの手前で鋭く曲がって落ちてきて、真ん中に構えたキャッチャーミットに吸い込まれていった。

「ストラーイクっ、バッターアウッ!」

「……なっ」

 主審の声を聞くまで、沖は自分が三振に倒れたことに気づかなかったようだ。

 二球続けたストレートからの初見のカーブ。

 あの神子ですら、空振りしたくらいだ。

(……そういえばあの子、あの時、ノーサインでいきなりカーブを投げてきたのよね)

 葵は、そんな沙織に呆れつつも苦笑した。あれをミットに当てられただけでも褒めてほしいものだ。

 その時のことを思い出しながら、葵は初奪三振の余韻に浸っていた。



(あのカーブはやっかいだな……)

 二番バッターで同じく右打ちの児島は、打席に入りながら、ねらい玉を直球に絞った。

 沖より体格は小さいが、スイングのスピードは決して負けていないつもりだ。

 相手ピッチャーは体格の小さな女子としては思ったより速い直球を投げていたが、けっして打てないような球速ではない。

 児島はカーブを捨て、ストレートを待った。

 そして初球。いきなりそのストレートが外角低めのストライクゾーンに投げ込まれる。

 直球一本に絞っていた児島は、思わずそれに手を出してしまった。

 鈍い衝撃とともに、打ち返した打球が一二塁間に転がっていく。やや振り遅れてしまったが、結果的には良いコースに打ち返すことができた。

 ヒットになる。

 そう思いながら一塁へと走る児島。

 だが次の瞬間に彼が目にしたのは、去年まで先輩として野球部にいた女子が素早く打球に回り込んで、危なげなく一塁へ送球する姿だった。



(さすが椿姫ちゃん。上手いなぁ)

 内野陣を回って来たボールを受け取った沙織は、ちらりと椿姫に視線を向けながらしみじみと思っていた。

 守備に足を引っ張られるのが当たり前だった沙織にとって、それは新鮮であった。椿姫の方は、あんなの当たり前だと平然な顔をしているが、それがまた、頼もしく感じた。

 沙織は打者に目を向けた。

 三番バッター。三番サード福田。椿姫によると彼は二年生とのこと。そのため椿姫もあまり彼のことは知らないみたいだが、先輩を押しのけてクリーンアップに名を連ねているのだから、それなりの打者なのだろう。

 初球のサインはカーブ。沙織は軽くうなずくと、投球モーションに入り、腕を振るった。

 一番打者を見逃しの三振に打ち取ったときと同じような軌道で、カーブが決まる。バッターが見逃して、ストライク。

 二球目はインコースの直球を要求される。強気なリードだが、沙織にはむしろ望むところである。

 葵の構えるミットに向け、寸分違わぬコースにボールを投げ込む。

 福田はそれに反応せずに見送って、ミットに白球が吸い込まれる音が響く。

「ストラーイク!」

 主審の声があがる。福田が軽く天を仰いだ。

 葵の返球を受け取りながら、沙織は福田の様子を注意深く観察する。

 初球のカーブにはほとんど反応しなかった。おそらく狙いは直球。だが二球目の直球に手を出さなかったのは、予想以上に良いコースに決まって、手が出だせなかったからだろう。

 ぼっちとして周りの人の様子に敏感な沙織にとって、人の感情を探るのは得意なのだ。

 そして三球目。

 葵の要求はまたしてもインコースの直球。沙織の考えと同じだ。あっさりツーストライクに追い込まれ戸惑っている内に、一気にしとめる。

 左腕から繰り出される右打者への内角への直球――クロスファイア。葵のミットにボールが吸い込まれるのをイメージして投げ込む。

 だが白球は葵のミットに届くことなく、福田の振ったバットに弾かれた。

 詰まらされた三塁ゴロだ。だが打球が詰まったことが幸いして内野安打になりかねないゴロになる。

「うりゃぁぁ」

 銀河が猛然とダッシュしてそれを素早く拾う。そして文字通り矢のような送球を見せる。神子も体を伸ばすようにしてそれを受け止めた。

「アウト!」

 こうして筒井中学の攻撃は三者凡退となった。

 相手ベンチのざわめきを背にしながら、沙織はゆっくりとマウンドを降りていった。

 わずか七球。投じたのは直球とカーブだけ。しかもすべてストライクコースで抑えられてしまったのだ。

「さおりん、ナイスピッチングっ」

 神子が沙織に駆け寄って満面の笑みを見せた。

「う、うん……」

 だが沙織はどこか浮かない表情をしていた。

「どうしたの?」

「ううん。……大丈夫」

 最後の一球は空振りを狙いにいったものだった。

 が、結果的に打ち取ったとはいえ、フェアゾーンに打ち返されてしまった。

 昨日鷹司にダメ出しされた理由も、結局まだわからないまま試合に臨んでいて、それも気になっていた。

 チームメイトの様子とは裏腹に、沙織は何となく嫌な感じを覚えていた。



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