第16話 なぜ一般的に左曲がりが多いのかというと
二回表、出見高等学校草野球部の攻撃。
六番を打つのは、谷尾清隆である。両打ちで登録されているがそのまま右打席に入る。
前の回の反省があったのか、宮平は変化球を織り交ぜて慎重に攻める。
そしてツーストライクと追い込まれた清隆は、外にはずすスライダーに手が出て空振りの三振に倒れた。
「あの曲がり具合、なかなかのモノですね。まるで私の息子のような左曲がりでした」
清隆が安定の下ネタを披露する。
「ちなみになぜ一般的に左曲がりが多いのかというと、右手で手い――」
「い、言わないで良いからっ!」
沙織は慌てて遮った。もっとも他の女子は清隆の言葉の意味に気づいていないようで、二人のやり取りをぽかんと聞いていた。
案外むっつりスケベな沙織であった。
続くバッターは、七番ライトの久良あんず。
宮平は気配の薄いあんずに対して最初は投げにくそうにしていたが、普通にストライクを取りに行けばいいと悟ったのか、真ん中にストレートを放って来た。
それを待っていたかのように、あんずは真ん中のボールを打ち返した。だがボールの勢いに負けて、詰まった内野ゴロになる。しかし――
「は、速いっ」
あんずの全力疾走を見て、思わず沙織は声が出た。
筒井中の内野手も驚いた様子を見せたが、ごく平凡な正面の当たりだったこともあって、間一髪のアウトとなった。
ぼっちや秀才スキルに似合わない俊足だったが、そういえば以前受けた紹介で、彼女が中学まで陸上をやっていたことを沙織は思いだした。あまり人の前で練習を見せるタイプではないので、彼女の全力疾走を見たのも初めてだった。
「くららちゃん、惜しい。ナイスファイトだよ!」
「……ちょっと悔しい……」
ベンチに戻ってきたあんずに神子が声を掛けるが、あんずはいつもの無表情を言葉通り悔しそうに歪めていた。
そんな彼女とすれ違うように、沙織はヘルメットを被って、ネクストバッター頭サークルに向かった。
八番は、レフトの吉野球子だ。
彼女に関しては、一般的な女子のイメージ通りということもあって、宮平も気を楽に投げている様子だった。
結局、珠子はバットを思いっきり振ったものも、ボールの軌道からはだいぶ離れた空振りとなり、三振でスリーアウトとなった。
2回の表の攻撃は、あっさりと三人で終わってしまった。
「あらら、やっぱり一回のように簡単に点は取れないわね~」
「そうですね。けれど……」
千代美の言葉に、葵は守備の準備をしながら、さらりと答えた。
「今日の沙織が二点以上取られるとは思わないけれど」
その沙織は三振してとぼとぼ戻って来た球子に声をかけていた。
以前の沙織では考えられない姿を見て、葵は頼もしく思っていた。
☆☆☆
二回の裏。筒井中学の攻撃。
打席に立つのは四番打者の大田原である。
左打席でバットを構える少年は、体格が大きく高校生でも遜色がないくらいだ。さすが四番と言ったところだろうか。
けれど。
(……神子ちゃんに比べたら気が楽かも)
マウンドに立つ沙織は、そんなことを思っていた。大田原からは、神子ほどの威圧感は漂ってこなかった。
初球は、外よりのストレート。ぎりぎりコースに決まって、ストライクがコールされる。
大田原がきっと沙織を睨みつける。
外から見るのではなく、実際に打席に立って、改めて沙織の球の切れを感じたのだろう。
二球目は内角高めのストレート。
大田原は強引にバットを振って、そのボールを引っ張った。
だが打球の勢いやや詰まり気味の、平凡なライトフライだ。
落下点に立ったあんずがやや危なげに動きながらも、しっかりと捕球した。
(コースが甘かったら、危なかったかな……)
ワンアウトを取ったとはいえ、沙織は軽く冷や汗をかいた。
続く五番の長月はとおると同じような巨漢の右打者だ。
葵の構えは内角高めのボール球。
沙織も感じていたが、さすがにそろそろストライクゾーンだけでの勝負は難しいと、葵も悟ったのだろう。
沙織は要求通り、高めに外すつもりで内角高めに直球を放る。
だがストレートに山を張っていたのか、長月がそれを強引に強振した。
結果は三塁側へのファールとなり、ストライクがカウントされる。だが、また空振りを取れなかった。
葵もそれを察したのかどうかは分からないが、次のサインはカーブだった。
沙織は一瞬首を横に振ろうか迷ったけれど、葵のリード通りカーブを投げ込んだ。
長月は外から中に入ってくるカーブにタイミングが合わず空振りする。
次も内角へのカーブと続けて、長月を三球三振の空振りに切って取った。沙織は軽くこぶしを握った。
もう相手ベンチからざわめきが起こることはなかった。沙織がこれくらい投げてくることに、すでに彼らにも伝わっていた。
(ストレートにタイミングを合わせていたのかな?)
そのおかげというわけではないだろうが、カーブは十分に通用するのが分かって、沙織は気を取り直す。
続く六番バッターの佐藤は前のバッターとは対照的な小兵タイプだった。左打席に入り、バットを短く持っている。俊足好打なタイプだろうか。
今度は一転して、ストレートで押すサインが出る。
沙織はそれに合わせて力一杯ストレートを投げ込む。ようやく空振りも奪い、相手を1ボール2ストライクに追い込む。
そして勝負球は三振を狙ったカーブだったのだが……
(あ、しまった……)
微かに指先に引っかかってしまった。
鋭く曲がって落ちるカーブに打者は狙い通りの三振になったが、ベースの上に落ちて大きく跳ねた。葵はそれを受け止め損ねて後ろに反らしてしまった。
それを見て打者が一塁に向かって走る。振り逃げとなった。
ツーアウトながら、初めてランナーが出た。
葵がボールを持って沙織が立つマウンドまで歩いていた。
「ごめん。ちょっと指に引っかかっちゃった」
「いいえ。沙織は悪くないわ。あれくらい取れなくては捕手失格だわ」
葵はそう言うと、ちらりと相手ベンチを見て続けた。
「実際、相手ベンチはそう思っているかもね」
「……走ってくる、ってこと?」
「ええ。揺さぶってくるでしょうね」
「それだったら……」
マウンド上で、沙織と葵は顔を寄せ合って、作戦を練った。
二死一塁。七番打者で投手の宮平が打席に入るのを、一塁ベース上で見ながら、佐藤はベンチにも目をやった。
振り逃げという形だったが塁に出たことには変わりない。まだ二回だし、積極的に足で攻めていくつもりだった。
マウンド上の小さな少女(と言っても高校生なので自分より年上のはずなのだが)は当然ながら、セットポジションを取る。体を一塁側に向けこちらに視線を向けてくる。
それにしても……と佐藤は思う。
どうもタイミングがつかみにくい。バッターボックスでは威圧感まで受けたのに、一塁上から見ると威圧どころか、存在が感じられない。
これこそが、沙織が十五年かけて形成したぼっちスキルであることを彼は知らない。
とりあえず一球は様子見するつもりで待つ。
少女がセットポジションから初球を放った。
それはランナーがいるには不適切な、人を食ったかのようなゆったりとしたカーブだった。
宮平も意表を突かれたようで見送ってストライクがコールされた。
(くそっ……それなら……)
ランナーなどいないかのように平然とカーブを投げられたことに腹が立った佐藤はリードを大きく取ってプレッシャーを与えてやろうとした。
そのとき、自軍のベンチから声が上がった。その意味に佐藤が気づいた時には、投手の沙織が持っていたはずの白球は、一塁手の神子の手に渡っていた。完全に逆を突かれた牽制球。気配が薄くてまったく気づかなかった。
慌てて佐藤は頭から一塁ベースに戻ろうとしたが、彼の手がベースに触れるより先に、ボールが収まったグラブがタッチされた。
「アウトっ!」
審判のコールが響く。
こうして二回の裏の筒井中の攻撃も0点で終わった。
三回の表。出見高の攻撃。
この回の先頭は九番の横山沙織である。
マウンドではあれほど堂々としているのに、左打席に入った彼女にその雰囲気は微塵も感じられなかった。
ネクストバッターズサークルでその様子を興味深く見ていた葵の前で、沙織はあっさりと三振に倒れた。
「沙織もバッティングは素人なのね」
「うう。ごめんなさい」
「まぁいいわ。点を取るのは私たちの仕事だから」
そう言って、打席に入った葵だったが、変化球をコーナーに散らす宮平のピッチングに顔をしかめた。さすがに初回のような女子と侮った甘いボールを投げてこない。
葵は女子としては上手いとはいえ、神子のような規格外の天才ではない。
結局、インハイの直球の後の外のスライダー。来ると分かっていて、そのボールを狙っていたにも関わらず、体が十分に反応せず、空振りの三振になってしまった。
軽く息を吐いてベンチに戻る葵に、次の打者である椿姫が声をかける。
「今の見送れば、ボールじゃない? 狙ってたようだけど、やっぱりソフトと勝手が違うでしょ」
「……そうね。言い訳をするつもりはないわ」
「別に責めたわけじゃないって。けど思ったよりやっかいかもね。私が部活を引退してからの間、ずいぶんボールも速くなったし変化球の切れも上がったみたい」
「ええ」
「私が出れば、ランナーを置いて神子に回るので、頑張ってみる」
椿姫は宣言通り、四球での出塁も視野に入れたバッティングをする。
だがそれを見越したバッテリーの強気な投球の前に、内野ゴロに打ち取られてしまった。
こうして二回に続き三回の表の攻撃も、三者凡退となった。
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