第31話 成長したわね

 二回の表。フェアリーズの攻撃。

 右打席に立ったのは、四番打者の桐生である。

 身長は180センチ弱で、源よりは小さい。けれど大きな肩幅が目立ち、軽くバットを寝かせた構えにも雰囲気が感じられた。実業団で野球をやっていたとい肩書は伊達ではなさそうだ。

 もっとも沙織は、彼が蕎麦屋だったことを思い出し、バットでそば粉をこねているシーンを想像していたりする。確かに体力は必要そうだ。

(って、馬鹿なこと考えてないで、ちゃんと投げないとっ)

 沙織はぶんぶんと頭を振って変な考えを追い払うと、じっと葵のリードに目をやった。

 初球のサインは外角低め、ボールゾーンへの外す直球だ。沙織はその通りに投げ込む。見送られてボール。桐生のバットは微かに出掛かって止まる。

 意外と選球眼は良くないのか、ストレートを待っていて初球から打ちにいこうとしたのかは分からない。

 二球目は高めのストレート。見送られて2ボール。今度は桐生も楽に見逃した。

 三球目。ストライクを取りに行った内角へのスライダー。

 葵の要求通り。決して甘いコースではなかった。

 けれど桐生は腕をうまく畳んで、それを楽々とはじき返した。

 打球は左中間の真ん中へと落ちて転がっていく。センターの清隆がうまく回り込んで打球が抜けるのは防いだが、その頃には桐生は一塁ベースを回って、悠々二塁へと到達していた。

 二塁ベース上で表情を変えずグラブを取る桐生を見て、沙織はきゅっと唇をかんだ。



 五番打者の与謝野。神子の解説では、和三盆使用の和菓子屋さんだ。だからかどうかはわからないけど、几帳面な感じで、セオリー通り徹底的な右打ちをしてきた。

 結果、与謝野はファーストゴロに倒れたが、その間に、二塁ランナーの桐生が三塁へと向かっていた。基本に忠実な進塁打を放って、チャンスを広げてきた。



(前進守備か……)

 一死三塁。葵の指示は、それほど極端に前に出るわけではないが、ホームで刺せたら刺すという守備体系だった。ちなみにサインは葵が出していて、ベンチの千代美は、ただ応援したり祈ったりしているだけである。

 まだ二回の表に入ったばかりだが、源の投球内容をみるかぎり、点はなかなか入らず、この先制点が重要になると考えたのだろう。

 前進守備は真正面に転がれば問題ないが、ヒットゾーンが広がるという欠点もある。それでも点を取られたくない沙織にとっては、むしろ望ましい守備位置である。

 六番打者の日高が打席に入る。最年長というからもっと年寄りかと思ったけれど、丸顔で気のいいおじさんという感じだ。

 どこか勝負を楽しんでいるような表情。スクイズはないと、割り切って沙織は腕を振るった。

 初球は、チェンジアップ。

 日高はそれにタイミングが合わず空振りする。けれど思ったより振りは鋭い。

 強引に引っ張られたらやっかいかなと思いながら、二球目は外角低めへの直球を投げ込んだ。

 日高が再びバットを振るい、ボールを弾き返す。

 やや振り遅れ詰まった打球がファースト正面へと転がった。

「神子っ!」

 立ち上がった葵が叫ぶ。三塁ランナーの桐生がホームにつっこんできている。

 神子は前に出て打球を処理すると、駆けた勢いのまま左手をふるって本塁にボールを送球した。

 まっすぐに送球されたボールを、葵は走者の進路を妨害しない位置で受け取とり、スライディングしてくる桐生の足に冷静にタッチした。

「アウト!」

 主審のコールが響いた。




 むすっとした表情で桐生がベンチに戻ってきた。

「えーと。今のタイミングでのホームは、ちょっと無理があったんじゃないですか?」

 正木が遠慮がちに言うと、桐生は黙って、監督の森屋を見た。

「あはは。ごめんごめん。あたしの指示なんだよ。一塁のゴロだったらとにかくホームをねらえ、ってね」

「神子ちゃん、送球下手だったからなあ。だから狙って一塁に転がしてみたんだけど、一打点損したわ。ははは」

「いや。あれは単に、振り遅れて偶然転がっただけですよね?」

 日高の言葉に、正木がつっこみを入れた。

 助っ人としてこのチームに加わって日が浅いが、すっかりつっこみ役として定着しつつあった。

「でも神子、成長したわね。楽しんでいるみたいだし、良かったわ」

 森屋の神子を見る目は母親のようだった。

「まぁ、監督の指示だったことと狙いは分かりましたが、得てしてこういうミスがあると……こうなるんですよね」

 正木が視線をグラウンドに向けた。

 源の打ち返した打球がセンター前へと飛んでいくところだった。



 

 沙織は流れる汗をユニフォームの裾で拭った。

 一死三塁のピンチを切り抜けたかと思ったら、今度は二死一二塁のピンチである。

 八番打者は監督の森屋を除く唯一の女性メンバーである品川ひかりだ。二十代半ばくらいだが、神子の情報によると既に一児の母とのこと。

 さすがに女性なので身体の線は細いが、野球歴は長いのか、バッティングの構えは様になっていた。

 神子のような強打者には見えないけど、ランナーは二塁まで進んでいる。油断は禁物だ。

 沙織は息を整えると、セカンドランナーに軽く目をやって、セットポジションから、とにかく低めを意識してボールを投じた。

 そして追い込んでからの低めに変化球で、ショートゴロに打ち取った。ボールをさばいた銀河は二塁手の椿姫にボールを送って、二塁フォースアウト。

 こうしてフェアリーズの二回の表の攻撃は終了した。



  ☆☆☆



 二回の裏。出見高草野球部の攻撃。

「うりゃぁぁ」

 長い表の攻撃とは対照的に、四番の銀河は出会い頭の初球を思いっきり引っ張った。

 だが結果はショート正面のライナー。福井が慎重に捕ってアウトになる。

 銀河が持っていたバットで軽くグラウンドを叩いた。


「打撃だけなら、正木より上かな。まったく最近の高校生はレベルが高いねー」

 源が苦笑いしながらつぶやく。

 長丁場の野球大会。少しでも楽したいところだが、そうもさせてくれないな、とグチる。

 そしてその言葉通り、次の打者のとおるに、外のボールをうまくライト前へ運ばれてしまった。



 とおるのヒットで初めてのランナーが出て、ベンチが沸く。

 それを背中で受けながら、六番打者の葵がゆっくりと右打席に向かった。


(とりあえずランナーは出たけれど、あまりチャンスではないのよね)

 次の打者は球子。ランナーは鈍足のとおる。

 送りバントはない。かといって、足を絡めてチャンスを広げることもやりにくい展開だ。

(だったら、いっそのこと、自由に思いっきり打ってみようかしら)

 とおるを意識せず、バットを構える。

 ソフトボールで、四番を打ってきたような気持ちで。


 けれど大人の男性のボールはやはり重かった。

 源の球威に押されセカンドへの平凡なゴロを打ってしまう。

 葵は懸命に一塁に向けて走ったが間に合わず、ダブルプレイとなってしまった。


 結局、出見高の攻撃は、この回も三人で終わることになった。




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