第30話 できればそのつもり
試合は、みなとフェアリーズの先攻で行われる。
まずは沙織がゆっくりと、綺麗なマウンドの上に立つ。
(やっぱり陽射しが強いかな……)
梅雨はどこに行ったのか、まるで少し早い夏のようだ。
体力の消耗に気を付けないといけないかもしれない。軽めの投球練習を終え、沙織は額に浮かび始めた汗を拭った。
打席に、森屋の甥っ子だという中学生の環が入る。左打者だ。体格は年相応でそれほど大きくない。俊足好打のタイプだろうか。
中学生というとどうしてもこの前の試合のことを思い出してしまう。
(……大丈夫。反省を生かしいていっぱい練習して対策も考えたんだし)
あのときの試合のようには絶対にならない!
主審が、試合開始をコールした。
葵のサインを見て軽くうなずくと、太陽の光を浴びながら、沙織はゆっくりと腕を振り上げた。
☆☆☆
少し時間がさかのぼって、試合開始直前。
マウンドで投球練習をする小さなサウスポーの少女を面白そうにベンチで見つめながら、源は小学校のときチームメイトだったという正木に尋ねていた。
「なぁ。お前の初恋の相手は、どんなピッチャーなんだ?」
「だ、だから、そんなんじゃないんですってばっ」
源にからかわれ、正木が声を荒らげる。沙織のことを源に知られてからずっとこんな感じでからかわれてばかりなのである。
正木は半ばあきらめつつ、軽くため息をついてから答えた。
「そうですね……。一言で言えば、本格派ですね」
「ほぉ。あのちっこい体でか。そうかそうか」
源は楽しそうに笑うと、打席に立つ環に向かって叫んだ。
「よーし、環。積極的に打ってけー。可愛い女の子がピッチャーだからって、見とれるなよー」
源の言葉に、これまた初心な環が軽く赤面する。
一方で、マウンドの少女は顔色一つ変えていない。声が届いていないわけではないだろうから、きっとそれだけ集中しているのだろう。
沙織が、ゆっくりとしたワインドアップの構えから第一球を投じた。
「ストラーイクっ」
初球は、真ん中低めのスライダーだった。
左打者の環は、初球は見ていこうとしていたのか、軽く見送る。
二球目はやや高めのストレート。わずかに外れてボール。けれどキャッチャーの構えたところにぴったりと収まっていた。
「球威はそれほどじゃないけど、コントロールはよさそうだな」
源がにやりと笑う。
そして三球目。
環が低めのボールを打ちにいったが、ひっかけてセカンド真正面の平凡なゴロになった。
椿姫が難なく捌いて、最初の打者はアウトに倒れた。
「最後のボールは、チェンジアップかな」
「……そうみたいですね」
正木はどこか釈然としないものを感じながら答えた。
まだたった三球だが、正木が知っている、ストレートとカーブだけで相手をねじ伏せていたピッチングとは違う印象だった。本格派というより、コントロール重視の技巧派のようなピッチングだ。
「まぁ、女なんて三日も見なければ変わるもんだ。小学生から高校生へと変わればピッチングも変わるだろ」
「そうですね。それじゃ、行ってきます」
正木は源の言葉に軽く聞き流すと立ち上がって、ネクストバッターズサークルへと向かった。
まず一つのアウトを取って、沙織はほっと一息つく。
二番バッターは「ふくいや」の店主である福井卓也。こちらも左打者である。衣服屋ということで何となく年を取った人のようなイメージだったけれど意外と若い。若者向けの服を売っている人だろうか。
葵の要求は外のストレート。その通りに直球を投げ込んで、見逃しのストライクを取る。
次も外角のスライダー。
福井がタイミングをやや崩されながらも、ボールをバットに当てた。
打球は平凡なレフトフライ。
前進気味に守っていた球子のところへとふわりと飛んでいった。
沙織はすっと顔を打球の方向へ向けた。
球子はまっすぐ落下地点に入って構えを取る。そして、危なげなく捕球した。
それを見て沙織は小さく軽くガッツポーズをした。
ファインプレーでも何でもない普通のプレー。けれどあの球子にそれ出来ただけでも、大きな成長だった。
沙織はそれが、自分のことのようにうれしかった。
(あたしも頑張らないと……)
沙織はバッターボックスに目を向けた。
右打席に入って早くもバットを構えているのは、沙織の小学生時代のチームメイトだった正木である。
(真面目な子っていう印象だったかな……)
打者としての彼の印象は、正直あまり残っていない。
けれどバッテリーを組んでいたので、孤立していたチームの中でも、一番会話を交わした相手だ。最初のうちは向こうから親しくなろうという(異性の女の子としてではなくチームメイトとして)感じだったけれど、沙織が人付き合いが苦手だったため拒絶しているうちに、彼もほかのチームメイトと同じようになっていった。
(……もしあたしがもっと心を開いていたら、今とは全く違う野球人生を送っていたかな?)
けれど沙織は野球から離れていた中学三年間のことは後悔していない。
もし野球を中学でも続けていたら、きっと高校も女子野球部があるところに進学していただろう。そうなると、神子や葵、みんなと出会えず、こうやって一緒に練習や試合をすることも出来なかったのだから。
とにかく、今出来る精一杯の投球を正木に見せようと決意して、沙織はゆっくりと振りかぶった。
初球は、外から入るスライダーだ。
正木は見送って、ストライクがコールされる。
次は外のチェンジアップ。これも見送られて、今度はボール。
いずれもあっさりと見送っている
直球を待っているような構えだ。表情も再会したとき見せた満面の笑みとは打って変わって、真剣な視線で沙織を射抜いている。
そんな中、葵が要求した三球目は外角いっぱいのストレート。
葵もおそらく直球待ちに気づいているだろうけれど、あえて要求してきたようだ。
沙織は軽くうなずくと、コントロールに気をつけ、ややボール気味にストレートを投じた。
そのボールを正木が強引に強振した。
バックネットに当たるファール。やはり直球を待っていたようだ。
そして四球目。
沙織たちが選択したのは低めスライダーだった。
ストライクゾーンに入ったので正木は打ちにいったが、ややタイミングが合わずぼてぼての内野ゴロとなる。三塁手のとおるがほとんど動くことなく待って捕って一塁へ送球し、アウトとなった。
「……ふぅ」
こうしてフェアリーズの一回の表の攻撃は三者凡退で終了した。
沙織は小さく息を吐いてゆっくりとマウンドを降りる。
と、その頭をぽんと誰かに叩かれた。
「おいこら。ったく、俺の出番を奪うつもりか?」
銀河だった。
どうやら沙織の意図を察しているようで、どこか愉快そうな表情をしていた。
「うん。まぁ、できればそのつもり」
銀河の問いに沙織はきっぱりと答えた。教室で制服姿で話しかけられたらまだ耐性はないけれど、こうやってグラウンドの上なら、問題ない。
沙織の答えに銀河は満足げににやりと笑った。
「ま、無理すんなよ」
「うん」
沙織は軽く視線を空に向けた。
まだまだ暑くなりそうだった。
☆☆☆
一回の裏。出見高草野球部の攻撃。
先頭の一番打者は、椿姫である。
「つーちゃん、頑張ってーっ」
椿姫は神子の声援に思わず顔がにやけそうになるのを押さえつつ打席に立つ。
「一番打者も悪くないわね」
小学生の頃から野球をやっていたが、一番打者は初体験だ。厳密には表の攻撃で相手チームの打者が打席に立っているのだが、真新しいバッターボックスに真っ先に入るのは、気持ちのいいものだった。
いつものようにバットを短く持って視線をマウンドに向ける。
そこに立つのは、ピッチャーの源。ただでさえ長身の彼がマウンドに立つと、さらに大きく見えた。
第一球が投じられる。
力のあるストレートが真ん中高めに決まる。正木のミットから心地よい音が響く。主審が大きくストライクとコールした。
「……なるほど……ね」
角度がある。スピードも速い。球威のある「重そう」なボールだ。
しかも打撃練習で何度も見てきた沙織の綺麗な回転のストレートとは対照的に、ベース付近で微妙にぶれる癖球だ。
「ちょっと厄介かもね。ま、一番打者だし、まずは出来るだけ粘ってみましょうか」
結果、椿姫は球威に押されて内野ゴロに倒れた。
けれど、二球ファールを放ち、源に七球投げさせることに成功した。
「……ふぅ。思ったより厄介だな」
椿姫がアウトになるのを見届けて、源は汗を拭った。
ただの女子供だと思っていた打者に、ここまで粘られると思わなかった。
そして続く二番打者も女性だった。
久良あんず。先ほどの一番打者よりは背が高く体格も良い。その分ストライクゾーンが広いはずなのだが……
「……なんか、投げにくいな……」
なんというか、打者の気配が感じられないのだ。まるで投球練習をしているかのようだ。
源は実戦タイプで練習ではあまり気が乗らない。打者が立たないストライクアウトのようなものも苦手だった。
そのため、何となく気合が乗らず真ん中に投げ込んだストレート。
それを気づいたら、綺麗に打ち返されてしまった。
「なっ」
だが幸いにも打球はショート正面。無事捌かれてアウトとなった。
「まったく、これじゃ先が思いやられるな」
源が苦笑した。
そして、さっそく最初の難関である神子が打席へと向かっていた。
後援会会長の紹介で神子がチームに入って来た時は、こんなちっこいので大丈夫か、と思った。もともと爺さんについてきてよく商店街に顔を見せていたので初対面ではなかったが、その頃はおどおどとした内気なイメージだった。
けれどチームに入ったときの神子は非常に活発な性格になっていた。小さいわりにしっかりと練習していたのか、スイングは鋭かった。
そのうちすぐに身長がぐんぐん伸びて、いつの間にかとんでもない打者になったわけだが。
こうやって真剣勝負するのは初めてだった。
神子も源と同じ気持ちなのか、好奇心旺盛な瞳をマウンドに向けている。
その視線に応えるように、源は第一球を放った。
「……ふぇっ?」
緩いカーブ。
神子には予想外だったのだろうか、きょとんと見送ってストライクがカウントされる。
上手く神子の予想を外すことが出来て満足しながら、源は初球のイメージが消えないように速いテンポで直球を内・外に投げ込む。
ボール・ボール・ファールとなって、追い込む。
そして五球目。
内角膝元への速い球。神子は身体を素早く回転させボールを捉えた――つもりだっただろうが、バットは空を切り、正木のキャッチャーミットに収まった。
「しゃぁっ!」
「うーっっ」
源が大きく声を上げ、神子は悔しそうに天を仰いだ。
じっと神子の打席を見つめていた沙織は、確認するように葵に尋ねた。
「最後のボール、少し曲がった?」
「ええ。カットボールかしら? やっかいなボールね」
「……あの神子ちゃんでも三振するんだ……」
「当たり前でしょう。神子だって十割打てるわけじゃないのだから」
葵は素早くプロテクターを着け、ホームベースに向かった。
沙織も彼女に後を追うようにグラウンドを小走りに駆けながら、先ほどの打席を思い浮かべる。
初球のカーブは、神子が自分のことを知っているうえで、意表をかく球種だったのだろう。有効だった。そのイメージのまま左右にストレート系を散らして、上手く追い込み、最後は鋭く曲がるカットボール。
(って、あたしったら、なにを考えているんだか)
沙織は神子の三振を残念がるのではなく、どうやって神子を打ち取ったのかを考えて見ていることに気付いて、頭を振った。
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