第29話 が、頑張ろぅーっ


 いよいよ大会当日の朝を迎えた。空は久しぶりの快晴。梅雨の晴れ間で、まるで真夏みたいな陽射しが降り注いでいる。

 沙織はすでに準備を整え、家の中をそわそわしていた。そんな沙織を見て、鷹司が笑いながら言った。

「応援に行こうか?」

「こ、来なくていいから!」

 鷹司の言葉に沙織は赤面した。

 今日の試合のことは鷹司にも当然伝えているが、見に来られるのは授業参観みたいで恥ずかしく、遠慮したかった。鷹司も娘の性格は理解しているので、半ば冗談だろう。けれどその半分は、再び野球を始めた娘の晴れ舞台をやはり見たがっているのかもしれない。

 そんなことをしているうちに横山家の前に、大型ワゴン車が停まった。

 しばらくして呼び鈴が鳴る。

「はじめまして。草野球部の顧問で沙織さんの指導をさせていただいております、岡千代美と申します」

 鷹司と一緒に玄関に向かうと、扉の外にユニフォーム姿の千代美が立っていた。

 物腰も言葉遣いも普段と違って、別人みたいだった。

 大人ってすごいって、沙織は思った。

「さおりんのお父さん、初めましてっ」

 大人同士が挨拶をしていると、千代美の横からぴょこりと神子が顔を出した。こちらはいつも通りだった。

「沙織から話は聞いていますよ。御代志神子さんですよね? 娘がお世話になっております」

「ううん。こっちこそ、さおりんにたっぷりお世話になっています」

 神子の言葉に鷹司が微笑ましそうな表情を見せる。

 このままだと自分の話題になりそうだと察した沙織は、逃げるように、そそそと用意されたワゴンに向かった。

 そんな娘の相変わらずな様子に苦笑しつつ、鷹司は千代美と神子に頭を下げた。

「本日は、娘をお願いします」

「はい。絶対優勝してきますね」

 

 大型ワゴンは部員たちが家から直接会場に行けるよう用意されたものだ。予算は部費からではなく、神子の家持ちである。運転するのも千代美ではなく専属の人だ。それをみて沙織はほっとした。

 すでに何人か先に乗っている仲間に挨拶して席に座る沙織に、少し遅れて戻ってきた神子が笑って言った。

「お父さん、試合を見に来たそうだったけれど、いいの?」

「いいのっ。お父さんだって、チームの練習があるんだし」

 沙織は赤面してぷいっと顔をそむけた。



 メンバー全員を乗せ、ワゴンが無事会場である河川敷の運動公園に着いた。

「おー。人がいっぱいいる」

 六月の日曜日。最近の梅雨空は一変して、雲一つない快晴だった。冷房の効いた車から降りただけで、軽く汗がにじむくらいである。

 そんな空のもと、以前神子と来た時より、ずっと多くの人が集まっていた。

 運動公園には専用の野球場のほかに、多目的グラウンドもある。

 今回の大会は、野球場と多目的グラウンドをそれぞれ同時に使い、一回戦を前半の組と後半の組に分けて試合が行われる。

 前半の試合が終わった後、もう一組の対戦が二つの野球場で行われ、一回戦を勝ち抜いた四チームが決まる。そのあと再抽選で対戦相手を決めて、二つのグラウンドに分かれて準決勝という流れだ。

 出見高校草野球部とみなとフェアリーズの試合は前半に組まれている。両チームはさっそくグラウンドに入り、順番に練習を始める。スケジュールがタイトということもあり、開会式のようなものは行われず、すぐに試合が行われる予定だ。


「せっかくだから、あっちで試合したかったっすねぇ」

 球子がフェンス越しに見える野球場に目をやりながら、羨ましそうに言った。

「それは僕も同じ気持ちだけど、二回勝てば決勝はあそこで行われるからね」

 とおるが汗を拭きながら球子のつぶやきに答えた。早くも汗を大量にかいているとおるを見て、沙織はとおるが干からびないか心配だった。

「まぁこのグラウンドも普段商店街のチームが練習で使っているだけあってしっかり整備されているし、問題ないわ」

「そうね。グラウンド状況は悪くないわね」

 葵の言葉に続いて、椿姫が内野の状態を確かめるようにして言った。

「はっはっは。ショートからセンターへのゴロは全部俺が処理してやるから、安心しな」

「ちょっと、余計なことしないで。あんたは自分のところだけ守っていればいいんだから、邪魔しないでよね」

「そりゃお互い様だろ」

「あはは……」

 すっかり恒例となった二人のやり取りに沙織は苦笑した。

 二人の仲は相変わらずだが、守備に関しては沙織も信頼していた。小学生のときはエラーされても構わないと一人で気負って野球していたのがずいぶん昔のことのように感じられた。



「お疲れ~。今日は暑いから、ちゃんと水分補給忘れずにね~」

 全体練習を終えベンチに戻ると、千代美が早くも水筒から冷たい麦茶を注いでちびちび飲んでいた。

 今グラウンドでは対戦相手のみなとフェアリーズの選手たちの練習が行われている。

「相手チームのメンバー表をもらってきたわよ~。せっかくだから、元チームメイトの御代志さんに解説してもらいましょうか~」

「おー。うん。いいよ。任せて!」

 神子がにっこり笑って、千代美からメンバー表を受け取り、目を通す。

 沙織は神子の解説が何となく想像できて、苦笑していた。


☆ みなとフェアリーズ オーダー(解説付き)

1森屋環 (右) 左 森屋さんの甥っ子で中学生。品川ゲーム店の常連。

2福井一雄(遊) 左 衣服店。お店の名前は「ふくい屋」(服いや)

3正木広樹(捕) 右 現役高校球児。さおりんの幼なじみ。

4桐生大介(三) 右 脱サラして蕎麦屋。手打ち麺が特徴。

5与謝野正和(中) 右 和菓子屋さん。砂糖は和三盆使用。

6日高はじめ(左) 左 チーム最年長。文具一筋30年。

7源智明 (投) 両 ボクの師匠。お祭りやイベントが大好き。

8品川ひかる(一)右 一児の母。お店はゲーム屋さん。

9宇都宮寛二(二)右 中華屋さん。けれど餃子のメニューがない。



「……神子の紹介だから予想はしていたけれど」

「えーっ。駄目? ボク的には「ふくいや」さんが自信作なんだけど」

 葵の反応に神子が口をとがらせる。

「そうよっ。さすが神子ねっ! 素晴らしいセンスだわっ」

「センス云々は、神子ちゃんじゃなくて福井さんの方じゃないかなぁ」

「……そもそもその名称。センス、いいのか悪いのか分からない……」

「私としては、唯一の女性の方があの容姿で一児の母というところがそそりますね」

「源さんって、○○ 源、っていう名前じゃなくって、苗字の「みなもと」さんだったんだ」

 と、なんだかんだで、みんな神子の解説で盛り上がっていたりする。

「いずれにしろ、俺らが相手するのはピッチャーだからな。そこんとこは、どうなんだ?」

 そんな周りに苦笑しつつ、銀河が尋ねる。

 普段は軽い感じだが、試合に関してはある程度真面目になるのだ。

「うーん。ボールが速くて、コントロールより力で押すタイプかなぁ。さおりんより、銀ちゃんに近いかも」

「それなら、デットボールに気を付けなくっちゃね」

 椿姫が銀河を見て軽口をたたく。

「でも、怪我や体調に気を付けないといけないのは事実ね。一人でも欠けたら試合できなくなってしまうのだから」

 葵がみなを見回して真面目に言う。

「えっと~。先生、キャッチボールくらいはしたことあるから~、一塁だったら守れるかも~」

「……そういえば、あっちもちょうど九人しかいない……」

 千代美のお気楽宣言をスルーして、あんずがグラウンドで練習しているフェアリーズの面々を見てぽつりとつぶやく。

 神子が残念そうな表情を見せる。

「うん。本当はもっといるだけど、日曜日はお仕事柄、逆に休めないって人も多いんだよ」

「へぇ。そうなんだ」

 沙織はこの間の練習のときも人が少なかったことを思い出した。

 学生の沙織からすれば日曜日はお休みなんだけれど、確かにそのお休みの人を相手にするお店の人が休んだら、日曜日は何もできなくなってしまう。お仕事は大変だ。

「それじゃ、こっちもデッドボールは与えられないな」

「ん……それは大丈夫」

 銀河の軽口を、コントロールには自信のある沙織はさらりと流した。

 もっとも銀河もそれが分かって言った冗談のようなものだ。

「さてと。そろそろ時間ね」

 試合開始時刻が迫ってきた。

 グラウンドで練習していたみなとフェアリーズのナインもいったんベンチに戻っている。

「それじゃ~、試合開始前に、部長から一言~」

「えぇっ、ボクが?」

 神子が珍しく戸惑った様子を見せた。

 普段から無邪気で明るくてよく喋っているが、それゆえに、部長としてまじめにみんなをまとめるように話すことはあまりない(たいていそれは葵の役目になっている)のだ。

 それでも神子は、少し考えると部員たちを前にしてしっかりと言葉を述べた。

「えーと。みんな、あらためてうちの部に入ってくれて本当にありがと。みんなと一緒に練習できて、とっても楽しかったよ。これからもずっと一緒に練習や試合をしたいから、この大会、絶対に優勝しようね」

 神子の言葉にみんなが神妙な顔をしてうなずく。

 そうだ。この大会の結果には部の存続もかかっているのだ。

 けれど急に真面目になる一同とは対照的に、神子はいつもの笑顔のまま続けた。

「でもまずは、今日の試合をめいっぱい楽しもうね! それじゃ、試合前のかけ声はさおりんで」

「えぇぇぇっ?」

 突然の無茶振りに、沙織は大きな声を上げた。

 性格的には明らかなミスチョイスだ。けれど沙織は、言われたら断れない性格でもあるのだ。

 みんなもそれを分かっているので、さっきまでの緊張はどこへやら、にやにやとした笑顔を沙織に向けている。天然の神子がここまで計算していたとは思えないが、こういう雰囲気になることは何となく感じていたから沙織を選んだのかもしれない。

 ちなみに沙織と同レベルぼっちのあんずは無愛想属性も持ち合わせているので、ガチで断る。

 沙織は覚悟を決めて、いつもより一割り増しで声を張り上げた。

「えっ、えっと、それじゃ……が、頑張ろぅーっ」

「おーっっ!」

 沙織のかけ声に、みんなの声が続いた。


 第一回みなと町商店街草野球大会、一回戦。

 出見高草野球部にとっては、部の存続を掛けた一発勝負がいま、始まろうとしていた。




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