第28話 あらいば?
「それじゃ、行くわよ」
葵は球子からボールを受け取ると、それをセンター方向へと大きく打ち上げた。
打球の先のセンターを守るのは変態の清隆……ではなく、対照的に背の小さな沙織だった。
今度の大会は、勝ち抜けば最大三回試合をすることになる。
体力的な問題から、銀河がマウンドに立って、沙織が外野に回ることも視野に入れなくてはならない。そのための守備練習である。
葵が打ち上げた打球を見ながら、沙織はてててと落下点に移動し、危なげなくフライを捕球した。そして軽く助走すると、ホームベースに向かって、ぎゅんっと伸びるような返球を見せる。
そのボールはマウンドの先で、ぽんとバウンドし、ノックする葵の横いる球子のグラブにぴたりと収まった。
「凄いっす! さすが沙織お姉さまっすっ!」
外野手の先輩として、沙織に基礎を教えていた球子が、自分のことのように喜ぶ。
「そうね。返球はもとより、捕球の方も問題ないわね。それにしても少し意外だったわ。沙織って妙にプライド高いから、投手以外はやる気がでないで集中できないと思っていたのだけれど」
葵も感心した様子で呟くと、再び外野へフライを打ち上げた。
飛んできたボールを再度捕球しながら、沙織はぽつりと一人ごちた。
「外野って、なんか居心地が良くって、妙に落ち着くなぁ……」
ぼっちだった沙織にとって、周りに人がいない外野はむしろ天職だったりする。
☆☆☆
鋭い打球が三遊間を抜けていった。
「ちょっと、谷尾。今のは取れたんじゃないっ?」
二塁ベース付近で、清隆の守備練習を見ながら、椿姫が不満げに言った。
銀河が投手をするオプションでは、左利きの沙織は外野を守ることになる。そのためセンターの清隆が、銀河が守っているショートに入ることになっている。
もともとこのオプションは清隆から提案されたものだが、どうも気が入っていない様子だった。
清隆は気分屋なところがあるが、普段の練習は決して不真面目ではないのだが。
「……実は、気づいてしまったのです」
「何を?」
「外野と違って内野は女性パラダイスだと思っていたのです。ですが、さおりんが外野に移って、西村がピッチャーになった結果……「1・5・6」で野郎トライアングルが出来上がってしまったのですっ!」
「……そーね」
椿姫は頭を押さえた。
ちなみに「1・5・6」とは守備位置の別称で、投手・三塁手・遊撃手の意味である。
「えーと。それじゃ僕がショートに入って、谷尾には三塁に移ってもらおうか? 一応、僕はショートも守っていたし」
もともと遊撃手はとおるだったが、守備範囲の問題でポジションが変わった経緯があるのだ。清隆がこのままなら、とおるの方がずっとましだろう。
「けど三塁でも使い物にならないんじゃない?」
とおるの意見に、椿姫が聞き返す。
椿姫にはとおるの意図が読めなかったが、肝心の清隆には伝わったようで、彼ががばっと顔を上げて、表情を輝かせた。
「なるほど。これなら、捕手・三塁・レフトと、ストレートラインの完成ですねっ。中継プレイが決まったら絶頂ものです! ふふふ。おかげでやる気が出ました」
「……まぁ。中継は基本ショートがやるんだけどね」
「……っ?」
「ん、葵ちゃん、どうしたの?」
内野守備練習から離れたところで、沙織の投球練習につきあっていた葵がぴくりと反応した。
沙織は気になって聞いてみた。
「いえ。何でもないわ。ただちょっと、悪寒がしただけ」
☆☆☆
「神子ちゃん、キャッチボール、上手くなったよね」
ウォーミングアップのキャッチボールをしながら沙織が言った。
神子や葵と出会って間もない頃、チームメイトの紹介を葵にしてもらった際、神子は送球が苦手と言われていた。実際、キャッチボールを始めた頃は、送球がぎこちなかった。
「うん。さおりんのおかげだよ」
「……えっ。あたしの?」
教えた覚えはないけれど。
「ボク、左利きだけど、周りに左で投げる人って、今までいなかったんだ。バッティングの方は左打ちの人はいたから教わることで来たけど、投げ方はなかなか難しくって。けどさおりんの投げる姿を見ていたら、自然とうまく投げられるようになったんだよ」
「へぇ。そうだったんだ」
神子は感覚で覚えるタイプのようだから、見本がいない状態で右利きの人に投げ方を教わっても、上手く理解できなかったのだろう。
「そういえば神子ちゃんって、お箸やシャーペンも左手を使っているよね」
神子と何度も向かい合って食事をしているので、その光景を思い出しながら沙織が言った。
ちなみに沙織は恥ずかしがり屋の性格から、左利きでありつつも、目立たないように、主に右手で使っている。もっとも、野球を再開した今は、左手の感覚を上げるために、左手を使うようにしているが。
「うん。でも右利きの方が便利な場面もあるから、右手でもいろいろ出来るように練習しようと思うんだ。ほら、両手が使える人って頭が良いって言うじゃない」
「あはは……どうなのかな」
両方使える沙織が、中間テストの結果を思い出しながら苦笑いを浮かべた。
ちなみに両手を使えると、左右両方の脳が活発化されると言われているが、真偽は定かではないようだ。
「……左でも右でもいいけれど」
そんな二人の会話に、葵が口をはさんだ。
「せめて神子には、今の左手でも「1」と「2」が分かるような字で書いて欲しいわ」
そんな葵の切実な言葉に、神子はそっと視線を逸らした。
☆☆☆
「ちょっと、しっかり前で捕りなさいよ。肝心なときにエラーされたら迷惑よ!」
「いいじゃねーか。こっちの方が楽だし。そっちこそ、いちいち回り込んで捕っていると、守備範囲が狭くなるぞ」
「……ふんっ」
「えっと……」
椿姫と銀河の守備練習のやり取りを聞きながら、沙織はおろそろしていた。ぼっちで人との関わりがあまりなかった沙織にとって、喧嘩のような言い合いを目の当たりにすると、気が気でないのだ。
もっとも、あの二人にとってはいつものことなのだが。
「確かに、あの二人の守備は対照的だよねぇ」
とおるがのんびりと言った。
今は椿姫と銀河のみが特守をしていて、他のメンバーは休憩しつつその様子を見ていた。
「……春日さんは身体が小さく、肩の強さも女子として平均的なレベルだから、しっかりとした体勢で送球しないといけない。そのため捕球に関してもしっかり正面で行っている」
野球のことになると饒舌なあんずが、ぽつりと説明した。
「そうっすね。一方、西村せんぱいはピッチャーやっていたこともあって、肩は強いっすから、多少無理な体勢でも送球できるっす。でも内野の守備歴が短いので、基本はややできていないところがあるかもしれないっすね」
野球マニアたちの解説を聞いて、沙織がなるほどとうなずく。
「……とはいえ、二遊間のコンビを組む以上、もう少し仲が良くなってほしいわね」
葵の言葉に沙織は先程と同じようにこくこくとうなずいた。その方が、沙織の精神衛生上にも良さそうだ。
「でしたら、こんなときこそ、『アライバ』っす!」
「あらいば?」
球子の言葉に、沙織がきょとんとして聞き返した。
「プロ野球でも伝説の二遊間コンビのことっすよ。二人の代名詞ともなっている、あのプレーを再現できれば、二人の息もぴったりっす」
「あのプレー?」
「そうっすね。だいたい、こんな感じっす」
プロ野球にあまり詳しくない沙織に向け、球子が「あのプレー」を説明する。
打者が放ったのはセンターへと抜けそうな強めのゴロ。
それを二塁手が体勢を崩しながら捕球する。
だが身体は完全にレフト方向を向いて、バランスも崩れた体勢のため、そのままだと、一塁に送球できない。
そこで二塁手は、駆け寄ってきた遊撃手に向けて、ボールをグラブトスしたのだ。
ボールを受け取った遊撃手は身体をくるりと一回転させ、駆け寄った勢いのまま一塁に送球し、打者をアウトにしたというプレーである。
「へぇ」
その場面を想像しながら沙織は感心した。
確かに二人の息が合っていないとできないプレーだ。
だが問題は、出来る出来ない以前に犬猿の仲である二人が、それをやろうとするかであって。
「いいよ、めんどくせーし。断る」
「そうよ。なんで私がこんなのとっ」
と案の定な答えが返って来た。
すると、そんな二人の様子を見ていた神子がお気楽に提案した。
「よーし。それじゃ二人のプレーが成功したら、ボクとデート券をプレゼントするよ。二人分だから、ダブルデート券だね」
「……神子。あまり自分を安売りしない方がいいわよ」
神子の提案に、葵が眉をひそめた。
「えー。でも部員集めのとき、これを最初に言いだしたのは葵だったよね?」
葵はすっと視線をそらした。
沙織は苦笑した。ていうか、ダブルデートの意味、違うし。
けれど神子マニアな銀河と椿姫は瞬時に、神子の言いたいことを瞬時に理解し考えをめぐらしていた。
(神子ちんと二人きりがいいけれど、まだあまり好みも知らない状態でいきなりはリスクがある。だったら、こいつを入れてワンクッション置くことで、いつも通りに接せられるし、なおかつ女二人だから、男の良さをアピールできる!)
(神子と二人っきりの方が良いに決まってるけど、緊張するし。だったら、こいつがいた方が会話しやすいかも。それにこいつがガサツな面を見せてくれれば、相対的に私への評価が高まる!)
と、打算まみれだったが、とにかく二人は神子の提案に異論なく受け入れて、「アライバ」の挑戦が始まるのであった。
ルールは簡単だ。
葵がセンター方向へノックする。
と同時に、走者としてあんずが一塁に向かって走る。
椿姫と銀河は二人で協力して打球を処理し、走者をアウトに出来れば成功である。
なお当初は、ダッシュの練習を兼ねて痩せさせるため、一塁へ向かう走者はとおるにと葵が提案していた。だがそれでは送球が弱くても簡単にアウトにできて難易度が低くなってしまうと沙織が反対したため、俊足のあんずになった。
もちろん、沙織の真意は、とおるのぷにぷにお腹を守るためである。椿姫と銀河には悪いが。
景品である神子は二人を応援するため、一塁手はとおるが入った。
こうして、葵によるノックが始まった。
「あぁーっ、惜しいっ」
椿姫が珍しくうまくグラブトスを上げたのだが、わずかにタイミングが合わず、銀河が落としてしまった。
すでに十回以上挑戦しているが、まだ成功に至らない。それどころか、まともに一塁へ送球すら出来ていなかった。
中には打球を追った椿姫が銀河に衝突して、勢い余って彼を押し倒してしまうことも。ラブコメにありそうな展開だが、二人に限ってはそんな展開になることもなかった。
ちなみに沙織は、とおるのぷにぷにのお腹に乗っかりたいと思った。
「いい。これで最後よ」
椿姫の疲労が明らかに足に来ていた。相方の銀河にも疲労が見られている。
ノックをする葵にも疲労が溜まるし、一塁へ走っているあんずもかなり辛そうになってきている。
まだ成功していないが、これ以上行えば怪我につながるおそれがある。
葵の言葉に異議を唱える者はいなかった。
葵がノックの構えに入る。そのとき、今まで黙って挑戦を見ていた清隆がそっと、葵にささやいた。
「葵さん。打球の位置をもう少し左へ」
「え? でも……」
左……遊撃手の方へ打球を飛ばせば、二塁手の椿姫にとっては、より捕りにくくなるはずだ。
「つーちゃんは、無理に好プレーを演出しようとして、かえってぎこちなくなっているように見えます。もっと自然に彼女の本気を引き出さなくてはなりません。いつも見ていたので分かります」
「……あなたが言うと妙に説得力があるわね」
葵が苦笑する。
「うん。清隆の言うとおりだよ。大丈夫。つーちゃんなら出来るよ」
神子も力強くうなずいた。
「――分かったわ」
葵は二人の言葉を受け入れ、狙いをより左方向へ定め、心なし強めにノックを放った。
椿姫の表情が一瞬変わる。
だが同時に、身体は反射的に動いていた。
小さな身体を跳ね上げるようにして、打球方向に向かい、グラブをはめた左手を目いっぱい伸ばす。そして、センターへと抜けるかと思われた打球が、椿姫のグラブへと重なり、その先に収まった。
だが大きく身体をのばした体勢の椿姫は、とても一塁に送球できるような状況ではなく、足がもつれて、グラウンドに倒れそうになる。
「――このっ」
それでも椿姫は無理やりグラブを持った手を振るようにしてボールを銀河に向けてトスする。
タイミングは合っていない。けれど反動で思いっきり腕を振り上げて放たれたボールは、今までの中で一番高くふわりと上がる。
銀河は駆け寄って来た動きのまま、背を反って後ろに飛ぶような感じで何とかボールをクラブに収める。
だがそのせいで銀河も体勢を崩している。グラウンドに足を付けた銀河は、それでもすかさず一塁へ向けて送球する。けれどその影響かボールは、やや左に逸れてしまった。
とおるが目いっぱい手を伸ばしてそれを捕球するのとほぼ同時に、あんずが一塁ベースを駆け抜けた。
「あぁっ。おしい――」
見ていたメンバーの誰かから声が上がった。
タイミングは微妙だった。だが逸れたボールを捕球するため、とおるの足が一塁ベースから離れていたのだ。
けれどそんな周りのメンバーに向け、とおるが微笑んで告げた。
「いや。アウトだよ。僕じゃなくて、神子ちゃんが守ってたら」
本来一塁を守るのは神子である。
丸っこいとおるに比べ手足が長く、本職の一塁を守る神子なら、片足を一塁ベースに残したまま、逸れたボールを捕球できただろう。
「でもやっぱり、納得いかないっ」
椿姫が口をとがらせる。
情けを掛けられたような感じが強気な性格の椿姫には許せなかったのだ。
「確かに、すんなり納得は出来ないな」
銀河も同様の気持ちのようだ。
そんな二人に向け、神子が言った。
「じゃあ半分成功ってことだね」
「半分?」
「うん。確かにアウトには出来なかったけど、とおるの言うことも納得だもん。だから半分成功」
「そ、それじゃ……」
神子の言葉に、椿姫が期待を込めた表情を浮かべる。神子がアウトと言えばセーフもアウトになる椿姫なのだ。
ところが神子はそんな椿姫の視線に気づいた様子もなく、ふと思いついたかのように首を傾げた。
「……あれ? でも半分成功ってことはデート券も、どっちか二人のうち一人ってことかな」
あ。
と思わず沙織の口から声が出た。
天然鈍感な神子が、この場面で一番言ってはいけないことを口にしてしまったのだ。
「……だったら当然、言い出しっぺが辞退するよな?」
「はぁ? あんたの送球ミスがなければ普通にアウトだったけれど?」
当然のように、銀河と椿姫がにらみ合う。
沙織たちは頭を抱え、当の神子だけがきょとんとしていた。
こうして、デート券を巡る、二人の争いはさらに続くのであった。
二人の競うような練習によって技術は向上したが、コンビネーションが上達したかは定かではない。
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