第2話 同盟に破棄は付き物である


 放課後。

 帰宅部の横山沙織が、毎日まっすぐ家に帰るのも気まずいので、とりあえず学校の図書館で時間をつぶしている頃、学校の敷地の端にある第二グラウンドに、丹上葵の姿があった。

 金網で囲まれた長方形のグラウンドの片方では女子ソフトボール部が活動しており、その対角線側に、葵を含めた三人の人影が見えた。

 こちらもソフト部と同じようにマウンドやらホームベースが設置されており、葵はホームベースの後ろでミットを持って屈んでいた。

 葵はそっと視線を右上に向ける。

 バッターボックスに立つのは一人の女子生徒。名前は御代志神子(みよし・みこ)。整ったあごのラインに、すっきりとした目鼻立ち。マウンドに向いていて今は見ることが出来ない真っ直ぐな瞳。そして誰もがくぎ付けとなる鮮やかなブロンドの髪の毛。男子でなくても見惚れてしまうような美少女である。

 神子は力みのない構えで、バットを天に向かって真っすぐに立てている。そのバットは、さっきから微動たりもしていない。

 葵は前に視線を戻した。マウンドに立つのは同じクラスの男子生徒。名前は西村。クラスではお調子者でムードメーカー的なキャラクターだが、葵にとって、あまり興味はなかった。

 その西村が振りかぶって、捕手の葵に向けて白球を投げ込んだ。

 神子はバットを振ることなく、真ん中からやや外れたボールを見逃す。

 ミットを持つ葵の左手に衝撃が走り、小気味良い音が響いた。やや高めだが、一応ストライクだった。

「はーっはっは。悪い悪い。あまりの剛速球に、手も出なかったのかな~」

 マウンド上で西村が笑う。

 一方、打席に立つ神子は無言だ。

 普段の神子の姿からは想像できないが、やはり打席に入った時の彼女の集中力は大したものだと、葵は改めて感心した。

 西村の球のスピードは思ったより悪くなかった。けれどこれで抑えられるほど、神子は甘くない。

 葵はミットを外角低めに構える。が、西村は真ん中に構えろ、とばかりに首を振る。

 その反応に葵は小さくため息をつく。そして諦めてミットの位置を戻した。

 西村は満足げにうなずくと、にやにやしながら、二球目を投じる。

 神子がバットを振るった。

 鋭い金属音とともに、鮮やかに打ち返された白球が、西村の元に一直線に向かう。

 強烈なピッチャー返しを前に、西村はひゃっと情けない声をあげ、向かってきたボールを捕ることもせずその場にへたりと尻から座り込んでしまった。

 その頭上を、鋭い打球が通り過ぎて行った。

「うーっ……振り遅れた。引っ張るつもりだったのに、ピッチャーライナーになっちゃったよー」

「……は、はは……そ、そうか。俺の速球がそんなに速かったか。はは……それじゃ、俺はこれで帰るわ。ははは……」

「ねぇ。もう一回……って、あれ?」

 神子が首をひねりながらマウンドに向けて言ったときには、すでに西村が逃げるように去ってしまった後だった。

「えー、なんでもう終わっちゃうの?」

「よく言うわ。狙って打ち返したのでしょう」

「ぶーっ。そんなことしないよ。ボクが思ったより速かったのは事実だもんっ」

 神子がむくれる。

 野暮ったい高校のジャージに包まれていても分かる絶妙なプロポーション。脱いだヘルメットから零れ落ちる長く艶やかなブロンドの髪。黙っていれば間違いなく美人なのだが、その性格は非常に――子供っぽい。リアルボクっ子でもある。

 もっとも、初見の人はまず耳を疑うけれど、二度目に聞くと意外と似合っているところは不思議だ。

「まぁ、もうちょっとすごいかなって思ってから、がっかりしたのも事実だけど」

「……はぁ。いずれにしろ、彼は野球部だし、うちの部に入れるとは限らないわ」

「むぅ。それはそうだけれど、ウチも早くピッチャーを見つけないと試合ができないじゃんっ。そういう葵には、誰か心当たりがないの?」

「実は、ないことはないわ」

「本当?」

「ええ。今日たまたま気づいたのだけれど……あら。ちょうどいいタイミングね」

 葵の視線の先には、一人そそくさと下校しようとグラウンド前の道を歩いている、横山沙織の姿があった。



  ☆ ☆ ☆



 同盟には破棄は付き物である。

 かくいう日本も、日英同盟の破棄から、世界大戦への道へと向かっていったのである。

 とまぁ、何が言いたいのかというと。――おのれカエサル、貴様もか、ということだった。ちなみに、それを言うならブルータスなのだが、沙織は素で勘違いしていた。

 図書館から出て学校のグラウンドを横切っていた横山沙織は、目撃してしまったのだ。友達いない同盟の協定者だった丹上葵に友達がいるところを。

 葵はなぜか野球のプロテクターを着けてグラウンドにいて、別の女子生徒と仲良さそうに話していた。

 相手は遠目から見ても目立つブロンドの髪の毛をしていた。面識はないけれど、同じ一年生として何度か廊下ですれ違っているし、ぼっちな沙織の耳にも入るくらい有名なので名前は知っている。

 御代志神子。詳しくは知らないが、髪の色からしてハーフなのだろう。地べたに這いつくばった陰のような沙織とは対照的な、天女のような美少女だ。おまけにスタイルも良い。

 葵とはタイプは違うけれど、同じ美少女で、二人が仲良さげに話している場面は、遠目から見てもお似合いである。

 というわけで、沙織はおとなしく身を引くためそっと立ち去ろう――としたところを、いつの間にか目の前に来ていた葵に捕まってしまった。

「え、なに」

「ちょうど良いわ。横山さん、こっちに来てくれるかしら」

「え、えっ、あの……」

 葵はその外見からは想像できない力強さで、沙織の手を掴むと、強引に沙織をグラウンドに引きずり込む。そして、神子のところまで連れてこられてしまった。

「葵ー。どーしたの。もしかして、その子がさっき話してた子?」

 葵が引っ張ってきた沙織を見て、神子が不思議そうな表情を浮かべて言った。

 身長170センチを超える神子に対して、沙織は150センチちょい。葵が推薦するくらいだから、もっと大きい人だと思っていたのだ。

 一方、沙織の方は、美少女の神子に興味深そうに見下ろされ、混乱中である。

「うーん。ボクのイメージとは違うけど、葵が言うんだから期待できるかな。よーし、勝負だ」

「え? 勝負……?」

 一瞬「第一回丹上葵争奪戦」でも始まるのかと思った沙織だったが、神子から「はい」と、西村が置いていったグローブを手渡されて、その「勝負」が野球に関係するものであることを悟った。

「恨みっこなしの一打席勝負。ボクが打った打球がヒット性だったらボクの勝ち。それ以外だったら、君の勝ち、ということで」

「あ、あの……」

「なお今回限りの勝利特典として、ボクに勝ったら、なんと特別に一日デート券をプレゼント!」

「えーと……」

「あれぇ。これを付けるとみんなやる気になってくれたのになぁ。西村くんもこれで勝負してくれたのに」

「横山さんは女の子だから」

「あ、そうか。あはは」

 沙織は、神子が見た目のイメージと違ってかなり天然気味なのは理解した。そのため、とりあえず神子は無視して、葵に目を向ける。

「悪いわね。無理矢理付き合わせてしまって。でも期待しているわ。授業のときみたいに遠慮しないで思いっきり投げてもらって構わないから」

 だが頼みの葵もそう言うと、拾ってきたボールを沙織に手渡して、神子とともにホームベースまで戻ってしまった。

 こうして、何が何だか分からないうちに、沙織は一人マウンドに残されてしまう。

(えっと……どうしよう……?)

 神子と勝負する必要なんて、沙織には全くない。かといって手渡されたグラブとボールを置いて、そそくさと帰ることが出来るほどの度胸も沙織になかった。

 まぁ、いいや。早く投げてさっさと終わらせよう。

 そう決めた沙織は帰りの制服姿のまま、渡されたグラブを左手にはめ、右手に白球を持って、とてとてとマウンドに登った。ボールは今日の野球の授業でも使った軟球だ。

「よーし。こいっ」

 バットを握った神子が左打席に入る。

 バッターボックスでキラキラした瞳で見つめてくる神子の視線から目を背けるようにしつつ、沙織は葵に向けて思いっきり白球を投じた。



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