少女がボールを手にしたら

水守中也

第1話 一球だけなら、いいよね……


 友達いない同盟というものがある。

 

 それは、学校生活において、いわゆる友達がいない独り者同士が、体育等でよく行われる二人一組の課題を協力して乗り切るための協定だ。

 友達ではないので余計な拘束はない。必要に差し迫られたときのみ効力を発揮する相互協定なのだ。


 というわけで――

 出見高等学校の一年生である横山沙織は、体育の時間に、その同盟相手とペアになっていた。ちなみに「友達いない同盟」というのも沙織が勝手につけた協定である。

 同盟者の名前は、丹上葵。同じクラスの女子生徒だ。

 沙織がおどおどとした人見知りタイプのぼっちあるのに対し、葵は堂々としたクールな一匹狼タイプである。近寄りがたい美人さんだ。

 何かと人の目を気にする沙織とは違って、独りでいることに後ろめたさや孤独感があるようには見えないが、ペアを組むときはたいてい友達同士で組まれていくので、普段一人でいることの多い葵は、必然的に残り物である沙織と組まされている。

 そんな堂々と一人で行動する葵の姿に、沙織は少し憧れていた。

 とはいえ友達だといろいろ重そうなので、あくまで同盟者である……と沙織は勝手に決めている。

 今日の体育は野球だった。

 なぜソフトボールではなく野球なのか沙織は疑問に思ったりもしたが、今はこうやって、ペアを組んだもの同士でキャッチボールをしている。


「えいっ」

 沙織は右手を振るってボールを投げた。少し変な方向に飛んでしまったが、葵は自然な動作でそれをキャッチする。そして沙織が取り易いような位置に適度なスピードで返してくる。

「丹上さん、キャッチボール、上手いね」

 黙っていたままだと居心地が悪いので、沙織から話しかけた。

 友達なんて面倒だからいなくていいって思っているくせに、無言空間には弱いタイプなのだ。

 その点でも、やはり堂々としている葵はすごいと思っている。

「中学では、ソフトボールをしていたから」

 そっけないけれどしっかりとした返事が、ボールとともに葵から返ってくる。

「それより――」

 再び沙織が投げたボールを軽く移動して受け止めた葵が、今度は逆に話しかけてきた。

「横山さん。あなたの投げ方が少し気になるわね」

「き、気になるって……?」

 沙織はドキッとした。

 話しかけられるのに慣れていないこともあるけれど、それだけではなかった。

「キャッチボールするのが初めて、といった感じではないのに、どこかバランスが悪いのよね。まるでわざとそう投げているみたい」

「ま、まさか。ちゃんと本気で投げているから」

「そう……」

 沙織の言葉に嘘はない。

 決して手は抜いていないし、精いっぱい投げている。

 もっとも、変に思われてしまっている原因に沙織は心当たりがあったが、彼女からそれを口にすることはなかった。



「ふぅ……」

 特に何事もなく、体育の野球の授業は終わった。

 沙織は何となく後片付けをして最後までグラウンドに残ってしまった。別にクラスメイトから陰湿ないじめを受けてやらされたわけではなく、単に要領が悪いだけである。

 てくてくとグラウンドを歩いていると、白いボールが隅っこに転がっているのを見つけてしまった。

「ううぅ……」

 見つけてしまった以上、見なかったことにして放っておくことはできない性格なのである。とはいえ、ホームベース近くに置いてあるボールの入ったかごまで持っていくのは面倒くさい。

 沙織は転がっているボールを手に取ると、きょろきょろと辺りを見回した。

 近くに誰もいないことを確認する。

「一球だけなら、いいよね……」

 もう投げないと決めたのは四年前。

 その誓いを守っていた沙織だったが、体育の授業で野球に触れてしまい、慣れないキャッチボールをしてフラストレーションが溜まっていた。そのため、一球なら……という気持ちが芽生え始めていた。

 沙織は小さく振りかぶると、白球をホームベース目がけて思いっきり放り投げた。

 彼女の手から離れたボールは、ふわりと浮き上がると、放物線を描くことなく、掛かったスピンによって弾かれたかのように最頂点で伸びていく。そして、ホームベース近くにあるカゴの側面に当たって落ちた。

「あーあ。さすがにここからじゃ入らなかったかぁ。ま、あの辺りに転がっていればいいよね」

 沙織はそう呟いて自分に弁明すると、着替えのために教室へと戻っていった。



 ――その姿を見ている者がいるとは知らずに。



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