第20話 考えたことなかった

「はぁ……」

 月曜日の朝。

 その日も沙織は、朝から気が重かった。

 沙織の口からため息が漏れる。これだけ空気が抜けていたらダイエットにも効果ありそうだ。前にもこんなことがあったような気がしたが、基本的に小心者の沙織にとっては、これが日常である。体重の代わりに背が伸びないのもこのせいだ。と、根拠もないことを呪ったところで、どうにもならない。

 昨日行われた試合のショックは、チームメイトの優しさと暖かいお風呂のおかげでだいぶ癒された。

 それでも完全に吹っ切れたわけではなかった。嫌なことはしつこく引きずるタイプなのだ。そもそもぼっちの沙織は、野球の試合に限らず「戦う」ということを拒否してきたので、負け慣れていないのだ。

 昨日の食事の席も、野球を再開する前の重い食卓に戻ったかのようだった。

 鷹司は試合結果を聞きたがっていたようだが、さすがに沙織の様子を見て悟ったのか、何も聞いてこなかった。それが逆に沙織にとっては気を遣われているようで辛くて、無言空間だった。

「……はぁ」

「よぉ」

「っきゃぁぁ」

 教室に向かって渋々歩いている所で、不意に背後から声をかけられ、沙織は飛び跳ねた。

「って、おい。いくら何でも驚きすぎだろ」

「に、西村……くん」

 沙織はおびえた様子で一歩身を引いた。

 ぼっちの沙織にとって、癒しのぷにぷに物体であるとおると違って、リア充でありDQNの銀河は、まさに天敵なのだ。――変態の清隆は端から除外である。

 グラウンドで野球をしているときは平気だが、制服を着て校舎内で会うと、どうしても天敵対応モードが発動してしまう。

「えーと……」

 そんな沙織の様子に、銀河も戸惑ってしまった。普段練習場で接している沙織とは全然タイプが違うからだ。昨日のことを話そうとしたが、この状態ではまともにアドバイスできそうにもなかった。

 そこで銀河は接し方を変えた。

「昨日は残念だったな。ま、当然の結果か。俺が投げた方が良かったんじゃないか?」

 沙織の負けず嫌いを引き出して、いつものペースに引き込む方法である。

「むっ」

 そして沙織は、銀河の挑発にあっさりと引っかかった。

 分りやすく表情が変わったため、銀河にもそれが手に取るように分かった。

「たださ、投球自体はそんなに悪くなかったんだよ。あとちょっと、工夫すれば良くなると思うぜ」

「……本当に?」

 沙織がじとっと、上目遣いに銀河を見上げる。

「ああ。詳しくは今日の部活のときに話すから。そのときに証明してやるよ」

「うん……」

 沙織は不満げな様子をみせつつも、昨日のお風呂で、葵づてにその話は聞いていたので、素直にうなずいた。

 


  ☆☆☆



 大雨から一夜あけた高校の第二グラウンドは、若干湿っているものも、練習するには問題ないコンディションだった。

 いつものようにアップを終えた後、部員たちがグラウンドに集まる。

 けれど全体練習を始めるのではなく、みなが銀河の言葉を待っていた。

 その中には、担任の千代美も珍しく参加している。

「そんじゃ、横山のピッチングの課題って話だけど、口で説明するより見てもらった方が手っ取り早いから、ちょっと手伝ってもらうぜ」

「構わないわ。それで何をすればよいのかしら?」

「簡単さ。最初に俺が、次に横山が投げてフリーバッティングを行う。球種は直球のみ。ただし、ピッチャーはバッティング練習と考えず、あくまで打者を打ち取ることを考えて投げる、以上だ」

「おー。面白そう。ねぇねぇ。その打者はボクがやっていいかな?」

「うーん。神子ちんは天性で打つような感じだからなぁ、どちらかというと違うタイプの方が分かりやすいんだが……そうだな。春日、お前でいいや」

「ちょっ、ちょっと、何で私なのよっ」

 突然指名され、椿姫が声を荒らげる。しかも椿姫からすれば銀河は神子を争う三角関係のライバルなのだ。

「わぁ。いいなー。つーちゃん。頑張ってねっ」

「任せて、神子! 全球ホームランを狙うから!」

 椿姫があっさり落ちた。

「よし。じゃあ、横山もそれでいいよな?」

「……うん。あたしはそれで構わないけど」

 銀河の意図は計りかねたが、沙織は素直にうなずいた。



「ったく、あんたがバッピをやると、練習にならないのよね。せめてちゃんとストライクゾーンに投げなさいよ」

「へいへい。ボールだったら、別に見送ったっていいんだぜ」

 銀河はそう言うと、投球動作に入る。

 ワインドアップだが、沙織が打者と正面を向いて立ち、ゆっくり一歩下がるのに対して、銀河は横を向いたまま、素早いフォームで身を屈めるように投げる。

 初球は内角高めに外れた。

「――っと」

 椿姫が身をのけぞるようにかわした。後ろのネットにボールが当たって落ちる。

 椿姫はそのまま何事もなかったかのようにバットを構える。狙って投げられるほど銀河にコントロールがないことを知っているからだ。

 二球目は真ん中やや高めに来た。

 椿姫がバットを振る。

 後ろのネットに当たるファール。やや球威に押された格好だ。

「ふん……」

 バットを握りなおして、椿姫が軽く息を吐く。

 銀河は特に気にした様子もなく、次のボールを投げ込んだ。


 結局、15球投げた内、ヒット性の当たりは3本。ボール球が5球。空振り2回という内容だった。



 銀河がマウンドを降り、続いて沙織が上がった。

 昨日試合で投げた翌日だが、体に感じる疲れはない。自覚のない隠れたものはあるかもしれないが、あったとしても些細なものだろう。小学生のときだって、何日も連続で投げたことがある。問題ない。

 マウンドに上がった沙織は、バラバラに付けられた銀河の踏み込みの跡をならす。

「悪いけど、神子のため、手加減はしないから」

 バッターボックスで椿姫が強気に宣言する。本気でホームランを狙うつもりだろうか。

 ボールを手にした沙織にとっても、真剣勝負は望むところだった。

 沙織はいつも通りのフォームで、ゆっくりと腕を天に上げ、右足を一歩後ろに持っていく。そのまま流れるような動作で白球を投げ込んだ。

 指先から離れたボールは、沙織のイメージ通り、内角低めにずばっと決まった。見送られたボールがネットに当たって音を立てる。

「……昨日の疲労を心配してたけど、どうやら関係なさそうね」

 様子見だったのか、手が出なかったのか分からないが、椿姫が不敵に笑う。

 沙織は特に気にせず、二球目を放る。今度は外角低めいっぱい。

 まともに打ち返せないと察したのか、椿姫はそのボールをカットして逃げる。

(一球、二球と低めを続けたから……次は高め――)

 沙織は次のコースを意識しながら、ゆっくりと振りかぶった。



 キィィン!

 最後の15球目。

 綺麗にバットに捉えられた白球が、左中間の真ん中へと飛んでいった。

「ふふ。あんたの性格を考えれば、最後の一球はど真ん中だと思ってヤマを張ったのが当たったわね。ホームランにはならなかったけど」

 椿姫の言葉に、沙織は苦笑した。彼女の言うとおりだったからだ。

 それでも最後の一球は別として、そこそこ満足のいくボールは投げられたかなと沙織は思った。

 ところが、そんな気持ちを抱いて、今の投球を見守っていた神子や葵、銀河たちを見ると、誰もがどこか言いにくそうな、微妙な表情を見せていたのだ。

 勝負に熱中していた沙織と椿姫は気づいていないが、端から見ていると、銀河のときとの差が歴然としていたのだ。

 沙織はそんなチームメイトの表情を見て不安になり、先ほどの勝負を客観的に見ようとした。

 そして、沙織もその事実に気づいた。

 最後の一球を除くとしても、椿姫が打ったヒット性の打球は、銀河との勝負より、沙織と対峙したときの方が、多かったということに。

「お疲れ。付き合わせて悪かったな。で、どうだった? 俺のときと比べて」

 銀河が、汗を拭いつつバッターボックスから出てきた椿姫に声をかけた。

「全然ね。あんたのより沙織の方が、ずっと打ちやすい良い球を投げてた……って。――あっ」

 椿姫は、ついいつものフリーバッティングのときの感覚で答えたのだろう。そして、先ほどのバッティングが真剣勝負だったということを思い出して、目を大きく見開いた。

「……ま、そういうことだ」

 部員たちからざわめきが起こる。

「それって、単純に西村と横山さんの球速の差じゃないかな? 直球限定なんだし」

 とおるが沙織をフォローするように発言する。

「……いや。確かに西村の方が球は速いけれど、直球限定だし、決して対応できないほどじゃなかった。逆に沙織の方も、スピードは劣っていたけれど、厳しいコースに投げ込まれていて、楽じゃなかった。けどなんて言うか、タイミングが取りやすかったわ」

 実際に打席に入って打った椿姫が、とおるの意見を否定する。

「打ちやすいタイプのピッチャー、打ちにくいタイプのピッチャーがいるって言われているっすけど、沙織お姉さまは、打ちやすい方ってことっすか?」

「……適度に荒れ球のピッチャーの方が、打ちにくいって聞いたこと、あるけど……」

 球子とあんずが言う。二人とも野球初心者のため実体験ではないが、野球好きとして一般的な知識は持っている。

「まぁ、俺のは別に狙って、荒れているわけじゃないけど」

 銀河が苦笑いする。

「……そうね。私はキャッチャーとして沙織の球を受け取っていて、打者として、向かい合っていなかったわ」

「えっ、どういうこと?」

 神子だけはまだ気づいていないようだ。

「そもそも、野球における『良いボール』とは何かということね。速くてコントロールのいいボールじゃない。極論を言えば『打者が打てない、打ちにくいボール』こそ、良いボールなのよ」

 葵の言葉に銀河がうなずいた。

「確かに、沙織の方が球の出所が見やすかった。逆に西村の方はフォームがバラバラでタイミングが取りにくく感じたかも」

「小学生くらいならともかく、長く野球を続けていれば、来た球を打つだけじゃなくて、ボールが投げられる前からピッチャーを注意して見るようになる。要は投球フォームの癖ってやつだな。だからピッチャーの方も、球の出所が分かりにくいフォームを模索する」

「その結果が、あのバラバラのフォームなわけ?」

「悪かったな。誰もが思った通りにできたら、みんないい投手になってしまうだろうが」

「あっ、沙織お姉さまのお父さんがおっしゃっていた『素直過ぎる』というのは、このことだったっすね」

「なるほどね~。確かにバッティング練習のとき、横山さんのボールは打ちやすいって感じてたけれど、そういう理由もあったんだ」

 とおるが感心した様子で言う。

 その横で、沙織がぼそっと呟いた。

「……そういうこと、考えたことなかった」

 銀河の言うとおり、小学生相手では十分通用していた。それに一人で練習することが多かったから、打者を想定したピッチングの練習はしていなかった。求めていたピッチングも、速く伸びのあるボールを投げることを目的として、打者から分り難いフォームなど、考えてはいなかった。

「さおりん……大丈夫?」

 フルボッコ状態の沙織に、神子が気遣って声をかける。

「ううん。平気」

 沙織は首を横に振った。

「今までそういうのを考えていなかったから出来なかっただけだから。意識して練習すれば大丈夫。……それに、そういうの、ちょっと好きだったりするし」

 相手打者に対する嫌がらせみたなものと考えれば、試合をうっぷん晴らしの仕返しの場として投げていた沙織にとっては、むしろ十八番だ。

「そうね」

 沙織の発言に、葵が苦笑した。ただ強がりで言ったわけではないことは、沙織の性格は把握してきて、分っていた。

「練習、付き合うわ」

「球ちゃんも、いろいろな投球フォームを調べて来るっすよ」

「……ビデオ撮影、分析なら任せて……」

 みんなが沙織をサポートしてくれようとしている。今までではなかったことで、それがとても心強かった。

「うんうん。ボクも打席に立って付き合うよ」

「……えっと。それはちょっと」

「ええっ、なんでっ」

 まさか反対されるとは思っていなかったのか、神子が不満げに声を上げる。

 沙織はその様子に申し訳ないと感じつつも、思いを伝える。

「その……神子ちゃんとは、練習の成果が出た後、勝負してみたいから」

 以前直球勝負した際は、ほとんどのボールをバットに当てられてしまった。神子が沙織のフォームをどれくらい意識してバッティングをしていたかは分からないが、多少はその影響もあるのだろう。

 だからこそ、新しいフォームでリベンジしたい思いはあった。

 ただ一緒に練習すると、徐々に変わっていく過程を神子も体験することになるので、効果が分り難くなってしまうからだ。

「ううぅ……」

 沙織の説明に、神子は一応納得してくれた。不満そうだけど。

「それで、僕からも話があるんだけど」

 沙織の話がまとまったところで、とおるがみんなに向けて言い出した。

「僕と西村の守備位置を交換しようと思うんだ」

「え?」

 沙織は思わず聞き返した。銀河を除く他のメンバーも同様だ。

 とおると銀河の守備位置の交換。つまりサードとショートが入れ替えるということだ。

「昨日の試合、僕がとろとろしていて、春日さんの足を引っ張っちゃったから。西村の方が守備範囲が広くて上手くいくと思うんだ」

 沙織はちらりと銀河を見た。四番サードが希望だったはずだが、すでにとおると話し合っていたのか、納得した様子だった。

「ま、四番ショートの方が、現代っぽいかなって」

「四番、は譲らないのね?」

 椿姫が呆れた様子で口にする。けれど守備位置変更に関してはむしろ歓迎している感じだ。

「それから、今までの流れに逆行するようで申し訳ないのですが、私からも提案があるのですが」

 今まで下ネタを挟む場面がなかったからか黙っていた清隆が発言する。

「横山さん以外にもバックアップの投手が必要だと思うのです。その投手はやはり西村になると思いますが、そうした場合の守備位置時、私がショートに入り、横山さんがセンターというのが適任かと」

「そうね。私もバックアップの投手のことは考えていたけれど、それが一番現実的ね。その練習も組み込みましょう」

 実質監督である葵がうなずいた。

「うぅ。ピッチャー以外やったことないから、大丈夫かな……」

「沙織お姉さま、球ちゃんが外野フライの取り方を教えてあげるっす」

 不安な様子をみせる沙織に、球子が力強く胸を叩いた。

「ふふふ……センターの位置でも女性陣に挟まれる格好ですが、いかんせん距離が離れすぎていましたので……これで内野の輪に加われます」

「……私が二塁ベース付近はすべてカバーするから、あんたは三塁寄りに守ってなさい」

 椿姫が冷たく突き放した。もちろん、これも清隆にとってはご褒美なのだが。

「そうなると、守備のサインももっと増やしていきたいわね」

「あっ、だったら――」

 葵の言葉をきっかけに、他のメンバーからもサイン以外にも様々な改善案・意見が出される。

「ちょっと待った~っ!」

 そんなわいわいがやがやした雰囲気の中、今まで発言がなく黙って見守っていた千代美が、みんなを遮った。

 みんなが黙って千代美を見る。

 千代美はその視線を集めながら、むくっと頬を膨らませて言った。

「むぅぅっ~。せっかく先生が来て、色々顧問の先生らしく話そうと思っていたのに~、みんなに先に言われちゃって話すことが何もない~っ!」

 その言葉に、一同はきょとんとして、それから一斉に笑い出した。

 千代美はさらにむぅっとするけれど、沙織も同じように笑ってしまった。


 良い仲間たちと練習できて、さらに上手になれる可能性がある。

 沙織は今までにないほど、わくわくして楽しく感じていた。



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