第10話 べ、別に神子と一緒に野球したいからとか(以下略
そして放課後を迎えてしまった。
沙織の記念すべき部活第一日目である。
だが同じクラスの葵は委員会に行ってしまっていない。男子の銀河の姿も見えない。
つまり、沙織一人で部室まで行かなくてはならないのだ。
昨日ジャージを着替えさせてもらったときに入ったので、部室の位置は分かっている。問題なのは周りが見知った部員たちの中に、一人で乗り込まないといけない、ということである。それが苦手でぼっちを続けていた沙織にとっては、大変なことである。
「大丈夫だって。さおりんってボール握ったら性格変わるから、持ちながら行けば大丈夫だよ」
お昼の時、不安がる沙織を見て、神子がそんなことを言っていた。
その通りボールを握ってみた。
やる気は出た。けれど何の解決にもならなかった。
このまま時間をつぶそうかと思ったけれど、新人のくせに遅れてくるなんて何様? になりかねない。
「ううう……」
結局沙織は重い気を引きずりながら、部室へと向かった。
草野球部の部室はグラウンド奥の一角に設置されている。
「きゃぁっ」
そんな感じで下を向いてあるいていたら、ぽよんと柔らかい何かにぶつかってしまった。
「あ、ごめんね。あ、横山さんじゃないか」
「……え、あ、名賀……くん……だっけ?」
沙織は軽くぶつかった顔を押さえながら、目の前の人物を見上げた。
お昼休みに受けた神子と葵による補習を反芻させて思い出す。
草野球部員のショート。名賀とおるだ。
沙織は、じっととおるを見上げた。
ぶつかったときに感じた感触。あの柔らかさは極上だった。お相撲さんのあれは筋肉の塊だと言われているけれど、とおるのそれは、間違いなく脂肪オンリーだった。
沙織はデブ専ではないが、ぷにぷにした柔らかい物が大好きなのである。
そんな感じで、年上のお姉さんのおっぱいを見上げる少年のような目をしている沙織に気付いた様子もなく、とおるが言う。
「横山さんもこれから部室に?」
「あ、うん。名賀くんも?」
「うん。一緒に行こうか」
渡りに船である。沙織は素直にうなずいた。
男子と二人きりで歩くなんて沙織にとっては一大イベントだが、そのぷにぷにな感触のおかげで、特に意識することはなかった。むしろ触りたい。
「昨日投げているところ見てたけど、横山さんすごいよねー。野球歴長いの?」
一緒に歩きながらとおるが聞いてきた。
「う、うん。まぁ」
沙織は曖昧に答えた。中学時代の中断時期はあったけれど、始めたのは物心つく前からなので、嘘ではない。
「その……名賀くんは? どうして普通の野球部じゃなくて、草野球部に入ったの?」
とおるの質問の流れを利用して、沙織は気になっていたことを聞いた。
女子が入れる部活がなくて草野球部を作った神子や葵。大事なミーティングをすっぽかして正規の野球部を退部した銀河と違って、彼ならば普通に野球部に入れるはずだ。昨日葵の自棄打ちノックを受ける姿を見ていたけれど、葵の言った通りグラブ捌きは悪くなかった。打つ方も、その体格から想像されるような打球を何度か飛ばしていた。
葵と幼なじみだからと言っていたけれど、もしかしてこれは、葵目当てに入部したというラブ展開なのか?
「うーん。そうだねぇ。実は普通の野球部にも仮入部してたんだけどね。なんか違うなーって」
「違う?」
「うん。なんて言うか、練習が厳しくてピリピリした雰囲気だったんだよねぇ。もちろん必死に一生懸命練習することは大切だし、結果的にその練習のおかげで上手になって、野球をもっと楽しめるかもしれないけれど。僕はそこまで本気でやる情熱があるのかなぁって思っちゃって。学校生活の時間をすべて野球に注ぐより、もっとその時間を他のことを色々したいなって」
「なるほど……」
「そんなときに葵ちゃんに誘われて、この部活に入部したんだ。まだできたばかりで本格的な練習も出来ていないけれど、ここは雰囲気が良くって好きだよ」
「へぇ。そうなんだ」
と沙織は答えつつも、とおるが葵のことを「葵ちゃん」と呼んでいることの方が印象に残った。幼なじみなだけあって、それなりに近い関係のようだ。ということは、葵経由でお願いすれば、ぷにぷにお腹をむにむにさせてもらえるかもっ。
「ま、甘い考え方かもしれないけどね」
――お菓子がお腹につまっているだけに!
と沙織が心の中で上手いことを言って、一人にんまりする。お菓子だけに「うまい」なんてね。
「どうしたの?」
「う、ううん。何でもないっ。でも、そういうのって分かるよ」
「ありがとう」
とおるがにこりと笑った。癒し系の笑みだった。
(楽しく野球かぁ……)
とおるのぷにぷにはさておいて、彼の考え方は、野球の練習は厳しいのが普通だと思っていた沙織にとって、新鮮に感じられた。
そんな会話を交わしながら、とおると並んで部室に向かう。
「あれ?」
とおるが声を上げた。
どうしたのかと、沙織もとおるの視線の先に目を向けると、草野球部の入り口の扉の前で長身でメガネをかけた男子生徒が中をうかがうように立っていた。
「谷尾。どうしたの?」
「おや。横山さんではありませんか。来てくれたのですね」
その男子は、草野球部部員の谷尾清隆だった。
清隆が沙織に笑顔を向ける。イケメン慣れしていない沙織にとってはまぶしいくらいだ。同級生相手にも「です・ます調」で話す清隆は、何となく某所に生息する執事を想像させる。沙織も女子として一度は彼らのいる喫茶店に入り浸りたいと思っているのだが、ぼっちには辛すぎる壁であった。
「僕が声をかけたんだけど、僕の方はきっぱり無視なんだね」
「当たり前です。何が悲しくて、美しい女性がいるのに男などと会話を交わさなければならないのか、理解できません」
清隆にきっぱり言いきられ、とおるが苦笑する。
沙織としては、美しい女性とまで言われ混乱してしまう。変態って言われていたけれど、ちょっと女好きなのかな、と思った。
「まったく、そんなんだから、葵ちゃんに変態呼ばわりされちゃうんだよ」
「愚問ですね。葵さんに変態呼ばわりなど、ご褒美以外の何物ではありませんか」
……うん。やっぱり行き過ぎた変態さんなのかも。
沙織はちょっとだけ清隆から身を引いた。
「で、どうしたの? 部室前で」
「いえ。このような札が掛けられていましてね」
清隆が扉を指さす。青色の分厚そうな金属製の扉のドアノブ部分に「女子着替え中!」という手書きの札が掛けられていた。
「鍵をかければ良いものを、あえてこう記すということは、私に覗けというフラグかと思って悩んでいたのです」
「この前谷尾が、この程度の鍵なら簡単に開けられます、って言ったからじゃない?」
「失礼な。冗談と真実を誤解されては困ります。もしそのようなこと可能であったら、私がそれを素直に話す訳ないでしょう!」
「駄目だ、この人!」
思わず声に出してツッコミを入れてしまう沙織であった。
その声に、ちらりと清隆が沙織に目を向ける。にこりと微笑まれた瞳には、罵声もご褒美のように映っているようだった。
「とりあえず、横山さんは女の子なんだし、入ってもいいんじゃないかな」
「私は百合もイケるクチです」
「聞いてませんっ」
だんだん清隆の扱いが分って来た沙織であった。彼の口調に合わせてですます調になっているが。
とりあえず、部室の前で三人で立っていても辛いので、沙織は思い切って扉を開けることにした。
ゆっくりと扉に手を開け、開く。
薄暗いすえた部室の真ん中で、一人の少女が半裸で着替えている最中だった。
「ご、ごめんなさいっ」
思わず目が合ってしまい、沙織は慌てて扉を閉めた。
着替え中だと書かれていたが、まさか半裸の状態で目が合うとは思わなったからだ。まぁ同性だし体育の時間の前にいつも見ている光景なので気にすることはないのだが。
「どうしました?」
「中で女の子が着替えてて……」
「札の通りじゃない」
「……ま、まぁそうなんだけど。予想外だったから……あれ?」
沙織が首をひねった。
「女子の部員って、葵ちゃん・神子ちゃん・球ちゃんと……久良あんずさんの四人だよね?」
「そうですが」
「球ちゃんの顔は知っているけれど違う子だったような。となると久良さんのはずなんだけど、女子にしては背が高いって聞いていたのに、小さかったような……」
「なるほど。私はロリでも全然イけるクチです」
「だから、聞いていませんっ」
「うーん。僕も分からないなー。もしかして、部室を間違えたんじゃないかなぁ?」
「うん。そうなのかも」
というわけで、沙織は遠慮がちに扉をノックした。
しばらくして中から女子の返事が聞こえてきた。
「もういいよ。着替え終わったから」
「は、はい」
OKが出たので、沙織はもう一度扉を開いて中に入った。一応、男子二人はまだ外で待機である。
草野球部の部室は空いていた部室をとりあえず改装したといった感じで、あまり綺麗な状態ではない。やや縦長の部室の両側に閑散とした剥き出しの棚のようなロッカーが並んでいて、所々に野球道具が入っている。部員数に比べてずっと多いので、どの棚を使っても大丈夫そうだ。
真ん中には簡単なベンチが置いてあり、そこに座って、一人の少女が体操着姿でストレッチをしていた。背は沙織より少し大きいくらいで、女子としてもまだ小柄でスリムな少女だ。
「別に女同士だから気にしなくても良かったのに。で、あなた誰? 部室を間違えてるんじゃない?」
「あの……ここ、草野球部の部室、ですよね」
言うべきことを先にいわれてしまって、沙織がおずおずと聞く。
「ええ。で、私の質問の答えは? 私のリサーチによれば、神子の他には丹上葵さん、吉野球子さん、久良あんずさん以外、女子の部員はいなかったはずだけど」
「えっと。あたし、昨日入部(仮)したんですけど……」
「な、なんですって。神子ったら、この私をさしおいて、こんなちんちくりんをスカウトするなんてっ」
「えっと。あたしは一年三組の横山沙織って言います。よろしくお願いします」
ちんちくりんはお互い様だ、と心の中でツッコミを入れるけれど、よけいなトラブルを起こしたくない沙織は、スルーして挨拶することにした。この辺りは、ぼっちでも役に立つ対人スキルである。
ぺこりと頭を下げると、毒気を抜かれたのか単純に素直なのか、女子生徒は軽く咳払いすると、同じように挨拶を返してくれた。
「私は、一年五組の、春日椿姫。神子とは中学からの知り合いよ。神子が部活を創ったけれど部員が足りないようだったから、入部してあげることにしたの。べ、別に神子と一緒に野球したいからとか、神子が困っているんじゃないかなって思ったんじゃないからねっ」
ツンデレだった。
「……つまり、勝手に押し掛けた、と」
「遅かれ早かれ一緒にプレイするからいいじゃないの! それより、横山さんこそ、野球の経験はあるの? ポジションは?」
「えっと……一応、投手を……」
「ピッチャーっ?」
あからさまに疑わしげな視線を椿姫が送る。
野球において、ピッチャーは花形である。それを小柄な沙織がするというのだ。当然の反応だろう。沙織もそう思われるのに慣れていた。
「私は、内野ならキャッチャーとファースト以外は守れるわ」
暗にピッチャーもできる、と言っているのだろうか。
だがキャッチャーはともかく、ファースト以外というのは?
という沙織の疑問には、椿姫があっさりと答えた。
「あら。だってファーストは神子のポジションだもの」
なるほど。
いずれにしろ、ちょうど二塁手がいなかったので、椿姫の加入はありがたいものだった。
「でも勝手に部室に入って着替えるのはどうかと思うけど……」
「ん? 私、ちゃんとそこの子に許可貰ったけれど?」
「……え」
「……どうも……おはようございます……」
「どわぁぁっ」
沙織はその方向に目をやって思わず大声を上げてしまった。
部室の隅に動く物体――ではなく、女子生徒が立っていた。背が高いわりにどんよりとした存在感。人の気配に敏感な沙織にも気づかせなかったほどである。
「その……はじめまして。……久良あんず……さん?」
あんずと思われる女子生徒は無言でこくりとうなずいた。
「ったく、私も驚いたわよ。誰もいないからとりあえず着替えようとしたらいきなりにょきって現れるんだもん」
「ははは……」
沙織は笑いつつも、結局一人で着替えようと思っていたのかと内心ツッコミ入れた。
「で、彼女にまぁいいんじゃないって感じで許可貰ったんだけど」
「……勝手に追い出すより……みんなが来てから判断してもらう方がいいと……思った」
「ああ。そういうこと」
沙織は納得した。ようは椿姫の判断を神子たちにぶん投げということである。重要なことを決めるのは胃が痛くなる沙織にとっては、とてもよく共感できた。
なんて感じで話していると、外から申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
「おーい。そろそろ僕たちも中に入っていいかな」
「あ、忘れてた」
とはいっても、沙織もまだ着替えていないので、手早く体操着に着替えた後、男子と入れ替わるようにいったん部室を出た。
清隆は女子の前で着替える気だったが、女子たちは当然のように遠慮した。
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