第23話 左手での指相撲なら自信がありますよ?
「ここが今度やる大会の会場なんだよ」
「そうなんだ」
神子がすたすたとそちらに向かって行く。
広い球場では、下は沙織たちと同じくらい、上は四五十代くらいの大人たちが一緒に練習していた。女性の姿も何人か見られた。
「あそこで練習しているのが、商店街のみんなだよ。商店街チームとして今度の大会に出場してくるんだよ」
つまり、今後対戦するかもしれない相手というわけか。
と考えて、沙織は気づく。
「あ、それじゃ今日の目的って、偵察だったの? 言ってくれれば良かったのに」
「ううん。偵察はおまけだよ。デートが本命だもん。でも、せっかくだからさおりんが好きそうな所に行こうかなーって考えたら、野球のことが思いついちゃって」
「うっ」
野球馬鹿って言われている気もしたが、確かに神子の言う通りでもあった。幼い頃から父親のチームの練習を見せられていたから、練習風景を見ることは嫌いじゃなかった。
沙織は神子の視線から逃れるように、グラウンドの練習風景の方に顔を向けた。
基本的には大人たちの姿が多いが、中には沙織たちと同じくらいの少年や、若い女性の姿もあった。彼らが一緒に練習している様子は、まさに草野球である。
「……さすがに大人が多いから、動きが力強く感じるね」
軽く投げているボールが速く、バットに当たったボールもずっと遠くへ飛んでいく。
けれどその一方で、趣味でやっているからか、基本的な動作はやや緩慢なところが見られた。社会人のため時間がないのか、連係プレーにも荒さが目立つ。活路を見いだすとすればそこだろうか。
もっとも連係プレーや守備の穴を突くのは攻撃側なので、ピッチャーの沙織としては、個々の能力の高い打者を一人一人打ち取っていくことを考えなくてはならない。
……と思わず真面目に偵察して攻略法を考えてしまった沙織はぷるぷると頭を振った。これではまるで神子の思い通りみたいだ。
そんな沙織の様子を横目で見て笑っていた神子がふと何かに気づいたような声を上げた。
「あれ?」
「ん、どうしたの?」
「うーんとね。森屋さんが練習に参加しないで見ているだけだから、あれ、って」
「森屋さん?」
「うん、あの人だよ。商店街の本屋さんに嫁いできたんだ。で、その森屋さんが中心になって、商店街のみんなで野球チームを作ったんだよ。だから監督兼選手なんだけど」
神子が指さした先にいるのは、今は北海道に単身赴任している沙織の母親より、少し若いくらいの女性だった。すらりとした体型をしていて、普段から運動慣れしている感じだった。
けれど確かに神子の言うとおり、チームメイトへの練習の指示はしているけれど、バットやボールは握っていない。
気になったのか、神子が「おーい」と森屋に呼びかけた。
それにしても、本屋で森屋さんって分かりにくいような覚えやすいような微妙な感じだなと、沙織は思った。
「やぁ。神子ちゃんじゃない。久しぶり。もしかして、一緒に練習をしに来たのかい」
「あはは。今日はこの格好だから。それより森屋さんどうしたの? 練習やってみたいだけど」
「いやぁ。ちょっと仕事で棚の掃除してたら踏み台から落っこちて腕折っちゃってね。ギブスは取れたけど、まだ腕を使って運動するのは止められてるんだよ」
「うわぁぁ。それは大変だねー」
なんて会話を沙織は他人事のように横で聞いていたら、突然森屋が顔をのぞき込んできた。
「……あれ? もしかして、横山さんの沙織ちゃん?」
「え、どうしてあたしの名前を……」
神子と違って商店街の人たちは面識がないものだから、いきなり話しかけられて、しかも名前まで言われて沙織はびっくりする。
そんな沙織を見て、森屋が笑いながら言った。
「やだねー。忘れちゃったのかい。松嶋イースタンズにいたお姉さんだよ。一緒に練習したじゃない? まぁ、今じゃもう『おばさん』だけどねぇ」
松嶋イースタンズとは、確か沙織の父の鷹司がコーチをしていた野球クラブだ。沙織も小さい頃、鷹司に付いて一緒に練習を見学して、そのうち練習にも参加するようになっていた。
「あっ。秋原さんっ?」
「そうそう。やっぱ沙織ちゃんだ。おーきくなったねぇ」
父親がチームのコーチの手前娘にずっと構っているわけにはいかないので、そこで小さな沙織の相手をしてくれたのが、チームに参加していた数少ない女性の一人である若いお姉さん――秋原さんだった。確かに昔の面影が見受けられる。
けれどまさかこんなところに入るとは思っていなかったし、苗字も変わっていたので分からなかった。
「えっと、前のチームはどうしたんですか?」
「あぁうちの旦那と結婚してこっちに引っ越すことになったし、いろいろ環境が変わるから前のチームは辞めちまったんだ。けど、やっぱ野球が好きでね。同じ商店街のみんなを誘って野球チームを作ったんだよ」
「へぇ」
「おーっ。さおりんも森屋さん知ってたんだ。ボクも中学生のとき、休みの日は学校の部活もないから、このチームで練習して森屋さんに教わってたんだよっ。すごい偶然だねっ」
今度は立場が逆転して事情が分からない神子に沙織が説明すると、神子は感動した様子で沙織の手を取り、ぶんぶん振り回した。
沙織も高校に入る前から神子とそんな繋がりがあったことに驚いていた。運命というと大げさみたいだけど、めったに見られない縁だとは思った。
「せっかくだから二人とも練習でも、ってその格好じゃ無理か」
秋原……もとい、森屋が笑う。
デートという設定だから、というわけではないが、二人ともスカート姿である。
「でもさおりんは制服のスカート姿でもマウンドでボール投げてたよね?」
「うん。誰かさんに強引に投げさせられたからね」
沙織の反撃に、珍しく神子が視線を逸らした。
「あら、沙織ちゃん、もしかしてピッチャーなの?」
そんなやり取りを聞いて、森屋が聞いてきた。彼女と一緒に練習していた頃は、まだままごと程度でポジションという概念はなかったのだ。
「え、ええ。まぁ」
野球においてピッチャーとは花形である。そのため恥ずかしがり屋の沙織にとっては、それを公言するのは苦手だった。もちろん、ボールを持ってマウンドに立てば、そんなの関係ないが。
「へぇ。ちっこいのにたいしたもんだ。うちのとは正反対だね」
「あ、そうだ。ピッチャーはまだ、源さんなの?」
「ああ。そうだよ。せっかくだから、ちょいと呼んでくるわね」
神子の問いに、森屋はそう答えて、グラウンドに向かった。
「どんな人なの?」
源さんが呼ばれてくるまでの間に、沙織が神子に聞いてみた。
源さんの職業を大工だと勝手に想像してみたが、商店街の工務店で神子が口にしていた「おじさん」がその源さんのことっぽいので、あながち間違いではないかもしれない。
「森屋さんと一緒で、ボクの師匠みたいな人だよ。体が大きくて、スゴい球を投げるんだ。ほら、あそこ」
神子が指さす先には、バッティングピッチャーをやっている長身の男性の姿があった。年は四十代前後だろうか。背が高く、ひょろりとした感じは見受けられない、がっしりとした体型の持ち主だ。
投球しているところはすでに見ていたので、打撃練習のため全力投球ではないけれど、彼がだいたいどういうタイプの投手なのかは分かった。
身体全体を使って跳ね上げるように投げ込む沙織とは対照的に、源さんは上背を生かし、主に上半身を使って投げるタイプのようだ。
「おー。神子じゃないか。久しぶりだな。はっはっは」
森屋に呼ばれ、練習を切り上げてこっちに来た源さんが豪快に笑った。
「こんにちは。今度の草野球大会ではボクも高校の部活のチームで出場するから、宣戦布告に来たよ」
神子がびしっと言った。
それを聞いた森屋と源さんは、顔を見合わせて驚いた様子を見せた。
「へぇ。神子ちゃんがチームをねぇ。出見高の草野球部も出場するってのは聞いてて、もしかしたらゆかりのある神子ちゃん関わっているかなって思ってたけど、まさか本当に出てくるとはねぇ」
「はっはっは。それは面白い。けど今回の俺も、今までとはひと味違うぞ。俺の荒れ球を捕れるキャッチャーが新加入したからな。神子とは思いっきり勝負できるな」
「え? キャッチャー変わったの?」
「ああ。浜名さんが腰をやっちゃってね。代わりに正木さんちの長男坊に限定的に参加してもらったんだよ。現役の高校野球部員だよ」
森屋が説明する。
別に草野球協会などに加盟しているわけではないので、プロ野球選手だろうが高校生だろうが、出場に制限はないのだ。
でもこっちの練習や試合に出て、高校の部活は大丈夫なのだろうか。
そんな質問に、森屋が答える。
「学校の休みの日の練習は午前中のみだから、こっちにも参加できるんだよ。ほら、そこの子」
彼女が指さしたのは、いかにも野球部らしい坊主頭をした少年だった。森屋に呼ばれ、その少年がこっちにやってくる。童顔な少年は、野球のグラウンドに来るには不釣り合いな格好をしている神子と沙織に戸惑った様子を見せる。
けれど、ふと何かに気づいたように、少年は沙織の顔をのぞき込もうとしてきた。
男子慣れしていない沙織は、ささっと神子の影に隠れようとする。
「あれ? もしかして……横山さん?」
「え?」
坊主頭の言葉に、沙織は固まった。
言うまでもないが、ぼっちの沙織は神子に比べて圧倒的に人間関係は狭い。にも関わらず、森屋に続いて、この少年までが自分のことを知っているなんて、前代未聞の大事件である。
それに森屋はともかく、知らない相手がなぜ自分の名前を知っているか。もしかしてこれが噂に聞くストーカーなのだろうか?
とあからさまに警戒する沙織に対して、少年は坊主頭をがばっと下げた。
「ごめんっ!」
「……え?」
「俺、ぜんぜん横山さんの気持ちも考えないで。でも転校してきたばっかりでよく分からなくて」
「え? なになに? さおりんの知り合い?」
「えっと。あたし、知らないんだけど」
沙織が答えると、坊主頭はショックを受けた様子を見せた。
「俺だよ。新町小の少年野球チームでキャッチャーやっていた正木広樹だよ」
新町小というのは沙織が通っていた小学校だ。そしてそこの少年野球チームには沙織も加入していた。
沙織は一人一人メンバーを頭の中で思い浮かべ、そして思い出す。
「……もしかして、まさきくん?」
「うん。久し振り。野球辞めたって聞いていたから、もしかして俺たちの陰口のせいかなって。ほんと、ごめんっ」
広樹は沙織の後からチームに入ってきた少年だった。
他のチームメイトのようにあからさまに沙織を敵視するようなことはなかったけれど、新加入の転校生として他のチームメイトに合わせるためか、徐々に沙織と疎遠になっていた。
それにしても向こうからこうやって謝ってくるということは、広樹だけじゃなくてほかのチームメイトの男子たちも、少なからず自覚というか罪悪感があったのだろうか。
もしチームメイトと再会したら、もちろん直接面と向かって罵声を浴びせさせられる勇気はないけれど、心の中で目いっぱいねちねち言ってやろうと思っていた。
けれど神子や葵と出会って野球をまた始めて、今ではそういう気持ちも少なくなってきていた。
だから沙織は素直に、今のことを広樹に伝えた。
「えっと……もう大丈夫。その、中学の時は辞めてたけど……高校になってから、また始めたから」
「え、本当に? 野球を? 可愛い格好しているから分からなかった」
「かっ、可愛い……っ?」
広樹の唐突な発言に、沙織は顔が真っ赤になった。
男子との交流は中学時代は皆無。高校の草野球部の男子たちも、神子ちんしか眼中にない銀河、変態の清隆、捕食対象(沙織から見て)のとおると……恋愛どうこうというタイプはいなかったため、こういうセリフを素で言われて沙織は衝撃を受けて、固まってしまった。
「さおりんは可愛いだけじゃなくて、凄いんだからねっ。今度の大会で抑えちゃうんだから」
そんな沙織と広樹の間に、なぜか神子が少しむっとした口調で割り込んできた。
けれど広樹はそんな神子の反応に引くどころか、むしろ逆に顔を輝かせる。
「え、マジで。うわー。すごく嬉しいんだけど。横山さんと対戦できるなんて、めっちゃ楽しみっ」
無邪気なところは、まるで神子を見ているようだった。
まさきくんってこんな感じだっけ? と沙織は戸惑う。
少年野球チーム時代は、可愛らしい女の子に「化け物」と言われたことしか、あまり記憶に残っていなかった。あまりいい思い出がなかったので記憶を封印していたのかもしれない。
けれど、あれからもう四年も経っているのだ。人の性格だって変わってもおかしくはない。――沙織はあまり変わっていないけど。
「なんだい。広樹も沙織ちゃんと知り合いだったのかい?」
「はい。小学校の時、俺とバッテリーを組んでたんです」
広樹が森屋と源さんに沙織のことを話した。
「ほぉー。ていうことは、このちっこい女の子が、神子のチームのピッチャーってことか?」
源さんが驚いた様子を見せる。
「……ええ。ちっこいですけど」
気にしている身長のことを強調されたようで、沙織はむすっとして答えた。
「ははは。これは失礼。同じ投手としてよろしくな」
源さんは笑うと、右手を差し出してきた。
沙織も右手を出して握手を交わす。源さんが微妙に表情を変えた。それを感じて沙織が言った。
「あ、利き手は左手ですから」
「お、悪い悪い。思わず顔に出ちまったかな」
「左手での指相撲なら自信がありますよ?」
「はっはっは。そうか」
同年代だと気後れしてしまうが、だいぶ年が離れている相手だと、沙織も気が楽で、それなりに言えたりする。
「それじゃ、ぜひうちの四番も紹介しないとな。おーい。桐生」
今度は源さんがグラウンドに向かって叫ぶ。
するとバッティング練習をしていた男性が手を止めて、バット片手にこちらまで歩いてきた。
「もとは強豪の社会人野球チームに所属していたんだけど、脱サラして、商店街にそば屋を開いてな。それでうちのチームに入ったんだ。神子とも初対面だよな。お前も大したもんだが、やっぱ本物は違うって思ったよ」
「……よろしく」
沙織の父の鷹司と同い年くらいで、眼鏡を掛けた地味な印象だけれど、その眼鏡の奥の眼光は鋭かった。発する言葉も最小限の言葉のみで、ザ、職人って感じだった。
おどおどタイプのぼっちの沙織とは対照的なのだが、何となくシンパシーを感じた。
「おぉー。なんか凄そうな感じっ」
神子も感心した声を上げる。沙織とは別の意味で、神子も桐生とは対照的なタイプだけれど、こちらもこちらで同じ強打者としての何かを感じ取ったようだ。
「……どうも」
桐生が小さくそう言ってすっと神子から顔を逸らした。どうやら神子の美少女ぶりに照れているようだ。親子ほど年が離れているとはいえ、神子の容姿なら不思議でもない。見た目と違って、霧生は意外と純情なのかもしれない。
こうして一通りあいさつした後、森屋たちは練習に戻っていった。
「なんか、楽しみになって来たね」
「うん」
神子の言葉に沙織はうなずいた。
無性に練習がしたくなってきていた。
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