第22話 ボクと一日デート券を、さおりんにプレゼント
「さおりんに謝らなくちゃダメなことがある!」
「……えっ?」
ある日、練習が終わった後、突然神子に言われ、沙織は目を白黒させた。
今日の練習で何かヘマをしたっけ、と沙織は考えたが、思い当たる節はない。その後に、神子が謝るのだから沙織のミスではないことに気づいた。
野球以外では、謝ることはあっても謝られることは滅多にないので、神子が謝る理由がさっぱり分からない。
そんな沙織に向けて、神子が話を続ける。
「さおりんと一番はじめに勝負したときあったでしょ」
「うん」
無理矢理葵に連れられて、制服姿で神子と対峙したときのことだろう。
「三球目のさおりんのカーブ。葵はファールチップだって言っていたけど、実はバットに当たっていなかったんだ」
沙織は一瞬何を言っているのか分からなかった。
目を白黒させ、しばらくしてその意味を理解する。あれが空振りなら、神子は先に三振したということになり、その後打たれたボールは存在しないことになる。
つまり勝負は、沙織が勝っていたというわけだ。
「そうだったんだ」
だが結局は、次の一球は完璧に打たれているので、三振だったら無かった一球だとしても、沙織は素直に喜べなかった。
とはいえなぜ今更こういう話をするのだろう、と沙織は首をかしげた。
その疑問に神子が答える。
「というわけで、約束どおり、ボクと一日デート券を、さおりんにプレゼント。明後日の日曜日、一緒にデートしよ!」
「ふぇっ?」
あまりの展開に、沙織の口からはお得意のツッコミが出ることはなかった。
☆ ☆ ☆
「ほう。友達と遊びに行くのか」
「……えっ、と、友達っていうか……チームメイトっていうか……ま、まぁ友達だと思うけど……う、うん」
父親の鷹司のどこか嬉しそうな声に、沙織は戸惑いつつ、そう答えた。
長年ぼっちを続けていた沙織にとっては、友達という単語は何ともむず痒いものなのだ。
けれど仮に、神子に対して友達じゃなくて単なるチームメイトと告げたら、たぶん神子はぶぅっってむくれて反論してくるだろう。そんな姿が容易に想像できた。それはつまり、神子は沙織のことを友達だと思っているわけで。
(友達……か)
どこか恥ずかしく感じつつも、素直に嬉しい気持ちもあった。
そんな沙織を鷹司は暖かく見守っていた。娘が一人でいるところをずっと見てきて、その交友関係は気にしていたので、「友達と遊びに行く」という、高校生では珍しくもない普通のことが、嬉しかった。
ところが一方の沙織は、鷹司のように純粋に喜んでいるだけではなかった。
むしろ悩みの比重の方が多いくらいだった。
ぼっちだった沙織にとって、デートの経験などあるはずがない。というより友達と休日にお出かけ、ということ自体、いったい何年ぶり何回目なのか、それとも初出場なのか、分からないくらいだ。
野球のことなら、こんなに悩んだりはしないのだが、それ以外のことはからっきしなのである。
とりあえず、デートプランは神子に任せるとして、当面の、そして最大の問題は、着ていく服だった。
「えーと……えーと……っ」
ていうより、実は今日がまさに日曜日当日で、待ち合わせ時刻が刻一刻と迫ってきているのに、まだ服が決まらないのだ。
友達と遊びに行く云々以前に、学校に行く以外滅多に外出しないので、まともな服なんてほとんどない。その季節ごとに数着あれば十分。もちろん、春と秋は同じものを着ている。しかも小学校卒業からほとんど成長していないため、小学生時代の服も一部現役である。当然そこに、流行などというリア充言語は存在しない。
いっそのこと、学校の制服を着ていく案も考えたけれど、何かしっくりこない。
「うーっ、これで……いいや」
結局、沙織が選んだのは、オーソドックスな半袖のブラウスに、足を隠せるロングスカートだった。野球をやっているせいでもあるが、身長や体格に比べて脚が若干太いのは沙織のコンプレックスだったりする。
「そ、それじゃ……行ってきます」
「あぁ……行ってらっしゃい」
ささっと着替えた沙織は、鷹司に見送られて、急ぎ足で家を出た。
普通に計算すれば、待ち合わせ場所に三十分前には着くくらいの時間だったけれど。
☆ ☆ ☆
空は鮮やかに晴れ渡り、湿気もなく、爽やかな陽気だった。
神子との待ち合わせ場所は、沙織がいつも通っている学校からの最寄り駅の、一つ隣の駅だった。住宅街の駅といった感じで、もう二ヶ月くらい電車を利用している沙織も、すぐ隣のその駅で降りたことはなかった。
思ったより大きめなローターリーできっちし三十分前から待つことしばらくして、神子がやってきた。
「あ、さおりーん。お待たせー」
色々緊張していた沙織とは対照的に、神子はいつもと変わらない調子だった。それを見て、沙織も自然と肩の力が抜けていくのを感じた。
「神子ちゃん。おはよ」
「おぉ。さおりんの私服姿初めて見たかもだけど、似合ってるよ」
「あ、ありがと。でもそれを言うなら、神子ちゃんだって」
神子はクリーム色のワンピース姿だった。快晴の空から降り注ぐ光が、鮮やかなブロンドの髪と白い肌に反射して、眩しいくらいだ。それでいて、背が大きく腕や足がしっかり肉付いているにもかかわらず、ごつさの感じられない女性的な体格をしており、どこぞのモデルと言いっても十分通用しそうだった。
神子のスタイルの良さは元々知っているので、沙織はそれほど驚くことなく、とりあえず着てきた服が被らなくて良かったと安心した。
「ふふ。ありがとね。それじゃ、行こうか」
「えっと、どこに?」
「うん。すぐそこの商店街だよ」
「商店街?」
神子の言葉に、沙織は軽く首を傾げた。
「すごいねぇ。こういうお祭りがあったんだ」
「うん。月に一回。商店街に来てもらって身近に感じてもらうために、日曜日にこういうイベントをやっているんだよ」
駅のローターリーの先にある商店街では、各々のお店が屋台のような小店を出しており、たくさんの人で賑わっていた。
学校の近くとはいえ、出不精の沙織はこういう催しが定期的に行われていたのを初めて知った。
沙織は神子に勧められるがままに、蒸したての饅頭や揚げたての串物を口にしたり、露天に並べられたアクセサリーや、ペットショップのうさぎを眺めたり、ちょっとしたストリートパフォーマンスを見物したりと、イベントを満喫していた。
神子自身も沙織そっちのけに楽しんでいる場面もあったので、沙織としても変に気を遣う必要がなく、充実した時間を過ごすことができた。
「どう? さおりん、楽しんでる?」
「うん。とっても」
「良かった。さおりんならきっと楽しんでくれるって思ってたよ」
神子が満面の笑みを浮かべた。見ている方も嬉しくなってしまいそうな笑顔だった。
「この商店街はうちがたくさん出資していてね。こういうお祭りみたいなイベントを始めたのも、うちが中心となって始めたんだ」
「へぇ」
そういえば、以前椿姫が「神子の家は商店街も経営している」みたいなことを言っていたことを思い出した。
「あ、だからみんな神子ちゃんのことを知っているんだ」
沙織が商店街を回りながら驚いたのは、商店街の人たちがみんな神子のことを知っていることだった。
買い物したり、商品を見ていたりしていると、向こうから親しげに話しかけてくるのだ。神子が目立つ容姿をしているからかもしれないが、話しぶりからは、昔からの顔なじみといった感じだった。
沙織がそのことを口にすると、神子はにこりと笑って答えた。
「うん。商店街の人たちとは、よく一緒に練習してたから顔見知りなんだよ」
「……え、練習?」
神子が頭にはちまきを巻いて熱した油の中に串物を入れている姿を、沙織は想像してしまった。
「うん。森屋さんもいなかったし、やっぱり今日も行っているのかなぁ。ちょっと聞いてみるね」
神子はいきなり沙織の知らない人物の名前を挙げると、とある店に入っていった。ここは食べ物屋ではなく、工具店のようだった。アーケードの賑わいをよそに、ひっそりと平常営業中だ。
神子が奥に座る女性に声を掛けた。
「おばさん。こんにちはーっ」
「あら、神子ちゃん、久しぶりねぇ。」
「ねぇ、おばさん。さっき本屋で森屋さんを探したんだけどいなかったんだ。もしかして、源さんも行ってる?」
「あぁ、もう出かけてるよ。祭りだろうとお構いなしにね。ま、こっちも大きな『祭り』が控えてるからね」
「やっぱそうなんだ。よし。さおりん、それじゃ行こうか」
「え、どこに?」
「ふっふっふ。ここに遊びに来たのは、イベントを楽しむ以外にも目的があるんだよ」
訳が分からないまま二人の会話が進んで、沙織はそのまま神子に連れられて店を出ていった。
神子に連れられたまま商店街を抜け、住宅街を少し歩くと、海風が感じられてきた。沙織は駅から歩いてきた方向を思い浮かべながら、現在地を考える。おそらく、海の近くなのだろう。
「ほら、さおりん。こっちこっち」
信号のない大通りを先に渡った神子が手を振る。
沙織は左右を見て車が来ていないことを確認して、道路を渡る。
ちょっとした堤防代わりになっていて、高い位置に作られている道路の先からは、眼下に大きな広場が広がっていて、その先に青い海が見えた。
海の前の広場は、総合運動場になっていて、陸上用のトラックや、サッカー場。テニスコートに、ゴルフの打ちっ放し施設も見られた。
そして――
「あっ」
沙織のつぶやきに、神子が満足げにうなずいた。
運動場の広場の中には、立派な野球場もあった。
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