第18話 気合いが空回りしてるって
犠牲フライで同点を許した沙織だったが、後続の三番バッターは内野ゴロに打ち取って、スリーアウトチェンジとなった。
そして試合は四回。出見高草野球部の攻撃になる。
「……ごめんなさい」
マウンドから降りてベンチに向かう沙織は、主将である神子に謝った。あの一球は完全に自分の失投だった。
「さ、沙織お姉さまが謝る必要ないっす! 元はと言えば球ちゃんがちゃんとフライを取れなかったから……っ」
外野から全力ダッシュで戻ってきた球子が目に涙を浮かべて口を挟む。
そんな二人の頭を、神子がぽんぽんと軽く叩いた。
「大丈夫だって。ミスは誰にもあるし、まだ同点だもん。ボクがちゃんと打って取り戻すから」
神子が笑ってそう言うと、ベンチに戻り準備をして、打席へと向かっていった。この回は三番の神子からの攻撃である。
バッターボックスの横で素振りをする神子は、いつもと違って怖いくらいに真剣な表情で、沙織は頼もしく思った。
けれど沙織とは対照的に、意外にも清隆が不安げに呟いた。
「……良くないですね」
「どうして。気合い入っているのに」
「あの神子が楽しんでいないんですよ。野球を」
「あ」
清隆の指摘に、沙織はぎくっとしった。
確かにいつもの神子は、練習でも作戦会議でも野球を楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。真剣勝負のときの、きりっとした表情の中にも、勝負を面白がっている感じがある。
けれど今の神子は、どこかピリピリしていて、逆に神子自身が追い込まれているようにも見えた。
もし沙織がマウンドに立って今の神子と対峙していても、物理的な怖さを感じても、投手として打たれるとは思わないだろう。
それなりに人の気持ちには敏感な沙織でも気づかなかったことを、清隆があっさりと感じ取ったのは、やはり幼なじみとして、関係が長いからだろうか。ちょっとうらやましく感じた。
ちなみに、今この場に椿姫がいたらどうなるか気になったが、その彼女は一塁コーチを勤めていて、神子が塁に来るのを待っていた。
宮平の直球に対して、神子がバットを振るう。
いつもなら完璧に捉えているはずのスイングが、ファールになる。それが続いて、神子はツーストライクと追い込まれる。
そして、普段では考えられないような、ボール球のスライダーに手を出して、空振りの三振に倒れてしまった。
「神子ちん。気合いが空回りしてるって」
バッターボックスに向かう銀河が憮然とした表情でベンチに戻ろうとする神子に声をかけた。
「うーっ。でも打ちたかったんだもん!」
「まぁまぁ。四番サードの、俺っちに任せておけって」
銀河がいつもの調子で言って、打席に入る。
けれど銀河自身も言葉とは裏腹に、バットを持つ手や身体に、力が余計な力が入っているのも感じていた。前の回のフィルダースチョイスのことが頭にあり、自分で取り返したい気持ちは、神子と同じ様にあった。
その力みが身体に伝わってしまったのか、やや甘めに入った外のスライダーを打ち上げてしまい、銀河も平凡なセンターフライに倒れた。
(うーん。簡単にツーアウトかぁ……)
彼の体格からしたら小さく見えるバットを軽く振りながら、とおるが打席に立った。彼も前の回のゲッツー崩れやフィルダースチョイスが失点に繋がったことを感じていた。
けれどマイペースな性格に加え、神子・銀河という期待の三番・四番が簡単に凡退したことで、気を張ることなく打席に立っていた。
一方投手の宮平の方は、とおるの体型と、ツーアウトランナーなしという状況から、一発長打を警戒していた。
結果、厳しいコースにボールが集まり、それをゆったりと見極めたとおるは四球で出塁した。
続く清隆は、セオリー通り四球の後の初球を狙う。
だがその初球は、用心して投げられた外のスライダー。
清隆はそれをひっかけて、平凡な内野ゴロになった。しかし転がった打球はイレギュラーバウンドを起こし、相手野手のエラーを誘った。
「ふふふ。日頃の私の行いのおかげですね」
送球より先に一塁に達した清隆が塁上で、爽やかに笑う。
それはどうだろうと沙織は心の中でツッコミを入れた。
とにかく、二死ながら走者が溜まって、一二塁のチャンスとなった。
続くバッターは七番の久良あんずである。
直前のエラーがあったため筒井中内野陣がマウンドに集まる中、ゆっくりと打席に向かうあんずに、出見高のベンチから声援が送られる。あんずは相変わらずの無表情だが、それなりに気合が入っているようにも見えた。
あんずが出塁したら、次の次の打者である沙織はネクストバッターズサークルで準備しなくてはならない。
そのためベンチ前でのキャッチボールを切り上げて沙織は試合を見つめる。
「あんずちゃん、前の打席もしっかりボールを捉えていたから、いけるかな」
「どうかしら、いずれにしろ二塁走者がとおるだから、上手く打たない限りランナーが還るのは難しそうね。そうなると次の打者は球子。あるいは、それを考えるのなら……」
同じくキャッチボールを終えた葵はそう言って、ネクストバッターズサークルにいる球子に目をやった。
試合が再開される。
初球は様子見のような外のボール球。次も外にはずれるスライダーだった。あんずはバットを振らずに、ボールツー。そして三球目もキャッチャーが外に構える。
出見高のベンチがざわめく。葵がやっぱり、という顔をして、ようやく沙織も気づいた。これは敬遠だ。
女子にしては背の高いあんずと、小学生のようなあからさまに素人っぽい球子。筒井中バッテリーはそれを天秤に掛けて、走者を三塁にやって塁を埋めても、球子との勝負を選んだのだ。
こうしてストレートの四球で、あんずが出塁し、二死満塁。
バッターボックスに向かうのは、八番打者の球子だ。
「球ちゃーん。リラックスしてー」
「気合いよ! 気合いを見せなさいっ」
神子と椿姫から正反対の応援がベンチから送られるが、がちがちに固まった球子の耳には、どちらも届いていないようだった。顔面蒼白で今にも泣き出しそうなほど、震えている。
前の打席は三振。自分のエラーで得点も献上してしまっている。
すでにチームの足を引っ張ってしまっているのに、みんなで繋いだ満塁のチャンスもフイにしてしまったら……という思いがネクストバッターズサークルにいる沙織にまで伝わってくる。
しかも追い打ちをかけるかのように、曇り気味だった空がさらに暗くなって、雨粒を落としてきた。
まだ降り始めなので、試合は中断することなく続けられる。
結局、球子は、いつもより空回りしたスイングで三球三振。スリーアウトチェンジとなった。
4回の裏 筒井中の攻撃
降り始めた雨はだんだん強くなっていた。だが試合は続行され、四回の裏を迎える。
雨に打たれながら沙織はマウンドに向かった。降りしきる雨は不快ではなかった。むしろもっと降って、熱くなっている頭を冷やしてほしいと思うくらい、沙織は熱くなっていた。
野球以外では基本的に弱者である沙織には、球子の気持ちが痛いほど分かっていた。練習試合とはいえ、試合は試合。相手が勝負に徹する気持ちも理解できなくはない。けれどこれでは、虐めのようなものだ。
仕返しに、当ててやろうかと思ったくらいだ。
けどさすがにただでランナーを出すつもりもない。それでも、相手が仰け反る程度のぎりぎりは狙う。
葵の構えは内角。その構えよりボール数個分内側を狙ったつもりだった。
(……えっ?)
だがインコースに投げ込むつもりのボールが、力んだのか、雨で滑ったのか、完全に逆方向へとずれて、ど真ん中に吸い込まれていく。
そんな甘いボールを、四番打者の大田原が見逃すはずもなかった。
快音とともに、白球は俊足のあんずの頭を越えた。広いグラウンドで外野の頭を越えればどうなるか、沙織も分かっていた。
ランニングホームラン。同点から先に筒井中が点を取り、勝ち越しを決めた。
頬を伝う雨が、やけに冷たく感じた。
☆☆☆
冷たい雨はさらに強くなっていた。
空も暗くなって、雨は止むどころか、勢いを増していた。
(別にこれくらいの雨、どうってことない。普通に野球してたし)
沙織は気丈に振る舞って、マウンドに立つ。
降りしきる雨にマウンドがぬかるみ始めている。だがそれ以上に、頬にかかる雨が沙織の集中力を奪っていく。投げる度にボールが滑りやすくなって、余計な神経を使う。ユニフォームやその下のシャツも濡れてきて、体温と身体の自由を奪っていく。
「――このっ!」
ほとんどやけくそ紛れに投じた直球だったが、打者が打ち損じで、ふらりと平凡な内野へのフライとなった。
椿姫が慎重に落下点に入って、それを捕球した。
ランナーがそれぞれ元の塁に戻る。
「ツーアウト!」
葵が声を上げる。
これでようやくツーアウト。だが、まだ四回の裏の攻撃中だった。
沙織は汗と雨で濡れた額を拭って、スコアボードに目を移す。
三回裏の数字の「2」の横に、「3」の数字が並んでいた。
雨は一向に止む気配を見せない。
沙織が濡れたボールを手にしたところで、主審が手を広げていったん試合を中断させた。
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